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『新選組!』再観賞 第6回と第7回

第6回『ヒュースケン逃げろ』
万延元年(1860)9月30日


この回は、49回のクレジットの中で唯一、土方歳三 山本耕史の次に、山南敬助 堺雅人の名前が出る回でございます(笑)。
そして今回、改めて気付いたのですが、川平慈英、木村多江、木村祐一と1回限りの出演なのになんと豪華なことなんでしょう。
他の回でもそれは言えるのですが、2004年は、日本の役者について疎かった私。それ以後、色んな役者さんを知るようになり、改めて1回限りも含めてすごいメンバーだな~と思う今日この頃です。

この回は、六所宮にて、献額・型試合が行なわれ、また攘夷が進んでいく中でヒュースケンを暗殺しようとする永倉に再会。そしてその永倉はヒュースケンを助けようとする近藤に惚れて、試衛館に出入りすることになる回でございます。

史実で、万延元年(1860)9月30日に、六所宮にて、献額・型試合が行なわれた記録が残っています。ドラマでも沖田総司、井上源三郎、山南敬助は試衛館にて留守でしたが、史実の記録でもこの三人の名前はありません。

クレジットにて、土方の次に名前が出た山南ですが、出番は少ない。そして総司に時勢の話をするのに、聞こうとしない総司。
聞きなさいよ、総司!と、思わず言いたくなる(苦笑)。
私的にはこの回の土方が好き。そば屋の女将が気になったり、外国人が抱いた女に興味を示し、そのヒュースケンが抱いたお富を後ろから抱きしめたり(笑)。
そしてここでの伏線。ヒュースケンの着けていたマントに興味を示し、どこで手に入るか?と聞く土方。ヒュースケンがいつかはどこでも手に入るでしょうと答えるヒュースケン。それから約8年後には洋装を着ているのですから。

きっと史実の近藤や土方たちは、献額・型試合が終った後、府中の旅籠で多摩の人たちと飲んで食べて、騒いだことでしょう。

第7回『祝四代目襲名』
文久元年(1861)8月27日


いよいよ、後の新選組において試衛館派と言われる斎藤一を除くメンバーが、六所宮で行なわれた近藤の襲名披露をきっかけに勢ぞろいする回です。
この回は、49回の中でも好きな回の上位です。

その中でも、

土方:山南さん、あんたはここで守りを固めてくれ。
山南:ここはむしろみなで攻め込む方が上策ではないですか。
土方:大将を取られたら負けなんだよ。
山南:だからこそ、攻めに徹するんです。守は攻めるにしかず。


土方の右後ろに立ち、自信に満ちた言い方の山南。言い返せない土方。好きです。

後の試衛館派のメンバーが敵を負かし、敵陣に向かっていくシーンは本当にかっこいい。BGMの「衝動」も良い。
そして総司と山南との立ち合い。初めて山南と立ち合った時、負けて落ち込んだ総司。今回、山南に勝ち、総司が強くなったのを嬉しく思う山南の表情。それに応えるかのような総司の笑顔。しかしその笑顔がなんかちょっとね~と思っていたのですが、あのシーンは山南が着けている瓦を上手く割ることができず、何回もやって、やっとうまくできて、それで嬉しくて思わず出た笑顔とのこと。このシーンはプレマップでも使われていましたね。

さて、襲名披露の野試合が終わり、府中の旅籠でどんちゃん騒ぎ。そこで、近藤の講武所の教授方を務めることになるという話が出た時、山南は講武所の説明をみんなにし、「おめでとうございます」と言いますが、山南の中に素直におめでとうという気持があったのだろうか?少しは羨ましい気持があったのではないだろうか?山南は近藤に惚れてはいますが、まだこの時、近藤のことを武士という見方はしていなかっただろう。だからそんな近藤が自分も手の届かない地位になれるのだから、羨ましいという気持がどこかにあったはず。
一方、土方は態度でそれを示している。自分とは違う道を歩いていこうとする近藤。剣の方は総司がいる。知恵の方は山南がいると言う土方。
山南の気持も土方の気持ちもわかるな~

そして近藤たちがどんちゃん騒ぎをしている旅籠に訪ねた坂本。ここで言いたい。ずっと言いたかった。その後も言いたい場面が何度もあった。
坂本!山南とは北辰一刀流の同門で、試衛館の近藤を紹介したわけですよ。それなに、坂本が近藤や土方と会ったり、語ったりする時に山南はいない。そりゃ~別に重要なことではありませんよ。しかし山南の立場から考えると言いたい。

