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品川宿 幕末ゆかりの地

今回、上京した初日の8月19日。品川駅で友人のふみさんと待ち合わせして、以前から行きたいと思っていた品川宿、山南敬助と縁のあった山岡鉄舟(鉄太郎)、村上俊五郎が眠る全生庵、東海道や中山道など五街道の出発点である日本橋などに連れて行って頂きました。
まずは品川宿へ。

高杉晋作や伊藤俊輔(博文)ら幕末の志士たちが密議した土蔵相模跡、11代将軍家斎が品川沖に迷い込んだ鯨の骨を葬ったと云われる鯨塚など、なかなか興味深い史蹟がたくさんありました。品川宿の東海道を京に向かって歩く場合、左側は海だったようです。現在は埋められてその面影は殆どありませんが、このような風景に出会うと、そうだったのか~と改めて想像してみた次第です。
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また宿場の所々に東海道五十三次の各宿場から贈られた街道松が植えられていました。浜松宿、土山宿等など。これにはちょっと感動。
保土ヶ谷宿の松が植えられていた旅籠屋釜屋跡。釜屋は元々は立場茶屋でしたが、後々に旅籠屋を営むようになり、幕末には幕府御用宿として利用されるようになりました。
そしてここは新選組も利用しており、新選組ゆかりの地でもあります。

慶応3年(1867年)10月21日 隊士募集のために東下していた土方歳三や井上源三郎らが、新人隊士を連れて京に帰る途中、ここにて休息したと云われています。またここに応募の隊士が集合し、土方と井上が面会して、各隊士へ旅費が手渡されたり、旅中の注意を言い渡すなどして、ここを出立したとも云われています。隊士の数は20人から30人だったらしい。鳥羽・伏見の戦いで戦死した井上源三郎にとっては、これが最期の江戸・多摩への帰郷となったわけです。

そして慶応4年(1868年)1月 鳥羽・伏見の戦いに敗れて江戸に帰ってき時に、しばらくの間、ここに滞在しております。
土方にとっては、約3ヶ月前に休息として利用し、また井上源三郎と共に新入隊士を連れて出立した場所。
まさかこのような状況になって、此処に戻ってくるとは思わなかっただろう。

以前、ここには新選組ゆかりの地として示すものは何もなかったようですが、最近になって、地元有志の手によって碑が建立されたそうです。

後、品川宿の近くには、奥州仙台藩屋敷跡があります。仙台藩と言えば山南敬助の出身地と云われていますが、これも謎。仙台藩出身だったとしても脱藩しており、脱藩の時期にもよりますが、かなり気になる所です。しかし品川宿を歩いている時にはそれところではありませんでした。あまりの暑さで(苦笑)。
この辺りには、山内豊信(容堂)や岩倉具視の墓も近くにありますので、また機会があれば訪れてみたいな~と思っております。
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by eri-seiran | 2006-08-31 11:32 | 歴史 | Comments(2)

『噂の男』の観賞報告

今回、上京の一番の理由は、堺雅人さんの舞台『噂の男』の鑑賞でした。
これまでも堺さんの舞台『喪服の似合うエレクトラ』や『お父さんの恋』の鑑賞を目的に上京し、舞台鑑賞以外の時間は、精力的に山南敬助、及び新選組ゆかりの地を巡ってきたのです。
一度は、会津まで足を運んだことがありました。東京から会津までの距離感が分からず、近いと思っていましたが、遠かった(苦笑)
このように堺雅人さんの導きで、江戸・多摩の新選組ゆかりの地めぐりもできるというわけです。

さて、堺さんの舞台『噂の男』を鑑賞できることになったお陰で、山南敬助のゆかりの地を今回、制覇できたにも関わらず、メインの舞台については未だに記事にしていない。検索ワードの結果からも、この舞台について記事にしないと申し訳ない気もしております。

しかしこの舞台についてどこからどのように書いたら良いか、わからないというのが、正直なところです。
ブラックユーモアということ自体が、私にはよくわかっていないところがあり。
まずこのようなブラックユーモアの舞台を生で観たのも初めてでした。因みに『Vamp Show』は、DVDで観ました。
そんなわけで、今回は『噂の男』の簡単な観賞報告ということに。

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by eri-seiran | 2006-08-28 20:52 | エンターテインメント | Comments(0)

