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総司忌

今日は、旧暦での沖田総司の命日です。慶応4年(1868年)5月30日のことでした。

亡くなった場所は、浅草今戸の松本良順宅か、千駄ヶ谷池尻橋の植木屋平五郎宅という説があるようですが、幾つかの書籍を読んでいると、植木屋平五郎宅説の方が有力みたいです。

享年も2つの説があり、27歳と25歳。これは生まれた年が、天保13年(1842年)と天保15年(1844年)の2つの説があるためであり、私的には天保13年生まれ説を取っているので、亡くなったのは27歳だと思っております。

そして死因は肺結核でありますが、この発病も池田屋事変の頃、つまり元治元年(1864年)説と、慶応3年(1867年)説がありますが、私的には池田屋事変で昏睡したのは、肺結核ではなかっただろう。慶応3年頃に発病したのでは?と、推測しています。何故ならば肺結核であった人が、その後も何年も他の方らと同じように生活し、働いていたとは思えない。しかし正直言ってよくわからない(汗)永倉新八が明治に書いた『浪士文久報告記事』では、池田屋事変の時、沖田が志士を切り倒したことと共に、持病のために屯所に戻ったと書いてあります。その後の大正に入ってから語り、本になった『新撰組顛末記』では、沖田が大奮闘の最中に持病の肺患が再発して倒れたと書かれています。でも池田屋事変から約一ヶ月半後の禁門の変において、『浪士文久報国記事』では病気のために沖田は不参加(同じく山南も)、一方『新撰組顛末記』では、沖田は参加したと書いてあります。あ~やっぱりわかりません。
小説などでは池田屋事変での発病説を取っているのが殆どだと思われます。まあ~その方が沖田という人物を描くには欠かせない出来事だからでしょう。そしてもう一つは、死を覚悟して脱走した山南を死が近づいている沖田が追うということも絵になりやすいわけです。すべてがこのパターンで描かれると、山南ファンの私としてはちょっとね~という感じです。描き方によって、OKと、ちょっとね~というのが正直言ってあります。
大河ドラマ『新撰組!』は、沖田の肺結核と山南の脱走・切腹を絡ませずに、死を選んだ山南の思い、それに対する総司や土方らの思いがきちんと描かれていて良かった。
それから映画の『壬生義士伝』での沖田総司@堺雅人の発病は、慶応3年説を取ったのかな~という感じがしましたが、すき焼きを食べるシーンでひたすら肉を食べているところを見ると、自分では気付いており、栄養をつけようと思い、ひたすら食べていたのだろうか?
いや~あれは谷三十郎が暗殺されたのを土方が近藤に報告しているシーンでしたよね。そうそう、斎藤一@佐藤浩市に谷が暗殺されたわけですが、原作や未公開シーンから見て、沖田総司@堺雅人は斎藤一@佐藤浩市が暗殺したのを知っていたというより総司も多少なりとも絡んでいたため、自分は知らぬ振りをして黙々と食べていたんだろうな~と、考察しております。

長々と沖田の死と沖田に関する現代の作品などについて書きましたが、この方も本当に謎だな~と、改めて思っている次第です。

ところで、沖田は療養中、どんなことを考え、思っていたのだろう?と、今日、そんなことをちょっと考えていました。
土方に付いて自分も行きたかっただろう。
剣で戦い続けたかっただろう。
悔しかっただろう。
そして山南と多摩に出稽古に行ったことや、また山南の死のことなど、山南敬助のことを少しでも思い出したりしたのだろうか?

その沖田と山南の有名な逸話。脱走した山南を沖田が追ったという話し。追った沖田が山南と出会ったと云われている場所は滋賀県の大津です。偶然にも今日、その大津宿に行って来ました。
本当に偶然で、またもや呼ばれちゃったのかな~なんって、脱走説は信じていないくせして、そんなことを思ってしまうのです。
そんなわけで大津宿についても書きたいことがありますが、これについてはまた後日に。

今夜は、久しぶりに映画『壬生義士伝』の沖田総司@堺雅人を観ながら、酒でも飲もうかな~
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by eri-seiran | 2006-05-30 20:04 |  同志たち | Comments(0)

