元治元年(1864年)10月の山南敬助らの経過と状況
2007年 10月 29日
帰ってから干してあった洗濯物を片付け、日中は暖かかったけれど、夜になると肌寒くなるだろうし、ジャンバーを少し分厚いものにしようか悩みましたが、結局は同じジャンバーを持って電車に乗り、いざ大阪へ。堺雅人さん主演の映画『壁男』を鑑賞するために。
JR大阪駅から上映されるテアトル大阪まで歩く。なんか暑い。暑いよ。チケットとパンフレットを購入して、近くのレストランで夕食を取る。暑い。ここでベストも脱ぐ。映画は21時5分からの上映。終わったのが23時前。そんな時間に大阪の町を歩いていてもベストを鞄に入れ、ジャンパーは手に持ち、Tシャツ1枚状態でしたが、寒くなく、ちょうど良い。
えっ!10月も下旬だよねと自分で確認する。そうです10月も下旬です!!
と言うのに、毎月、恒例にしている記事がアップできていません。
江戸に行く前にアップしておかないと厳しいぞとは思っていたのですが、予想通りに。しかしこれだけはどんなことがあっても書くと自分の中で決めております。
9月の状況と経過についてはこちらより
要約しますと、近藤勇は永倉新八、武田観柳斎、尾形俊太郎を伴って江戸へ凱旋。将軍上洛のお願い、東国での新人隊士の募集が主な目的。この時に多摩の人たちなどに山南敬助の状況について近藤から伝わったと考えられます。また山南の死に影響を与えたかもしれない、与えなかったかもしれないけれど、山南のために弔歌を詠んでくれた伊東甲子太郎と会い、伊東一派の新選組への入隊が決定。
京では、近藤を批判した建白書を松平容保公に提出したことへの責任を取って、葛武八郎が切腹。
10月1日 近藤勇、日野より八王子に向い、夜に江戸に帰着。
八王子では佩刀を見せ、刀剣などの話しをしたそうです。見せたのはどちらの刀だったのかしら?
この頃 伊東甲子太郎が新選組に入隊することが決まり、伊東に同行するという人たちが集まる。
10月5日 古参の隊士である笹塚峯三(篠塚峰三)が新選組を除隊。
文久3年6月頃に入隊した隊士で、池田屋事件にも参加しております。以前の主人から乞われて除隊となり、その主人の所に戻ったと云われています。土方はこのことを江戸にいる近藤にも伝えていますし、松平容保公の依頼により除隊となっています。
除隊、できるんじゃん(苦笑)。
まあ~この主人、そして篠塚という人がどのような立場の人だったのかが、キーポイントとなり、とても気になるところです。
10月7日 近藤勇の門人2人が新選組に入隊したくて、武州から京にやってくる。
突然の訪問で、土方は困ったらしい。今後、このようなことがないように、佐藤彦五郎にお願いしています。近藤も土方も故郷の人たちで、彼らにあこがれて入隊したいという者、また長男である者の入隊は断っています。彼らが故郷の人々を愛するが故でしょう。
10月8日 近藤勇が土方歳三宛に江戸から送った書簡が届く。
土方歳三宛というのがキーポイントですよね。山南敬助との連名ではない。この貴重な書簡が現存しないため、また内容もわからないため、考察も難しいですが、多摩の古い友人である土方歳三に送った内容のものなのか、新選組副長である土方歳三に送った内容のものなのか。そこで近藤と山南の関係、また新選組における山南の立場も見えてくると思うんです。
ただ、近藤は山南敬助宛に病を気遣う書簡を送ったかもしれないな~と思うのです。それは近藤だけではなく、多摩の人たちも。山南の静養は周りが隠そう、隠そうしているものを感じます。だから山南の静養がばれるようなものは、後になってから処分した可能性もあるな~と思ったり。
10月9日 土方歳三、近藤からの書簡を受けて、近藤勇・佐藤彦五郎の連名宛で書簡を送る。
土方が近藤に送った書簡の中で、唯一現存する書簡となり。内容は先ほどまで挙げた出来事の報告や京では長州征伐に備えて訓練を行っていることなどを伝えています。しかしこの書簡が届いた時には、近藤は江戸を経った後だったとのこと。
10月11日 近藤勇、松本良順を訪ねて、話をする。
この人と出会い、諸外国や西洋文明について話しを聞き、その後の近藤自身の考えも変わってきたのだろう。この人との出会いは新選組に大きな影響を与えたと言っていいだろう。
10月12日 近藤勇、江戸での入隊希望者を会津藩に伝える。
全員で22名。会津藩の記録には伊東甲子太郎派初め大石鍬次郎の名前があります。
10月14日 近藤勇、再び、松本良順を訪ね、受診して、胃腸薬をもらう。
胃腸の調子が悪かったのね?ストレスかしら?この時に京においての再会を約束したそうです。そしてそれは実現となり。
10月15日 近藤勇、永倉新八、尾形俊太郎、武田観柳斎、新入隊士と共に江戸を出立。
10月12日に伝えた新入隊士とは若干の違いがあり。全部で24名となっています。
藤堂平助はどこでお見送りしたのであろうか?
10月27日 近藤勇ら、京に到着。
山南敬助は近藤勇らを壬生の屯所で出迎えることができたのだろうか?到着した日に、伊東甲子太郎と会ったのだろうか?
(参考文献:新選組日誌 コンパクト版(上) 新人物往来社)
このようにして書いていますと、近藤も土方も山南も気付かないところで、これからの新選組に大きな影響を与える人たちが新選組に接近しており。
また新選組が大きな嵐に巻き込まれていくものを感じちゃいます。
そして約4ヶ月後に山南敬助が割腹するなんって、だれもこの時点では思ってもいなかったわけで。しかしその日は確実に近づいてきています。