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春の嵐~天気も身辺も~

先日より、雹が降ったり、雪が舞ったり、そしてなんと今朝は雪が積もっています。この時期に雪ですよ。先週の初めに車のタイヤをスタットレスからノーマルに換えたところです。今日はお昼前からの勤務で良かった(汗)その頃には、雪も融けているでしょう。
私以上に、桜の蕾も驚いているだろうな~

そして身辺においても色々なことが起きています。
敢えて職場を新選組に例えたなら(仕事内容は全く違いますよ)、先週、会津藩より明日からの新年度の人事の内示があり、そして今週に入ってそれを受けて、新選組内部の新年度からの新しい編成表の発表があり、正しく春の嵐ですよ。春の嵐!

『組!』ファンの後輩の一人が異動になり、思わず、藤堂平助を送り出す新八や左之助たちの気持ですよ。もちろん、後輩は平助のように誰かの考えに同意して付いて行くわけではなく、会津藩からの命令ですから。御陵衛士と違っていつでも会える関係・距離にいるので、これからも私の山南話しを聞いてくれというわけです。今から、飲み会の計画をしている私たちです(汗)

さて、史実の藤堂平助や斎藤一(間者として)らが伊東甲子太郎に付いて、新選組を出て行ったのは、山南敬助の死の約2年後である慶応3年(1867年)3月20日です。新暦では、4月24日になります。桜の種類によっては、この時期に満開のものもあり、桜が散る中、また満開の中、平助たちは新選組に別れを告げたんだな~

話しが少しずれましたが、今日は後輩と最後の仕事をしてきます。平助は新八や左之助たちと再び共に仕事をすることはありませんでしたが、後輩と私はまた一緒に仕事をしたいと思っています(自分たちがそう思っていても、人事ばかりはどうすることも出来ませんけれど)
とにかく、「また帰っておいでよ。待っているからね。」と言って見送ってきます。
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by eri-seiran | 2006-03-31 08:30 | 身辺雑記 | Comments(0)

ドラマ・オブ・ザ・イヤー2004から改めて思うこと

年度末で、バタバタしております。
『TVnavi5月号』を買って、だいぶ日が経ちましたが、強力連載の堺雅人さんのエッセーと山本耕史君の対談しか読んでおりませんでした。

今日の夕食の後、何気なく捲っていたら、ドラマ・オブ・ザ・イヤー2005という文字と、それぞれの賞を取った役者の名前と写真が目に入ってきました。一瞬、これは何?と思ったのですが、すぐに去年のこの賞のことを思い出しました。

ドラマ・オブ・ザ・イヤー2004
作品賞では『新選組!』、主演男優賞では香取君が惜しくも2位でした。しかし助演男優賞では、1位が土方歳三を演じた山本耕史君、3位に山南敬助を演じた堺雅人さん、9位に沖田総司を演じた藤原竜也君、10位以内には入れなかったが、その後には斎藤一を演じたオダギリジョーさんが続いたらしい。
また助演女優賞では、10位に49話のうち3話の出演であった明里を演じた鈴木砂羽さんが入りました。

今更ながら、すごいよな~と改めて思う次第です。『新選組!』が本誌での連載をしていた影響も大きかったのは確かでしょう。しかし何故その影響が大きかったかと言うと、私のように、『新選組!』の連載があったからこそ、このテレビ雑誌を買うようになった人も少なくないはずです。

香取=近藤をもり立てる群像劇としての「新選組!」は、やはり助演男優の宝庫だった。

と、記事に書かれておりました。正しくその通りですよ。

役者さんたちが香取君、また試衛館派の隊士たちが近藤勇をもり立てる姿を重なり合わせて観ていました。
そしてこのようなことを書きながら思うのです。史実の新選組も土方を初め、試衛館派のメンバー達が近藤勇をもり立てていたのだろうな~と。
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by eri-seiran | 2006-03-30 22:03 | エンターテインメント | Comments(0)