ひなたの狼 新選組綺談

大河ドラマ『新選組!』に出合ってから、色々な角度で新選組を楽しもうと思うようになりました。新選組のコミックデビューは2005年の初夏でした。最初は『北走新選組』、次に『風光る』、そして『月明星稀 さよなら新選組』。『風光る』は、山南が亡くなった後はちょっとモチベーションが下がり、購入は辞め、レンタルで借りて読みました。
『月明星稀』については、以前、記事にしましたが、本当に素晴らしい。山南敬助がかっこ良いんですよ。最初、見た時にはこんなにかっこ良くていいの?と、ラヴの私でさえ、思いましたから(笑)また土方との関係はもちろんのこと、平助との関係がすごく好きで、真の目的以外、剣は抜かないという山南の決意を知り、山南の剣になると決めた平助。その平助の気持ちを知って悩みながらも自分の決意を通す山南。山南、平助の気持を知っている土方。このように書いているだけで涙が出てきそう(笑)
山南がどのような形で死を選ぶのか、その時に土方は?ということはもちろんのこと、こんなに山南のことを思っていた平助が山南の死後、どのようになるんだろう?って、とても心配で気になって、また楽しみでもあったのですが、打ち切りになり、とても残念でございます。そんな時、斎藤岬さんの『ひなたの狼 新選組綺談』について、この方から教えて頂き、早速インターネットで購入しました。

このコミックは良いらしいという情報は得ていたのですが、近場の本屋さんで見つけることができず、またそのうちに・・・と、思っていましたが、とんでもありません。もっと早くから、購入しておくべきでした。素晴らしいの一言です。

ここよりネタバレあり。
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by eri-seiran | 2006-05-29 19:36 |  コミック/アニメ/ゲーム | Comments(0)

モチベーションを上げてくれたあのお二人のEnglish

土曜日の午前中、『東海道53次街道完全踏破 街道てくてく旅』の26日 金曜日の分を予約録画して、まだ観ていなかったので、DVDのハードディスクのプログラムを確認せずに、そのまま再生したら、いきなり大河ドラマ『新選組!』のテーマソングと共に登場したのは、斎藤一@オダギリジョーでした。一瞬、「これはなんだ!」と、プチ・パニック状態。
すっかり忘れていました。前夜の『英語でしゃべらナイト』を予約録画したこと。しかし『新選組!』のテーマソングで始まるなんって思ってもいないから、ビックリですよ、ビックリ!!

大河ドラマ『新選組!』に出演していた愛しき役者さんたち。堺雅人さんの出演番組は必ず観ています。耕史君は露出度が高いので、時々ついていけなくなる時もありますが(汗)ほぼ観ています。
後、オダギリ氏や太郎君、藤原竜也君など主に試衛館メンバーが出演している番組などがあると、ちょっと気になる。と言うことで、26日(金)の23時からは、気になる役者さんと気になる番組が重なってしまいました。『恋するハニカミ!』に山本太郎君が参上、『英語でしゃべらナイト』にオダギリジョー氏と谷原章介氏が参上。どちらかをリアルタイムで観て、どちらかを予約録画するという選択しかない。斎藤と伊東の2名が出演、私的に番組としても興味が高い『英語でしゃべらナイト』の方を予約録画したわけです。

お二人のEnglishを聴きながら、あれだけ喋れたらいいな~羨ましいな~と思いました。オダギリ出演の映画『ビッグ・リバー』も私好み。観たいな~
ジャン・レノへのインタビューということで、緊張している谷原氏の姿は微笑ましかった。

以前、記事で触れたことがあると思いますが、某英会話スクールでEnglishを学んでいます。しかし今年に入ってから、モチベーションがかなり下がり、数回しか行っていない状態です。5月1日に久しぶりに行ったら、レッスンが終わってからの挨拶が、See you again でしたから。See you soonではなく、また See you later でもなく(苦笑)
そして、そのインストラクターに、「しばらくはまた来られないんだろう?」と言われてしまいましたから。
しかしちょっと最近、また英語を頑張りたいな~とモチベーションが少し上がってきていて、そんな時に、オダギリ氏と谷原氏のEnglishを聞いて、さらにモチベーションが上がってきたというわけです。山本耕史君が『英語でしゃべらナイト』に出演した時も、もちろん観たわけですが、この時も上達したいな~とは思いましたが、今回ほどではなかった。その時は私自身のモチベーションが下がったままでしたから。それよりも耕史君がパックンに英語を教えてもらっていたということに、少し驚き。理由は、生のパックンを見たことがあったので・・・それだけの理由ですけれどね~

