カテゴリ:山南敬助 赤心記( 19 )

8ヶ月ぶりのアップ

先月の末からいじってはいて、実は密かに9月1日にアップしていたのですが、大きな声では言えない状態だったので(汗)。
その後も全体的に整えたりしまして、まあ~お知らせしてもいいかなというところまで辿り着きました。
山南敬助 赤心記 8ヶ月ぶりのアップです。

ですから、アップの仕方を忘れたりして(苦笑)。
ここ1週間ほどいじっていたら、わからなかったことまでわかってきました。とにかくやってみることですね。
れぽにて、第一回山南忌をアップしました。
平成19年(2007)3月11日に行われた第一回山南忌のことをブログの記事にて書いていますが、それを編集したものです。

時々、山南の何かが動き出したと思える時期がありまして、なんか今、その時期みたいです。
だから私も動き出そう。
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by eri-seiran | 2008-09-04 21:14 | 山南敬助 赤心記 | Comments(0)

明日で開設1周年

私は大きな勘違いをしていまして、今日である6月4日は旧暦での池田屋事変が起きた日だと先ほどまで思い込んでいました。そして池田屋事変が起きた日であるということはあれから1年であり、と言うことは今日で1周年であると。
何の1周年かと言うと、ホームページ山南敬助 赤心記の開設。

しかしです。それが勘違いだったのです。
記事にする前に念のために開設した日をチェックすると、開設日は平成19年(2007)6月5日と書かれてあるではないですか。書籍で確認すると、池田屋事変が起きたのは、やっぱり元治元年(1864)6月5日で間違いない。
つまり私の勘違い。
約5ヶ月間、放置状態ですから(汗)。ごめんなさい。

でも記事にしておきます。
明日で開設1周年になります。

そして言い訳もしておきます。
決して忘れているわけではありません。
もうどうでもいいやと思っているわけではありません。
どうにかしようと思っています。
最後にアップしてから、リニューアルしようと思ってやりかけたところで、壁にぶつかりました。同時に仕事などで一杯いっぱいの状態になってしまいました。
新年度になってさらに一杯いっぱいの状態になっています。

山南敬助のことについて書けと言われれば、文章力は別として、いくらでも書きます。もういいですと言われても書きます。
ブログではそれができます。
しかし山南敬助 赤心記ではデザインのセンス、またそのスキルが求められます。そこが今の私の壁。

ブログの記事のアップのペースを落として、そちらに力を入れようと思ったこともありました。
しかしブログは気軽に書ける。書きたいことが色々とある。またここで書くことは楽しみでもあり、ストレスの発散にもなっていて。

すべて言い訳です。
ただ新選組の中で誰が好き?と聞かれ(2004年まではあまり聞かれたことがなかったけれど)、山南敬助という答えは(2004年までは答えても誰?と言われることが多かったけれど)、20年以上も変わっていない。
だからこれからもずっと好きであり、そしてこれからも付き合っていく自信はあります。
だから時間を掛けて少しずつ作っていくつもりです。

拙いホームページ山南敬助 赤心記ですが、この1年間、訪れてくださった方々、ありがとうございました。そして今後とも宜しくお願い申し上げます。
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by eri-seiran | 2008-06-04 22:57 | 山南敬助 赤心記 | Comments(4)

出来事 嘉永6年から文久2年までの10年間

山南敬助 赤心記出来事をアップしました。
山南自身が

飯田町堀留大久保九郎兵衛門人
 一刀流 山南敬輔


と、書いたと云われる嘉永6年(1852)から浪士組として京に行く前年の文久2年(1862)までで、記録に残っている山南における出来事を挙げました。
ちょうどこれが10年間。途中、武者修行で江戸を離れたこともあったかもしれないけれど、この間、山南は主に江戸に居たはず。
またこの間に試衛館に近藤勇に土方歳三ら、また多摩の人たちと出逢った。