ゆかりの地のそれぞれの位置と距離

これまで江戸・多摩の山南敬助、或いは新選組ゆかりの地巡りをしてきたわけですが、殆ど関東に住む友人らが付き合ってくれたので、効率よく回れ、迷子になることもなく済みました。
ただ関西の私には、それぞれが東京のどの位置あたりにあるのかとか、またそれぞれの距離感が全くわかりませんでした。一応、東京のマップは持っていましたが、エリアごとに描かれてあるので、それでは把握することが難しく・・・

そこで今回、東京の本屋さんで、1枚ものの東京の大きな地図を購入。関西でも売っているんですけれどね~やはり東京の方が、種類が豊富かな?と思いまして。

その地図で、これまで行った所を調べてみました。
小野路村(現在の町田市小野路町)は、町田市でも北のかなり端の方にあり。地図を見る限り、やはり自然豊かな所のようです。小野路村から鎌倉街道を現在の多摩市に向かって北上して、旧鎌倉街道に入ってから東の方に少し行けば、富澤忠右衛門邸があった蓮光寺村があります。
そして再び旧鎌倉街道まで戻って北上すれば、川崎街道と出合い、その川崎街道を西へ行けば、石田村、日野宿となります。あ~やっと多摩のそれぞれの位置がわかった!
小野路村の小島鹿之助と日野宿の佐藤彦五郎はしばしば行き来していたようですが、以前この多摩地方の地図を見た時にとても遠いのになあ~よく行き来していたような~と思いました。しかし小野路村と日野宿の距離なんって、試衛館とこの小野路村や日野宿・石田村の距離と比べたら、あまり大した距離ではないことがわかりました。
試衛館と多摩の距離の遠いこと、遠いこと。山南、また総司、土方、近藤らは何回も試衛館と多摩を行き来したんです。こんな長距離、何を話しながら歩いていたんだろう?

さてその試衛館跡、また山南が試衛館に訪れる前に学んでいたと云われている小野派一刀流の大久保道場跡、そして山南らが浪士組として上洛するために集まった伝通院。この3箇所を直線で結ぶと綺麗なトライアングルが出来ちゃいました。ちょっと感動。北に伝通院、西に試衛館、そして東に大久保道場です。
とにかく、この3箇所の位置関係がよくわかりました。あ~すっきりした。それぞれの距離は直線で2km前後位のようです。
試衛館と大久保道場は近い距離にあったということに、今更ながら驚きです。
ほら、もう勝手な妄想が始まっておりますよ(苦笑)
因みに、これも山南が試衛館を訪れる前に学んでいたと云われている北辰一刀流の玄武館跡は、大久保道場跡より東へこれも2km位の所にあります。どれも意外と近い所にあったんですね~
とにかく分からなかったことが解決して、すっきりしました。
良かった、良かった(笑)

直線で2kmであれば、歩けるだろう。
次の江戸では、大久保道場跡から試衛館跡まで、てくてく歩きましょう。
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by eri-seiran | 2006-08-28 00:57 |  ゆかりの地 | Comments(0)

山南敬助ラリー@江戸〜多摩 完

レッドさん、仮名として書いて下さった『山南敬助ラリー@江戸〜多摩』のタイトルを頂きました(笑)

大國魂神社がある府中に向かう電車の中で、レッドさんに、「これで江戸・多摩における山南敬助ゆかりの地を制覇したね。」と言われ、初めて自分で気づきました。
そうなんですよ。2004年11月より、堺雅人さんの舞台鑑賞などで上京するたびに、江戸・多摩において、山南敬助が居た、訪れたと云われている所を訪れてきました。
そのラストが大國魂神社だったわけです。

自分では全く考えていなかったので、突然、すごい達成感に浸ったり、そして嬉しい気持ちと、反対に終わったという淋しさみたいなものもあり・・・
山南敬助から、スタンプラリーのカードにのスタンプを押してもらった気分にもなりました。

2004年大河ドラマ『新選組!』が放映されなかったら、江戸・多摩のゆかりの地を巡ろうとは思わなかっただろう。だってそれまで山南敬助への想いは封印していたから。壬生で満足していたから。

