カテゴリ:歴史( 44 )

どんな逆境にも負けない

人間でありたいと、、『八重の桜』を見ながら思う今日この頃です。
先々週までは仕事がアップアップの状態で真っ暗闇の中に居ました。
とは言っても、会津戦争に比べると、命の保証はあるし、3度の食事とお風呂に入れて、寝る時間もあって。私の暗闇は会津戦争に比べるととても小さなものです。

先週は光が少し見えて来て、休みの日には大阪松竹座へ七月大歌舞伎の夜の部を観に行って来ました。まあ~この楽しみがあったからこそ、暗闇の中でもなんとか頑張れたのです。
『一條大蔵譚』は、仁左衛門さんが阿呆と言われている一条大蔵長成が実はそうではなかったという二面性を演じるんのですが、やり過ぎない、そして品があり、さすがだな~という感じでした。もちろん孝太郎姉さんもやっぱり良い。久しぶりの歌舞伎を堪能しました。

昨日になって切羽詰まっていた仕事がかなり片付けられて、だいぶ明るい光が見えて来ました。
残業をして帰ったのが22時過ぎ。シャワーを浴びて、23時前に遅い夕食です。ビールを飲みながら、日曜日は見られず、予約録画していた第29回『鶴ヶ城開城』を見ました。
気が付いたら正座をしていました。『組!』の時は必ずと言って良いほど正座をして見ていたな~

先週、歌舞伎を大阪に観に行った時に、大阪の大きな書店で秋山香乃さんの『獅子の棲む国』を購入しました。図書館で借りようかな~と思ってもいたのですが、目にしたら思わず買っちゃいました。
忙しい日々の中、寝る前に読むのを楽しみにしているんです。
秋山さんの小説と言えば、『新選組藤堂平助』、『歳三 往きてまた』、『新撰組捕物帳』などガツガツ読みました。
『獅子の棲む国』も読みやすく、最初の方で涙でした。
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by eri-seiran | 2013-07-23 19:08 | 歴史 | Comments(0)

彼岸獅子を舞いながら

会津若松の伝統芸能である彼岸獅子を舞いながら入城するというシーンは、楽しみにしていました。


大蔵の入場は過酷な戦に耐える人々の心に希望のともしびを灯した

とありましたが、見ている側にとっても、最近はつらいシーンが多かったので、堂々とした鮮やかな入城はとても気持ちがよかったです。
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by eri-seiran | 2013-07-07 23:24 | 歴史 | Comments(0)

『組!』と『八重の桜』

前回、パソコンから久しぶりに記事をアップした後、しばらくしてパソコンの調子が悪くなって、起動ができなくなり、1ヶ月近くほったらかし状態にしていました。2004年だったら、すぐになんとかしていたと思う。
やっとサポートセンターに助けを求めたりしたものの、リカバリーをやってみるしかないということで、リカバリーをして起動できるようになりました。そしてインターネットができる環境にして、インターネットができるということはウィルススキャンの設定をして・・・
2007年に買い替えたパソコンですが、どうもこのパソコン、私との相性が悪いです。


最近知ったこと、大河ドラマ『八重の桜』の視聴率、そんなにはよくないんですね。私は『組!』の次にはまっていますが。その『組!』も視聴率はよくなかったですが。
話は少しずれますが、今日は休みで、突然、『ちりとてちん』を見たくなり、見ていました。特に四草@虎ちゃん。これも視聴率はあまりよくありませんでしたが、朝の連続小説ドラマの中では一番好きですし、朝から泣いていました。『組!』ファンの中には『ちりとてちん』ファンが多いというのも本当に面白い。ただ私の周りでは、『組!』ファンではなかったものの、『ちりとてちん』ファンはいたけれど。

それから最近知ったもうひとつ。『八重の桜』で斎藤一を演じている降矢さんって、『新選組始末記』で土方歳三を演じていた古谷一行さんの息子さんということ。そうだったんですか。