そしてこの間に、篤姫が13代将軍徳川家定公の正室になり、それから2年もたたないうちに家定公が逝去され、安政の大獄が行われ、徳川慶福が家茂となって14代将軍となり、桜田門外の変が起き、今度は公明天皇の妹の和宮が家茂公の正室となり、その家茂公が上洛することになり。
まさしく日本が揺れ動いていた10年間だっただろうし、この後もそうだった。

記録に残っている山南敬助だけを見ると、そんな状況の中で穏やかに過ごしていたんだな~と。
でも満足はしていなかっただろうし、様々な出来事に色々と思うこともあっただろし、だからこそ浪士組として京に行くことになり。
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by eri-seiran | 2008-01-09 23:09 | 山南敬助 赤心記 | Comments(0)

誠の盃に誓ったからには

ちょっとだけ頑張りました(苦笑)。

ホームページ 山南敬助 赤心記

ゆかりの地の江戸編に、先月に訪れた玄武館と江戸城本丸跡を追加しました。本丸には山南敬助は訪れることはできなかっただろうけれど、やはりここが起点となり。
玄武館跡は山南敬助が玄武館の門人だったという当時の記録は残っていないけれど、同志の永倉が語っている以上、避けては通れぬ所。

また書籍においては、山南敬助を語る上で参考文献としている本を挙げさせて頂きました。
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by eri-seiran | 2008-01-03 00:36 | 山南敬助 赤心記 | Comments(0)

ゆかりの地 江戸編をアップ

山南敬助 赤心記ゆかりの地江戸編をアップしました。
これを作るにあたり、初めて気付きました。江戸において山南敬助が確かにいたと言う場所のあまりの少なさに。
そりゃ~北辰一刀流の玄武館跡も入れていいと思うんですけれど、また仙台から江戸に向かったと考えられるので、日本橋を入れてもいいのかもしれないけれど。
でも本当に確かにいた場所は片手で数えられるだけのもの。

ただ大久保道場跡の近くには講武所もあったし、練兵館も近いんだよね。訪れたことがあったかもしれない。それに歌舞伎を観に行ったことがあるかもしれないし、隅田川で渡船に乗ったかもしれないし、山岡鉄太郎と本当に知り合いでよく訪ねていたかもしれないし。
江戸に約10年間、居たと考えられるので、色んな所に行ったんだろうな。
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by eri-seiran | 2007-12-04 22:55 | 山南敬助 赤心記 | Comments(0)

源さんをアップ

ホームページの山南敬助 赤心記ゆかりの人々において、井上源三郎をアップしました。
すみません。源さん一人です(汗)。
これは数日前にまとめ、そして永倉新八について書けたら、一緒に江戸に行くまでにアップしようと思っていたのです。と言うわけで、新八について先ほどまで頑張っていたのですが、なんかつまずいてしまって(汗)。
私、この人についてよくわかっていなんだな~とへこんでしまいました(汗)。
永倉は後に山南敬助について語ってくれているけれど、残っている当時の記録からはあまり関係が見えないな~と気付き。

永倉が近藤勇と出会った時期が万延元年(1860)の夏以後となると考えられます。その時にはすでに山南は試衛館に出入りしていたと思われるので、やっぱり山南が試衛館一番乗りねと確信できたのが唯一の収穫でした。

そして源さん。史実においてはこの人と山南敬助の関係をあまり考えたことがなかったのですが、やはり古い付き合いであり、稽古などを通して親しくなっていったんだろうな~とか、色々と考えられる機会となり。
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by eri-seiran | 2007-11-21 23:35 | 山南敬助 赤心記 | Comments(0)

ゆかりの人々をアップ

偽装問題が相次ぎ、買い物をしながら、何を信じたらいいのだろうと思う今日この頃。
どれも腹立たしいのですが、その中でも私的に一番怒りを感じるのが300年もの歴史を持つ伊勢名物の赤福餅。山南敬助だって、伊勢にお参りに行って食べたかもしれないよ。

