奥道中うた

長町や中田の駒を増田まで
物岩沼の槻木の提。
―中略―
福島は名どこなりけり根子町を
若宮なれどぢぢがたくやど。
―中略―
二本松に杉田るものは本宮の
女の唄の声は高倉。
―中略―
白河をよぶねでゆけば白坂や
芦野もくらく超堀のしゅく。
―中略―
白沢や御先はどこを宇都宮
雀の宮もしとと立道。
―中略―
草加もこし千住のちかい浅からぬ
浅草川の末は深川。


これは奥道中うたです。この道中うたには、仙台の城下の中心地であった国分町から江戸までの旅する順路が歌い込まれています。昔、仙台の寺子屋で教えられ、子どもたちは暗誦し、また各家には必ず備えられていたそうです。北に行く津軽(現在の青森)までのうたと、このように南に行く江戸までのうたがあったそうです。
うたの初めと終わり以外は、新選組・土方ファンとして感慨深い地名のみ抜粋してみました。
参考書籍は、先日、携帯より記事にした『日本の民話 宮城篇 みちのく篇』(未来社)です。姉から例の本を借りて持ち帰って来ました。

山南敬助が仙台藩の出身であれば、このうたを教えられ、覚えたはず。
仙台から江戸に出てくる時、このうたを心の中で歌いながら歩いたはず。
現代に残っている山南敬助の唯一の真筆が載っている『起請文帖』から、山南が江戸に出てきたのは16歳から21歳までの間ではないかと、考えられるようです。
10代後半の山南敬助は、二本松、白河、宇都宮を自分の志を持って通り過ぎたのです。
まさかその15年から20年後に、自分の志を持って結成した新選組、また同志であった土方たちが宇都宮などで戦うことになるとは。
そして山南が通った道とは違うものの、仙台まで辿り着いた土方。

山南の仙台出身を疑問に思った時期もありましたが、こうして考えると、山南は仙台藩出身だったに違いないと思えてしまう。
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by eri-seiran | 2006-11-25 23:11 |  ゆかりの地 | Comments(0)

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