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年末雑感

今年も、今日と明日を残すのみとなりました。
今年を振り返ると、私的には良い年だったな~というのが素直な感想です。「新選組!」関連のイベントに参加したり、山南敬助も行ったことのある日野、2回目の会津など新選組ゆかりの地巡りをしたり、「新選組!」によってファンになった堺雅人さんや山本耕史君の舞台にも足を運んでますます惚れ直したり(笑)
これらを通して新たな出会いもあり、とにかく楽しく、充実した1年でありました。
仕事面では、昨年に比べて色々と大変な状況でしたが、プライベートが充実していたからこそ、乗り越えられたのだろうと思っています。

そして、自分でも驚いるのがブログを始めたことです。
暴走しているよな~山南敬助への愛深き故に偏った考察をしているよな~読みにくい文章だな~など色々と反省する点も多々あります。
にも関わらず、ご訪問して頂き、ありがとうございました。

さて、これから実家がある西へ向かいます。関西に帰って来るのは1月4日になります。そのためにしばらく更新できません。

と言うわけで

みなさま、よき新年をお迎えください。
また例年になく、寒い日々が続いております。ご自愛くださいませ。

そして1月3日は、いよいよ「新選組!!」です。
「新選組!」、及び「新選組!!」に関ったキャスト・スタッフ、そしてファンの皆様方と共に、「新選組!!」をしっかり見届けたい。今はそれだけです。

それでは西へ!!

                              See you soon.
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by eri-seiran | 2005-12-30 06:04 | 身辺雑記 | Comments(0)

託されて、そして託す

先日、「組!」ファンになった後輩から、「1月の初めに、京都の新選組ゆかりの地めぐりをするので、お薦めのゆかり地めぐりのタイムテーブルを作ってほしい」と託されました。
しかし私自身、年賀状さえ、年が明けてからにしようかと思うほどの状況であったため、タイムテーブルは勘弁してもらい、私が持っているガイドブックに色々と記入し、また幾つかの資料を添えて、先日の火曜日に渡した次第です。
ランチ、夕食のお薦め所も頼まれていないのに、紹介しておきました(笑)
このような時には、ゆかりの地や歴史を感じるところで食べたいと思うでしょう?
時間さえあれば、タイムテーブルを作りたかったな~
そんなわけで、少し余裕が出てきたので、タイムテーブルは無理でしたが、ここだけは行くようにと薦めたところに、私の解説を少々書いたものを作って、渡しました(笑)
本当は一緒に付いて行って、案内したいんですけれどね~休みが合わなくて、残念!

ここだけは行くように伝えた場所は下記の通りです(私の解説は省略)
・壬生寺・壬生塚
・京屋忠兵衛(ゆかりの所とは言えませんが、寄るべき所)
・新徳寺(外観のみ)
・八木邸
・前川邸(平日は外観のみ)
・光縁寺
・戒光寺
・本光寺

時間があれば角屋、金戒光明寺を推薦。1日であり、彼女の家から京都まで行く時間などを考えると、このあたりが限界かな~と思っています。
あ~私も行きたい!!

私自身、鳥羽・伏見の戦いのゆかりの地を訪れたいと思っているのですが、1月は難しい。何故ならば、1861年の1月に山南敬助も訪れた所に行こうと密かに計画しておりますので・・・
そんなわけで、光縁寺に行ったら、山南敬助に伝えてほしいと、私からの伝言を後輩に託しました。
『1月は会いに行けませんが、2月23日の命日前後には必ず会いに行きます。』

託されて、そして私も託すわけです(苦笑)
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by eri-seiran | 2005-12-29 13:22 |  ゆかりの地 | Comments(0)

光縁寺に埋葬された最初の隊士

12月28日は野口健司の命日です。文久三年(1863年)のことです。

「新選組!」では、芹沢派暗殺時、堺・山南敬助が野口を助けたことになっていますが、史実でも野口だけが現場に居なかったために助かっています。
何故、芹沢グループでありながら、暗殺時に野口は芹沢らと行動を共にしなかったかということについては色々な考察がされていますが、史実は分かりません。

光縁寺に新選組の隊士の中で初めて埋葬されたのが野口です。切腹して亡くなったということは分かっていますが、切腹の理由はわかっていません。
墓石はなく、光縁寺の往詣記に記録が残っています。しかし翌年の9月に壬生墓地に連名の墓が建立されて、そこには野口の名前が刻まれています。

この時、山南敬助はどうしたのだろう?
光縁寺と新選組との繋がりが伝われている通りであれば、初めて新選組の隊士を埋葬してもらうことになるわけですから、良誉上人に山南敬助がお願いしに行ったかもしれない。
この時期、山南敬助は元気だったのだろうか?