伊勢名物でありますが、関西の名物とも言え、京都駅、大阪駅、及び新大阪駅、また大阪空港など、旅人が立ち寄る所などには売っております。
実家がある九州の友人らが好きなので買って帰りたいと思うのですが、賞味期限が非常に短い。買って、その日、或いは翌日にでも逢える日でないと、買っても意味がない。
1~2回、帰ったその日、或いは帰ってすぐに逢えるという時があり、買って帰り、とても喜んでもらいました。こんなに喜んでもらえるなら、帰るたびに買って帰りたい気持ちなのですが、やっぱりネックは賞味期限。買う方はこんなに苦悩していたのに。製造日や消費期限を偽装していたなんって。
九州の友人から赤福餅がもう食べられなくなるという怒りと悲しみのメールが届きましたよ。

私は物事について、関心・疑問を持ったら、必要以上に深く追求することもありますが、そうでなければ、スル-していることが多く、知らないことが多々あります。
今回、赤福餅の偽装問題に一番怒りを感じているのは上記の理由の他に、赤福の名が赤心慶福からきていると知ったから。すみません、これまで知りませんでした。

赤心とは、いつわりのない心。まごころ。
慶福とは、めでたいこと。幸い。喜び。  『広辞苑』より

それなのに、偽装していたなんって。

私が山南敬助のホームページのタイトルを決める時、ずいぶん、悩みました。

山南敬助 赤心記

赤心記の赤心は山南敬助の佩刀である赤心沖光から頂いたもの。そして赤心の意味もわかったうえで、使わせてもらうことにしました。自分の気持ちに偽りなく、真心をこめて作っていきたいという思いから。

しかしごめんなさい。なかなかアップできなくて(汗)。一ヶ月ぶりに山南敬助 赤心記の方をアップしました。アップした内容はゆかりの人々です。ゆかりの人々を8のグループにわけ、まず試衛館の同志たちのうち、近藤勇、土方歳三、沖田総司をアップしました。山南とゆかりの人々はたくさんいるのに、一人に対してこんなに書いていたら、今後、どうなるの?という感じですが、試衛館の同志たちについては長くなってしまうのはしょうがない。特にこの3人については。そして総司のことを書いていたら、目がウルウル状態になってしまいました。最期、江戸にて一人、どんな思いで過ごしていたのかと思うと(涙)。

こんなゆっくりなペースで作り上げていくことになりますが、偽りはありません。そして真心をこめて、作り上げていこうと改めて誓った次第です。
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by eri-seiran | 2007-11-03 21:21 | 山南敬助 赤心記 | Comments(2)

山南敬助と言えば桜

日中はまだ暑いものの、朝晩はだいぶ涼しくなってきました。と言うことで、こちらのスキンを秋らしいものにしましたが、ホームページの山南敬助 赤心記の方は桜で少し華やかにしてみました。

こちらのブログはあるスキンの中から自分が気に入ったものを選べばよいのですが、ホームページの方はゼロからのスタートであります。今回、ホームページを作るに当たって、パソコンのスキルが必要なことはもちろんわかっていたのですが、美的なセンスがこんなに問われるなんって思ってもいませんでした(汗)。

自分らしい、山南敬助らしいホームページを作りたい。だから自分だけのドメインがほしかった、広告無しにしたかった。また自分が納得できるものにしたい、長く付き合っていきたいと思っているから、焦らず、ゆっくりと。しかしアップが遅すぎとも思っており、反省はしております(苦笑)。