某英会話スクールのインストラクターに言わせると、私は興味・関心のあることには、自分が知っている限りの単語や文法を使って、必死で喋ろうとするらしい。それが大事であり、そこが私の良いところだと・・・はい、自分でもわかっています。興味・関心あること、それは日本の歴史、それも幕末、そして新選組と山南敬助。必死ですよ。とにかく、しゃべりたいから(笑)

何かと忙しい日々ですが、せっかく続けてきた英語、再び頑張ってみようかな~と思わせてくれたオダギリ氏と谷原氏のEnglishでした。
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by eri-seiran | 2006-05-28 19:26 | エンターテインメント | Comments(0)

土山宿における土方の謎

a0044916_0213217.jpg土山宿本陣は、嘉永11年(1634年)、3代将軍 徳川家光の上洛の際に設けられました。一部改造はされているようですが、現存しております。
現在、この土山宿本陣役を任命された土山喜左衛門の子孫によって、保存・管理されています。個人での保存・管理はかなり大変だと思うのですが、今回、案内・説明してくださった方は、現代まで残してくれた祖先の方が苦労されただろうと仰っていました。



a0044916_022662.jpg窓は手吹きガラス。割れたら大変ということで、お掃除も程々にと冗談混じりに話されていましたが、窓ガラスだけでなく、いくつもある広い部屋の掃除も大変だろうと思いました。上段の間や、そこから見渡せる嘉永11年からのお庭などを見せて頂きました。
当時、使われていた品や宿帳なども展示されています。この宿帳には、徳川慶喜、勝海舟、西郷隆盛、明治天皇などの名前が残っております。


慶応3年(1868年)の秋、土方歳三が井上源三郎と共に東下りして隊士を募集し、その帰りに土山宿に泊まったと云われています。私は、この宿帳に土方の名前が残っており、本陣に泊ったと思い込んでいました。ところが違ったのです。この宿帳に、土方の名前はありません。
土方の土山宿に泊まったという逸話についてのお話しを伺いました。

土方が土山宿本陣に泊まると申し入れがあったそうです。しかし土山宿本陣の10代目当主が、佐幕派の新選組に粗相があってはいけないということで断り、他の宿(旅籠)にしてもらったそうです。土方はここに泊まっていますよということがわかるようになっていたのですが、何があったら困るので、実際は違う宿に泊まっていたらしい。だから、そのため、今ではどの宿に泊ったかは分からないそうです。
以前に土山宿本陣で、有名な方が泊まった時、命を狙う人が来て逃げさせたという事件もあったそうです。そのようなことから、断ったらしい。
断った本心は当時の10代目当主に聞かなければ分かりませんが、大政奉還が行われ、時代が大きく変わろうとしていた時、かなり物騒だったのでしょう。
本陣への宿泊を断られた土方はどのように受け止めたのだろうか?
本陣を後にして、旧東海道を歩きながら、そんなことを考えていました。

はい、これが土山宿における土方の謎です。

『東海道53次街道完全踏破 街道てくてく旅』の旅人、岩本輝雄さんは、6月8日(木)に坂下宿を出立して、東海道の難所のひとつである鈴鹿峠を越えて、土山宿に辿り着く予定です。
そして来週の29日(月)23時から23時28分まで、NHK総合にて、『街道てくてく旅~東海道五十三次ダイジェスト~版(丸子宿から藤川宿まで)』が放映されます。
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by eri-seiran | 2006-05-27 00:24 | 新選組 | Comments(0)

49番目の宿場である土山宿

旧東海道を車で走ると、最近、旧東海道を歩いていますよという旅人スタイルの方々をよく見かけます。東海道五十三次完全踏破 てくてく旅の旅人である岩本輝雄さんが歩いている時も、同じ旅人たちに出会うシーンがよくあります。
これは、この『てくてく旅』の影響か、それとも以前から歩いている人たちはいて、私が意識するようになったから、よく見かけるのか?よく分かりません。そう言っている自分も旧東海道や旧中山道の宿場巡りをやっています。私の場合、車で目的地の宿場まで行って、車を停めて、本陣跡あたりを中心にちょっと歩く程度ですけれどね(苦笑)