とにかく野口健司の死も山南敬助同様、謎!謎!謎!です。
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by eri-seiran | 2005-12-28 00:02 |  同志たち | Comments(0)

年賀状を作りながら、山南敬助への思いを馳せる

昨日までは、山南敬助のように、年賀状は年が明けてから出そうかと思うくらい、全く手付かず、今年中に出せるような状況ではありませんでした。
しかし私の場合、山南敬助のように仕事で忙しかったわけではなく、体調が悪かったわけでもなく、単に遊びすぎ、段取りが悪いという理由ですから(汗)

しかしなんとか今年中にできそうです。今、印刷しながら、記事を書いています。
はい、パソコン派です。
本当は山南敬助のように一枚一枚丁寧に自筆で書きたいのですが、書かなければならない枚数、自分の下手な字、パソコンより肩が凝ることを考えると、現代の利器に頼ってしまうわけです。

ところでパソコンに入っていた古いソフトが使えなくなり、新しいソフトを買いました。
なんって賢いんでしょう!
郵便番号を打っただけで、住所が自動的に出てくるではありませんか!
そんなの当たり前ですか?

もうひとつ驚いたのが、姓名辞書です。
珍しい姓や名がきちんと出てくる。
そこでです。普段は、「やまなみ」と打っても「山南」とは出てこない。
自分で登録しなければ・・・
そういうわけで、打ってみたくなりました。わ~「やまなみ」と打って「山南」が出てくるではないですか!
そして「さんなん」と打つと、「山南」しか出てきません。記録では、「三南」という漢字で残っているものもありますが・・・
まあ~史実の姓の読み方は、「さんなん」だったんだろうな~って思っているのですが、初めて出会った時から「やまなみ」できたので、私の中ではやはり「やまなみ」です。

次に「けいすけ」です。一杯出てくる!出てくる!
山南敬助が使った「けいすけ」の漢字は殆どあったと思います。
年賀状の見通しが持てたら、そんなことをして遊んでしまいました(苦笑)年賀状を来年にしようかと思うほど切羽詰っていたのに、ちょっと余裕ができるとすぐこれです。
そして住所なしの山南敬助と書かれた表書きの年賀状ができましたが、印刷するわけにはいかず、削除しました。

そこでです!山南敬助が小島鹿之助に出した年賀状は記録に残っていますが、反対に山南敬助は年賀状をもらったのだろうか?
京都にいる時には、小島鹿之助らから、近藤、土方、沖田らとの連名宛で貰っていたのかな~試衛館に居た時にはどうだったのかな~そんな人、いなかったのかな~と、どうでもいいようなことを考えながら、また思いを馳せるのです。
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by eri-seiran | 2005-12-27 15:25 |  山南敬助 | Comments(0)

熱い!熱い!トークショー 続編

昨日の記事を改めて読んで、トークショーの全体の流れと中味の少ないこと。トークショーが始まるまでと、自分の所見の長いこと。
あれから2日が経ち、少し落ち着いてきて、幾つか思い出してきたので追記します。

★耕史君が「新選組!」で土方のオファーを受けた時
三谷さんの家に呼ばれて、関ヶ原の戦いから教えられたとのこと。
(幕末ファンにとっては、幕末を語るには関ヶ原の戦いから語りたい)

★山本耕史君と片岡愛之助さんの関係
携帯でメールのやり取りをしているらしい。機種が違うので、絵文字が使えず、顔文字を使っているとのこと。また片岡さんは関西の方なので、正しい標準語を使っているか、自分でもわからず、耕史君に確認したところ、「大丈夫で
すよ」と言ってくれたとのこと。
あまり東京に詳しくない片岡さん、東京に出てくることがあったら、「連絡ください」と、耕史君が言ってくれたらしい。