さて、史実の近藤勇四代目襲名披露ですが、これも何度も記事にて触れていますが、この襲名披露の野試合に参加したのは、元々の天然理心流のメンバー以外では山南敬助だけんですよ。山南敬助だけ。永倉も平助も左之助も参加していないのです。記録に彼らの名前が残っていません。まだ試衛館に出入りしていなかったのか、出入りしていたが、それほど深い関係ではまだなかったのか?そう考えると、山南と試衛館、近藤たち、天然理心流、多摩の人たちとの関係が自ずと見えてきます。
そして山南は土方と同じ赤軍であり、試合は3回行なわれ、2回戦は井上一郎と山南敬助が白軍の大将である佐藤彦五郎を討ち取ったのです。すごいでしょう(笑)。
ドラマでは、山南の策に土方が面白くないといった感じですが、史実ではどんな会話をしたのだろう。残っている記録からすでにそれまでに出会っている2人だから、それなりの会話はあっただろう。同じ赤軍の山南が相手の大将を討ち取ったことに対して、土方は素直に喜んだであろう。
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by eri-seiran | 2007-01-31 23:05 |  ドラマ/映画/舞台 | Comments(4)

お互いの名を知らしめた堺雅人と山南敬助

昨日の夕方、京都駅で友人と待ち合わせしておりました。
その友人は、京生まれの、京育ち、しかし現在は仕事の関係で九州の長崎に住んでおります。週末から昨日にかけて、所用のために京に帰ってきており、夜行バスで長崎に帰る前に会い、食事をする約束していたのです。
そしてその友人にお願いしていたものがあり、今回、その友人からそれを頂けることになっていたのです。お願いしていたものは、JR九州が発行している旅のライブ情報誌Please1月号のフリー雑誌(サイトの方は2月号に変わっております)。
雑誌の中に、九州出身の有名人にインタビューしている『Up to Person』というコーナーがあり、1月号がなんと宮崎出身である堺雅人さん。
12月に、堺雅人さんの某ファンサイトにてこの情報を得たのですが、すっかり忘れていて、お正月に実家がある九州に帰る時、この友人から改めて教えてもらったのです。しかし今回の帰省では、飛行機と空港バス利用で、JRを全く使わなかったために、結局、この雑誌を手に入れることができず、そのためにこの友人に託したというわけです。

2ページもので、タイトルは、『ただ誠実に演じるだけ』
誠の漢字が入る言葉に弱い私(笑)。
写真は、ストライプのカッターシャツにネクタイ、ストライプの黒っぽいスーツのズボン。そして何かの台本らしきものを読んでいるお姿。
インタビューの内容は、高校時代に演劇部に入った理由や、大学に入ってからのことなど、堺ファンなら誰でも知っている内容でした。そして後半の方で、『新選組!』について触れています。

次第にテレビドラマや映画からも声が掛かるようになり、人々の間でその顔を知られるようになるが、その名前を決定的に世間に知らしめたのは2004年のNHK大河ドラマ『新選組!』の山南敬助役である。

そうですね、以前から知っていた方も多くいらっしゃったでしょうが、私もこの方を知ったのは、『新選組!』でした。

僕は実在の人物を演じる方が好きなんです。クランクインまでの間にいろいろと史料や本を読んで、その人物像に思いをはせる準備期間というのが、いちばん楽しい時間かもしれません。

と、堺さんは仰っている。
堺雅人さんは、どんな史料を読んだのだろう?
そして私と同じように山南敬助に思いをはせていた時期があったのね(笑)。

さらに
「新選組!」の場合は、作者の三谷(幸喜)さんや他の共演者とキャッチボールする間にいろいろな化学変化があった。その結果として皆さんに喜んでいただいたり、いい役だったねと言われることはとてもうれしいことなんですが、それは別に僕の手柄じゃない。みんなで一緒につくりあげたものなんです。

と、堺さんは仰っている。
このこともすでに堺雅人ファン、『新選組!』ファンならご存知のこと。
なんって謙虚な方なんだろう。

昨日、山南忌のことを記事にしながら改めて思ったのです。
山南忌が行なわれることになったのは、もちろん『新選組!』にて堺雅人さん演じた山南敬助の影響があってのこと。それまでに山南敬助という歴史上の人物を知らなかった人も少なくないはず。
山南敬助という幕末を駆け抜けた一人の志士について、現代の人たちにこれまで以上に知られるようになったのは、『新選組!』、そして堺雅人さんのお陰だと。
あ~20年以上も密かに想っていて良かった。本当に良かった。

堺雅人さんの名を世間に知らしめたのが、『新選組!』での山南敬助である一方で、山南敬助の名を現代に知らしめたのは、『新選組!』での堺雅人である。
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by eri-seiran | 2007-01-30 22:00 |  ドラマ/映画/舞台 | Comments(2)

山南忌の記念行事の内容が決定

平成19年(2007)3月11日(日)に開催される山南忌の記念行事の内容が、新選組屯所・旧前川邸の公式サイトにて発表されたと、神変紅丼のレッドさんに教えて頂きました。
詳しい内容はこちらより