やまなみけいすけ or さんなんけいすけ

以前、『新選組!』ファンの後輩と私の間であったやりとり
私「山南忌(さんなんき)がさ~」
後輩「えっ!なんですか?」
私「山南忌(さんなんき)よ。山南忌(さんなんき)!」
後輩「???」
ここで、後輩が山南と書いて、「さんなん」と読む説を知らないことに気付き、説明したところ、後輩は驚き
後輩「さんなんけいすけですか?」

それを聞いて、私もやまなみけいすけの方がしっくりくるな~と思いました。最初にやまなみでインプットされ、20年以上、ずっと自分の中ではやまなみの読み方できましたから。

しかし、多摩の人たち、西村兼文や島田魁たちの残した記録を考えると、「さんなん」と読む説が有力だろうな~と思っています。
『新選組顛末記』には、「やまなみ」とフリガナがされています。『浪士文久報国記事』には、フリガナは書かれていません。子母澤寛氏は、『新選組遺聞』で「さんなん」という読み方を否定されています。
伊東派の生き証人の篠原が、正式の場合は「やまなみ」と言っていたということを語っています。そして隊士達は「やまなみ先生」と呼び、同輩は「さんなん」と言っていたとのこと。しかし島田魁の立場の人が、愛称「さんなん」という読み方で記録を残すだろうか?という疑問があり、正式名が「さんなん」であったから、「三男」という漢字で残しているのだろうという見解をされている方もおり、「さんなん」説を取上げる方も多い。

小説等でも、作家の方によっては山南の読み方に拘る方々もいらっしゃるようで、やまなみ、或いはさんなんと、フリガナをつけているものが多いです。ある小説では、やまみなみという読み方をしているものもありました。

とにかく 山南敬助はやまなみけいすけ、あるいはさんなんけいすけだったのか?真相は謎ということです。

私の中では、「やまなみけいすけ」と呼んでいますけれどね~しかし「さんなんけいすけ」でも想いは変わりませんよ(笑)
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by eri-seiran | 2006-03-29 22:03 |  山南敬助 | Comments(0)

土方の俳句 水の北山の南や春の月

昨日の記事で書いた『月明星稀 さよなら新選組』の単行本には、毎回、裏表紙のカバーに土方の俳句が書かれています。
最後となる第10巻の俳句はこれでした。

水の北山の南や春の月

この俳句は、土方が上洛する時に日野に残してきた『豊玉発句集』の中にあります。
この俳句は、山南敬助のことを兄のように慕っていた土方が山南のことを思って詠ったものとか、山南は春の月のような男だったという、土方から山南へのメッセージだったのでは?となど、解釈されている研究家の方もいらっしゃいます。もちろんそうではないという見方もあります。

すみません!私自身、これについてはよくわかりません。自分の意見を述べられません。勉強させて頂いた上で、また述べる機会がありましたら、述べたいと思います。
ただ私の意見を述べても、真相は土方に聞かなければ、わからないということですよ。

山南の知名度が上がると共に、この俳句の知名度も上がってきたように思います。大河ドラマ『新選組!』の第30回『永倉新八、反乱』では、山本耕史@土方歳三に言われて、俳句などが書いてある冊子を捲る藤原竜也@沖田総司、DVDの超スローで観なければわからないのですが、水の北山の南や春の月が書かれているのです。
このように三谷さんがこの俳句をさりげなく使ったり、『月明星稀 さよなら新選組』の最後の巻に、この俳句が取上げられたことは本当に嬉しく思いました。
盛田賢司氏も、最後の巻にこの俳句を取上げたのにはそれなりの思いがあるのだろうな~と考えるわけです。
大河ドラマ『新選組!』でも山南敬助を丁寧に描いてくれた三谷さん、さりげなく使ってくれたわけを聞きたい。そしてこの『月明星稀 さよなら新選組』でも、山南敬助のことを丁寧に男前(笑)に描いてくれて、非常に嬉しかったです。そして土方と山南の関係が好きです。だからこそ、盛田賢司氏の山南と土方との関係、この俳句についての見解を聞きたいものです。
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by eri-seiran | 2006-03-28 23:10 |  同志たち | Comments(0)

