旅人・岩本輝雄のラストスパート

平成18年(2006年)6月13日 晴天

旅人は、9時15分に石部宿を出立。
旅人は旅が終わりに近づいていることについて、淋しさを感じていました。
歩く道の横には田んぼ、そしてバックに近江富士(三上山)の景色は、長閑でした。
旅人は、江戸時代に旅人を相手に「和中散」という薬を作って売っていた旧和中散本陣に立ち寄りました。
旅人のこの旅での一番の敵は、雨でも坂でも風でもなく、昼食後の睡魔だそうです。ただこの日は、あまりの暑さに睡魔ところでもなかったようです。
しかし楽しそうに歩いている姿は、印象的でした。
旅人は、史実の山南敬助が辿り着いた東海道と中山道の合流点、『新選組!』の山南敬助@堺雅人が辿り着けなかった東海道と中山道の分岐点に辿り着きました。ここには、合流点・分岐点を示す草津追分道標がありました。
そして旅人は、15時25分、史実の山南敬助が村上俊五郎の発言に烈火のごとく怒ったと云われている草津宿に無事に着きました。
この日、歩いた距離は11.7キロ、歩数は16,602歩でした。


平成18年(2006年)6月14日 晴れ後曇り

朝の8時、旅人は、草津宿本陣の中を案内してもらいました。
草津宿本陣には、昔、宿泊した多くの方々の名前が書かれてある大福帳が残っており、それを見せてもらっていました。現在の14代当主が、宿泊した有名な方々として一番最初に紹介したのは、皇女和宮でもなく、シ―ボルトでもなく、また赤穂事件で有名な浅野内匠守や吉良上野介でもなく、なんとなんと幕末の新選組の方々(土方・斎藤・伊東・藤堂、他32名)でした。これについて、旅人のリアクションは小さいものでした。(私はキャーでしたけれど)
旅人は、上段の間に座り、大名たちが味わっていたという本陣料理(琵琶湖の鮒の刺身、瀬田しじみの味噌汁など)を頂き、8時50分に草津宿本陣を出立。

旅人は、山南敬助が元治3年(1863年)2月22日に歩いた東海道を歩きました。私が記事にしたことのある立木神社を通り過ぎ、草津の広重ポイントを探しました。広重の絵には琵琶湖への道を示す「矢橋道標」が描かれており、それが今でも残っていました。
瀬田の唐橋を渡った後、屋形船に乗って、昼食に近江牛のすき焼きを食べました。柔らかくて、美味しかったらしい。そのまま屋形船で瀬田川を上り、上流の琵琶湖の方に行きました。
旅人は、朝食で頂いた瀬田しじみを捕っている風景に出会いました。
屋形船を降りて、旅人は再び東海道を歩き始めました。
石山では、鉄道で分断されているために、JR石山駅で文明の利器であるエスカレーターに乗り、 西口から東口へ行きました。「こんなことも、たまには良いだろう」と言って、嬉しそうでした。
旅人は、膳所にある義仲寺に寄りました。そうです、あの木曽義仲の墓があるところ、そして木曽義仲をこよなく愛した俳人の松尾芭蕉の墓もあるところです。
旅人は、夕立に遭いました。しかし暑い一日だったので、気持いいと嬉しそうでした。
16時45分、旅人は、私が先月の総司忌の日に大津宿へ行った時にスルーしてしまった大津宿本陣跡に無事に辿り着きました。草津宿本陣のように建物が残っていません。この旅、最後の本陣跡だったので、淋しかったと言っていました。
この日、歩いた距離は14.3キロ、そして歩数は26,573歩で、これまでの旅の中で1日の歩数としては、第2位だったとのことです。


平成18年(2006年)6月15日 雨

朝、東海道から伸びる山道を50メートルほど上がった所にある平野神社に、旅人は居ました。平野神社は蹴鞠の神様が奉られているそうです。そのため、地元の人たちには、サッカーの神様として親しまれているらしい。旅人にも縁のある場所と言えるでしょう。
旅人は、蹴鞠(しゅうきく)保存会の人たちと一緒に蹴鞠に挑戦しました。さすがサッカー選手、蹴る物が違っても上手いものでした。とてもとても楽しんでおりました。

そして旅人は、いよいよゴール三条大橋に向かいました。明日の中継中にゴールとなるらしい。
旅人は、これまでの旅を振り返りながら、歩いていきたいと語っていました。

旅人・岩本輝雄のラストスパートです。

そして明日、東海道五十三次完全踏破を祝して、明日の夜にはBS2で19時45分から生放送の特別番組があるようです。その後も色々とあるようです。詳しいことはこちらより
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by eri-seiran | 2006-06-15 18:16 | エンターテインメント | Comments(0)

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