さて『八重の桜』は『組!』以来、はまっている大河ドラマですが、同時に『組!』以来、涙無しでは見られない最近の回です。
八重も良いが、会津藩士たちが良い。
また『組!』と重なったり。
第21回の『敗戦の責任』では、佐川官兵衛@中村獅童が「先に死んだ者の命は無駄になっても良いと言うのか。」と神保修理に食ってかかるところがありますが、『組!』の最終回での宇都宮の戦いにて、土方歳三が引こうとする桑名兵に「先に死んでいった者たちのためにも俺たちは最後の最後まで戦わないとならねんだ。」と言うシーンを思い出させてくれました。またこれは、『組!』にて滝本捨助を演じていた中村獅童のセリフということが『組!』ファンとしてはおいしい。
そして神保修理が容保公から切腹を命じられるものの、容保公は屋敷の警護を緩め、逃げて生きてくれと言う思いがあり。しかしその思いを受け止めながら切腹するシーンは、『組!』ファンならば、第33回の『友の死』を思い出したことでしょう。
一方で、『組!』と『八重の桜』でのギャップと言えば、池内博之さんでしょか。『組!』での長州の久坂玄瑞、『八重の桜』での会津藩士の梶原平馬ですよね。久坂玄瑞@池内は敵ながら好きだったので、今回は会津藩士でありがとうって感じです(笑)。
今回、敵ながら好いな~とちょっと思っているのが、大山厳@反町と板垣@加藤でしょうか。

やっぱり、今年は会津に行こう。
会津には、2004年と2005年に行っています。今思うと2回とも『組!』&新選組の視点で見ていた部分が多かったな~と。今、行けば、新たなことに気付き、感じられるだろうと思う。
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by eri-seiran | 2013-07-02 22:43 | 歴史 | Comments(0)

白河と二本松、そして会津

パソコンから記事をアップするのはいつ以来だろう?久しぶりだったので、どのようにアップするのか、戸惑っています(苦笑)。

『新選組!』以来、2番目に好きな大河ドラマになりそうな『八重の桜』です。
そして『組!』以来、幕末ファンでよかった、新選組のファンでよかったと思える今日この頃です。これまで長州に土佐に、また久坂に高杉に中岡に浮気することもあったけれど、また今後もあると思うけれど、今年は絶対に無いわ。新選組と会津一筋です。
泰蔵兄ちゃんの久坂玄瑞に惚れそうにはなりましたけれど(泰蔵兄ちゃんと気付いたのはしばらく経ってからでしたが)

そんなわけで、今夜の大河を見て、再び会津に行こうという気持ちがかなり強くなってきました。
2004年に初めて会津を訪れ、翌年の9月に会津祭りに参陣するために再び。
どちらもとてもとても充実した旅でした。懐かしいです。

今夜のを見て、今回は白河と二本松にもぜひに行きたいと思い、早速、どのような行き方があるか、探っています。
関西から2泊3日、ハードスケジュールかな。
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by eri-seiran | 2013-05-05 20:59 | 歴史 | Comments(0)

土佐における幕末ゆかりの地巡りー其の弐ー

土佐における幕末ゆかりの地巡りの続きです。
龍馬が生まれた地から歩いて200mほどのところ、ランチを食べた城西館の裏にある龍馬の生まれたまち記念館です。
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こちらの記事で書いていますが、『組!』の龍馬にも会えた所です。1階の展示館に入ると、「まっことよう来たねぇ」と土佐弁で龍馬少年が温かく迎えてくれます。龍馬の生まれたまち記念館という名の通り、土佐から、また家族から見る龍馬であり、これまでとは違った視点から龍馬を見ることができます。建物も新しくきれいで木材で作られていて、シンプルで温かい施設でした。何よりも『組!』の龍馬もいるということが嬉しい(笑)。
ここから鏡川に向かって300mほど歩いた所に龍馬が通った小栗流武術の日根野道場があったとされる場所で、今は閑静な住宅街となっていました。この辺りのどこからしい。
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龍馬の家からとても近いので、近所の人たちと挨拶を交わしたり、声を掛けられたりしただろう。

再び龍馬の生まれたまち記念館まで戻って、そこから西に向かって少し歩くと、上町二丁目という所に出て、そこにはまんじゅう屋の家があったそうです。
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龍馬の家から300m前後の所になります。子どもの頃からお互いによく知っていた仲だったんだというのが歩いてみてよくわかる。