東海道の49番目の宿場である土山宿に行って参りました。土山は、車で通り過ぎたり、何回か、仕事で訪れたりしたことはあったのですが、この旧東海道の方は初めてでした。
これまでいくつかの宿場町を訪れましたが、今までの訪れた中で、最も昔の名残を感じられ、また昔からの建物や自然などを大切にしようという思いが伝わってくる所でした。
a0044916_23513138.jpgこれが土山宿から京方面に向かって撮った写真です。
ここを近藤、土方、永倉、斎藤、井上、藤堂は歩いたんですよ。新選組だった時に歩いていないのが、総司、左之助、そして山南敬助です。左之助は伊予松山藩の中間だった16歳の頃、江戸詰のために出府しており、その後、交代で松山に帰っておりますので、この時に歩いた可能性は無きにしも非ず。
ここで九州や四国の大名の参勤交代は、どのような経路をとっていたのだろうと思い、ちょっと調べてみました。船で江戸入りすることは許されず、大阪より西までは海路が許され、その後は陸路で江戸入りしたようです。そうなるとやはり、左之助が東海道を歩いた可能性は十分にあります。
総司はなかったでしょう。そして山南です。難しいですね~なかった可能性が高いですが、浪士組として上洛する前に京に行ったことがあるかもしれませんしね~『新選組!』の山南は、浪士組として上洛する前に、行ったことがある設定になっていましたよね~
山南の史実はどうだったのかは分かりませんが、東海道を歩いた可能性が高い順番にこの3人を並べると、

原田左之助>山南敬助>沖田総司

という感じでしょうか?

a0044916_2353937.jpgこの松並木の道もまさしく街道って感じです。左之助、山南、総司の3人以外の試衛館派のメンバーは間違いなくここを歩いたんですよ(笑)

さて、土山宿には、土方歳三が泊まったと云われています。今回、この宿場を訪れた理由は土方が泊まったことを確かめたくて、また土方が泊まった宿に行ってみたくて、訪れたわけです。山南ファンの私が、なにをやっているんだろうと思うわけですが、土方は避けては通れませんし、それに新選組ファンですから。新選組のゆかりの地であれば行ってみたいわけですよ。

嘉永11年(1634年)に建てられ、一部改造されたものの、今でも現存しており、見学ができる土山宿本陣。この本陣にて、土方歳三の土山宿での宿泊についての謎を教えて頂きました。これは有名な話しなのでしょうか?私が知らなかっただけ?

土山宿本陣の建物の素晴らしさなども含め、続きは後日に。
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by eri-seiran | 2006-05-26 00:03 | 新選組 | Comments(0)

左之助の死亡説・馬賊説

もうすぐ、総司の旧暦での命日だな~と考えていたら、原田左之助の旧暦での命日をスルーしていました。左之助、ごめん!
慶応4年(1868年)5月17日です。総司が亡くなる13日前です。

上野彰義隊の戦いにおいて、重傷を負って、現在の東京都江東区森下にあった神保山城邸にて死亡。

何故、永倉新八と共に、靖共隊の副長となりながら、靖共隊を離れてしまったのだろうか?
妻子への愛着が今の千葉から江戸へ引き返した理由なのでしょうか?それなら何故、その後、彰義隊に加わったのだろうか?
官軍に囲まれて京に帰れなかったからとも言われていますが・・・

さてこの方の場合、ご存知の通り、生存説があります。
支那に渡って、馬賊になっていたと・・・

大河ドラマ『新選組!』では、左之助の最期は描かれませんでした。妻のまさにも、馬賊になると言うなど、伏線はありましたが、その後については、視聴者のみなさんの想像にお任せしますといった感じでしょうか?
私的には、『新選組!』の左之助は支那に渡って、馬賊になったと思っています。そして史実の原田左之助も支那に渡って馬賊になったと思いたい。そんな夢があってもいいじゃないのかな~
しかし左之助の直系にあたる子孫の方々にとっては、そういうわけにはいかないようです。
左之助が支那に渡って馬賊になったと云われているのは、日露戦争が治まってきた明治40年に故郷である松山市に本人・左之助が現れ、実弟、甥が会ったという話しから、この生存説が出てきたらしい。だが、もし左之助が生存していたら、なにが何でも妻子を訪ねるだろうと言う理由から、死亡説の方を取っているらしい。

そして、私は左之助の死亡説・馬賊説が子孫たちの中で分かれていたことを知り、山南敬助の身内、子孫は居なかったのか?山南の死を知ることができた子孫の方はいなかったのか?という壁に、またもやぶつかってしまいました。
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by eri-seiran | 2006-05-24 19:39 | 新選組 | Comments(0)

