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文久二年1月にも多摩に参上していた山南敬助

文久元年(1861年)1月に多摩の記録に初めて山南敬助が登場すること、文久三年(1863年)1月に浪士組参加の挨拶のために総司と一緒に小島鹿之助宅を訪れたことばかりに気を取られ、また新聞に載っていた山本耕史君の写真を見て、うっとりしていたら、文久二年(1862年)の1月の山南敬助の出来事をすっかり忘れていました。

大した出来事ではないんですけれどね(苦笑)
文久二年(1862年)、1月19日、山南敬助が近藤や総司と一緒に橋本政直(道助)宅を訪問した記録が橋本家日記に残っています。

この橋本政直宅は小野路村にあり、本家であり、この向かいに橋本分家があって、この分家に剣術の道場があったそうです。
3人で、出稽古に来たのだろう。そして翌日の20日、同じ小野路村の小島鹿之助宅に近藤が来た記録が小島家日記に残っています。

近藤だけ???
あれ?山南と総司はどこに行ったの?
二人は他の所へ出稽古に行ったのだろうか?
用事がなければ、きっと小島鹿之助宅に近藤と一緒に行っているだろう。師範代として出稽古に行ったと考えるのが妥当かしら?

この橋本政直も、試衛館、新選組を支え、応援していた一人です。そして山南敬助とゆかりのある多摩の人たちの一人というわけです。

これもやっぱり1月なんですよね~新年の稽古ということもあるのでしょうが、文久元年から文久3年までの3年間、1月には必ず多摩に参上している山南敬助です。
by eri-seiran | 2006-01-24 22:13 |  出来事

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