上町二丁目から電車に乗って坂本家墓所へ。坂本家墓所は丹中山(たんちやま)の墓地公園にあります。墓地公園はここです。

上町二丁目から三つ目の旭町一で降り、北に向かって歩きます。しばらく歩くと墓地らしい所があり、ポイント、ポイントでこちらですと坂本家墓所を教えてくれる手作りのものが貼ってあります。また歩いていると買い物帰りの年配の女性の方が「坂本家の墓所に行くの?」「この道だよ」と教えてくれました。教えてくれた道を歩き出すといくつかの小さな道に分かれ、悩んでいると先ほどの方が再び教えてくれました。坂本家墓所の横では地元のおじさんたち二人が、「以蔵は・・・・」「○○は・・・」と知り合いのように幕末の土佐の志士たちについて語っていました。そこには私たちが「以蔵は・・・」「龍馬は・・・」と喋っているのと地元の人たちが喋っているのでは距離感が全く違う。もし私が以蔵のことを知らずに地元の人たちが喋っているのを聞いたら、現代の人でこの人たちの知り合いなんだと思うくらい近かった。その近さは羨ましいものがありました。
さて坂本家の墓所はこれまで同じ丹中山の墓地の中で2ヶ所に分かれてありましたが、数年前に1ヶ所にまとめられ整備されたそうです。一か所にまとめて整備と言う点では意見もあったようです。墓は龍馬の両親や継母、兄の権平夫妻、乙女姉さんなど。墓石は昔のままでありますが、見事に整列され、それを囲む石や敷地は新しいので、ちょっと違和感がありました。龍馬は京都に埋葬されましたが、ここに墓碑を作ろうというものはなかったのかな?

墓参を終えて、同じ墓地内にある平井収二郎の墓に行こうと歩き出すと、先ほどのおじさんの一人が、「収二郎の墓に行くの?」と聞いて来ました(苦笑)。「はい」と答えると、親切に道を教えてくれました。坂本家の墓所は上の方にあり、収二郎の墓はそれより下の方なのですが、下ってこの道だと思って歩き出すと、上からおじさんが「違うよ。そっちの道だよ」と教えてくれました。はい、ここの墓地は非常に分かりにくいのです。これは道?私は辿り着けるの?と不安になりましたが、収二郎の墓に辿り着きました。
獄中の収二郎の爪書きの辞世を妹の加尾が墓碑に刻したものの、藩によって消され、維新後に再び加尾が復刻したらしい。
そして同じ墓地に池内蔵太の墓もあったのですが、道がわからずに断念しました。ごめんね。ここの墓地には江戸時代の偉人たちやその家族の墓が多くあるようです。
またこの墓地より西へ少し歩いた所に収二郎と加尾の生まれた地があったのですが、これもスルーしていました。そして反対方向である東に歩いた所には、墓には辿り着けなかった蔵さんと望月亀弥太郎の家があるとのことで探したのですが、これも分からず辿り着けず。
諦めて電車通りに出て、電車に乗り、これはなにがなんでも辿り着けなければならない武市半平太の切腹跡地へ。
                                   
                                      つづく
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by eri-seiran | 2010-11-21 10:07 | 歴史 | Comments(0)

土佐における幕末ゆかりの地巡りー其の壱ー

今日は土佐で買った酒を呑みながら、大河ドラマ『龍馬伝』の第41回『さらば高杉晋作』を見て涙でした。まだそこかい!
完全に開き直っておりまして、今年一杯で見終わったらいい。ドラマは11月で終わるから12月があるじゃないか。やっぱり大河ドラマは12月までかけて見るものだと思う。
と書きながらも私はいい加減な見方をしているのですが、第四部はやはり面白いな~と思います。きちんと見ておくべきだったと今になって後悔しております。そしてもっと早くに土佐に行っていたら、もう少しきちんと見ていただろうと思うのです。
去年より今年は土佐に行こうと決めていたものの、なかなか予定が立てられず、11月入ってさすがに焦り、11月11日~12日を逃したらかなり厳しいぞということになり、行く2日前にここで行こうと決心して、宿を取りました。

