六角獄舎

壬生界隈の新選組ゆかりの地で、これまで訪れていなかった所が一ヶ所ありまして、今回、訪れることにしました。それは六角獄舎跡です。正式名は三条新地牢屋敷。京都にある牢獄で、幕末には過激な尊王攘夷の志士たちが収容されていたそうな。
有名な方では、新選組が捕らえた古高俊太郎とか、また平野国臣とか。

元治元年(1864)の7月の禁門の変にて発した戦火は西へと広がり、この六角獄舎にも火が迫って来たそうで、そのために収容されている人たちの逃亡を恐れて、西町奉行所の判断により平野や古高など志士たち三十数名を処刑したそうである。
しかし六角獄舎は被災することはなく、無事だった。そしてこの処刑に新選組も加担したという説がある。

何故に今まで自分が訪れたことがなかったかと言うと、元治元年の7月、山南敬助は病に伏せていて、この出来事には関わっていないだろうということなどが一番の理由のような気がします。

平成21年(2009)2月23日の夕、壬生寺や八木邸、前川邸、光縁寺などがある界隈を散策し、その後、東は大宮通りを渡り、北は四条通りを渡り、後院通りを北に少し上がり、この辺りで東へ入ってしばらく歩けばあるはずと思ったけれど、ない、ない、ない。新選組のガイドブックとにらめっこしながら、この辺りだと思う所を東へ行けど、西へ行けど、北へ行けど、南に行けど、ない、ない、ない。そしてそんなことをしているうちに自分が何処にいるのかが分からなくなり、後院通りか四条通りに出るにはどちらを向いて歩けば良いのかわからなくなり、迷子になっちゃいました(苦笑)。なんとか後院通りに出ることができ、結局、断念。

翌日の朝、もう一度トライ。
今度は四条通りから小さな道に入り、北に上がる。
昨日は新選組のガイドブック一冊だったけれど、今日は2冊持って。しかしです。1冊はとても簡単に書いてあるし、もう1冊の方はその地図通りに歩いているけれど、ない。このもう1冊の方、山南敬助の享年を35と書いてあるところから信憑性に欠けるんです(苦笑)。
この辺りにあるはずと言う所を歩けど歩けど、ない、ない、ない。
地図ではこの通りのはずだけれど、もう少し西へ行ってなかったならば諦めようと思い、西へ行ったらありました、ありましたよ。やっと辿り着けました。
昨日もこの近くまで来ていたんだけれどな。
ここが六角獄舎跡になります。
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八木邸や前川邸から10分~15分くらいでしょうか。
新選組が平野や古高の処刑に加担したというのも定かではないし、山南はこの時期、表舞台には立っていないので、山南敬助ゆかりの地とは言いにくいけれど、近いことを考えると、山南はここに来たことはあるのではないだろうかと思った次第です。
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Commented by ふみ at 2009-02-26 16:03 x
ここ、私も昨年3月に行きました。
確かにちょっと分かりにくい場所ですよね。
罪人の遺骸を使って解剖が行われたとのことで、
「近代医学発祥の地」の碑もありましたね。

すぐ近くに龍馬とお龍さんゆかりの武信神社がありますから、
来年の大河が始まったら、関連の地めぐりで人出が増えるでしょうか。
お龍さんの父親は勤皇の志士を支援した医師だったので、
安政の大獄の際に捕らえられて、この獄舎に繋がれたそうですね。
去年の旅行記、このあたりのことも書くつもりだったんですけど、
壬生手前でストップしてしまって、心残りです。
Commented by eri-seiran at 2009-02-27 07:54
>ふみさん
あの時に行かれたんですね。わかりにく所ですよね。しかし一番の原因は地図です(苦笑)。
そうなんですよね~処刑された人の遺骸で解剖がされ、近代医学発祥の地ということで色々と考えさせられる地でした。

すみません。武信神社については知りませんでした。新選組のガイドブックを持って行ったものですから、龍馬については何も書いてくれていませんでした。勉強になりました。ありがとうございます。
来年の大河は坂本龍馬ですものね。京都もまたにぎやかになるんだろうなと思います。
by eri-seiran | 2009-02-26 07:34 |  ゆかりの地 | Comments(2)

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