そんなわけで、2004年11月から山南敬助のゆかりの地として訪れた所をちょっとまとめてみました。
試衛館跡・大久保道場跡(小野派一刀流)・玄武館跡(北辰一刀流)・伝通院・佐藤彦五郎宅跡・小島鹿之助跡・大國魂神社
以上は、山南敬助がそこに居た、訪れたと云われている所です。このように挙げるとなんと少ないこと(苦笑)
そこで、山南のゆかりの地を幅広く考えると、板橋の新選組慰霊碑、日野宿、石田村、浅川、高幡不動尊、富澤忠右衛門邸・・・

ただ文久元年(1861年)1月、近藤らと一緒に日野から八王子に向かったと思われる記録が残っています。八王子のどこに行ったのかはわかりませんが、八王子も新選組ゆかりの地が多くあるので、ぜひ今度、日野から八王子という経路で辿ってみたいと思っています。
それから近いのに行けていないのが、大阪のゆかりの地です。これまで行ったのは、岩木桝屋跡のみ。力士との乱闘事件が起きた蜆見橋跡、山南と土方が賊を斬り伏せたという鴻池跡、新選組が常宿にしていた京屋宿など行ってみたいと思っています。
この大阪新選組ゆかりの地めぐりは、9月に実行できるかもしれません。嬉しいよ~
またゆかりの地としては、中仙道の宿場があるのよね~全部は無理なので、行ける機会があれば・・・すでに武佐宿・草津宿・大津宿は完。

そして仙台です。出身地と云われているものの、これもとても謎ですから。
また山南敬助と関係がある人たちのゆかりの地など。後日、記事にしますが、今回も山岡鉄舟と村上俊五郎の墓参もしてまいりました。大阪にも谷3兄弟の墓があるんですよね~ここにも行かなければ。
後新選組ゆかりの地として、勝沼や流山なども。
後、山南敬助が試衛館を訪れる前に居たと思われる大久保道場跡から試衛館跡まで歩いてみるという計画を1年ほど前からちょっと考えていたのですが、これは冬前後にぜひ実行してみたいと思っています。

まだまだ続くよ、ゆかりの地めぐりです。
実際にそこを訪れること、歩くことで、新たに気付くこと、感じられるものなどがあり、それは今後も大切にしていきたいと思っています。

とにかく山南敬助ゆかりの地めぐりでお付き合いして下さった方々、ゆかりの地に関する資料や情報などご協力してくださった方々、また応援して下さった方々、本当にありがとうございました。一人であれば、効率よく回るということはできなかっただろうし、あらゆる所で迷子になっていただろうし(苦笑)、そして誰かと一緒に回ることで、新たなことを教えて頂いたり、気づいたり、また共感し合ったりできたことが、一番大きかった。

最後に、偏った内容のゆかりの地めぐりのレポですが、読んで頂き、ありがとうございます。今後も山南敬助に限らず、新選組関連のゆかりの地めぐりをしたら、記事にしていきたいと思っていますので、よろしくお願い申し上げます。
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by eri-seiran | 2006-08-27 00:31 |  ゆかりの地 | Comments(2)

2006年夏 多摩における山南敬助ゆかりの地巡り・後編

山南敬助ゆかりの地で気になりながら、スルーしていた所がありました。それは、天然理心流4代目襲名披露の野試合が行われた所です。

19時からの渋谷での座談会には十分に時間があり、レッドさんが『新選組 土方歳三を歩く』のガイドブックをしばらく見てから、「府中駅から近い大國魂神社に行かない?襲名披露の野試合が行われた所だよ」と、私は「えっ!そんな駅の近いところにあったの?行く!行く!!行く!!!」と、もう嬉しくて嬉しくて。腑抜け状態から、急に元気になりましたよ(笑)
もしこの時に、レッドさんが仰ってくださらなかったら、私は宿題を残してしまうところでした。
気になりながら、何故、この場所についてはこれまで調べようとしなかったのか?今更ながら不思議で、とにかく迂闊でした(汗)
『新選組 土方歳三を歩く』のガイドブックに、大國魂神社で行われた野試合のことについてちゃんと説明してあるではないですか!