土佐は遠いので、朝早くに家を出ないといけなくて、朝一番が最寄りの駅を5時前の電車があって、それならば9時半過ぎに高知に着く予定でした。そうなると4時に起きなければならない。ちょっと早すぎる。目覚まし時計は5時にセットして、最寄りの駅を6時前の電車に乗って10時半過ぎに高知に着けたら良いかと。しかし旅に出るとか、嬉しいことがある日は早くに目が覚める私。目が覚めたのが4時15分。家から駅までは10分。急いで準備すれば間に合うということで、5時前の電車に乗るために起きて、急いで準備をして間に合ったのです。外は真っ暗でした。朝早いので京都発の新幹線はないので、新大阪駅で新幹線に乗り換えて、岡山まで行き、岡山で特急に乗り換えて高知までという行程でした。
新幹線で東へも良く行きますが、西に行った経験も多く、新大阪を利用したことも数多い。
なのに何を考えていたのか、新大阪をスルーして大阪駅で降りてしまい、新幹線乗り場にはどうやって行くんだった?とふと考えてやっと気付きました。新幹線に乗るならば新大阪駅だ!多分に睡眠不足で寝ぼけていたのかと思う。
新大阪駅に引き返したものの、乗る予定だった新幹線はすでに出た後で、その後の新幹線でも岡山で乗り換える特急には間に合ったのですが、その新幹線も出た後で、その後の新幹線に乗りましたが、乗る予定だった特急には間に合わず。岡山駅のコーヒーショップで朝食をゆっくりと取り、結局5時に起きて乗る予定だった電車になってしまい、高知には10時半過ぎに着き、駅では龍馬とおりょうさんが出迎えてくれました。
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高知駅に着いてからはまず荷物を泊るホテルに預けに行きました。駅から歩いて10分弱の所。荷物を預けた後は再び駅に戻り、駅前にある土佐・龍馬であい博のメイン会場へ。
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龍馬の手前には武市半平太、そしてジョン万次郎が並んでいます。龍馬の激動の人生を紹介されていて、またドラマで使った衣装や小道具が展示されていました。また龍馬が愛した海、その海を突き進む船の帆をイメージしたエントランスがあったり、龍馬と繋がりのあった様々な志士たちの紹介、ドラマのメイキング映像をシアターで紹介、着物を着ての記念撮影コーナーなどがありました。

ここを見終わるとランチタイム。ガイドブックに載っていた城西館という宿の中にある思季亭にて『ランチ限定・龍馬御膳』が食べたくて、観光案内所で教えてもらい、MY遊バスのチケットを購入して、路面電車に乗って行きました。
しかし辿り着いたものの、メニューに龍馬御膳ない。お店の人に聞いたら、調理場に聞きに行き、そしてできますとの答えでした。良かった。しかし何故にメニューにはなかったのかな?前菜として高知の珍味にカツオのタタキ、釜めしに味噌汁などなど。
ポン酢で食べるカツオのタタキが美味しかったです。
そしてこの城西館の辺りは龍馬が生まれ、龍馬が幼少・青春時代を送った地です

城西館から路面電車通りを東へ少し歩いた所に龍馬が生まれ地があります。
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大きな石碑であり、すぐにわかります。
歩道を挟んで石碑の前にはこんなものもあります。
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隣のビルには大きな垂幕がこのように。
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高知の人たちが龍馬先生を敬い、愛しており、高知の誇りにしているのが感じられました。
そんな龍馬、明日の11月15日が龍馬の誕生日であり、そして命日ですね。

旅の続きはまた後日。
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by eri-seiran | 2010-11-14 23:11 | 歴史 | Comments(2)

龍馬とおりょうのゆかりの地~霧島~

新選組の場合、主なゆかりの地と言えば、大阪から函館。
坂本龍馬の場合は、南は鹿児島でありますが、東は東京ですか?

1ヶ月ほど前の話ですが、西郷から薩摩においでと招かれ、龍馬がおりょうと新婚旅行として訪れた霧島に職場の後輩と一緒に訪れました。

まずはパワースポットである霧島神宮です。
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二人もこの神宮を参拝したそうです。
だからこんなものもある。
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歴史上の人物に対してはミーハーだから、私も一緒に記念写真を撮る(笑)。

その後はランチを取ってから、龍馬とおりょうが逗留した塩浸温泉を目指しました。
その途中でコーヒーハウス空のふもとに寄りました。目的は龍馬が愛した珈琲を飲むために。
幕末の長崎では珈琲が飲まれていました(その260年前から飲まれていたとか)。新しいものが好きな龍馬はきっと珈琲を飲んだだろうということで、当時の珈琲を忠実に再現したものに、このような名前が付いたようです。
この珈琲豆は長崎の会社で作られ、販売されているそうです。こちらより
珈琲にはうるさい私ですが、おいしかったです。そこでこのコーヒーハウスで豆を買ったのですが、霧島のお水という美味しさもあるからな~
開封してある他の珈琲豆があるので、まだは家では飲んでいません。飲む時には美味しいミネラルウォーターで作りたいと思います。

