近江入りした旅人、明日は草津宿へ

『東海道五十三次完全制覇 街道てくてく旅』の旅人である岩本輝雄さんは、先週の木曜日に東海道五十三次の最後の難所である鈴鹿峠を越えて、近江に入りました。そしていよいよ今週の木曜日に京都の三条大橋に着く予定です。いよいよこの旅の終わりが見えてきたという感じでしょうか?
先週の木曜日には、土山宿に着き、金曜日には土山宿から水口宿へ。そして今日は水口宿から石部宿に着いたはずです。近藤が宿泊した記録が残っている、また土方が休息したと云われている石部宿です。
現代の石部宿辺りには宿が無いけれど、どこに宿泊されたのだろうか?と、余計な心配をしている私です。

さて、話しを旅に戻しましょう。箱根峠と並ぶ東海道の難所であった鈴鹿峠は、やはり急な山道でした。しかし岩本さん、ダッシュしていましたよ。さすがスポーツ選手ですね~箱根峠の時に続いてです。また楽しそうにダッシュするから、観ている私も気持がいい。そんな岩本さんの姿を見て、慶応元年(1865年)5月、平助は土方、斎藤、伊東と一緒に江戸から京に帰ってくる時、きっと先頭を歩き、こんな感じだったのかな~さすがにダッシュはなかったでしょうけれど~あまり会話がなかっただろうと思えるこの4人組。唯一、楽しそうに、またコミュニケーションを取ろうとしたのが平助だっただろうと想像するのです。しかしその一方で平助は、山南敬助の死を江戸で知り、山南のいない京に初めて帰るわけです。どんな思いで鈴鹿峠を越えたのだろうか?とも、考えたりするわけですよ。私が思うほど、そんな悲しみなどを感じることはなかったのだろうか?
とにかく先頭を歩く平助、その後ろを土方か、伊東、最後は斎藤だろうな~なんって、そんな勝手なことを想像していました。

そして岩本さん。金曜日に土山宿を出立する時に、土山本陣の中をご覧になっておりました。先月の記事、49番目の宿場である土山宿 で述べたように、私も訪れて拝見させてもらいました。旅人岩本さんのために下見をさせてもらった勝手な気分になっております(苦笑)
その本陣で土山名物の茶うどんをご馳走になって、江戸時代の旅装束を着て、岩本さんは土山宿を出立。水口宿に向かって、てくてくと歩いていました。またそこで土方たちもこんな旅装束を着て歩いていたのかな~なんって、勝手な想像をする私です(笑)さすがに暑かったので、岩本さんは途中で脱いで、現代の旅装束になりましたけれどね~しかし岩本さんが仰るには、歩きやすかったそうです。その時代に合わせて、歩きやすいように作られているんですね~

さて、明日はいよいよ石部宿から草津宿ですよ。草津宿!
中山道と合流する草津宿。
史実の山南が浪士組として上洛する時に、村上俊五郎の発言に対して山南が烈火のごとく怒ったという出来事があったと云われている草津宿。
史実の土方、伊東、斎藤、藤堂が、慶応元年5月9日に宿泊した草津宿。
そして大河ドラマ『新選組!』の山南敬助@堺雅人が目指したけれど、辿り付けなかった草津宿。
山南や試衛館派のメンバーにとっては、縁のある草津宿です。そしてここ草津宿から京の三条大橋までの東海道は史実の山南も歩いています。山南のことを考えながら、観られます。残り少なくなったこの番組ですが、私にとっては最後にこんな楽しみが待っていたというわけです。
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by eri-seiran | 2006-06-12 22:26 | エンターテインメント | Comments(0)

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