草津宿~往来する彼らを見ていたウラジロガシ~
2006年 04月 19日
昨日の記事に載せた桜の写真も草津宿の東海道に咲いていたものです。
これまで草津宿はそれほど知られていなかったと思います。
しかし大河ドラマの『新選組!』で脱走する山南敬助@堺雅人が草津を目指したことから(たどり着けなかったけれど・・・)、また『新選組!』を観て新選組や幕末などのファンになった人もいることから、2003年までよりは少なからずとも知名度は上がったのではないでしょうか?
草津宿の東海道沿いに立木神社があります。昨日、初めて行ってみました。
この神社を横目にしながら、文久3年(1863年)の2月、山南敬助は試衛館派のメンバーと共に京に向かったのです。その後、元治元年(1864年)の禁門の変の後に藤堂平助、同じ年の秋に近藤勇、永倉新八ら。元治2年(慶応元年・1865年)の春には、土方歳三と斎藤一ら。慶応3年(1867年)の秋には、土方歳三と井上源三郎らが歩いたのです。
文久3年2月の上洛以後、再び、この地を歩けなかったのは、試衛館派では、沖田総司、原田左之助、そして山南敬助の3人というわけです。しかし総司と左之助は慶応4(1868年)の冬、船で江戸に帰りました。一度も帰れなかったのは、山南だけです。
そしてこの神社には、樹齢300年以上と言われているウラジロガシの木があります。写真の木がそうです。樹勢の衰えが目立ち、枯死寸前の状態にあります。この木は彼らが江戸から京へ、そして京から江戸への往来する姿を見ていたのです。そんなウラジロガシの木、元気になってほしいものです。