霧島にはこれまでも何度か訪れたことがあり、車の中からあそこが龍馬とおりょうが訪れた温泉地だと教えてもらっていたのですが、わかりにくいところだったような。
しかし大河ドラマの影響は恐るべし。今年の5月に塩浸温泉龍馬公園としてオープン。
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『組!』の時も『篤姫』の時もそうだったか、ゆかりの地として新しく作る、整備するとなると、約1年半前に発表があってからでは、検討、計画、実施と時間がかかり、大河が始まるギリギリだったり、間に合わなかったり。『組!』の場合は実際に始ってから、気付いて急遽、作られたのではないか?というものもありましたが(苦笑)。

塩浸温泉龍馬公園に着くと山道を登って行く人、降りてくる人がいて、後輩が上に石碑とかあっても登りたくないと言って、公園の売店の人に来たら、上に広い駐車場があり、みなさんそこから降りてここまで来るんですよと教えてくれました。そうなんです。私たちは運よく一番近い駐車場に停められたので、そこは上り下りしなくて済んだのです。

そしてこれが龍馬とおりょうの銅像です。
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ちなみにこれは平成元年に作られたものです。
良いな~同じ時代に富士山に行こうと約束しながら、行けなかった人もいるのに。
『組!』の山南と明里のことですが、史実ではありませんから(苦笑)。

資料館の方は大河の撮影で使用された小道具などが展示されていました。

先ほど、後輩が登りたくないと行った山道。しかし龍馬とおりょうも歩いた山道と知って、私は少しだけでも歩きたくなりました。私が歩いて帰って来る間、後輩は足湯に浸かって待っていることに。
少しだけと言いながら、歴史を感じる道に、もう止まらない。急で歩きにくいけれど、止まらない。
遂に上まで辿り着いてしまいました(苦笑)。距離的にはそれほどなく、片道10分は掛かりません。そしてたどり着いた所は、だだっ広い駐車場で、何にもありません。龍馬とおりょうが歩いた道を歩きたい方はぜひにこちらの駐車場へ。

龍馬とおりょう、そして約130年後に私が歩いた山道です。
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歴史を感じるでしょう。

今回の鹿児島の旅は、1日目が鹿児島市内・桜島、2日目が指宿周辺、3日目が霧島でしたが、私にとって霧島は新鮮であり、龍馬ゆかりの地として、一番楽しめました。
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by eri-seiran | 2010-09-18 17:11 | 歴史 | Comments(2)

龍馬月間

2週間ぶりです。

今月の前半はとにかく忙しかったのですが、後半になって落ち着き、休みの日は休める状況になりましたが、8月に入ったら、プライベートも含めて再び忙しくなりそうです。

今月はプライベートにおいては龍馬月間でした。
7月15日 京都文化博物館での2010年NHK大河ドラマ特別展『龍馬伝』を見に行って来ました。平日を狙って休日より空いているだろうと思って行ったものの、意外に多かった。祇園祭 宵々山の日ではないですか。これを見て宵々山に流れる人もいたのではないでしょうか。
斎藤一@オダギリが土方歳三@耕史に祇園祭の前日は宵山であり、前々日である今日は宵々山だと説明するシーンがありましたっけ。
その2004年NHK大河ドラマ特別展『新選組!』も京都文化博物館に前半と後半の2回に分けて行きましたっけ。

7月18日 大阪松竹座での七月大歌舞伎の夜の部を友人と一緒に見に行きました。どの演目にも孝太郎姉さんが出ているし、どの演目も興味深かったのですが、なんと言っても『竜馬がゆく 風雲篇』です。
孝太郎姉さんがどんなおりょうを演じるのか、楽しみにしていたのですが、自分のイメージのおりょうとはちょっと違ったわ。テンションが高すぎ。
ちなみにお昼の部は8日に見に行きました。

7月20日 同じ7月18日に大河ドラマ『龍馬伝』の第三部スタート。この日は大阪から遅く帰って来て、翌日は仕事だったので、20日に見ました。
待ちに待った井上聞多の登場です。つまり虎ちゃんこと加藤虎ノ介さんです。
伊藤俊輔と同じ感じのキャラで最初はわかりにくかったけれど、いいんじゃん。そしてあの散切りの髪形からちょっと期待していた高杉晋作@伊勢谷友介。とてもいいじゃないですか。以蔵が亡くなった第三部は完全に長州藩士に気持ちを持って行かれています。大好きな中岡慎太郎が登場したら、私の気持ちはどうなるか。
今年度の大河ドラマはこんな感じで見ております(苦笑)。

