太陽暦の3月20日は?そして141年前の天気は??
2006年 03月 20日
つまり、春がもうすぐそこまで来ていた時季に、山南はこの世を去ったのです。
京での3度目の桜を見ることなく・・・
伊東甲子太郎の弔歌は、桜の花の散華に重ねて詠んでいますが、この時季に桜が咲き、散るということは考えられず、やはり山南の死後、何週間か経ってから詠まれたんだな~ということを、今日、改めて実感しました。
今日、私が住む関西のこの地は寒いです。天気は良く、青空に白い雲が浮かび、寒いけれど、春が近づいているのを感じます。
この時季は、真冬に戻ったかのように寒かったり、春が来たかのように暖かいなど、変化が激しいです。それを繰返して春になっていくんですよね。
元治2年(1865年)2月23日の天気はどうだったのだろう?
春が近づいているように暖かい日だったのだろうか?
今の2月23日は寒かっただろうと予想できるのですが、3月20日という3月の後半の天候なんって、考えられない。
そんなどうでもいいようなことが気になります。
そこでです!佐藤彦五郎日記を見たら、元治2年2月22日、23日、24日の日記が残っていました。
22日は曇り、23日は晴れ、24日は曇り、夜小雨 その数日前の18日は雪、19日は薄雪だったそうです。しかし、これは多摩の日野の天気です。あまり参考にならない。でもやはり、今の3月と言えども、雪が降るなど寒い時季でもあるんですね。京のその時季も寒い日、雪が降る日があったのだろうな~
そして当然ですが、佐藤彦五郎は山南敬助が亡くなったということは知らず、このように日記を書いていたのかと思うと、また胸が熱くなり・・・
きっと佐藤彦五郎のように、関西に住んでいた人で、その日の天気と出来事を書いた日記があり、今でもどこかに残っているだろうな~と思うのです。2月22日から24日にかけての天気について知りたいものです。本当にどうでもいいような事が無性に気になっています。