釣 洋一氏の講演は予想しておりましたが、他にも舞奉納、一人芝居、そして天然理心流 「撥雲会」による居合演武。
天然理心流「撥雲会」についてはこちらより
キャー山南敬助のために多摩から来てくださるのね。
山南も学んだであろう天然理心流、山南も出稽古のために足を運んだ多摩。もう涙が出てきそうです。
結構、盛り沢山の内容になっていて、びっくりするやら、嬉しいやら。
しかしどれくらいの方が集まるのか、それも心配だったり。
あ~もうドキドキしてきちゃった。どうしよう。どうしよう。
まだ一ヶ月以上先のことで今からドキドキしてどうするの?またお前がそんな心配をする必要はないんだよと自分で突っ込んでおります(苦笑)。
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by eri-seiran | 2007-01-29 21:48 |  イベント | Comments(2)

『新選組!』再観賞 第4回と第5回

第4回『天地ひっくり返る』
安政7年(1860)3月2日


2004年2月1日 日曜日、第4回が放映されました。同じ年の8月22日の第33回放映とは違う、ドキドキ感がありました。それは期待のドキドキ感。そしてワクワク感。
夕食を済ませ、食器なども全て片付け、数分前にはTVの前に座っていました。
だって、堺雅人さん演じる山南敬助が土方や近藤らと初めて出会う回でしたから。

今回、鑑賞して、この回はキーポイントになる回だなと改めて思いました。近藤勇が『新選組!』において、重要人物となる山南敬助、芹澤鴨、斎藤一に出会うシーンであり、それぞれの出会いがお互いに大きな影響を与えることに。山南について考えた場合も坂本からの手紙によって、山南のその後の人生を変えることになる近藤・土方らと出会うわけです。
天狗であった沖田総司が山南敬助と立ち合い、負けたことによって落ち込み、そこから改めて学び、本当に強い剣士になっていく。ここで山南に負けていなかったら、総司は天狗になったままだったかもしれない。
山口一(斎藤一)が近藤勇と芹澤鴨の両方に同じ日に会うのも後の斎藤のことを考えると面白いな~と思う。律儀な斎藤が後にこの二人の間で迷うわけですから。
芹澤鴨が尽忠報国の志を動かしてくれる広岡子之次郎によって、近藤に出会うことになるのも面白い。近藤についてもそうなんですよね。広岡子之次郎によって、芹沢鴨と斎藤一に出会うわけですから。そして坂本と出会ったことから山南敬助に出会う。人と人を繋ぐ不思議な縁。
それは2004年の自分もそうでした。『新選組!』が放映されなかったら、そして自分があんなにはまらなかったら、出会うことはなかっただろうと思われる人たちに出会いましたから。
そう、この回で一番のキーポイントは橋本じゅんさんが演じた広岡子之次郎なんですよね。
山内圭哉さんの橋本左内と同様に、橋本じゅんさんもすごく良い。良い役だし、上手い。『噂の男』のモッシャンを演じた方と同じ役者だとは思えないよ~さすがだなと思う。
広岡子之次郎によって出会い、そして近藤も芹澤も山南も、自分らと年の変わらない広岡らが、身を犠牲にして起こした桜田門外の変を目にして、彼らも動き出すわけですから。

そしてこの回で、忘れてはならない山南敬助と土方歳三との出会い。山南は近藤より先に土方に会っているんですよね。
石段を上がって帰ろうとする山南を引きとめようとする土方。土方は試衛館を有名にするために策を練った。総司が山南に勝つと思った。しかしそれは失敗に終った。
そして自分や近藤にないものを持っている山南。羨ましいところもあり、でも気に食わない。しかしちょっと気になるといったところだったのでしょうか。

山南敬助、満27歳です。史実の山南敬助はすでに試衛館に出入りしていていたであろうと考えられます。土方が正式に天然理心流近藤周助の門人になったのが約1年前の安政6年(1859)の3月という記録が残っています。この時に山南はすでに試衛館に出入りしていたのだろうか?史実の山南敬助と土方歳三の最初の出会いはいつで、どのような出会い方だったのだろうか。このドラマにおけるあの出会いのシーンを観るたび、考えてしまいます。

2004年、この回を観終わった後、ホッとしました。堺雅人演じる山南敬助、期待できそう、今後が楽しみと思いました。
そしていみじくも、2007年の今日は大河ドラマ『風林火山』第4回の放映です。