そんなこんなで龍馬月間中です。今日は仕事の都合で『龍馬伝』は見れませんので、明日以後になりますが。

話は代わって、今月の前半は忙しかったわけで、それで堺雅人さん主演の『JOKER ジョーカー許されざる捜査官』の第1回を見逃してしまい、第2回から予約録画したものの、第1回を見てないと見る気になれず、どうしようかと思っていたら第1回を見ることができました。内容は・・・という感じで、現代の必殺仕事人ですか?
このドラマの何がびっくりしたかと言うと、堺さんの役名が伊達一義。伊達ですよ。伊達!
そして昔、コンビを組んでいた人、そして部下でその人の妹の名前が宮城。
次は仙台とか、絡んでこないかしら。
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by eri-seiran | 2010-07-25 09:46 | 歴史 | Comments(4)

長浜

昨日は水都大阪2009に参加しに行こうと数日前から決めていたのですが、その前夜、日本酒を飲み過ぎたようで大阪まで電車に乗って行って、大阪をガツガツ歩く元気がなく、朝からどうしようかな~とゴロゴロしていました。もうひとつ近いうちに行かなければと思っていたのが、長浜城歴史博物館での企画展石田光成と西軍の関ヶ原合戦におけるテーマ3石田光成と大谷吉継です。大阪をやめて長浜にしようか、それとも一日家でゴロゴロしておこうかと、ゴロゴロしながら考え、歩く体力より、車の運転の方がまだいいかも。また水都大阪2009は10月12日まで。一方、石田光成と大谷吉継の展示は10月4日まで(石田光成と西軍の関ヶ原合戦は12月23日まで)ということで、期限が迫っている方でガツガツは歩かなくても良い長浜歴史博物館の方に行って来ました。

行こうと決めたのがお昼過ぎだったので、着いたのが15時。
これが長浜城でございます。
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豊臣秀吉によって築城されました。今浜という地名だったわけですが、織田信長の長をもらって長浜としたんですか。これは知りませんでした。勉強させて頂きました。
秀吉の後は柴田勝家、山内一豊が城主となりましたが、江戸時代に入り、豊臣の時代が終わると共に廃城となり、これは昭和58年(1983)に再興されたものだそうです。
私はここを長浜城と呼んでいますが、そうだったわけですが、平成18年に長浜市長浜城歴史博物館となったそうで、正式名はこちらです。

1時間以上もかけて、高い高速道路代を払って来た今回のメインは企画展石田三成と西軍の関ヶ原と約1ヶ月ごとのテーマ別の石田三成と大谷吉継の展示物。
まず2階展示室へ。ここでは中川泉三没後70年記念展―史学は死学にあらず―を行っていました。中川泉三とは、山南の死後から4年、土方が亡くなった年に現在の米原市(長浜市の隣)で生まれ、明治から昭和初期にかけて滋賀県内の地方史編さんを行い、古文書の調査や保存に力をいれた歴史家です。
歴史を伝えるには調査と保存、重要です。
新選組なんって、時代が時代だったから、保存が思うようにできず、現代において大変なわけですよ。

そして3階へ。
大河ドラマ関連で、3月より北近江戦国浪漫フェスティバル「三成と兼継」が開催されていまして、そして「石田三成と西軍の関ヶ原合戦」の展示物が7月1日から12月23日まで、またその中で9月3日から10月4日まで「石田三成と大谷吉継」というテーマの展示物があるということです。
大谷吉継に関するものは画像と本人による書状など計7点でした。大谷吉継像って昭和59年(1984)に書かれたものだったんですか。つい最近ではないですか。云い伝えられていることを描いているんですね。どなたか、山南敬助についても描いてもらえませんか。
書状は病に伏せていた敦賀の西福寺の住職宛てのものや、寺領安堵を伝える称名寺宛のものなど。
書状から書かれた方の人柄が伺われたりするわけですが、大谷吉継も細やかな配慮があり、また優しい方だったんだろうなと感じられました。
話しはずれるのですが、称名寺という寺の名前を見て、新選組関連でも確かあったよな?と思い、帰って調べてみたら、箱館で新選組屯所となり、土方歳三と新選組隊士の供養碑がある称名寺ったあるじゃないですか。私は間違っていなかった。しかし函館にあるよとすぐに言えなかったのは戊辰戦争に関しての知識が低いからだということを認識しました(汗)。
他は三成の一族、三成をめぐる人々、三成と関ヶ原合戦と言うテーマで展示物があり。石田三成の書状、寛政8年(1796)に描かれた関ヶ原御陣絵図、江戸時代後期に描かれた関ヶ原陣立図、嘉永7年(1854)に三成が捕獲された際の伝承を尋ねて書き残した石田三成生捕覚書などなど。あなた、嘉永7年(1854)と言えば山南が22歳の時であり、また関ヶ原の戦いから約250年後じゃないですか。これは2100年頃に山南の切腹した時の伝承を尋ねて書くということではないですか。