『新選組御用達京屋忠兵衛』が閉店

壬生界隈へ久しぶりに訪れたのは、2004年『新選組!』によって、これまでの山南敬助への想いが爆発した時でした。それからは、しばしば通うようになりました。
その時に、壬生界隈に『新選組御用達京屋忠兵衛』というお店があることにも驚きました。
新選組ファンにはたまらないグッズが売られており、山南の墓参りに行くたびに寄っていました。
その『新選組御用達京屋忠兵衛』が、今年の1月末で閉店したことをつい最近知りました。

今年になって、2回、壬生界隈、山南敬助の墓参りに行きました。
1回目は2月1日、そうです、前川邸へ参上のため。その時にはすでに閉店していたのです。しかし前川邸へ参上するということで、『新選組御用達京屋忠兵衛』へ行く余裕はありませんでした。2回目は3月21日。新暦での山南敬助の命日の翌日。この時もちょっと時間に限りがあったために、墓参りと、休日で前川邸の玄関がオープンしていたので、前回のお礼のために寄り、『新選組御用達京屋忠兵衛』までチェックしよという余裕がありませんでした。だから、今まで気付かなかったわけです。

お気に入りのコミック『月明星稀 さよなら新選組』が打ち切りになったり、新選組御用達のお店が閉店したりして、ちょっと淋しい気持ちですが、これは当初の予定通りの閉店のようで、仕方ないですね。

このお店では、色々とゲットさせて頂きました。また土方の愛刀を初め、試衛館派の近藤、沖田、藤堂、斎藤ら佩刀の模造刀が売っており、山南の物が無く(赤心沖光は謎ですから、仕方ないのはわかっているんです)、それらを見つめながら、いいな~と、嫉妬を焼いたのも懐かしい思い出です。

本当にお世話になりました。そしてお疲れ様でした。
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by eri-seiran | 2006-05-23 22:31 |  グッズ | Comments(2)

そこに山南はいなかった

今回の多摩・江戸めぐりの旅について、小出しに記事にしてきましたが、肝心のひの新選組まつりについてきちんと書いていない。今日はそれについて触れ、この旅についての締め括りにしたいと思います。

この祭りに合わせて、上京したわけですが、メインの祭りを記事に出来るほど、参加していません(汗)
1日目、日野駅でスタンプラリーの用紙をもらいましたが、どうせ行けないや~と思っていたところ、資料館や歴史館等4箇所、友人のふみさんと共に行きたいと思っていた所がポイント箇所になっており、ラッキーという感じでした。記念品を頂き、それでもう参加した!という気分になっておりました。

2日目は、15時にはメイン会場に行けるように(これも山本耕史君の挨拶を観るため)、友人のレッドさんと一緒に、お昼前から土方歳三資料館、とうかん森へ行き、途中、公園でお弁当を食べて、石田寺に行ってお参りをして、バスに乗って日野駅まで。
日野駅に着いたところ、ちょうどパレードに遭遇。最後尾の原田左之助の十番隊(組でなく、隊になっておりました)の後ろをついて少し歩き、そしてパフォーマンスも見ることができて、これで参加した!!という気分に再びなりました。

ここまで、私自身、パレードに登場する人たちのことは殆ど知りませんでした。メイン会場まで行き、お店を見て回ったり、挨拶のために登場した山本耕史君を近くで見れて、大満足といった感じでした。
しかしここから、意外な展開になったのです。
パレードから帰還してくる主な人たちの名前が呼ばれ、みんなが出迎える。私たちは、離れた所で、出迎えていました。坂本龍馬、桂小五郎の名前が呼ばれ、参加していたんだ~と、ちょっと驚きでした。2人共、好きですよ。坂本龍馬なんか、大好きですよ。しかし日野の新選組まつりでお目にかかれるとは、思ってもいませんでした。しかし新選組まつりのホームページを見ると、参加予定の配役の募集について書かれていました。いつもチェックが甘いんです。
そしてこのパレードの最後尾は、近藤、土方、1番隊 沖田、2番隊 永倉、3番隊 斎藤、4番隊 松原、5番隊 武田、6番隊 井上、7番隊 谷三十郎、8番隊 藤堂、9番隊 鈴木三樹三郎(伊東の弟)、10番隊 原田、
そうです!我らが新選組なのです。