同じく紅軍のメンバーのなかには、近藤の道場で起き居していた客分山南敬助もいた。

と。今更ながら、キャーでした。
京王線多摩センター駅から調布駅で乗り換え、京王線府中駅へ。この周辺はフェスティバルのために大変な人ごみでした。混雑したけやき通りを10分ほど歩いたところに、武蔵総社六宮こと大國魂神社がありました。大きな神社で、こんな所で龍名披露の試合が行われたんだ~と、かなり驚きでした。勝手に、山の中というイメージを持っていました。

野試合の話しの前にちょっと。万延元年(1860年)の9月30日には、この大國魂神社に献額が行われ、型試合を奉納しています。この時の関係者の名前が全員ではないみたいですが、残っています。そこに山南や総司の名前はありません。大河ドラマ『新選組!』では、この献額・型試合を第6回の「ヒュースケン 逃げろ」で放映されました。近藤勇@香取慎吾と土方歳三@山本耕史が型試合を行なうシーンでは、府中 六所明神というテロップが出ております。つまり現在の大國魂神社のことです。この時、山南敬助@堺雅人と沖田総司@藤原竜也は留守番でした。史実の山南敬助もこの時には、すでに試衛館に出入りしていたのは間違いないと思います。記録の中に其外という書き方をしているので、その中に含まれているのかもしれないな~と思ったり。名前は無くても観に行ったかもしれないな~また遠慮して、留守番をしていたかもしれません。
その献額ですが、現在は行方不明になっているとのこと。甲陽鎮撫隊が甲州勝沼にて敗戦し、府中まで逃げてきた隊士が怒ってどこかに捨てた。また新選組との関わりを恐れた献額の連名者が捨てたとも言い伝えられているそうです。

さて、天然理心流4代目襲名披露の野試合は、文久元年(1861年)8月27日に、ここで行われました。8月27日って、まさしく明日ではないですか!これは旧暦ですので、新暦では10月1日になるようです。涼しくなってきた、いい時季に行われたんですね。
大河ドラマ『新選組!』では、第7回「祝四代目襲名」で放映され、第6回と同じように野試合が行なわれた場所としてテロップで、府中 六所明神と出ております。

元々の試衛館の門人以外で新選組の幹部となったメンバーでは、唯一山南敬助が土方と同じ紅軍で参加し、3戦のうち、2対1で白軍の勝利になったわけですが、紅軍の1勝は、山南敬助が井上一郎と共に白軍大将の佐藤彦五郎を討ち取ったのです。すごいでしょう?いや~すごいよ、山南さん(笑)
この時、山南はとてもとても嬉しかったと思う。うん、本当に嬉しかったと思う。やはり、元々の天然理心流ではないのに、また門人になってさほど年月は経っていないのに、そんな立場でありながら、元々多摩の人たち、天然理心流の古参たちの中で活躍できたことは嬉しかったと思う。近藤勇も、違う流派から自分の所にやってきてくれた山南が活躍してくれて嬉しかっただろうと思う。この頃、多摩の人たちを初め、他の方々が山南敬助をどのように受け止めていたか、またどのような付き合いの深さだったかはわかりませんが、少なくともこの時、彼の株が上がったのは間違いないだろう。
山南と懇意にしていた小島鹿之助は体調を崩していて参加できなかったのですが、佐藤彦五郎がこの野試合の様子を書いた書簡を小島に送っており、小島は参加できなかったことを残念がったそうです。
そして一番気になるのは、土方ですよ。土方がその時、山南のことをどう思ったか?
この当時の土方と山南の関係がわかる記録はありません。しかし残されている山南の最期の結果から、小説などではあまり良くなかったという描き方がされることが多いと思われます。しかし私はそうは思わない。関係がとても良かったとも言い切れませんが、悪かったとも言えない。同じ紅軍の山南の活躍で1勝したことを素直に喜んだと思いたい。
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ここ大國魂神社には、野試合が行われたときにはすでに生を受けていたと思われる大木があちらこちらにあり、歴史を感じさせる所でした。
これらの木々は見ていたのです。野試合、また山南の活躍を。
そして山南もこれらの木々を見たんだよな~もちろん土方も総司も近藤も源三郎も。

この野試合が終わり、彼らは府中宿の旅籠(或いは遊郭か?)を貸し切り、一晩中、騒いだそうです。
『新選組!』での山南敬助@堺雅人は、まあ~騒ぐことなく、真面目な話しをして、話しを聞かされている女性にちょっと嫌がられていましたが(苦笑)、史実の山南はどうだったんだろう。私的には、まあ~はでに騒ぐようなイメージがないので、それなりに飲んで遊んだことでしょう。飯盛り女(遊女)たちが総上げされたそうですからね~かなり嫉妬(苦笑)