3階までの展示物を見終えると、階段で5階の望楼(戦国パノラマ展望台)へ。
こちらが彦根方面と琵琶湖です。
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そしてこちらが関ヶ原の方となります。
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長浜城歴史博物館を出て、ガツガツは歩けないので、豊公園をお散歩し、琵琶湖を眺めながら休憩。
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これが16時を過ぎていて、長浜城歴史博物館に入る15時はまだ暑かったものの、この時間には琵琶湖の風もあり、とても気持ち良かったです。陽もとてもやわらかく。

そして来る前に調べてきた長浜の美味しい物屋さんに行くことにしました。
Tea・Lunchみずべです。
琵琶湖に近い住宅街にあります。木造校舎を意識したという建物で、私は自家製のケーキが2種類食べられるスイーツセットプラスホットコーヒーにしました。ケーキはかぼちゃのシフォンとリンゴとくるみ。それにアイスクリームや果物などがついていました。ケーキはあまり甘くなく、また珈琲も美味しかったです。テラスで頂いたのですが、風も気持ち良かったです。
ランチもおいしそうですよ。また次回に。
食べ終わったのが17時過ぎ。今から帰ると、渋滞に巻き込まれるし、せっかく来たのだからということで、これから行けるところということで、豊国神社に寄りました。
秀吉公が亡くなった後、町民が秀吉公の恩徳を慕って豊国神社を建立したものの、江戸時代になって太閤を神格化することが禁じられて取り壊されたそうな。しかし秀吉公の御神像は町役人の家で守り継がれ、その後、えびす宮の建築許可を受け、奥に御神像を安置して密かに祀っていたそうな。神社名は明治維新後に復帰したそうな。

暗くて分かりにくいけれど、こちらは加藤清正像です。
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そしてすぐ近くが黒壁スクエアだったので18時の閉店までの約30分ほど見て参りました。
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こちらはこの先に黒壁スクエアがある昔の北国街道です。戦国も幕末も様々な人たちが通ったんだわ。

長浜にはこれまで何度が行ったことがありますが、改めて歴史の町だと感じました。また彦根や近江八幡とは違うものを感じるんです。中山道より北と南の違いなのか。
そして古い物を大事しながら、洋の部分も感じられ、素敵な町であり、好きです。
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by eri-seiran | 2009-09-26 09:25 | 歴史 | Comments(0)

関ヶ原から

関ヶ原に行きたい。関ヶ原に行きたいよ。
昔、一度だけ行ったのですが、その時には史跡巡りはできず。

ここが関ヶ原だ!

で終わってしまいました(笑)。と言うことで今年中に行って史跡めぐりをしたいです。

さて関ヶ原の戦いの話しになると、あなたは西軍ですか?東軍ですか?という話しになるのですが、私はこれまで東軍でした。
理由は東軍に伊達政宗など好きな方々がいるのと、西軍に苦手な方々がいるという理由からなんですけれどね。
関ヶ原から260年後に誕生する新選組のファンとしては東軍派で良いのかと思うのですが、義は我々にありということでは西軍派であるべきなのかとも思ったり。
ただ今、微妙な感じになってきています(笑)。

そして幕末を語るには関ヶ原からです。

関ヶ原から250年、長州は幕府に対して恨みこそあれ、恩に感じること何ひとつないわ。           
     大河ドラマ『新選組!』 第19回『通夜の日に』にての久坂玄瑞@池内博之の台詞より

すみません!新選組ファンですが、この台詞には拍手ものでした。『組!』での好きな台詞ベストテンに入ります。
やっぱり幕末は関ヶ原からです。
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by eri-seiran | 2009-09-22 09:14 | 歴史 | Comments(2)

山南敬助をメインにしたブログです。ホームページ『山南敬助 赤心記』共々よろしくお願い申し上げます。


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