『功名が辻』

今朝、関西の地元新聞に、下坂浜千軒遺跡で、人為的に打ち込まれた杭、石材、枯れた株などが発見されたという記事が載っていました。
まず下坂浜千軒遺跡とは、滋賀県長浜市下坂浜町沖の琵琶湖の底にあります。見つかったのは、沖合約100メートル、水深2メートル前後の湖底。
湖に沈んでいる杭を調べた結果、1470年から1660年の間に伐採されたものということが判明。そして空気中の杭は10年程度で朽ちるらしいですが、この杭は良好の状態で残っていたので、打ち込まれて間もなく水没したと考えられるようです。
琵琶湖の水位は昔と現在とは大きく変わらないので、何故水没したのか?ということになってくるのですが、それが天正13年(1585年)に起きた天正の大地震によるものではないかと言うわけです。この地震を契機に陥没したが、天正の大地震だけでなく、その後の何回かの地震により、2メートルも沈下したのではないかと専門家の方々はみているようです。
天正の大地震と言えば、山内一豊が城主であった長浜城が倒壊し、一豊と千代の愛娘の与禰が亡くなったと云われています。そのことも記事に書かれてありました。
大河ドラマ『功名が辻』でもこの地震の出来事は描かれ、泣けました。

今日の『功名が辻』も30年も一緒に戦ってきた男たちの友情とそれぞれの道にちょっと目頭が熱くなりましたよ。堀尾吉晴@生瀬勝久も良かったな~家を守るため徳川へつく。しかし豊臣家に恩があるから自分は隠居する。苦渋の選択だったんでしょうね。
中村一氏@田村淳が山内一豊に自分の思いなどを伝えるシーンでは、短くまとめると、『お前に託した』だな~と、要約したり。
また一緒に30年も戦ってこれたということに羨ましく思ったり。

今回、何が一番驚いたかと言いますと、上杉家家老直江山城守(直江兼続)を演じていたのが、『新選組!』で会津藩公用方の広沢安任(富次郎)を演じていた矢島健一さん。この時代、会津を治めていたのは上杉家ですもの。偶然でしょうが、嬉しいな~
さあ~いよいよ関ヶ原の戦いです。この戦いの結果が幕末に繋がるんだから。
だから歴史は面白い。

そして次回のタイトルが、『ガラシャの魂』ですよ。この時、史実での細川玉(ガラシャ)について、どうしたかは知っていますので、山内康豊@玉木宏が玉@長谷川京子がどうなったかということを知るというシーンがあるのか?そしてその時、康豊はどのように受け止めるのか、その辺りが気になるのですけれど。

大分前の回の話しですが、山内康豊が幽閉されていた玉に助けられ、そして許しが出て、玉が城に戻れるようになり、康豊との別れの時の玉の言葉

流れに逆らわずに素直に生きてみたらどうでしょう。

康豊はこの言葉によって、素直に兄の一豊にすがろうと思ったとのこと。
私はこの玉の言葉に、またその後の康豊の行動を見て、『新選組!』の山南敬助と土方歳三のことを考えていました。この二人は、流れに逆らわず生きていくことはできなかった。
しかしあの時、山南は自分の気持ちに素直になろうとした。だから脱走し、明里を連れて江戸に向かおうとした。土方も素直な自分の気持ちに従い、逃がそう、逃げてほしいと思った。でも結局、二人のそれぞれの気持ちは神様には届かなかった。やはり流れに逆らうことができなかった二人。
山南にしても土方にしても生きる道はあった。しかし義を通した二人。

そしてそれよりも大分前の回ですが、千代からねねへの言葉

琵琶湖の果ての無さは人を淋しくするのでございます・・・・・琵琶湖を見ておりますと大きな力に翻弄されているようで、空しくなるのでございます。

私は史実の山南敬助は大津で静養していたかもしれないと思っています。新選組の大幹部として思うように働けない。剣を使えない体だったかもしれない。そんな山南が、もし琵琶湖を見ていたら、どのように感じたのだろうと、この千代の台詞を聞いた後、考えていました。