第5回『婚礼の日に』
安政7年(1860)3月29日


藤堂平助が登場。この平助の登場のシーンは好きです。
婚礼の受付けをしている山南。そこに土方、総司が来て、平助が祝儀を持ってくる。山南にそれを渡そうとすると、土方が横からそれを取って、そんな無礼な土方に、山南が「土方さん」と言って取上げるところは、なんか兄が弟にたしなめているような感じで、微笑ましい。
第34回で分かるのですが、山南敬助はこの婚礼に来る前に千葉道場を辞めて、試衛館にやってきたのよね。
そして山口一(斎藤一)との出会い。これで山南は、試衛館派の9人の中で、まだ出会っていないのは永倉新八と原田左之助のみに。斎藤一は新選組副長・総長になってからの山南敬助のキーポイントとなるところを全て見ているのですが、一方、山南敬助は斎藤一(山口一)が芹澤鴨・近藤勇の間で揺れる理由となる所を見ていたんだよな~
そしてこの山口一(斎藤一)が近藤を頼ったこと、自分の婚礼そっちのけで山口を救おうとしたことによって、さらに近藤という人物に山南は惚れたんだよね。
また山南が源さんをそれまで奉公人と思っていたのが、近藤の兄弟子とわかって、急に態度が変わるところも好き(笑)。
全体的に楽しくおかしく描かれており、新選組は全体的に暗く悲しくなっていく話しですが、そんな中で前半に楽しく面白い回があるのもいいな~と改めて思いました。
史実の婚礼はこんな感じではなかったと思いますが(苦笑)。小島鹿之助と佐藤彦五郎があんなキャラクターではなかったですからね。『新選組!』では、小島鹿之助と佐藤彦五郎のあのキャラクターは和やかな雰囲気を作ってくれてもちろん良い。
また『新選組!』の山南敬助にとっては、これまでになかった環境だっただろうな~と思ったり。

この時、史実のままでいきますと、井上源三郎が満31歳、山南敬助が満27歳(天保4年説の場合)、近藤勇が満26歳、土方歳三が満25歳、沖田総司が満18歳、斎藤一と藤堂平助が満16歳(平助は満15歳の説もあり)。
みんなそれなりにという感じですが、斎藤一の場合は史実の年齢で考えない方がいいですね(苦笑)。
史実の山南敬助も婚礼の席にいたのかな?いたかもしれないよね。

さてここまでは順調に記事にできていますが、今後の自分のスケジュールを考えると、どうなることやらという感じです。
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by eri-seiran | 2007-01-28 16:10 |  ドラマ/映画/舞台 | Comments(0)

松本捨助

山南敬助を語る時、小島鹿之助、佐藤彦五郎、富沢政恕など多摩の人たちを記事にてよく挙げているものの、カテゴリーの多摩の人たちにおいて、記事としてきちんと書いたのは、井上松五郎橋本政直のみであることに最近、気付きました。
そこで今回は、『新選組!』にて中村獅童さんが演じた滝本捨助のモデルとなっている松本捨助について書きたい。今後、『新選組!』の再鑑賞の記事にておいて、滝本捨助の名前が出てくることも度々あるでしょうから。

松本捨助は、弘化2年(1845)の生まれです。山南敬助より12歳か、或いは9歳年下になります(山南の生年については二つの説がありますので)。また藤堂平助や斉藤一らに近い年齢です。二人より2歳ほど年下。
捨助は、本宿村、今の府中市西府町に住む名主の松本友八の一人息子として生まれました。この先祖が、今話題の武田軍の家臣であり、後に徳川幕府の八王子千人同心になったという由緒書が残っているそうです。
先祖がそういうわけであり、また多摩という土地柄から、当然ながら天然理心流の剣術を学ぶことになるわけです。捨助は、日野宿の佐藤彦五郎の道場に通い、佐藤彦五郎宅の近くに住んでいた同じ年頃の古谷優之助と熱心に剣術の練習をしたらしい。
しかしこの捨助、幕末・明治の俠客であった小金小次郎(新門辰五郎の弟分)一家に出入りするようになり、実家から離れていった時期がありました。これには面倒見の良い佐藤彦五郎も困ったようです。それからちょっとして、兄のような存在であっただろう近藤勇や土方歳三らは、浪士組として上洛することを決意。小金小次郎一家に出入りしていた捨助ですが、この話しを聞いて自分も一緒に行きたいと願ったそうですが、身内から反対されて共に上洛すること叶わず。
それでも諦めきれず、文久3年(1863)11月に壬生を訪ね、新選組に入れてくれと土方らに頼みました。しかし一人息子だから駄目だ!と、断られたそうです。そして多摩に帰るように言われ、その時に託されたものが、土方の女自慢などが書かれた書簡と、血糊が付き、折れている山南の佩刀である摂州住人赤心沖光などの刀三振りです。
捨助、この時期に、呼ばれもしないのに京に行ってくれて、そして土方らに断れながらも、託されたものを江戸・多摩まで持ち帰ってくれてありがとう。あなたは、なんって良い人なんだ。もしこの時、あなたが京に行かず、或いは京に行って土方らに入隊を断られても、『新選組!』の滝本捨助みたいに京に居たままであったなら、山南の佩刀の赤心沖光は現代にこのように伝わることはなかったかもしれない。今更ながら、あなたは本当に素晴らしい人だと認識しました。

さて、そんな人の良い捨助、江戸・多摩に託されたものを持ち帰った後、結婚して子供も生まれたそうですが、やはり諦めきれず、新選組に入れてくれ!と頼みました。その時は土方らに許してもらい、やっと念願が叶ったという次第です。それは、甲陽鎮撫隊の時だったと云われています。その後の厳しい戦の中、会津までは山口次郎(斎藤一)に付き、土方が会津で合流した後は土方に付き、仙台まで行きます。しかし仙台にて、あとは無いと思っていただろうと思われる土方に説得され、捨助は斎藤一諾斎(捨助と同じ頃に、僧侶から新選組の隊士になった方)と共に仙台にて、新政府軍に投降。そしてこの時の有名な逸話があります。土方は別れる前に、身内のいない一諾斎には30両、捨助には10両を餞別として渡したと云われています。

