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斎藤一と試衛館、そして山南敬助

先日の記事で、オダギリ・斎藤に触れたら、史実の斎藤一について書きたくなりました。
私が新選組を好きになった頃は、斎藤一は山南敬助よりもマイナーだったと思う。
今年になって、三船敏郎さんが近藤勇、中村梅之助さんが山南敬助、そして佐藤浩市さんのお父さん三國連太郎さんが芹沢鴨を演じた映画「新選組」(1969年製作)を初めて観ましたが、斎藤一は登場しない。そんな時代もあったわけです。
しかし今では、「壬生義士伝」の準主役を初め、新選組を語るうえで欠かせない存在になっています。
私が新選組の中で一番好きなのは、もちろん山南敬助です。次が土方歳三です。そしてその次に好きと言うか、気になる人が藤堂平助でした。
しかし今回、「新選組!」を観て、斎藤一が気になるようになりました。それは映画「壬生義士伝」の影響もあったのだろうな~そしてこの人について調べれば調べるほど関心が湧いてきます。

大河ドラマ「新選組!」では、オダギリ・斎藤は堺・山南敬助と同じ日(1860年3月2日)に近藤勇と出会っております。そして第5回の「婚礼の日に」にて、試衛館を訪れ、山南敬助に初めて出会うわけです。京都で再会した時、元々の試衛館のメンバー以外では山南敬助だけが斎藤一を知っていました。他の試衛館派のメンバーが「誰?」と思っているときに、山南敬助は近藤の婚礼で出会ったことを思い出した表情をするんですよね。他のメンバーは知らないのに山南だけ知っているんだよ~とちょっと自慢したい私です(笑)

そこで史実においての斎藤一と試衛館、そして山南敬助との関係についてです。
この人も謎の多い人なのですが、江戸にいた時から試衛館のメンバーとは付き合いがあったのではないかと考えられています。
その一つとして、小島鹿之助による「両雄士伝」において、試衛館から浪士組に参加したメンバーとして斎藤一の名前を挙げています。また永倉新八の「浪士文久報国記事」には、試衛館で稽古が終わった後、国について議論していた仲間として斎藤一の名前を挙げ、浪士組に加入するメンバーとして斎藤一の名前を挙げています。そして御陵衛士の生き残りである安部十郎は、「斎藤一は天然理心流の剣客であった」と、証言しています。

しかしです!浪士組として上洛する名簿の中には斎藤一の名前はありません。

しかしです!!3月10日に提出した会津藩への嘆願書には、京に残留を決めた元々浪士組であった15名以外に、浪士組の名簿にはなかった斎藤一と佐伯又三郎の二人の名前があるのです。つまりこの二人は京都にて合流したということになるわけです。佐伯のことについては長州の出身であったということから、間者だったのでは?とも言われていますが、正直言ってよくわかりません。
斎藤一は、江戸にて人を斬って、京都の剣道場でかくまわれていたとも言われており・・・
そのようなことを考えると、試衛館の食客であり、人を斬ったために浪士組として参加することを避けた、或いは他の事情で先に上洛していた、そして京都で合流したと考えるのがごく普通ではないでしょうか?
そうなると、「会津藩の間者だったという説は考えにくいのでは?」と、思うのです。

新選組研究家である藤堂利寿氏は、「知れば知るほど面白い 土方歳三 人物歴史 丸ごとガイド」(学習研究社)で、試衛館派のメンバーをこのような形で分けています。

天然理心流派
 近藤勇、土方歳三、沖田総司、井上源三郎
準天然理心流派
 山南敬助、斎藤一
非天然理心流派
 永倉新八、藤堂平助、原田左之助

山南敬助については残っている記録から当然であります。斎藤一は先に述べたように、天然理心流派の剣客と証言されているからです。
もしかしたら、山南敬助の次に試衛館を訪れたのは斎藤一だったかもしれません。
もしかしたら、山南敬助が元々の試衛館のメンバー以外で最初に出会ったのは斎藤一だったかもしれません。
もしかしたら、元々の試衛館派のメンバー以外では、斎藤一が試衛館においての山南敬助について一番良く知っていたかもしれません。
もしかしたら・・・・もうしつこいですね。すみません!!

元々の試衛館以外のメンバーがどの順番に試衛館を訪れたのか、どのようなきっかけで知り合ったのか、知りたいな~知りたいな~知りたい!!
by eri-seiran | 2005-12-07 00:02 |  同志たち

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