★ハードな撮影
かなりハードで、明け方まで続くことがあったらしい。片岡さんは平行して舞台もしており、そのまま舞台入りということもあった。司会の方の「大丈夫でしたか?」との質問に、「気持ちが張っていたから、大丈夫でした」とのこと。

★台詞について
照英さんより、「新選組!」の時より、耕史君はどうやって台詞を覚えるのだろうと思うくらい、楽屋でも台本を読んだりせず、ギターを弾いたりなどしていた。片岡さんは車を運転しながら、或いはコーヒーショップなど(堺さんと同じね)で覚えるとのこと。
耕史君は、今回、長い台詞もあり、片岡さんが台詞を言って、続けて自分の台詞を言う時には緊張した。もし自分が間違えたら、再び取り直しになって片岡さんに迷惑を掛けるので・・・しかし殆ど上手くいったらしい。

★「新選組!」で、島田魁が初めて近藤・土方と会うシーン
身長が高くて、島田の頭が天井の梁にぶつかるシーン。自分は真面目に演じているのに、香取君と耕史君が笑ってしまい、何回も取り直しになった。

★吉弥さんがサプライズゲストとして登場したことについて耕史君より
耕史君、去年も源さんこと小林さんがサプライズゲストとしていらっしゃったので、今年もサプライズゲストがあるかな~と思った。あるなら、山崎かな~と思っていたとのこと。ステージの両脇下に、新選組の隊服を着て、トークショーの間、立っている人たちがいた(同好会の方々だったでしょうか?)。そこに同じように隊服を着て、山崎こと吉弥さんがいるのではないかとも考えていたとのこと。まさかカメラマンになって登場するとは思わなかった。

★カメラマンとして登場した吉弥さんより
スタッフの方にカメラマンとして登場してくださいと言われてカメラを渡されたが、フィルムが入っていなかったとのこと。吉弥さん、わざわざフィルムを入れて本当に耕史君と照英さんを撮ったとのこと。

★続編の話題について吉弥さんより
かなり以前から、役者さんたちの間でも続編の話題になっていた。もし続編が放映されることになったら、源さんがおにぎりを持ってきてくれて(涙)、「源さんだ」と思ったら、実際は源さんでなかったというシーンとか、役者さんたちの間で考えていたとのこと。それを聞いた三谷さんが、それなら小林さんは出演しなくてもいいんだねと言ったらしい。吉弥さんが話しているのを聞いて、耕史君、なるほど~と頷いていた。

★照英さんより
同じ監察方の山崎が亡くなって、自分が函館まで土方に付いて行くことになった。
1月3日の21時から、照英さん出演の「里見八犬伝」が民放で放映されるため、耕史君にそのことを突っ込まれていましたが、「新選組!!を観ます」と言い切りました。

他にも相馬役の小橋賢児君は、「新選組!」の撮影風景を横で観て、自分も出たいな~と思っていたとのこと、
大鳥圭介役の吹越満さんはシャイな方である(耕史君より)とか、
吉弥さんより、「新選組!!」を死んだ山崎として見る感覚であるというようなこと、
終わりの時間が近づいてきたということを司会の方が言われたら、会場より「え~」と、どよめきが・・・それを聞いて耕史君、「それではみんなで何処かに入って話しましょうか?」と言って、「とは言っても、これだけの人数が入れるお店がないからね」と(笑)

この辺りが限界でしょうか(苦笑)

昨年は堺・山南敬助からメッセージがあったとのことで、今回も誰からか、ないかな~撮影で京都にいるかもしれない堺さんからのメッセージはないかな~と期待していましたが、残念ながらありませんでした。
しかし本当に耕史君の暖かさ、『新選組!』、及び『新選組!!』に対する熱い思いが伝わってくるトークショーでした。

『新選組!!』がどのように描かれているかと楽しみに思う気持ちと、これで終わるんだ、できれば避けて通りたいという淋しい気持ちが入り混じっています。しかしこれまでも「避けては通れぬ道」がたくさんあって、それでもしっかり見届けてきました。かなりしんどかったけれど・・・
『新選組!!』も、耕史君、試衛館のメンバー、『新選組!』、及び『新選組!!』に関わった役者・スタッフの方々、そして皆様と一緒にしっかりと見届けたいと思っています。
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by eri-seiran | 2005-12-26 21:20 | エンターテインメント | Comments(0)