このように考えると、やはり山南敬助は天然理心流の門人だったと言えるし、多摩の人たちともいい関係を持っていたんだろうな~と改めて思った次第です。
「ここを訪れることができて、本当に良かった」としみじみ思いながら、大國魂神社を後にし、私たちも座談会@呑み会が行われる渋谷に向かったという次第です。

と言うことで、2006夏 多摩における山南敬助のゆかりの地巡りは無事に終了しました。
お付き合いして頂いたレッドさんも、この山南敬助ゆかりの地巡りについて記事にして下さっています。
レッドさん、暑い中、お付き合い頂きありがとうございました。

この日は、暑い中を歩き、念願の小野路村に行けたこと、そして大國魂神社にも行けたことで記念すべき日となり、お陰で座談会で飲んだ生ビールは格別においしかったです。
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by eri-seiran | 2006-08-26 23:24 |  ゆかりの地 | Comments(0)

2006年夏 多摩における山南敬助ゆかりの地巡り・中編

小野路村(現在の町田市小野路町)の散策。初めはこのようなコースを辿る予定でした。
多摩センター駅前からバスに乗り、南野高校前で降りて、鎌倉古道を歩いて小野路宿跡へ。この辺りに小島鹿之助宅跡(現在の小島資料館)、小野神社、小野路一里塚があります。これらに立ち寄り、そして今度は布田道を歩いて別所バス停へ。バスに乗って、最寄の駅で降りて、渋谷まで帰る。

小島鹿之助宅跡や小野神社に最寄のバス停があるわけですが、ガイドブックにこのコースがお薦めとして載っておりました。旧態依然とした鎌倉古道や布田道。
この道を歩くことで、約145年前後にこの辺りを歩いたと思われる山南敬助や総司のことを感じられると言う訳です。

しかし初日の江戸散策で、このコース通りに歩くのを断念。なんって早いんだろう(苦笑)
だって予想以上に暑すぎたんだもん。上京理由のメインである舞台鑑賞のために体力をキープしておかなければならず。舞台はその時にしか観られませんが、小野路村を歩くのはいつでも出来る。

と言うことで、レッドさんと策を練り直し、まずは小野神社までバスで行って、小野神社・小島資料館を伺った後、その後のコースについては考えるということにしました。
多摩センター駅前から13時過ぎのバスに乗り、10分ほどで小野神社へ。バスの中で、すでに目がウルウル。文久3年(1863年)1月17日、山南が総司と二人で、どんな思いで小島鹿之助宅に向かって歩いたのかと考えるだけで、胸が熱くなるのです。
小野路村は、多摩のゆかりの地で一番行きたかった所。
上洛する前に総司と二人で小島鹿之助宅を訪れていること、その時に上洛に際して、山南が自分の思いを漢詩として残していること、文久4年(1864年)に山南が京から出した年賀状が写しで残っていること、山南の佩刀である赤心沖光が折れ、血糊が付着している押し型が残っていることなど・・・このようなことから山南は多摩のメンバーの中でも特に小島島鹿之助と懇意にしていたのではないか、また小島鹿之助も山南のことを多摩の出身者らと同様に大切に思ってくれていたのではないかと感じられるのです。

だからこそ、小野路村にはとてもとても行きたかったのです。そんなに行きたかった所なのに、なぜ今になってしまったかというと、どうせ行くなら小島資料館がオープンしている時に行きたかったので。なかなかこれまでオープンしている第1、3日曜日(13時~17時)に上京する機会に出合わず・・・今回、やっとその時がやってきたのです。

a0044916_08591.jpgまず小野神社前のバス停で降りて、神社へ。小島鹿之助宅跡のすぐ近くです。上洛前に小島鹿之助宅を訪れた山南も総司もきっとここで上洛が上手く行きますようにとお参りしただろうと思われます。山南と総司が訪れる前日には近藤が、そしてその前日には土方が小島家を訪れています。近藤も土方もお参りしただろう。
小さいですが、古い歴史のある神社でした。山南たちがお参りするのを見ていただろうな~と思われる樹齢の長い木々もありました。思わず幹を手で触る。そしてこの階段を上がって参拝。
彼らもここから階段を上がってお参りしたのです。静かで落ち着く場所でした。ここでなら、会津の如来堂と同じように、色々な思いを馳せながら、何時間でも過ごせそう。

