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大久保道場跡から試衛館跡まで歩く

山南忌での記念講演『赤心の情』というタイトルでの新選組研究家・釣洋一氏の話しの中で、当時の人と同じ体験はなかなかできないけれど、歩くということだけはできると仰っていました。またその大切さも。釣氏も中山道など歩いたりされたそうです。
それで、なんか誉められた気分になった私(笑)。

と言うことで、今日は、3月4日(日)に江戸において、若き山南敬助が修行した小野派一刀流の大久保道場跡から試衛館跡まで歩いたレポです。
歩くにあたり、今回利用したマップはもち歩き 江戸東京散歩(人文社)と、どこにでも売っているような現代のマップです。「もち歩き 江戸東京散歩」には、幕末に登場した江戸切絵図とそれと同じエリアの現代図が載っており、江戸切絵図と現代図の道路が一致する個所は、現代図の方に、黄色で着色してあります。なので、できるだけ、黄色で着色してある道、その中でも通りや坂の名前などに惹かれながら、後はここを山南が歩いたのではないかという私の勘で歩きました。

大久保道場跡は地下鉄九段下駅から5分程の所にあります。
この大久保道場辺りは、外豪より内になり、旗本屋敷があったところです。因みに試衛館は外豪より外になります。つまり、都会の道場に山南はいたと言うわけです。さらに因みに、近藤勇の妻であるおつねさんの実家も、永倉新八も島田魁も一時期居たと言う坪内道場も大久保道場と近いところにあります。そのため、先日の講演では、近藤とおつねが結ばれたことにもしかしたら山南が・・・とさりげなく触れられました。実は、私も近いことから、山南は松井(おつねさんの旧姓)さんを知っていたのでは?と思ったりしていました。これは、全て憶測の領域です。
さてこれが夜の大久保道場跡周辺です。
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こちらが朝です。
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そして見上げれば、ビルと青空。
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この青空に励まされながら、9時40分に大久保道場跡をスタートしました。スタートしてすぐに、幕末の嵐が吹き荒れる前に亡くなった戯作者曲亭(滝沢)馬琴居宅跡を確認して、目白通りを渡り、中坂を歩きました。この坂は、元禄3年頃(1690)まではなかったそうですが、元禄10年(1697)になると、この坂はあったそうです。ちょっと急な坂でした。その坂を登りきると、早稲田通りに出ます。早稲田通りから外濠、そして牛込橋に向かいました。神楽坂につながるこの道は昔からあったようです。山南敬助を演じた堺雅人さんつながりでこの道にしました。
10分ほど歩けば牛込橋(飯田橋駅があるところです)に。
江戸城外郭門の一つである牛込見附門の当時の石垣です。
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そしてこれが外豪を渡る牛込橋です。
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山南敬助が牛込橋を渡ったかは、わかりません。しかしこの外豪にかかるどこかの橋は幾度となく渡ったはずです。この外豪の外と内は違う世界だっただろう。山南が大久保道場を辞めた理由、試衛館とどのようにして出会ったか、本当のところはわかりませんが、これまでの全てを捨てるかのごとく山南は違う世界に飛び込んで行ったのです。どんな思いで橋を渡ったのだろうと、この景色を見ながら思いました。

橋を渡ると、左へ曲がり、外豪に沿ってある外掘通りを少し歩き、その後は色々な道があり、迷ったのですが、逢坂歌坂鰻坂(笑)を歩きました。途中、愛敬稲荷というものがあり、ぜひ拝みたかったのですが、学校の敷地内にあるようで、ダメでした。他にも浄瑠璃坂左内坂などもあり、捨てがたかったのですが、ちょっと遠回りになるようなので諦めました。
後は、大久保通りに平行してある昔からの道を歩こう、もうそこまで来ているから大丈夫と油断したら、道を間違えていたようで、メイン通りである大久保通りにいつのまにか出てしまいました(汗)。まあこれも昔からある道ですし、大久保という名前から歩いた勘もしますし。ということで、大久保通りを少し歩き、再び小さな通りに入り、その道をまっすぐ行けば、試衛館跡にぶつかるという道を歩き、はい、試衛館跡に辿り着きました。
正一位稲荷神社と石段です。
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今では、住宅街に忘れられたようにしてありますが、山南が初めて試衛館を訪れた時を見ていた正一位稲荷神社。そしてずっと見守ってくれていたのです、山南と試衛館のメンバーも。
そして下から撮った石段。
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この石段を山南も土方も近藤も総司も皆、何度も上がり、何度も下りてきただろう。

『新選組!』では、試衛館の入り口の手前にある石段がキーポイントになっていました。
第4回の『天地ひっくり返る』で、近藤が留守で石段を上がって帰ろうとする山南敬助@堺雅人をその石段の下から呼び止める土方歳三@山本耕史。2人が話している間、山南も石段を下りようとせず、また土方も上がろうとはせず、一定の距離を保ったままでした。土方の必死の誘いに山南が折れ、「あなたのお名前は?」と、言いながら下りてきます。

史実の山南と土方、試衛館で出会ったのか?それとも多摩で出会ったのか?この石段を2人は肩を並べて下り、上がったのだろうか?そんなことを考えながら、自分もこの石段を上がったり、下りたりしてみました。

さて大久保道場跡から試衛館跡まで、かなりゆっくりなペースで歩いて、またちょっと寄り道もして、地図とにらめっこをして、1時間30分から40分位でした。
昔の人が素直に歩けば、1時間以内で来れる距離です。

そりゃ~全然違う風景だろうけれど、この辺りをあの人も歩いたと思えば、それは色々と感じますよ。今回はやはり、外豪を渡る橋が一番、感じられた時でした。試衛館跡も大久保道場跡も3度目でしたが、目的がこれまでと違ったし、またその時の自分の思いによって、感じ方も変わりますね。
とにかく、宿題を終え、満足と達成感で一杯でした。
そして思っていた以上に、とてもとても楽しかったです。次は、試衛館跡から伝通院まで歩いてみたいものです。
by eri-seiran | 2007-03-15 00:03 |  ゆかりの地

山南敬助をメインにしたブログです。ホームページ『山南敬助 赤心記』共々よろしくお願い申し上げます。


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