寒い京都より、熱い!熱い!トークショー

今朝、所々に雪が残る景色、そして透き通った青空、そんな風景を見ながら、穏やかで平和な朝を迎えられたことに幸せを感じ、感謝しながら、昨日の山本耕史君のトークショーでのメッセージを思い出していました。

そうです!昨日、トークショー、無事に参加できました。

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写真は12月6日に視察に行った時に撮ったものです。クリスマスツリーはそのままで、ステージのバックに『誠』の文字。

あらかじめ言っておきます。
あまりにも感動して、また記憶力に乏しく、さらにトークショーの後、夕方から本日のお昼過ぎまで仕事であり・・・定かでない部分、忘れた部分、多々あり(汗)
レポについては不十分な点が多々あると思います。ごめんなさい!
覚えている範囲で書きます。山本耕史君らの言葉をそのまま通りにお伝えすることは難しいので、かなり要約したり、言い回しの違いがあったりするとは思いますが、その辺りについてはご了承ください。

其の一 トークショーが始まるまでの状況
 京都駅で、友人のふみさんと8時に待ち合わせ。待っている間に会場に向かう人々の姿あり。
そして軽く朝食を済ませ、8時半頃に会場へ。すでに100人以上の人たちが会場の階段席に座っている。
ステージから向かって左側の前方の席を確保。
風がビュービュー吹くし、雪や霙が時々舞うし、とにかく寒い!寒い!それに14時から開始のトークショーまでまだ5時間以上もある。
しかし私たちの隣に座っていらっしゃった方々と、山本耕史、「新選組!」談などで時間はあっという間に過ぎていきました。
しかしここで私の悪い癖がまたもや出てしまいました(汗)
山南敬助の話になると、初対面の方を前にしても止まらない。私の山南敬助話しを聞いてくださった方々、本当にすみません、そしてありがとうございました。
雪の影響で交通手段を急遽、変更せざるおえなくなった友人のかろひさんたちも無事に到着。

会場が一杯になったら、入場規制がかかるとのこと。早くても12時半にならないと来られない後輩のことが心配。しかし13時前に到着して、無事に入場。これで私も一安心。12時頃より、「新選組!」のテーマソングが流れ、私たちの気持は高まっていく。また13時頃より、ステージでは歌やコントなどのパフォーマンスもあり。

そしてこの頃より、青空が見えてくる。
期待通りです。山本耕史君のパワーはすごい!天気予報で、「曇り後、時々晴れ」ではありましたが、それも前日から京都入りしていた山本耕史君のパワーのお陰です。

会場は一番上まで一杯になるほど、大入り満員でした。
いよいよトークショー開始まで秒読みに・・・

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by eri-seiran | 2005-12-25 18:30 | エンターテインメント | Comments(4)

トークショーがある京へ出陣!!

『新選組!! 土方歳三 最後の一日』
京都駅ビル室町小路広場イベントトークショーへ参加してきます。

どのようなことになるのか、全く分かりませんが、とにかく京へ出陣です!
やはり、今日も寒そうです。防寒対策は怠りなし。

山南敬助、藤堂平助らが眠る京都、様々なことがあった京都、色々な思いがある京都、その京都に再び帰って来た山本耕史・土方歳三。
そして全てを背負って北上して行こうとしている山本耕史・土方歳三に会って来ます。

トークショーが終わり次第、職場に向かわなければなりませんので、ドラマのネタバレにならない程度のレポについては、後日に書きます。

いざ、出陣!!
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by eri-seiran | 2005-12-24 07:08 | エンターテインメント | Comments(0)

『出雲の阿国』の堺雅人・三九郎

世間は3連休であること、昨日、気付きました。
私は仕事でした。
明日のトークショーのために、仕事をなんとか片付け、後輩と明日の動きについての最終確認を済ませ、堺雅人・山本耕史談をしてから、家に帰って参りました。
明日、万全な体調で参上できるように、明日の準備ができたらゆっくりしようと思っていたところ、神変紅丼の記事を読んで、『時代劇マガジンvol.13』をすぐにでも手に入れたいという衝動にかられました。もうどこからとなく、エネルギーが沸いてきましたよ(笑)
とにかく近所の書店に走りました。もしその書店に置いてなかった場合のことも考えて、その時は車を走らせて、他の書店に行こうと思い、車のキーも持参。
「置いてありますように、置いてありますように・・・」と、心の中で呟きながら書店に入る私。そして探したところ見当たらず、諦めかけた時に、見つけました!ありました!
そして手に取り、すぐに堺さんのインタビューのページをめくる私。
なんって素敵なんでしょう!可愛いんでしょう!

