500件目の記事は山南の命日について
2007年 06月 21日
さて、昨日は土方歳三の新暦での命日でした。旧暦であれば5月11日ですが、新暦では6月20日になります。
山南忌での釣洋一氏の講演で、明治5年までの和歴は西暦換算することが大切だと仰っていました。私もそうだと思います。こんな気候の時に亡くなったんだな~とか感じることは大切。例えば春がそこまで来ていたのにとか。しかし旧暦で考えることも大事だと思っています。
文久3年(1863)2月23日に山南敬助たちは浪士組として上洛しました。それから2年後の元治2年(1865)2月23日に山南敬助は亡くなりました。浪士組として京に着いてからちょうど2年後。
しかし西洋換算して新暦で考えた場合、浪士組として上洛したのは4月10日。山南の命日は、新暦では3月20日になります。わ~2年よりちょっと短いじゃん(涙)。
このように新暦で考えた場合、ちょうど2年ということにはならないんです。だから、旧暦で考えることも大切だと思うんです。
浪士組として京に着いてからちょうど2年後に亡くなったということには意味があると思っているんです。ただの偶然で終わらせたくないという気持ちがどこかにあります。
偶然だよと言われれば、そうなんですよねとしか、言いようがないのですが(汗)。
でもやっぱり偶然で終わらせたくない。
500件目の記事は山南敬助の出来事となり、これで山南敬助のすべてについての記事は364件から365件となりました。