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丸に右離れ三つ葉立葵

昨日の記事にて、「赤心沖光」の光を強引に『光縁寺』に結びつけてしまいました(汗)
そこで今日は光縁寺について語りたい・・・

壬生の光縁寺には、山南敬助をはじめ、新選組隊士らが眠っています。新選組関係の墓石は4墓あり、ひとつが正面に「山南敬介藤原知信」、他に河合(後に家族によって壬生寺にお墓が作られました)や石川らの名前が刻まれている合葬墓があります。
もうひとつの合葬墓には松原忠司らです。後の二つのうちひとつは大石鍬次郎の弟の墓、そしてもうひとつは沖田氏縁者の墓です。
沖田氏縁者の墓については気になる方もいらっしゃると思いますが、今日は避けて通ります(汗)

昭和の初期、京福電鉄嵐山本線が山南らの墓石が立っているところを通ることになり、その時に墓石が今の場所に移動したそうです。山南敬助は嵐電(らんでん)の線路の地下に今も眠っているのです。
私が光縁寺への行き帰りは、この辺に眠っているんだろうな~と思うすぐ近くの踏切を渡るので、その時にはなんとも言えない気持ちになります。

初めて光縁寺を訪れたのは、山南を好きになった大学生の時でした。
壬生界隈の中でも、壬生寺、八木邸、前川邸などより少し離れた所にあり、静かなところです。
横を走る京福電車の嵐電の音が、カンカンカン・・・と、時々聞こえてくるだけで、その音がまた好きなのです。私にとってはとても落ち着く場所であり、時間がゆっくりと流れているように感じます。

山南と光縁寺の関係は、山南、新選組ファンならすでにご存知のことと思いますが、簡単に少しだけ・・・
光縁寺の山門の瓦には、「丸に右離れ三つ葉立葵」の山南家と同じ家紋があり、また当時の住職である良誉上人(りょうよしょうにん)が同年齢であり、そのようなことから、良誉上人と山南の間に親交が生まれたらしい。そして山南の紹介で、亡くなった新選組の隊士たちが良誉上人によって弔われ、埋葬されるようになったらしい。
そして3人目が山南敬助でした。

この良誉上人は、貧しくて葬式を出せない人たちでも分け隔てなく弔っていて、そのことを知って、門前には筵に巻かれた遺体が放置されていたらしい。山南はそんな住職の人柄にも惹かれたのでしょう。

山南敬助と良誉上人を結びつけるきっかけとなった、そして長い歴史が染み込んだ山門の瓦の総葺き替えが、今年の春に行われました。
4月に行った時には青いブルーシートが張られて葺き替え中、そして今年の6月に行った時には真新しい「丸に右離れ三つ葉立葵」の瓦になっておりました。

山門は、瓦以外は当時のままであり、山南自身、また山南の遺体、そして近藤、土方、沖田らもここを通ったんだよな~と思いながら、私も通るわけです。
by eri-seiran | 2005-11-23 21:08 |  ゆかりの地

山南敬助をメインにしたブログです。ホームページ『山南敬助 赤心記』共々よろしくお願い申し上げます。


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