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山南敬助が観たかもしれない歌舞伎

片岡孝太郎さんに、また歌舞伎に本格的にはまったのが今年の4月。それからずっと考えていました。

山南敬助も歌舞伎を観たのだろうか?

私のイメージとしては、そのような芸能にはあまり関心がないような気がするのですが、それは私の勝手なイメージであり。メチャクチャ好きだったかもしれない。それほど関心がなくても、江戸の友人らと観に行ったかもしれない。また京に来てから、観に行ったかもしれない。

今日、片岡孝太郎さんではなく、孝太郎さんの息子さんの片岡千之助君でネットサーフィンをしていたら、新選組と歌舞伎の関係という記事に辿り着きましたよ。導いてくれてありがとう(笑)。
2004年の古い記事であり、2004年・新選組・歌舞伎と言えば、大河ドラマ『新選組!』に出演していた中村勘太郎君と中村獅童君が挙げられます。新選組と歌舞伎の関係の記事(1)は、中村勘太郎君が演じた藤堂平助、中村獅童君が演じた滝本捨助のモデルとなった松本捨助について、また役者としての二人への期待、そして『新選組!』全体の感想も書かれており、高い評価をしてくれています。
私的には藤堂平助のことについて、

同じ門下の山南敬介とも親しかったとも言われ、なんとなく新選組の中でも「知性派」(?)といったニオイがしますね。

を読んで、同じ門下だったのだろうかという史実における疑問はおいといて、思わず笑み。

そして新選組と歌舞伎の関係の記事(2)のタイトルが、近藤勇が見たかもしれない忠臣蔵です。
そうなんですよ。近藤勇が忠臣蔵が好きだったから、ダンダラ袖模様の隊服を作ったと云われておりまして。
『新選組!』でも、好きだと近藤勇@香取慎吾が言っておりましたね。
そうだよね~近藤は『忠臣蔵』を観たからこそ、好きなんだろう。
うん、観た可能性はあり。
こちらの方の記事では、とてもご親切に、近藤勇が観たとしたら、どの『忠臣蔵』ということで、近藤勇が近藤周斎の養子になってから浪士組として京に行くまでの間、江戸にて『忠臣蔵』が公演された年月を挙げて下さっております。
これって、山南敬助が江戸に居た時期ともほぼ重なるんですよね。

近藤と山南が出逢い、一緒に観に行った可能性も無きにしも非ず。そこに土方歳三も加わったり。或いは近藤と山南と二人で観に行って、土方はいじけて、一人で観に行った可能性も無きにしも非ず(苦笑)。

約350年続く片岡仁左衛門家。もし山南敬助が歌舞伎を度々観ていたなら、この片岡仁左衛門を観たかもしれない。そうだよ、観たかもしれないよ。
そしたら、何代目の片岡仁左衛門を観たんだろうと思って調べてみました。八代目、或いは九代目となるようです。八代目が亡くなったのが文久3年(1863)です。そうです。山南敬助らが浪士組として京に行った年だよ。
九代目は天保10年(1839)の生まれなので、天保4年、或いは7年の生まれだった山南と同じ年頃だったと言えるでしょう。ちなみに天保10年生まれには永倉新八がいます。
山南が亡くなってから142年。片岡仁左衛門家は、今では15代目となり。
すごいな~歴史って。

とにかく歌舞伎を山南も観たかもしれない。時代は違うけれど、山南も楽しんだ芸能を私は楽しんでいるのかもしれないわ(笑)。
by eri-seiran | 2007-10-30 22:55 |  山南敬助

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