その後の捨助は、再び小金井小次郎の所に身を寄せたり、山岡鉄舟との付き合いがあったり、三河のセメント会社にいたり、名古屋の商店にいたり・・・
明治の末に多摩に戻り、大正7年に亡くなったとのこと。享年74です。
まさしく波乱万丈の人生。同じ所に留まらない、しかし最期は原点に戻るという点は、『新選組!』の滝本捨助と重なるところがあり、三谷さんはその辺りを意識して滝本捨助という人物を描いたのだろうか?
とにかく波乱万丈の人生。明治以後、昔を思い出すこともあっただろう。血糊の付いた赤心沖光を京から江戸・多摩まで持ち帰ったことを思い出したりしただろうか?
山岡鉄舟とそんな昔話をしたかもしれない。

『新選組!』で、堺雅人さん演じる山南敬助と中村獅童さん演じる滝本捨助は、第5回の近藤の結婚披露宴で初めて出会ったことになっています。
史実の山南敬助と松本捨助はどうだったんだろう?
山南も多摩方面に出稽古に行っていることから、上洛するまでに出会っていただろうと思われます。捨助が一緒に剣術の練習をした古谷優之助が山南と出会った記録は残っていますし。

松本捨助が残した49歳の時の写真。とても粋な方と見受けます。
あ~この方が山南敬助の佩刀である赤心沖光を持ち帰ってくれたのね。
本当に感謝!感謝!です。
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by eri-seiran | 2007-01-27 14:30 |  多摩の人たち | Comments(0)

『新選組!』再観賞 第2回と第3回

今更、このような記事を何故に書いているかと不思議に思われる方は、こちらの記事に詳細を書いてあります。

今日は、モーニングシフトだったので、仕事が早く終り、17時過ぎには家に帰り着きました。『新選組!』の第4回放映中、山南敬助が試衛館を訪ねる回でした。しかし観ていません。思わず観ようかと思ったのですが、まだ第2回、3回を観ていなかったので、やはりここは我慢、我慢。

夕食の前に第2回、そして夕食を取りながら第3回を観賞。
2004年1月、第1回の放映があってから、第4回の放映までが、山南ファンである私にとっては、とてもとても長く感じられましたが、今思うと、第2回と3回のわずか2回だけだったのね?という感じです。そんなわけで、正直言うと、2004年の時には、この第2回と3回がちょっと退屈だったりもしたわけです。そしてもう一つ、第2回『多摩の誇りとは』にて、多摩で近藤勇と土方歳三に出会う永倉新八と原田左之助。何故、近藤と土方が、山南より永倉や左之助に先に出会っているんだ!と、ちょっとおもしろくなかったりしました。史実では、試衛館派のメンバーの中で山南敬助が元々の天然理心流のメンバー以外では一番に近藤らと出会っただろうと云われています。しつこいですが、多摩の人達とも懇意にしていましたし、唯一、襲名披露の野試合にも出ていますし。その時代に多摩の人たちが残した記録に、浪士組として上洛するまでに名前が出てくるのは、元々の試衛館のメンバーでは山南敬助だけです。山南だけなんですよ。
しかしこのドラマで同じようなパターンとして、上洛する前に、江戸にて近藤・土方らが坂本龍馬や桂小五郎と知り合いだったという設定になっています。それは有り得ないと批判もありましたが、絶対に知り合いでなかったと証明するものはありませんし、桂も坂本も江戸にいた時期があるわけですから、全く有り得ない話しではないわけです。そんなに批判しなくてもいいのでは?と、思っていました。反対に以前から知り合いだったという設定がなかなか面白いと思った次第です。そのことを考えると、永倉や左之助が山南より先に近藤らと出会っていたと言う話しも絶対に有り得ないことではないですものね。それにドラマですから。ドキュメンタリー番組ではありませんから(苦笑)。
そして後に近藤と袂を分つことになる永倉と左之助の二人の出会い方も面白いな~と改めて思いました。

第2回『多摩の誇りとは』
安政4年(1857)10月13日の出来事


佐藤彦五郎の日記に、近藤がこの年に何回か出稽古で日野に来ている記録が残っています。
2004年に観た時には、山南ファンの私にとってはちょっと退屈で、永倉と左之助が山南より先に登場?と思った回でありましたが、佐藤彦五郎、小島鹿之助、土方為次郎、宮川音五郎、佐藤のぶなど多摩の人たちが紹介されており、とてもいい。初回が新選組のメンバーがきちんと紹介されていて、第2回は多摩の人たちがきちんと紹介されているこの流れがいい。多摩の人たちは、この二人にとって、また新選組にとっても大事な人たちでありますから。滝本捨助は架空の人物ですが、モデルとなっている松本捨助も大事な人ですから。
まだ20代前半の近藤と土方。自分の歩く道を決めかねている二人。一緒にいたり、離れたり、この二人がいつのまにか磁石のように引っ付くんですよね。自分に自信がない、自分の歩く道を決めかねている土方歳三が、後のあの新選組の鬼の副長になるんだよな~と、知っていながらも驚きです。為次郎兄さんがしっかりと二人の未来を語ってくれていましたね。負けて多摩に帰ってきた土方歳三と為次郎兄さんが語るシーンを思い出し、目頭が熱く・・・

