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『新選組!』での禁門の政変におけるラストシーンより

昨日の記事で、史実の禁門の政変(八月十八日の政変)における山南敬助の逸話、そしてこの時の山南の状況や思いなどを勝手な憶測で書きました。
大河ドラマ『新選組!』では、第23回「政変、八月十八日」で禁門の政変については描かれています。この回の最後のシーンは、山南敬助@堺雅人と土方歳三@山本耕史にとってキーポイントであり、この二人の会話がその後の壬生浪士組(新選組)を動かしたと言ってもいいだろうと、思っています。また好きなシーンのひとつでもあります。
雨が降る中、御花畠を守る壬生浪士組(ちなみに御花畠を守ったという記録が残っています)。長州藩が撤退し、会津藩・薩摩藩の連合軍が勝利したわけです。しかし壬生浪士組はどうなったのか、状況がわからないまま、雨の中、ひたすら守っているわけです。

そんな雨の中、座っている二人の局長の後ろ姿を見ながら、

土方:会津藩は、いつになったら俺たちを認めてくれるんだ。
山南:歴史が動いても、相変わらず我らは蚊帳の外。所詮、彼らにとって、我らは厄介者でしか、ないのかもしれません。
土方:山南さん、腹は決まったぜ。俺は壬生浪士組を変える。
山南:どうします?
土方:まずは会津藩の信用を勝ち取る。そのために俺は喜んで修羅の道に踏み込んでやる。


この回の前あたりから、山南と土方は芹沢をなんとかしたいと思っていたわけです。しかし近藤勇@香取がなかなか決断できない。
土方は、近藤のために自分が修羅の道に踏み込もうと決めた。自分では気付いていないけれど、土方は自分の決意を伝えることによって、山南を誘っていると思うのです。山南も土方の決意に同意したわけです。土方の決意を知って、山南も一緒に土方の言う修羅の道に踏み込もうと思った。初めてこの二人の気持が一緒になった。そして第24回の「避けては通れぬ道」に、また芹沢派粛清に繋がっていくわけですよ。
しかし山南には、土方の言う修羅の道を突き進んでいくことは出来なかった。
新見を落し入れて切腹させた後に迷う。また芹沢派暗殺時も、平間を逃し、平山も殺害できなかった。野口に至っては、助けようと最初から策を練った。
ここから表面的には、山南と土方の溝が少しずつできてきたんですよ。しかし近藤や新選組に対する思いは同じだった。

この23回の二人の会話を黙って聞いているのが斎藤一@オダギリというのもキーポイント。彼も色々とありましたが、試衛館派のメンバーの中で、最後まで土方に付いて行った唯一の人。また土方の思いを知り、土方に託されて会津に残った。
そして山南が切腹することになった時、岩城升屋事件における山南と土方の友情を語る人。ここに繋がるんですよ。
もう書いているだけで、涙が出てきそう。

この岩城升屋事件で山南の佩刀の赤心沖光が折れたと云われているのですが、これについても色々な説があり。
『新選組!』の斎藤一が、「いつだったか、大阪船場の・・・」と言ったように、『新選組!』では、この事件が起きた時期については設定していない。それも観ている側の想像にお任せということでしょうか。私的にはこの頃だったのでは?と思ったり。いや~芹澤派粛清後かな?
そんなことなど他にも色々と考えながら、『新選組!』を改めて最初から観たいと思っていますが、当面は難しそう。
by eri-seiran | 2006-09-07 17:44 |  ドラマ/映画/舞台

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