『出雲の阿国』の堺雅人・三九郎

レッドさんの記事を読んで、派手な衣装ということは承知していましたが、ここまで派手とは・・・でも似合っているし~この髪型もとても良いし~『壬生義士伝』の沖田の髪型の堺さんも好きです。この方はポニーテールが似合うのかな~と、色々と思いながら、家に帰ってゆっくりと、じっくりとインタビューの内容を読みました。
そして堺雅人さんが演じる新たなキャラクターに出会えること、もちろんドラマ自体も益々楽しみになってきました。

最近、私自身、山本耕史君に関することはたくさんあっても、堺雅人さんに餓えていていたところがあり、久々に堺雅人さんで盛り上がっております(笑)

この『時代劇マガジンvol.13』には、「河合継之助―駆け抜けた蒼龍ー」や「天下騒乱 徳川三代の陰謀」など、興味ある時代劇も載っておりました。
「実録・新選組」については、平均年齢が高い!というのが率直な感想です。キャスティングを見ていると、私のイメージが沸かないところもあるので、どのように演じられるのか、どのような新選組になるのか、楽しみです。

もちろん『新選組!!』についても載っていますよ。しかしここはスルーしました。
そして堺さんも、インタビューの後半で『新選組!!』について触れており、それがまた嬉しく・・・

とにかく二重の喜びで、明日のトークショーへのモチベーションがさらに高まり、すでに私の心は京へ。

その堺さん、山南敬助のお墓参り、実現できたのでしょうか?
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by eri-seiran | 2005-12-23 22:29 | エンターテインメント | Comments(2)

大雪、そして考えたことは・・・

12月9日の「スタジオパークからこんにちは」にゲスト出演した堺雅人さん。
その堺さんが話されていた幼稚園での演劇での役、カベムシ、それについて調べたところ、カベムシではなく、カメムシのことだったとのこと。
私の住む地域では、秋から初冬にかけてカメムシが大量に発生したその冬は、雪が多いと言われています。今年は本当にカメムシが大量に発生。私の職場は豊かな自然に囲まれており、カメムシがあちらこちらに出現していました。

そしてまさしくその通り、今日はこの冬2回目の大雪でした。

今朝、6時に起床。
窓から外を見たところ、雪が積もっている気配はなし。
友人らにメールを送ったりして、優雅なひと時を過ごしていました。
7時前、再度、外を見たら雪が少し積もっている。これくらいだったら、大丈夫だろうと考えていました。
私は車で通勤しております。タイヤもスタットレスに交換済み。職場は家より17キロ位離れた所にあり、職場の方が住んでいる所より積雪が多くなります。温度も1度から2度位は下がります。しかし住んでいる所の雪の量を見たところ、問題なく職場に行けるだろうと甘く考えていました。そして朝食を取りながら優雅にニュースを見ていると、「関西地方は通勤ラッシュに吹雪になるでしょう」と、言っているではありませんか!
慌てて朝食を済ませ、職場に向けて出陣!

最初は雪景色を見ながら、『新選組!』の第4回「天地ひっくり返る」の桜田門外の変のことを思い出していました。桜田門外の変によって、香取・近藤、堺・山南敬助にとって、何かが動き出したんだよな~とか、あのシーンの佐藤・芹沢鴨は良かったな~とか・・・しかしそんなことを考えている状況では次第になくなってきました。
吹雪です!本当に吹雪になってきたのです!
渋滞するし、吹雪で見えにくいし、動けなくなっている車はあるし・・・もうとにかく大変でした。
いつものこの時間帯なら、40分位で職場に行けるのですが、約1時間20分、倍近く掛かってたどり着きました。たどり着いたら、雪のために停電で、暖房機が使えず、寒いし・・・
そして午前中は雪掻き。しかし雪掻きをしてもまた降って積もるし、諦めました(苦笑)