しかしそこに、山南はいなかった。
何故、山南がいない!いないんだ!!
山南が参加した場合、土方との歩く順番に悩むのはわかりますよ。
しかし土方の故郷である日野ということで、ここは一歩引きましょう。土方の後でいいですよ。副長の山南であろうと、総長の山南であろうと・・・

山南敬助は、元々の天然理心流のメンバー以外の中では、一番、多摩の人たちとの付き合いも長く、懇意にしていたのです。山南が当時の多摩の記録に登場するのは、文久元年(1861年)の1月、佐藤彦五郎日記においてです。その数年前に近藤、試衛館と出会ったのだろうと云われています。この日記の記録以前に、多摩を訪れていたかもしれません。多摩へ出稽古にも行っていたと云われている山南。近藤の襲名披露にも元々の試衛館のメンバー以外では一人だけ参加している山南。それなのに何故?何故?何故なんだ!!
試衛館派のメンバーでこのパレードに参加していないのは山南だけですよ。そう思ったら、再び、何故なんだ!!!あまりにも悲しい。

このパレードの参加の新選組隊士は、前日の隊士コンテストで決定したようです。それなら尚更、山南敬助がいないのは何故?山南を募集したら、応募する人はいるでしょう。大河ドラマ『新選組!』で知名度が上がった山南敬助。山南走りする山南、腕を組む山南、微笑む山南、面白いではありませんか?コンテストも一層盛り上がると思うのですが・・・芹沢や伊東も特徴があって、コンテストにはもってこいだと思いますけれどね~芹沢や伊東がいてもいいじゃないですか?弟の鈴木三樹三郎より、伊東の方が知名度が高く、特徴だってつかみ易い。

山南敬助の静養・死を多摩の人たちはどのように受け止めたのだろうか?ということが、私的にはとても謎なのですが、日野と縁のある人なのに現代のパレードに登場しない謎。因縁があるように思えて仕方がない。
とにかくよくわかりません。主催者側にちょっとお聞きしたいものです。

まあ~このように山南と共に、淋しい思いをしたわけですよ。
しかし、その後のKoji Yamamoto & K.D earthのミニライヴによって、その淋しさを吹き飛ばしてもらいました。ライヴを観ていた原田左之助と武田観柳斎(コスチュームですぐに分かる)そんな風景にもちょっと笑えました。

ライヴが終わり、外へ出ると、既に祭りの後片付けが始まっており、祭りのあとの淋しさと、山南がいなかった淋しさを再び感じながら、日野駅に向かって黙々と歩いた私です。
しかし、やんなはれでの楽しい楽しい呑み会のお陰で、すぐに復活!そんなものです。
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by eri-seiran | 2006-05-22 12:19 |  イベント | Comments(2)

誠の盃

新選組ゆかりの地に行くと思わず買ってしまう、新選組グッズや関連の本など。
今回も色々と買ってしまいました。

日野では、さすが土方歳三、井上源三郎の故郷、そして新選組の故郷だな~と感じました。
土方歳三資料館では、限定物の新選組の携帯ストラップ、ポストカード、クリアファイルなど。土方歳三うどん(『組!』ファンの後輩へのお土産と自分用)等など。他にもほしいものがあって、買おうとして、一度手にとったのですが、土方グッズが続いたために、山南に悪いな~という気持ちになり、返しました。

ひの新選組まつりのメイン会場でも色々な物が売っていました。土方、総司、源さんのお菓子。中でも源さんのどら焼はツボでした。

購入することが出来て、とても嬉しかったのがこれです。誠の盃。a0044916_22234921.jpg
徳利1本とこの誠の盃が2個セットになって売っていました。普段、酒を飲む時には、グラスなどで飲むことが多いのですが、2月23日とか、3月20日とか、また山南敬助がとてもとても恋しくなった時などには、この盃で飲みたいと思っています。
またこの盃で飲みながら、『新選組!』を最初から見直したい。

そして使わず、飾っておくだけでも、新選組ファンとしては値打ちがあるグッズになりそうです。
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by eri-seiran | 2006-05-21 22:29 |  グッズ | Comments(0)

東急池上線五反田駅に辿り着くまで

今回の旅、1日目の夜は東京寄りの埼玉に住む友人のRさん宅に泊めて頂きました。関東では、いつも友人たちに頼らないと目的地に辿り着けない私。今回も心配だったのでしょう。わざわざ日野まで迎えに来て下さりました。Rさん、本当にありがとう!
翌日、呑み会にもお誘いしましたが、仕事のために参加できなかったのは本当に残念。次回はぜひ!