a0044916_0182885.jpg小野神社を後にして、いよいよ小島鹿之助宅(現在の小島資料館)へ。
天保13年(1842年)に現在の母屋が建てられ、その時の柱や間取り、また上段の間などを残して、昭和40年(1965年)に改築されました。小島家屋敷の入り口です。山南らも訪れた小島鹿之助宅。
資料等については、新選組展などで見たりしていますが、文久4年(1864年)1月27日付けで書いた年賀状を小島鹿之助自身が書き留めたものを見て、ため息。現物はどこに消えてしまったんだ~と、改めて考える私。
新選組以外に古文書など約1万点が保存されており、それにも驚いてしまいました。

日野に行った時にも考えたのですが、山南は上洛する前、江戸に帰ってきた時には多摩の人たちを再び訪れようと思っていたのだろうか?ということ。
上洛を前にしての小島鹿之助宅の訪問。
その時に作った漢詩から彼の熱い思いが伝わってくるわけです。
山南は死ぬこともありうると覚悟して、上洛したのだろうと思うのです。しかしその死は、敵に打ち負かされた時。切腹とか、自害とかによる死は山南の頭になかっただろう。それは小島鹿之助だって同じでしょう。
私的には、浪士との戦いで負傷して、それが少なからずとも彼の死に影響しているとは思うのですが、最終的な結果はそれではないわけです。
そして死も覚悟しながら、心のどこかには、再び江戸に帰ってくることもあると思っていただろう。その時には小島鹿之助宅を訪問して、京での出来事を報告しようとも思っていたに違いない。
しかしこれが最期の小野路村訪問となったわけです。山南がここに2度と帰ってくることはなかった。2月の上洛前に、小島鹿之助が試衛館を訪れているので、その時、山南も会ったかもしれません。1月に山南が小島鹿之助宅を訪問した時、或いは小島が試衛館を訪問した時、それが今生の別れになるとは・・・

さて、小島鹿之助宅跡で思いっきり山南敬助に浸った後、これからどのコースを辿るべきか?
やはりここは地元の人に聞くべきと言うことで、小島資料館で伺い、取りあえず、石久保子育地蔵があり、鎌倉古道と布田道が分かれる三叉路まで行くことにしました。そこまでは行けたのですが、道が地図に書かれた通りの三叉路になっていない(汗)こちらだろうと思って行けば、行き止りになり、こちらはあまりにも道がひどいから違うだろうと・・・こちらの方が鎌倉古道だろうと思いながら歩いていると、年配のご夫婦が向こうからいらっしゃるではありませんか。助けてくださったのは、小島鹿之助さんか、山南さんか、とにかくありがとう!
そのご夫婦に尋ねたところ、これは本来の鎌倉古道ではないが、バス停のある道には出られるということを教えて頂き、一安心。ここで何故か、歴史の話しで盛り上がり、しばらく談。その間、蚊がTシャツの上から刺す始末。未だに何箇所が蚊に刺された痕が残っていますよ。そしてこの蚊たち、私たちがバス停に着くまで、いや~冷房の効いたバスに乗るまで付いてきておりました。

とにかくこの鎌倉古道、布田道は、山南が総司と小野路村を訪れた時季と同じ頃にリベンジです。

バスに乗って、多摩センターまで戻り、ティータイム。江戸から現代にタイムスリップした感じでした。暑さと凄まじい道を歩き、また念願の小島鹿之助宅跡に行けてちょっと腑抜け状態。
しかしレッドさんの一言で、いきなり元気になった私です。最初の予定にはなかった府中にある大國魂神社へ行くことに。
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by eri-seiran | 2006-08-25 00:30 |  ゆかりの地 | Comments(0)

2006年夏 多摩における山南敬助ゆかりの地巡り・前編

今回の江戸・多摩行きの大まかな行程は、こんな感じでした。

19日(土) お昼前に江戸着。江戸散策へ
20日(日) 多摩における山南敬助ゆかりの地めぐり
21日(月) 堺雅人さんの舞台『噂の男』を鑑賞
22日(火) お昼過ぎ 江戸を出立 