そこでです!
新選組のメンバーも雪の京都を何回も経験したはず。昔のことですから、雪の量も多かったでしょう。雪掻きをしたのかな~なんってどうでも良いようなことを考えてしまいました。
山南敬助は病に臥せていた時期などを考えると、してないかな~
しかし京都の雪景色は見たよな~、或いは大津の雪景色?
とにかく関西の雪景色を見ながら、故郷である仙台のこと(確かではありませんが・・・)を思い出したりしたのかな~

山南敬助の話しはさておき、とにかく、この大雪が24日でなくて良かった!!
しかし雪の峠は越しましたが、24日も寒いのには変わりありません。
みなさん、防寒対策だけは怠ることがないようにしましょう!
しかし9月の会津若松での藩公行列の時、曇り後時々雨という予報を晴天に変えた山本耕史君。
24日も何が起こるか、わからない(笑)
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by eri-seiran | 2005-12-22 22:19 | 身辺雑記 | Comments(0)

山南敬助の遅すぎる年賀状

元治元年(1864年)、山南敬助は小島鹿之助に年賀状を送っています。現物はありませんが、小島鹿之助によって書き留められた形で残っています。
これは、現在唯一伝えられている山南敬助の書簡です。

この年賀状を最期に、突然、山南敬助は新選組の表舞台から姿を消します。つまり山南敬助の新選組においての活動を伝える当時の記録が残っていないのです。
その年の2月に、日野の名主の富沢が壬生を訪れましたが、「病に臥していた山南には会えなかった」とか、また明治に書かれた永倉の『浪士文久報国記事』に、「禁門の変で山南敬助は病気のために引き込んでいて出陣できなかった」といった記録はあります。
そしてその後、表舞台に出てきたことがわかる記録としては、元治2年(1865年)2月の脱走・切腹です。
これも当時の記録としては、光縁寺の『往詣記』のみであり、山南敬助が何故亡くなったのかはわかりませんが、埋葬されたという事実だけを伝えています。

さて話しを年賀状に戻しましょう。
年賀状の内容は特別なことは書かれておらず、新年の形式的な挨拶、小島鹿之助やその家族への気遣い、自分も無事に年を越せたので安心してくださいというようなものです。
謹厳実直な文体で綴られていると、新選組日誌(上)の解説には、書かれてあります。
特にこの年賀状の内容から、山南敬助の状況がわかることはありません。
気になるのは、年賀状を出すのが遅すぎる!ということなのです。
その1年後の元治2年に沖田や土方が小島鹿之助、佐藤家、そして土方の兄などに送った年賀状があります。その日付は1月2日、或いは3日となっているのです。律儀な山南敬助が1月27日付けで年賀状を書いているのは、やはり遅すぎるということなのです。

そこで山南敬助に何があったのではないか?という考え方が出てくるわけです。
ひとつは、将軍が上洛したために、その警護で忙しく、年賀状を書く時間がなかった。もうひとつは、岩城桝屋事件により負傷して年賀状を書けるような状態ではなかったということです。
この話しになってくると、岩城桝屋事件がいつ起きたかという話しをしなければならないのですが、これも色々な説があり、正直言ってあまり触れたくない(汗)
正月休み、岩城桝屋事件についてはもう少し勉強した後、詳しく書きます。

ただ私的には、年賀状を書いた約1週間後の2月2日に日野の名主の富沢が壬生に来て、「山南は病に臥していて会えなかった」と、書いていることを考えると、やはり岩城桝屋事件によって、年賀状を書けるような状態でなかったのでは?と考えています。
「無事に年を越せたので安心してください」と、山南敬助は年賀状に書いていますが、それは小島鹿之助に心配させたくないという気遣いがあったのではないでしょうか?

もし私が考えているような状況で、この年賀状を書いたとしたら、どんな思いで書いたんだろう。年賀状を書くことは、体力的にも精神的にも辛かったのではないだろうか。
元治二年に、土方が佐藤家に出した年賀状は沖田の代筆だったという見方があります。
もしかしたら、山南敬助の年賀状も、山南が述べたものを誰かが代筆した可能性も無きにしも非ず。
現物が残っていたら、現在残っている山南敬助の唯一の真筆と筆跡を比べてわかるのにな~
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by eri-seiran | 2005-12-21 22:42 |  出来事 | Comments(0)

山南敬助をメインにしたブログです。ホームページ『山南敬助 赤心記』共々よろしくお願い申し上げます。


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