月明星稀 さよなら新選組 10 ~完~

久しぶりに本屋さんに足を運びました。そしてもしかしたらと思い、コミック売り場をチェックしたところ、『月明星稀 さよなら新選組 10』が発売されていました。

これは以前の記事で書いたように、『週間ヤングーサンデー』に連載されていましたが、打ち切りが決定しました。そして単行本としては、これが最後の巻です。
山南敬助のためにと思い、伊東甲子太郎を誘う平助の思いは通じるのか?
と言う訳で、いよいよ伊東甲子太郎が登場です。山南があんなにかっこ良かったら、伊東はどんな感じで登場するのだろうと思っていたら、女性以上に美しい容姿で登場です。
しかしこれで終わりなのです。ここで終わりなのですよ。
自分の真の目的以外は剣を抜かないと決め、また新選組、土方のことを思い、そして悩む山南はどうなるのか?山南の剣になると決め、山南のために必死になっている平助はどうなるのか?そして土方は?
さっそく、読みましたが、感想は書けません。こんなところで終わるなんって、とにかく今日は書けません。

「つぶやき of 盛田賢司」にて書かれている、著者の盛田賢司氏のメッセージを抜粋します。

今までおつきあいくださいまして、どうもありがとうございました。もし、この続きを描く機会があるなら、描きたいと思ったところを補完しながら進めたいです。また、どこかでお目にかかることができれば幸いです。

ぜひ、そういう機会を持ってほしいと切に願っています。
『月明星稀 さよなら新選組』の山南敬助、土方歳三たちに、またいつか会いたい。
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by eri-seiran | 2006-03-27 22:04 |  コミック/アニメ/ゲーム | Comments(0)

会津藩の御預かりとなった山南敬助らの経過と状況~文久3年3月下旬~

文久3年(1863年)の3月下旬の山南敬助らに関する主な出来事と状況などについて、「新選組日誌 コンパクト版 上」(新人物往来社)を参考にしながら、整理したいと思います。

3月22日 老中板倉勝静に連名で建白書を提出。

18人連名、または24人連名と言われていますが、18人だった説が有力のようです。試衛館派の9名+芹沢派の5名(会津系)、他には根岸、佐伯らの4名。

3月25日 会津藩士の本多四郎が壬生を訪れて、山南たち壬生浪士と一緒に壬生狂言を見物。

一緒に見物したのは、会津系(試衛館派+芹沢派)と、粕谷、佐伯、阿比留(病気で、近々両親のいる江戸に帰ることになっているとのこと)という記録が残っています。この17名は、3月10日に会津藩に嘆願書を提出したメンバーと同じであり、このような状況から会津系と殿内などの鵜殿系との対立が伺われるとのことです。

そして同日の夜、四条橋で殿内義雄が殺害される。

つまりこの3月25日の出来事は、大河ドラマ第17回の『はじまりの死』の分です。
目的がはっきりしないものの、殿内は何処かに旅立とうとしていたらしい。会津系(試衛館派+芹沢派)とは、一緒にやっていけないと思って去ろうとしたのか?自分たちの仲間を集めるために出掛けようとしたのか、わからないらしい。
しかしこの殿内の死を始まりとして、家里も殺害され、根岸らも去り、また粕谷も去り、まさしく試衛館派と芹沢派の浪士組になっていったというわけです。