最後は、『功名が辻』における語録という感じになりましたが、『功名が辻』におけるあれこれでした。
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Commented by ゆか at 2006-10-16 12:52 x
どうもこんにちは。私も功名が辻は結構好きで見ていますが遂先日、静岡にて千代と一豊の縁の地の一つの掛川城や家康の遺骨の眠る久能山東照宮などに行って来ました! 掛川には大河ドラマ館もあり、そういえば新選組!の時も日野や多摩に行って大河ドラマ館に入ったなぁと懐かしく思いました。さて、観光もそうですが以前に駿河の俳人山南官鼠が山南敬助と何らかの関連性があるのでは?という内容を書き込みをさせていただいたのですが、その調査もして来ました。図書館に行き、俳句関連書籍を調べてみた結果わかった事がありましたのでご報告を。どうやら「山南」は俳号だったようで、山南陳人、山南人とも名乗っていたようです。姓は羽田氏(大村定八とも)で伊豆田方郡三浦の人。俳人乙児の弟子で師の没後は師の姓「陶」を称したりもしています。芭蕉俳諧の流れをくむ六花庵二世(四世とも??)で芭蕉句碑を静岡、山梨、仙台等に建てており、来仙したおりには数年間に渡り指導にあたり、句集をまとめるなど奔走したようです。墓(1803没 60余)は静岡県の東方寺に辞世の句とともにあるそうです。
Commented by ゆか at 2006-10-16 13:04 x
すいませんが↓の続きになります。
山南は号とありましたが…しかしながら現在の静岡には山南姓が何件かあります。読みは「やまなみ」で「さんなん」は見つかりませんでした(ハロページ参照) 山南姓は全国的にも珍しい名字なのでもしかして弟子が山南姓を名乗るとかはたまた子孫が羽田から山南に変名をしたから…なんて事はないだろうか…と、思ったりしますがあくまでも憶測の領域です(--;) ただ、当時の俳人では有名な人物だったのではないかと思われます。官鼠死去から30年後に仙台藩にて生を受けたといわれる山南敬助に関係性はあるのかないのか結局は謎に変わりないのですが(^^;)
長々と連投による文章すいません。
Commented by eri-seiran at 2006-10-16 22:26
>ゆかさん
滋賀県の長浜でも『功名が辻』展を11月30日までやっているようで、ぜひ行きたいと思いながら、10月も中旬になり、焦っております(汗)。

山南に関する監察・貴重な報告、ありがとうございます。そしてゆかさんの熱意に感動しましたよ。すごい!
私は最近、仙台藩出身が本当に真実であれば、山南は偽名だったのでは?と思ったりしています。それでは何故に珍しい山南という苗字を名乗ったか?ということになるわけです。ゆかさんのコメントを読んでいて、この俳人・山南陳人から取ったのでは?また山南陳人が来仙して数年間指導したということから、その間に子孫ができてもおかしくないよな~と。自分の曾祖父、または祖父の俳号を偽名として使ったとも考えられないわけではないですよね?
山南敬助は漢詩は残しておりますが、俳句はありません。辞世の句があってもよさそうなものですが・・・そし俳句と言えば土方。それを考えると、俳人から山南敬助の謎を探っていくのもなにか不思議な縁を感じてしまいます。
本当に貴重な情報、ありがとうございました。お互い助け合って山南についての謎を探りましょうね(笑)。
Commented by ゆか at 2006-10-18 01:07 x
私も仙台藩出身が正しいなら偽名かなぁと思います。ただ、本人が仙台脱藩としているのでそれを信用したいのが本音であります(苦笑) 実は家紋も気になっていまして少し調べてみたのですが葵紋は古くより京都の賀茂神社の御神紋で、代々そこの神官や氏子が使用してきた家紋との事で、山南さんの家紋は「本多葵」と同じ。さかのぼること家康が天下を治めた時に大名に葵紋は徳川の紋ゆえ使用の禁止をし、譜代の本多忠勝が唯一反論し、以後も葵紋を使い続けています。そして吉宗の時代にも葵紋の使用を禁止し、厳罰に取り締まったらしいです。なので葵紋は限られた家や寺、神社のみが利用していると思われます。そして光縁寺ですが、知恩院が徳川葵の寺紋であるので、その末寺だから立ち葵の寺紋であるのかな?と思われますがご住職に伺ってないのでわかりません。仙台藩にも1000石の旗本の本多氏がいますがやはり「丸に右離れ立ち葵」です。もしかして山南さんは本多某の妾腹??で立ち葵紋を使用している〜なんて…!?? 祖父あたりが山南陳人の妾の子で母が本多氏の妾だったとしたら凄い家系ですね(笑)
エリさん、私こそ宜しくお願いします!
Commented by eri-seiran at 2006-10-18 23:24
>ゆかさん
私も家紋について気になっています。本多家しか使えなかったと云われていることから、どうなんだろう?と思っていました。
山南の家紋と光縁寺の家紋は同じだったと言い伝えられていますが、記録として残っていないので、良誉上人と山南が親しくなったことこから、後につけられた作り話ではないのか?と憶測したり。しかしゆかさんが教えくださった仙台藩に本多氏がいたということなら、山南の家紋が『丸に右離れ立ち葵』だった、そして偽名を使っていたということも考えられますよね?
光縁寺の家紋は知恩院からきていると私も思います。今度、光縁寺に行った時に住職に聞いてみますね。
名前も出身地もすべて真実なのか、或いは偽名だったのか、それとも出身地が偽りだったのか、分かりませんが、偽りがあっても、元々の試衛館のメンバーや多摩の小島鹿之助や佐藤彦五郎などは真実を知っていたのだろう。だからこそ、山南の死についての真実を小島鹿之助も佐藤彦五郎も残さなかったのでは?と思ったり。かなり私的な憶測ですけれど(苦笑)。
by eri-seiran | 2006-10-15 23:23 | エンターテインメント | Comments(5)

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