山南敬助に纏わる心象風景
2007年 10月 31日
今日、記事がアップできなかったら2ヶ月連続で水曜日はできないということになるのですが、10月最後の水曜日、今日はアップできそう。時間的にもちょっと余裕がありますし、書きたいこともあり。
本題に入る前に一言、耕史君、勘太郎君、お誕生日おめでとうございます。良い1年でありますように。
さてここからが本題です。
私が山南敬助より早く出逢い、ファンになり、今でも心の片隅で応援している方がいます。シンガーソングライターの永井龍雲さん。オフィシャルサイトはこちらより
代表的な曲に『道標ない旅』があります。この曲名を聞いて思い出す方もいらっしゃるのではないでしょうか?
今年から来年にかけて30周年ライヴをやっております。すごいな~本当にこの方も色々とあっけれど、好きな音楽を30年も続けてきたことは本当にすごいと思うし、感謝です。
そんな昔からのファンであるにも関わらず、また30周年を迎えるんだねとわかっていたにも関わらず、歌舞伎にはまったせいか、今年になってからチェックをするのをすっかり忘れておりまして、30周年ライヴツアーをやっていることも知らず。この秋になってから知りまして(汗)。ライヴの場所や日程から、行けるライヴがなかなかないな~と思っていましたら、12月での京都でのライヴに行けそうです。
そしてこの方の曲で好きなのはたくさんあるのですが、そのひとつが『心象風景』
僕を乗せた朝一番の汽車が 薄暗い中 汽笛を残し
君の家の近くの踏切に差し掛かった時 君の赤いセーターがしだいに
遠去かり やがて一つの点になった
後部車両のデッキに立ち 手を振る僕が 見えただろうか
君の胸を打つ鼓動さえもが 僕のそれと重なり聞こえた
これが最後に覚えてる 君に纏わる心象風景
『心象風景』(作詞:永井龍雲)より抜粋
ちょっと時代を感じる詩でしょう(苦笑)。
車を運転しながら、これを久しぶりに聴いて、試衛館の同志たちにとって最後となる山南敬助に纏わる心象風景って何だったのだろうとちょっと考えていました。
ごめんなさい。長々と書きながら、最終的にはここに辿り着き(苦笑)。
云われている通りに、幹部たちが見届ける中で山南が切腹したのなら、それが最後となる山南に纏わる心象風景となったのだろう。
しかしもし切腹でなかったのならば?
それはそれぞれによって違うんだろうな~
そして少なくとも、藤堂平助にとっては、最後となる山南敬助に纏わる心象風景は切腹ではなかった。
何だったのだろう?平助が江戸へ出立する前に山南敬助は見送ったのだろうか?それとも平助が山南を見舞い、出立の挨拶に来たのだろうか?
山南にとって最後となる平助に纏わる心象風景、平助にとって最後となる山南に纏わる心象風景、それは江戸に出立する平助と京に残る山南が最後に逢った時なんだろうな。