3月26日 近藤、『志大略相認書』という書簡を近藤周斎・佐藤彦五郎・小島鹿之助ら15人連名宛てに記し、剣術道具の送達を依頼する。

『志大略相認書』は、3月に起きた出来事や自分らのことを近藤が書いた書簡です。そしてこの剣術道具の依頼は、誰の剣術道具を依頼したかということがここのポイントです。
近藤勇・土方歳三・井上源三郎・山南敬介(残っている記録ではこの漢字を使用)・沖田総司・永倉新八の6名分です。
近藤・沖田・山南は当然ということになります。だからこそ、『新選組日誌』の解説でもこの3人には触れていません。山南の剣術道具が試衛館に置いてあるというのは、当然のことというわけですよ。そこで疑問が湧いてくるのが、永倉の名前があり、左之助と平助の名前がないということですよ。つまり、永倉の剣術道具が置かれていることから、永倉は左之助や平助より、試衛館と密接な関係にあったのではないかとのことです。と言うことは、山南はこれらのメンバーより試衛館とさらに密接な関係にあったということです。そんなこと、わかっていますけれどね~
また土方と井上ですが、この二人の分は日野の実家、または日野の道場より送らせたのではないかと、解説されています。
つまり結果を申しますと、試衛館に剣術道具を置いてあったのは、近藤・沖田・永倉、そして山南の4人だろうということですよ。

そして何故、剣術道具が必要になったかという点については、道場の建築が決まったためとのことです。これについては、後日の近藤の書簡に書かれており、また『新選組遺聞』でも八木為三郎の談話として、書かれています。

最後に剣術道具の送達の依頼から判ることがあります。
山南の剣術道具の送達を依頼しているということは、山南が剣術の練習ができるということ、つまり山南が元気だったというわけです。この時期、元気だったことはわかっていることですが、きちんと証明できるものとして利用させて頂きました。
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by eri-seiran | 2006-03-26 21:15 |  出来事 | Comments(0)

もうすぐ梅から桜へ

春風に吹きさそわれて山桜ちりてそ人におしまるゝかな

吹風にしほまんよりも山桜ちりてあとなき花そいさまし


伊東甲子太郎が山南敬助の死を桜花の散華と重ねて詠んだと云われている弔歌。
伊東は山南の死の約一ヵ月後に、土方と斎藤と共に江戸に下っています。
京を出立したはっきりした日は分かっていないようですが、沖田が佐藤彦五郎宛に書簡を書いた日付の3月21日(新暦では4月16日)直後であっただろうと言われています。江戸に着いたのが、4月5日(新暦では4月29日)ということが分かっているので、江戸まで掛かる日数を考えると、そうなるのでしょう。
そうなると、この弔歌はそれまでに詠まれたのだろうか?

とにかく、そんな桜の咲く季節になってきました。
と言うわけで、スキンを春らしいものにしてみました。このブログを初めて5ヶ月が過ぎましたが、初めてスキンを変更したので、なんか変な感じです。見慣れるまで、私自身、時間が掛かりそうです(苦笑)

a0044916_21345934.jpg桜の開花が各地から聞こえてきますが、関西の私が住むこの地では、まだ梅の花がこのように頑張っております。
ただ今、梅が満開中です。しかし桜も咲こうと頑張っており、もうすぐ梅から桜へとバトンタッチの時季になることでしょう。
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by eri-seiran | 2006-03-25 21:54 | 身辺雑記 | Comments(2)