2日目の夜は、以前も泊まったことがあるホテルメッツ渋谷へ。渋谷で呑み会があるということ、渋谷駅新南口から0分、値段も手頃ということで決めました。
そして3日目は、江戸・多摩に来ては、新選組ゆかりの地ばかりしているので、たまには幕末ゆかりの地巡りをしようと思い、七織ノ記の七織さんが記事にしていた洗足池公園に行って、勝海舟夫妻の墓参りをしようと考えていました。
2日目の夜、七織さんに直接お会いできたので、行き方を教えて頂きました。山手線に乗って五反田駅で降りて、東急池上線に乗り換えて洗足池で降りたらいいとのこと。関西へは品川駅から新幹線に乗って帰る予定。山手線の五反田駅は渋谷駅から品川方面に向かって三つ目の駅。品川駅は五反田駅から二つ目の駅。まあ~こりゃ~便利が良い。
やはり、明日の午前中、訪れるのはここしかない!と、その時、思いました。

3日目の朝、ホテルをチェック・アウトして、まず渋谷駅新南口で、帰りの新幹線の切符を購入。夕方までには我が家に着けるように、品川駅13時20分発ののぞみ。そして以前も駅員さんに教えてもらったのですが、新南口から山手線に乗るにはちょっと歩かなければならないので、埼京線に乗って次の恵比寿駅で山手線に乗り換えると、便利だと。
しかし前回は、大変な失敗をやってしまったのです。間違えて、埼京線の新宿方面行きに乗ってしまい、パニック状態。この時は、品川駅で乗る新幹線の時間が迫っていました。山手線だと、原宿で降りることができるのですが、この埼京線、渋谷から乗ったら、次の駅は新宿。とてもとても長く感じる。結局、新宿で山手線に乗り換え、品川駅まで行き、ギリギリセーフで予定ののぞみに乗ることが出来ました。
まあ~1年ちょっと前にそんなことがあったわけです。
そのために今回は同じミスをしないように、ホームをしっかりと確かめて乗ったつもり。そんな同じ失敗は繰り返す筈が無い。しかしです!電車のアナウンスが、「次は新宿」と言う。
何故だ!何故だ!!
今回は、新幹線のことは心配しなくて良かったし、時間も余裕だったので、パニック状態にはならなかったのですが、同じ失敗をした自分という人間がわからなくなってしまいました。本当に渋谷から新宿までの長いこと。
新宿駅で降りて、思わずどうしようかと思い、新選組ゆかりの地巡りのガイドブックをカバンから出してチェック。そしたら、新宿から小野路に行けることが判明したのです。日野において、山南敬助のことでちょっと淋しい思いをしたので、山南も訪れた小野路に行って、小野路で山南を感じたい・・・と思ったわけです。しかし、やっぱり、小野路は1泊したいし、ゆっくりと回りたいので、次回にすることにし、大人しく品川方面行きの山手線に乗り、五反田駅で降りました。だが今度は私の大きな荷物を預けられるロッカーが見つからず、再び山手線に乗って品川駅まで行き、荷物を預けて、再度五反田駅へ。
a0044916_2051636.jpgはい、そこからは問題なく、教えて頂いた通りに、東急池上線に乗り換え、洗足池で降り、目の前に洗足池公園がちゃんとありました。はい、ここです。ここまで辿り着くまで本当に大変でしたが、来て本当に良かった~と、思える所でした。池を一周しながら、沢山の自然と触れ、勝海舟夫妻の墓参りをし、2004年、『新選組!』のクランク・アップしたばかりの堺雅人さんが某雑誌で撮影した場所もチェックしちゃいました。
はい、江戸・多摩巡りにおける3日目の自分でも笑える出来事でした。

さて、もうすぐ『“ダ・ヴィンチ・コード”ミステリースペシャル 天才ダ・ヴィンチ最大の謎と秘密の暗号~モナリザ・最後の晩餐に隠された真実に迫る!』が始まります。堺さんが、謎を追う旅でどのようなコメント、リアクションをするのか、とても楽しみでございます。
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by eri-seiran | 2006-05-20 20:55 | 身辺雑記 | Comments(2)

山南敬助をメインにしたブログです。ホームページ『山南敬助 赤心記』共々よろしくお願い申し上げます。


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