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家茂公が上洛した時

大河ドラマ『篤姫』は、いよいよ文久3年(1863)2月となりました。
『新選組!』で言えば、第13回まで来ました。
第14代将軍家茂公が上洛することになり、それに伴い、浪士組が結成され、将軍より一足早く京に行くことになり。それに参加した山南敬助や土方歳三初め試衛館のメンバー。そして後に新選組を結成。
家茂公が上洛することがなかったら、山南敬助らの人生も違ったものになっただろう。

京で沸き起こった大きな渦は山南敬助も巻き込んでいくことになるのです。
                       
これは、大河ドラマ『篤姫』の第38回での冒頭でのナレーションの一部を頂きました。そして山南だけでなく、近藤や土方ら試衛館のメンバーもそうだった。

さて、家茂公が江戸を御発ちになったのが、2月13日らしいです。家茂公が天璋院と和宮にお別れしていた頃、山南敬助は中山道の追分宿から碓氷峠を越え、中久保宿まで歩いています。現在の群馬県安中市から長野県北佐久郡軽井沢町までの約30kmのようです。峠もあったし、大変だっただろう。しかし幕府のために国のために働ける嬉しさで気持ちが高揚して歩いていただろうな。家茂公の上洛によって、大奥では姑と嫁の戦いが起きているとも知らず。史実については知りませんけれど(苦笑)。

家茂公が上洛した時、天璋院は29歳。家茂公は18歳。若いですね。
一方あのお方たちは

山南敬助 31歳(天保7年説の場合28歳)
近藤勇   30歳
土方歳三 29歳
沖田総司 22歳


です。
将軍上洛警護のため京に行ったはずの浪士組が、一部の人たちを残して江戸に帰って来たことを天璋院が知ったら激怒するだろう。京に残った山南敬助らを褒め称えるだろう。
そんなシーンが観たいです。
by eri-seiran | 2008-09-21 23:41 |  出来事

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