三浦啓之助と共に脱走した芦屋昇
2008年 11月 27日
ところでこのサイトにて語ってほしい隊士のアンケートがやっていて、自分も送ったと書きました。
挙っている18名の隊士から3名を選んで送ることになっており、近藤勇・土方歳三・沖田総司の3人は取り上げられる予定ということで18名には入っていません。
その18名なんですが、3人を除いた試衛館派は6人全員。山南敬助は取り上げられる予定には入っていないけれど、18名の中でトップだから許そう(笑)。
御陵衛士は試衛館派に入れた斎藤一と藤堂平助を除いて、伊東甲子太郎ら4人。他に谷三兄弟の長男である三十郎、勘定方の河合に親切者のまっちゃん、我らが監察方の山崎に、同じく諸士取調兼観察で奥州出身で北辰一刀流だったと云われている吉村貫一郎、さらに文学師範であり、近藤勇の江戸や広島行きに同行した尾形俊太郎に武田観柳斎。
という具合に簡単にどういう方かとわかるのですが、一人だけこの人は誰?初めて見る名前だという方がありました。それは、
芦屋昇
と言う方。
新選組大事典 コンパクト版にて調べてみましたが、約60字ほどしか書かれていない。
生没年:不詳
出身:肥後
入隊時期:慶応元年(1865)5月頃入隊
役職:諸士取調役兼監察
慶応2年か3年に三浦啓之助とともに脱走。
とのことです。
そして他の書物で調べたところ、近藤の広島行きにも同行しているようです。
さて一緒に脱走した三浦啓之助とは、佐久間象山の次男。義母が勝海舟の妹ということで、勝海舟は血はつながっていないものの伯父になる。本名は佐久間恪二郎。佐久間象山が暗殺された後、新選組に入隊。
三浦啓之助についてはどうもあまり素行が良くなかったらしい。そんな三浦は芦屋昇と脱走。この脱走について新選組は黙認しているようである。
脱走について緩くなった時期的なものか。素行が良くなかったから出て行ってほしかったのか。佐久間象山の息子、勝海舟の甥だから見逃したのか。
話しがずれましたが、とにかく情報の少ない芦屋昇の名前が挙がっており、となると、この方について知りたい、語ってほしいと思ったりしています。
何故に芹澤鴨や新見錦、また島田魁ではなく、この方の名前が挙がっているのだろうか。