山南敬助を想う時のBGM

春分の日、友人宅で、二人でおしゃべりしながら、食べながら、飲みながら、テレビを観ていました。
WBCのキューバ対日本の決勝戦、その後、オダギリジョー主演の『時効警察』の確か第4回だったかな?何故、今頃になってこれを観ているかと申しますと、『時効警察』はいつも予約録画して観ていたのですが、この回の分を予約録画できずに観ていなかったのです。友人が録画してくれており、観たというわけです。まだ最終回も観ておりません(汗)これは自分で予約録画できたので、近いうちに観たいと思っています。
その後は、特に観るものはなく、おしゃべりの方に夢中になり、テレビはつけたままという状態でした。
そしたらなんと、17時になって『NAGANO MEMORIAL ON ICE』が始まりました。フィギュアスケートには何組かのお気に入りの方たちがいるのですが、その中で一番好きなフランスのマリナ・アニシナとグエンダル・ペーゼラ(アイスダンスのペア)が出ているではありませんか!二人のオフィシャルのサイトはこちらより(英語版です)
4年前のソルトレイーク・オリンピックで、金メダルを取った後はプロになったと聞いていました。しかしその後、なかなか観る機会に出会わず、久しぶりに二人の演技が見られると思ったら、なんとスルーされてしまいましたよ。残念!
ちなみに同じフランスのフィリップ・キャンデロロ(長野オリンピックで男子シングルで銅メダル)も好きです。彼もプロになりました。

さてこの二人、長野オリンピックでは銅メダルでした。その時のフリーだったか、エキジビションだったか、忘れましたが、素敵な演技で、その時に使われた音楽が『TIME TO SAY GOODBYE』でした。それからこの曲が気に入り、この曲を歌っているサラ・ブライトマンの歌が好きになり、CDも買ったというわけです。その中でも特にアルバムの『エデン』はお気に入りで、車を運転しながらよく聞いています。

前置きの長いこと。すみません!やっと山南敬助と繋がってきますからね(汗)
先日の記事で、『栄光の架橋』を聴くと、『新選組!』、それもあの2004年の8月のことを思い出すと書きました。サウンドトラック『新選組!』を聴けば、もちろん『新選組!』の堺雅人@山南敬助や山本耕史@土方歳三たちを思い出します。『誠の志』を聴くと、もう胸が熱くなりますよ。
そして『エデン』を聴くと、私は史実の山南敬助のことを想うのです。いつのまにか『エデン』が私の山南敬助のBGMになってしまったのです。洋楽なんですけれど、なんか合うんですよ~私が想う時、考える時。山南敬助の外見などは想像していません(苦笑)

『エデン』の中でもお気に入りは、『ANY TIME ANYWHERE』『TIME TO SAY GOODBYE』でしょうか。
このように、ブログの記事を書く時なども、時には聴きながらの時もあるんですよ。
また今日は所用で、旧東海道を運転しながら、聴いていました。天気も良く、とても幸せな気分になれたというわけです(笑)
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by eri-seiran | 2006-03-24 20:21 | エンターテインメント | Comments(0)

堺雅人@山南敬助と山本耕史@土方歳三が私に与えた影響

職場の休憩時間に、一緒に働いている方から、「今度、NHKのドラマに山本耕史君が出るね?山本耕史君と言うと、あなたのことを思い出すのよ」と、言われました。これは勘違いされていると思い、
「一番好きなのは堺雅人さんなんですよ。その次が山本耕史君なんですよ」と、ちょっと誤解を解いておこうと思いまして、言いましたが、次に余計なことを言ってしまったので、説得力がなかった。何を言ったかと申しますと、
「カミング・アウトします。山本耕史君のファンクラブに入りました!これまでの人生において初めてです。ファンクラブに入るなんって。」
そしてしばらく、その話しで盛り上がっておりました。
堺雅人さんのファンクラブはないのかという話しになりましたが、あったらもちろん入っていますよ。しかし今のところありませんので。

と言う訳で、ここでもカミング・アウトしておきます。耕史君ファンの諸先輩方々のアドバイスも頂き、1月にファンクラブに入会しました。そして『新選組!!』のDVDもこちらの方で申し込みました。

しかし先日、TVnavi3月号の堺雅人さんのエッセイを読み、また写真を見ながら、やっぱり、この方が一番好きだわ~と改めて確信しましたよ(笑)あ~この方の舞台が観たい!!ただ今、憂えております。

さて、このような私ですが、『新選組!』のキャストの発表があった時に、このお二人の顔と名前が一致しなかったというか、堺さんって全く知りませんでした(汗)ごめんなさい。
それが今では東京にまで堺さんの舞台を観に行くほど、そして耕史君のファンクラブに入るほど、それもファンクラブに入るなんって自分の人生において初めてですよ!初めて!!