これ以外にも、山南敬助@堺雅人の命日の2日前にしての座談会なども。座談会の内容は幅広く、そして熱く・・・

そんなこんなで色々と書きたいことは山ほどあるのですが、まずは2日目の多摩における山南敬助ゆかりの地巡りについてです。それも前編です。

京王多摩センター駅で、『神変紅丼』のレッドさんと待ち合わせ。そこから徒歩10分ほどにある多摩中央公園へ。この公園内に冨澤忠右衛門邸が復元移築されているのです。復元移築されたのは、平成2年(1990年)のこと。それがこれでございます。
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富澤忠右門衛とは、武蔵国日野領蓮光寺村の名主を務めた方です。富澤家は家督を継ぐと、忠右衛門を襲名することになっており、万延元年(1860年)に、この15代目忠右衛門を襲名したのが、政恕(まさひろ)です。因みにこの万延元年には、山南敬助は試衛館に出入りしていたと思われます。政恕は文政7年(1824年)の生まれですので、山南・近藤・土方より10歳前後年上になります。
政恕は、天然理心流三代目宗家近藤周助の古参の門人であり、また近藤勇の養子縁組を薦めたとも言われています。そして府中六所宮(大國魂神社)への額奉納や、近藤勇の天然理心流四代目襲名披露の野試合などにも参加しており、佐藤彦五郎や小島鹿之助らと同様に天然理心流を学び、また近藤や土方ら多摩の出身の人たちにとっては兄貴分であり、また新選組を応援してくれた一人だったわけです。
そして元々の天然理心流派ではない人たちの中で唯一、山南敬助は佐藤彦五郎や小島鹿之助らと同様に、富澤政恕とも懇意にしたいたのだろうと思われます。
まず襲名披露の野試合に山南敬助も参加しており、この時に出会っているだろうということ(それ以前に出会っていた可能性も十分にあり)。元々の天然理心流派ではなく、後の新選組のメンバーで、この野試合に参加したのは山南だけです。

そして、文久4年(1864年)1月2日、富澤政恕は、将軍家茂公の上洛にともない、地頭の天野雅次郎の用人格として同行し、1月17日から4月13日まで京に滞在していました。この上洛に合わせて書き始めた日記が『旅硯九重日記』です。
この日記に、2月2日、壬生を訪問し、土方・源三郎・総司らと逢う。近藤は松平容保公に拝謁のために不在。山南は病に臥して逢えなかったということが書かれているのです。その後、4月13日までの滞在中、政恕は、近藤はもちろん、藤堂らとも逢ったことが書かれていますが、その後、山南に逢ったという記録は無く、政恕の滞在中、病に臥していたという山南には逢えなかったのだろうという見解がされています。ちょっと遠回りの解説になっているような感じがしますが、何が言いたいのかと申しますと、山南に逢えなかったことを書いているということは、政恕が山南に逢いたかったというわけですよ。政恕は、山南とそれだけ懇意にしていたことがこの記録から伺われると言いたいのです。

記録には残っていませんが、山南敬助もこの富澤邸を訪れた可能性は十分にあるな~と思っています。もちろん、近藤・土方・源三郎・総司も。そんなことを思いながら、中を拝見させて頂いたというわけです。
また頂いた説明書の中に、解体移築前の配置図が書かれていましたが、庭に道場があったそうです。ここで出稽古を行ったかもしれません。

明治14年以後には、明治天皇が兎狩などにこちらの地へ行幸され、御小休所とも利用されたそうです。新選組と深い繋がりがあり富澤家に明治天皇が訪れたという話しには、ちょっとびっくりしました。明治初期、新選組に関わった人たちは逃げ隠れたりしていた時期もあると云われています。だからこれも不思議な縁だな~と思ったり・・・

多摩中央公園は日曜日ということもあり、とても賑やかでしたが、この富澤家は閑静な所にありました。富澤家をあとにして、私たちは日曜日で賑わう多摩中央公園から多摩センター駅前まで戻り、昼食を取り、エネルギーを補給し、いよいよ小野路村へ。  
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by eri-seiran | 2006-08-23 20:43 |  ゆかりの地 | Comments(0)

