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完結編は山南敬助も歩いたはずの日光・奥州街道

昨年の4月より、NHKで放映されていた『街道てくてく旅』では、山南敬助は歩いたかどうかわからないけれど、近藤勇や土方歳三、斎藤一らは歩いた東海道編、山南敬助が試衛館の同志らと共に浪士組として京に上がる時に歩いた中山道編、また山南敬助が多摩への出稽古などのために歩いたはずの甲州街道編がありました。その度に記事にもしてきました。例えばこちらとか、こちら、またはこちら
そして明日より、このシリーズの完結編となる日光・奥州街道踏破が始まります。これで五街道制覇です。
こちらのサイト、少女マンガぽい雰囲気が漂っているのがちょっとね(苦笑)。
そして山南ファンとしては仙台城下から江戸の日本橋に下ってほしかった。
だって若き日の山南敬助が仙台藩から日本橋に向かって歩いたはずだから。山南敬助がどんな景色を見ながら、またどのような道程だったのか、感じられるでしょう。これはちょっと残念と思っていました。

でもね、木曜時代劇『陽炎の辻~居眠り磐根 江戸草紙~』の第8回「対決の晩夏」を観ながら思ったんです。
山南敬助も江戸に出て来てから浪士組として京に上がるまで、故郷の仙台藩に帰ったこともあったかもしれないなって。
『新選組銘々伝 第四巻』(新人物往来社)の山南敬助について書かれている清水隆氏によると、山南敬助が小野派一刀流の大久保道場にいた時に中山幾之進と立ち合ったのは、山南敬助が21歳の時であったと考えられるそうです。だからこの時にはすでに江戸にいたわけになります。また清水氏によると、同時代の人たちが地方から江戸へ遊学する場合、早くても16歳だそうです。と言うことで、山南は16歳から21歳までの間に江戸にやってきたと考えられます。浪士組として参加したのが31歳。つまり10年~15年間の間に江戸にいて、仙台藩に帰ったこともあるのではないかと。
ちなみに山南の年齢については、生まれを天保4年(1833)と考えた場合です。

だからね、山南敬助も日本橋から仙台に向かって歩いたかもしれないと思いながら、この街道てくてく旅における日光・奥州街道編を楽しもうと思っているんです。また新選組が戊辰戦争にて北上して行ったわけですが、その時に布陣したりした宇都宮、白河、郡山なども登場しますし。

生放送は明日より土日を除く11月23日(金)まで。BShiとBS2にて午前8時から8時15分まで。BShiでは夜に再放映もあるそうです。またダイジェストが総合であるようです。詳しいことはこちらより

私はすでに予約録画の設定完了。だって毎朝、リアルタイムでは観られないもん。
by eri-seiran | 2007-09-23 22:45 | エンターテインメント

山南敬助をメインにしたブログです。ホームページ『山南敬助 赤心記』共々よろしくお願い申し上げます。


by eri-seiran