『新選組!』での山南敬助、この時、満24歳。千葉道場にて北辰一刀流を学んでいたのであろう。あくまでもドラマでの私的な設定です。史実では、千葉周作は安政2年に亡くなったらしい。
前回、書き忘れましたが、第1回の嘉永7年(1854)は、満21歳。その時は千葉周作に教えてもらっていたのでしょう。一方、史実の山南敬助は小野派一刀流の大久保道場にいたと思われます。

第3回『母は家出する』
安政5年(1858)8月14日の出来事


橋本左内登場(笑)。『噂の男』を観れば観るほど、『噂の男』でボンちゃんを演じていた山内圭哉という同じ役者さんが橋本左内を演じていたとは思えないよ~これは山内圭哉さんが幅広い演技のできる役者さんということですね。そしてボンちゃんの役の時につけていた現代の髪型のズラより、ちょん髷のズラの方が似合っているな~(苦笑)。
話を戻し、橋本左内と近藤勇は正しく一期一会だったのね(涙)。
この回は、それぞれの道を歩きながら武士になりたいと強く思った近藤と土方。武士らしく武士に。ここで近藤勇と土方歳三が夢に向かい強い絆で結ばれ、そして将来の新選組の柱ができちゃったんですよね。史実は分かりませんが、他所から来た山南敬助は入る余地なしという感じ(苦笑)。

この回で坂本龍馬と近藤勇が立ち合い、近藤が勝ちます。と言うことはですよ、次回に登場する坂本と同じ北辰一刀流の山南敬助は近藤勇にわざと負けたそうですから、坂本より山南の方が強かったということになるのかしら?
坂本さん、土佐に帰って、山南さんに試衛館の近藤勇を紹介した手紙を出したのね。もうすぐです。山南と試衛館との運命の出会いまで。

『新選組!』での山南敬助、安政5年は満25歳。千葉道場にいて、ちょっと色々と悩んでいた時期なのでしょうか?だからこそ、坂本から手紙をもらい、試衛館を訪ねることになるんだろうな~
史実の山南敬助は、すでに試衛館に出入りしていた可能性あり。

山南敬助が登場していないにも関わらず、こんなに長々と書いていたら、今後、どうなるんだろう(汗)。
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by eri-seiran | 2007-01-25 21:48 |  ドラマ/映画/舞台 | Comments(2)

八幡山に八幡堀、そして武佐宿

先日、所用で近江八幡に行って来ました。近江八幡と言えば、豊臣秀次が築いた八幡城があった城下町です。織田信長が築いて栄えた安土の商人や職人の多くは、八幡城下に移り住んだそうです。しかし再び城主の秀次が悲惨な死を迎えた後は、二度と城主を持つことはなく、各地で活躍する近江商人を輩出し、近江商人の故郷と言われるようになりました。
八幡城は、標高270mほどの八幡山というところにありました。今回は時間もあまりなく、天気も良くなかったので、頂上には行かなかったのですが、ロープウェイにて4~5分程で辿り着けます。以前、頂上まで行ったことがあるのですが、天気が良ければ、近江八幡の町並み、琵琶湖、比良山、比叡山、伊吹山などがきれいに見えます。ちなみにこの山々は、山南敬助らも上洛する時に見たはず。

この頂上に行くためのロープウェイ乗り場の近くに、八幡堀があります。琵琶湖と町を結ぶ運河です。今でも昔の風情が残っており、時代劇のロケ地としてよく使われています。現在、上映中の『大奥』や、TVの『大奥 華の乱 スペシャル』、また『鬼平犯科帳』等など数多く。大奥シリーズは殆ど観たことがないのですが、この『大奥 華の乱 スペシャル』だけは、再放送を観た後だったので、思い出しました。
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さてこの八幡山から、東に直線で3~4kmほど離れた所に東海道の宿場町である武佐宿があります。山南敬助らが浪士組として上洛する時、ここに泊しております。文久3年(1863年)2月21日のこと。京も近い、旅も終わりに近づいたということから、酒が振舞われたそうです。
この八幡山は、鶴が翼を広げたような美しい姿に見えることから、鶴翼(かくよく)山とも呼ばれたらしい。
2月21日に武佐宿に着く手前、2月22日、大津宿に向けて武佐宿を出立した辺りで、悲劇の八幡城があったと言われる美しい山を目にしながら、歩いたことだろう。
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by eri-seiran | 2007-01-24 22:13 | 歴史 | Comments(2)