忘れられない 平成16年(2004年)8月22日 日曜日

2月23日は、史実の山南敬助の旧暦での命日。
3月20日は、史実の山南敬助の新暦での命日。
そして今日、8月22日は、大河ドラマ『新選組!』の山南敬助@堺雅人の命日。
あれから2年が経ちました。3回忌です。

たかがドラマ、されどドラマ。
そう思わせるほどの山南敬助だったし、新選組だった。
そんな3回忌を前にして、小野路村へ行けたのも何かの縁かもしれない。

これまで色々なドラマの中で人が亡くなるシーンもたくさん観てきました。嗚咽したこともありました。しかし亡くなるシーンが放映された日がやってくるたびに、このようにして思うことは初めて。

昨夜、堺雅人さん出演の舞台『噂の男』を観たからか?(とにかく凄い舞台でしたよ。)
今日が山南敬助@堺雅人の命日だからか?
今日の夜中、それとも明け方だったのか?
江戸の滞在先の宿で堺雅人さんの夢を見ましたよ。内容は殆ど覚えていませんが、夢の中で一度消えて、再び現れた堺さん。

今日、東京駅からお昼過ぎの新幹線に乗り、新横浜駅辺りですでにウトウト・・・
目が覚めたら、新幹線は富士市あたり。
天気が良ければ、富士山が見られる所。
今日は雲があって、裾野しか見えなかった。
見えなくて良かったかもしれない。
富士山が綺麗に見えたら、かなり辛かったかもしれない。

やっぱり忘れられない。
平成16年(2004年)8月22日 日曜日。
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by eri-seiran | 2006-08-22 22:42 |  ドラマ/映画/舞台 | Comments(0)

江戸・多摩より帰着

お昼過ぎに江戸を出立して、先ほど、我が家に帰着しました。

今回は、江戸散策・多摩における山南敬助のゆかりの地巡り、そして堺雅人さんの舞台『噂の男』の観賞等など。
とにかくとにかく暑かった!
江戸・多摩の夏を甘く見ていました。スミマセン!
あまりにも暑すぎて、駅の売店で、扇子を買いましたよ。生まれて初めてですよ。
私の江戸・多摩めぐりなどにお付き合い下さった方々、暑い中、本当にありがとうございました。
後、まあ~詰めが甘かったり、詰めが甘いとかの問題でなく、大きな勘違いをしたりとか、まあ~色々と今回もありましたが、目的地に辿り着ければ、いいんです。

山南敬助のゆかりの地・多摩編で一番行きたかったのが、小野路村(現在の町田市小野路町)でした。
文久3年(1863年)2月、上洛を前にして山南が総司と一緒に訪れた記録が残っている小島鹿之助宅(現在の小島資料館)へ。
多摩センターからバスに乗って小野路へ向かっている時、涙が出そうでした(苦笑)。
やっと念願が叶ったのです。

と言うことで、すぐにでも記事にしたいのですが、これについては後日に。
取りあえず、無事に帰着したご報告まで。
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by eri-seiran | 2006-08-22 16:26 | 身辺雑記 | Comments(4)

さあ~出掛けよう 江戸・小野路村へ

やっと私の夏休みがやってきました。
今日からスタートです。
この日をどれだけ待っていたことか。
この日を支えに、どんなに暑くても、仕事で色々とあっても、忙しくても・・・頑張ってこれたのです。気合との勝負。

『新選組 土方歳三を歩く』のガイドブックを持って。
好きなSARAH BRIGHTMANやSTEVIE WONDERのMusicを持って。
読みかけの小説を持って。
さあ~出掛けよう!

山南敬助が10年ほどは居たと思われる江戸(現在の東京)へ。
山南敬助が総司と二人で行った記録が残っている小野路村(現在の町田市)へ。

そして今回、上京する一番の目的はあれですよ。あれ。堺雅人さんの舞台。
Musicや小説は無くても別に困りません。またガイドブックも無くても何とかなるもの。チケットだけは忘れないように、一番最初に鞄に入れました。

今回は渋谷から品川方面に行きたいのに新宿方面に行かないように。
いつも詰めが甘いけれど、今回は多分、大丈夫だと・・・思う。
詰めが甘くても、なんとかなるものさ。
Let’s go !
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by eri-seiran | 2006-08-19 07:21 | 身辺雑記 | Comments(0)

山南敬助をメインにしたブログです。ホームページ『山南敬助 赤心記』共々よろしくお願い申し上げます。


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