この二人が、山南敬助と土方歳三を演じていなかったら、いつかこの二人の作品に出会い、好きな役者さんにはなっていたかもしれませんが、このような今の状態までにはならなかっただろうと思います。やはり私にとって、堺雅人@山南敬助と山本耕史@土方歳三が与えた影響は大きかったということですよ。

2004年、『新選組!』関連で後悔したことがいくつかありますが、一番後悔していることは、堺雅人さんと山本耕史君の二本松でのトークショーに参上しなかったことです。
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by eri-seiran | 2006-03-23 21:49 | エンターテインメント | Comments(0)

光縁寺訪問~またもや山南敬助に呼ばれた~

昨日の記事で、山南敬助の命日は、太陽暦(新暦)では3月20日であることを書きました。と言うことは、元治2年(1865年)2月23日の翌日に葬儀が行なわれたと言われているので、太陽暦では、本日3月21日が葬式の行なわれた日ということになります。
今日は、以前から新選組の第二屯所、第三屯所界隈に住む友人の家へ遊びに行くことになっており、その前に光縁寺に寄ろうと考えていたのですが、偶然にも太陽暦では葬式が行なわれたと言われている日ということになりました。
この時点で、山南敬助が私を呼んでいる?なんってまた勝手なことを考えていました。

京都駅はすごい観光客でした。そんなすごい人込みの中、壬生界隈方面行きのバスを待っていた所、ある方から声を掛けられました。なんと、2月1日、前川邸訪問した時にお世話になった方でした。前川邸訪問についての詳しいことは、以前の記事 多摩より帰参、そして明日は壬生へ参上、また新選組屯所であった旧前川邸へ~前章~、そして新選組屯所 旧前川邸~土蔵と山南敬助が切腹した部屋~の方をご覧ください。

この方、関西在住ではないんですよ。
なんという再会でしょう。本当にびっくりしました。向こうもびっくりされたと思います。バスを待ちながら、またバスの中で、新選組のこと、山南敬助などについて語り合いました。
その方から、「昨日は山南さんの命日でしたね」と仰って頂き、本当に嬉しかったです。
バスを降りて別れてから、思いましたよ。
やっぱり山南敬助に呼ばれて、私は光縁寺に行くことになっていたんだって。そしてこんな再会の場を私に与えてくれたんだと~前川邸訪問の時といい、約1年前に光縁寺を訪問した時の出来事といい、その度にそういうきっかけを作ってくれた友人らに感謝すると共に、山南さんが呼んでくれたんだ~と思うのです。今回も友人が「遊びに来ない?」と誘ってくれなかったら、光縁寺には行かなかったかもしれません。

a0044916_1920178.jpgさて光縁寺ですが、今日は春分の日ということで一般の方のお墓参り、そして新選組ゆかりの地巡りをしていると思われる方々など、いつもより賑やかでした。
前川邸に行って来たこと、仕事が成功するように見守って下さいとお願いした仕事が上手くいったことなど、話してきたというわけですよ。
そして、こんな時季に亡くなったんだな~と、山南敬助が亡くなった頃の京の気候を感じることができました。
今日の京は、曇り空で寒い一日でした。桜の花が咲くには早いですが、このような花が咲く時季に山南敬助は亡くなったのです。光縁寺の敷地内に咲いていたものです。
a0044916_19211293.jpg名残惜しかったのですが、友人宅に行く時間も迫っていたので、いつもより賑やかな光縁寺をあとにしました。
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by eri-seiran | 2006-03-21 22:35 |  ゆかりの地 | Comments(2)

山南敬助をメインにしたブログです。ホームページ『山南敬助 赤心記』共々よろしくお願い申し上げます。


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