2004年1月にタイムスリップ

したような感じです。
予約録画は間違っていないか。番組が始まる前におトイレに行っておこう。番組放映中、インターホンなどが鳴りませんように。
放映10分程前からドキドキ。
ただ3年前と違うのは、このドラマのストーリーなどあらゆることを全て知っているということ。だから、安心して観られます(笑)。
あの時はどんなドラマになるのだろう?どの逸話や説を持ってくるのだろう?山南敬助はどんな感じになるだろう?土方とは関係はどのように描かれるだろう?
そんなわけで、楽しみと同時に不安もありました。

そうです。『新選組!』の再放送が今日より、BSハイビジョンにて始まりました。こちらの記事でちょっと触れましたが、書き終わった後、観る方向に気持は傾いていった次第です。この記事を書いている時には観ようと決意していました。
DVDを持っています。予約録画しなくても、いつでも観られる環境にあります。だからこそ、なかなか観られません(苦笑)。

『組!』ファンでない友人に、「予約録画して観るなら、DVDを観るのと同じじゃん。」と言われ、「確かに同じかもしれないけれど、それはやっぱりちょっと違うんだよ。」と答えたのですが、昨日、事前に予約録画し、第1回放送の今日を迎え、これは大きく違うと思いました。予約録画すること自体から、自分のエネルギーが『新選組!』に費やされるのです。また予約録画したら、次の行動としては観る。放映されるものを観るということなのです。そして一応予約録画しましたが、今日はリアルタイムで観られる。それはさらにDVDを観るのでは、全く違う。

2004年、『新選組!』が放映された時は、自分はこのようなブログを持っておりませんでした。他人様のサイトで、いつの頃からか、感想等をほぼ毎回、書きたい放題、書かせて頂きました。今、振り返ると、恥ずかしい限りなんですけれどね。そこで色々な出会いがあり、そして現在、このブログがあるというわけです。
いつか、『新選組!』を改めて観直して、このブログで記事にしたいな~と思っていました。しかし気になるシーンがあったり、あの回が観たいな~と思ったりして観たりはしますが、最初からきちんと観て記事にしようということはなかなかできませんでした。
と言う訳で、今回、この放映を観て、記事にしていこうかな~と思っています。月曜日から金曜日まであり、リアルタイムで観られるのは、週に1回あったらいい方です。記事は数回分まとめという感じになるでしょう。またキーポイントの回は、1回分をそのまま記事にするかもしれません。どのような感じの内容になるかも全くわかりません。最初のうちは数回、記事にしても、山南死後は最終回にまとめてということもあり得るかもしれません。どうなるか、自分でもわかりません(汗)。
取り合えず、月曜日から金曜日までの予約録画だけはしている状態です。

さて、第1回『黒船が来た』は素晴らしい。本当に素晴らしい。
実は、昨年の1月3日に放映された『新選組!!土方歳三 最後の一日』を観た数日後に、この第1回を観たのですが、その時にこの第1回の素晴らしさに改めて気付かされました。
新選組の主な隊士たちがこんなキャラクターですよとしっかりと紹介されていて、そして幕末に大きな影響を与えた近藤と土方、坂本、桂が、自分たちの道を歩き出す一歩手前を描いているのがいいと改めて思いました。

そして山南敬助。第1回では、元治元年4月の山南敬助です。後の芹澤派暗殺から池田屋事変までの山南、つまり第26回「局長 近藤勇」に登場するあたりの山南敬助なわけですが、その山南敬助とはキャラクターがちょっとだけ違うんですよね。本当なら、同じキャラクターでなければいけないのですが・・・
しかしそこが面白いと思ったりします。
第1回や4回などで登場する山南はちょっと嫌みなところがあり、土方が機嫌を悪くしても仕方ないよと私だって思いました。しかし三谷さんとキャッチボールする中で、また斎藤一含めた試衛館派のメンバーによって出来上がった山南敬助であると堺雅人さんが仰っていたように、山南を演じていく中で山南敬助自身が変わってくるんですよね。 
だからドラマとしては、あれ?と思うのですが、演じる中で変わっていたということがよく分かるので、それはそれで面白い。

3年前に第1回を観終わった時には、それまでの不安が少し消えて、今後への期待と安堵感があったようなことなども思い出したりしています。
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by eri-seiran | 2007-01-22 22:24 |  ドラマ/映画/舞台 | Comments(0)

東寺の五重塔

山南敬助や試衛館派のメンバーたちが、熱い思いを持って上洛した時、ここが京であると感じられたのは、どんな景色が目に入ってきた時だったのだろう。江戸日本橋からの最後の峠である九条山から見渡すことができただろうと思われる京の景色だったのだろうか?それとも終点である三条大橋に着いた時、人々で賑わう景色だったのだろうか?