さて山南敬助をイメージする花と言えば、桜でしょう。それは伊東甲子太郎による山南のための弔歌があるから。

春風に吹きさそわれて山桜ちりてそ人におしまるゝかな
吹風にしほまんよりも山桜ちりてあとなき花そいさまし

            『新選組日誌コンパクト版上』(新人物往来社)より抜粋

今年の山南忌では、散っていく桜のデザインの手ぬぐいを記念品に頂きました。
このように山南敬助をイメージする花と言えば、新選組ファンの多くの人が桜を思い出すでしょう。そのようにイメージする花がすぐに出てくる新選組の隊士が他にいるのでしょうか?
イメージする花はあっても山南のように共通しておらず、様々でしょう。

そのことを考えると、大河ドラマ『新選組!』で山南敬助@堺雅人が脱走・切腹する回において、水仙、そして菜の花がキーポイントになっていたのはすごいなと改めて思う。
伊東甲子太郎@谷原章介が「春風に吹きさそわれて山桜・・・」と詠んだけれど、近藤勇@香取慎吾に怒鳴られてしまいましたっけ。『新選組!』の山南敬助と言えば、菜の花と多くの人が答えるだろう。『新選組!』においても他の隊士で浮かんでくる花と言えば、なかなかないでしょう。
史実の山南と言えば桜、『新選組!』の山南と言えば菜の花というようにお決まりの花があるのはなかなか面白いと思った次第です。

と言うわけで、ホームページの方は桜を使いたい、また自分の力でなんとかしたいと思ってはいたのですが、やはり難しいということで、フリー素材から素敵な桜をお借りしてきました。
また本当ならゆかりの人々をアップしたいなとも思っていたのですが、細々した修正などをしていたら、ちょっと時間切れとなってしまいました。そちらの方は次回に。
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by eri-seiran | 2007-10-04 22:23 | 山南敬助 赤心記 | Comments(0)

山南敬助 赤心記の謎と考察をアップ

ホームページの山南敬助 赤心記謎と考察『2.姓名について』をアップしました。
『1.出身地について』の下に続いておりますので。
これまで記事にしたこちらとか、こちら、またはこちら、そしてこれまでも色々な方々と山南の名前について語ってきたことを参考にしながらの現在における私の考えです。
一ヶ月後には変わっているかもしれません(汗)。

トップページの解像度を1280×1024にしたりするなど、他の所についても少し触っております。
もし以前より見辛くなったりしておりましたら、ご遠慮なくお知らせくださいませ。
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by eri-seiran | 2007-10-02 18:52 | 山南敬助 赤心記 | Comments(2)

報告するのも恥ずかしい限り

ですが、とりあえず報告しておきます。

ホームページ 山南敬助 赤心記English Siteを作ったものの、トップページを作ったまま、全くほったらかし状態でした。と言うことで、昨夜、Greetingsをアップしました。

English Site を作った目的は、まあ~山南敬助について外国人の方にも知ってほしいという思い、自分の英語力を伸ばしたいという思い(好きなことについて英語で語るとなると、私は必死で語るらしい)、また知り合いの外国の方々が日本の歴史などに関心があり。それでサイトに遊びに来てくれるだろうと思い。
そんなこんな理由からでしたが、全くアップできないので、目的を達成できていない。またこんな状態なので、ホームページを作ったよと連絡することもできず(汗)。
このEnglish Siteを作るに当たり、助けてもらった方だけは知っているんですけれどね。

平成16年(2004)に京都に住んでいた北米の方が、突然、『新選組』や『誠』という文字をよく町の中で見かけるようになったと言っていましたっけ。
平成17年(2005)にイギリスから遊びに来た友人は、新選組のガチャポンにトライしたり、新選組のフィギュアを揃えたいと言っていましたっけ。

今後、こちらの方はどのようになっていくか、わかりませんが、そしてまだ外国の知人たちには報告できるような状況ではありませんが、こちらでは取りあえず、ご報告しておきます。
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by eri-seiran | 2007-09-23 12:23 | 山南敬助 赤心記 | Comments(0)

山南敬助をメインにしたブログです。ホームページ『山南敬助 赤心記』共々よろしくお願い申し上げます。


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