遠い昔のこと。私が大学受験のために憧れの京都に初めて来た時、ついに京都に来たんだと思い感動した瞬間は、大坂の伊丹空港から空港バスで京都市内に入り、東寺の五重塔が見えた時でした。
今でも、実家や旅行先から帰って来て、空港バスや新幹線から、この五重塔が見えると、あ~帰ってきたんだと思えます。

昨日から泊まり掛けて、新選組の2番目の屯所界隈に住む友人宅に遊びに行っていました。友人が、「明日の21日は東寺の弘法さんだし、行こうよ。」と言い出し、そう言えば、弘法さんはもちろんのこと、東寺も行ったことがないことに改めて気付きました。
と言う訳で、本日、友人と行って来ました。
東寺(教王護国寺)についてはこちらより
弘法さんについてはこちらより
お昼前のニュースで、初弘法でいつもより露店も多く、沢山の人で賑わっていると言っていましたが、とんでもありません。賑わっているというより、日曜日と初弘法が重なり、大変な混雑でした(苦笑)。
色々な露店があるものの、ゆっくり見て回れる状況ではありませんでした。とりあえず初弘法に行ってきましたよと言ったところです。友人談、日曜日は避けるべき。

さてこの東寺は、南側は九条通り、北側は八条通り、東側は大宮通り、西側は壬生川通りに面しています。つまり京都駅より南側であり、壬生川通りを北上すると、そう壬生界隈に辿り着くのです。それだけのことなんですけれどね(笑)。
その東寺にある五重塔。この五重塔は57mあり、現存する木造の古塔では日本一高いらしい。そして私にとっては、その57mの五重塔が、京都にはじめて来た時に見た京の景色なのです。
山南敬助も京の町のどこかで、この五重塔を見ただろうか。
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by eri-seiran | 2007-01-21 18:46 | 身辺雑記 | Comments(2)

小野派一刀流の大久保道場と天然理心流の試衛館

前回の記事の山南敬助のプロフィールにて、山南の学んだ剣術としては、小野派一刀流北辰一刀流天然理心流を挙げました。
昔は、北辰一刀流のみを挙げる研究家の方々が多かったと思いますが、新しい新選組関連の書籍では、山南が学んだ剣術として北辰一刀流を挙げていない場合も少なくありません。
小野派一刀流と天然理心流は証明できるものがあることから間違いない。しかし北辰一刀流も生き残りの同志だった方がそう残した以上、無視はできないと思っています。後、小野派一刀流から分流して北辰一刀流ができていることも何らかの関係があるのではないかと思ったり。

さて、小野派一刀流については、何回も触れていると思いますが、今日に残る山南敬助の唯一の真筆
 
飯田町堀留大久保九郎兵衛門人
   一刀流 山南敬輔


大久保九郎兵衛が教えていた一刀流とは、小野派一刀流であった記録が残っています。その大久保道場があったのが、この辺りであると云われています。東京都千代田区西神田です。
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天然理心流であったことは、近藤勇の四代目襲名披露に参加していることや、多摩へ出稽古に行っていること。そして、天然理心流からの参加名簿と思われる連名の記録に以下のように書かれているからです。これは、小島鹿之助の『文久三年異聞録』に、近藤の書簡より小島が写したものらしい。

武州石田村  土方 久造
          土方 歳三
同日野宿    佐藤喜四郎
          谷 定次郎
          中村太吉郎
          井上源三郎
江戸市ヶ谷  浪人 山南啓輔
           同  澳田惣次
           同  近藤 勇

                   (『新選組日誌コンパクト版上』より抜粋)

このうち、土方久造、佐藤喜四郎、谷定次郎は浪士組への参加を取りやめています。ここでのキーポイントは、試衛館に山南が住み込んでいたことがわかること、元々の天然理心流のメンバーと同じように名前を挙がっていること、そして他の試衛館派の永倉などのメンバーの名前がないことです。山南は元々の天然理心流のメンバーと同格の扱いを受けていたと思われます。
その天然理心流の道場であった試衛館跡はこの辺りです。
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山南敬助に関することで実行したいことが山ほどあります。例えば、大坂での常宿にしていた京屋跡近くにあるビジネスホテルアバンティ天満橋に泊すること。山南敬助が眠っているすぐ近くにあるアークホテル京都に泊すること等など。
それら実行したい一つに大久保道場跡から試衛館跡まで歩くということがあります。これは、夏は避けるという条件付きです。1年半くらい前から、やりたいな~と思っていたのです。その時から夏は辞めておいた方がいいよねという感じだったのですが、昨年の夏の経験上から、絶対に夏は避けるべき!という条件になりました。そしてこの冬、実行しようかな~と計画中です(苦笑)。
この忙しい年度末にそんなことをしている場合じゃないのですが、冬は山南敬助のことになると、うずうずしてきて、そして実行に向けて動き出してしまうのです。
山南敬助が新選組関連の年譜で初めて登場するのが、日野に出稽古に行った文久元年(1861)の1月、また同じように出稽古で翌年の1月に登場、浪士組の結成が決定されたのも12月、上洛を前に総司と二人で小島鹿之助を訪ねたのも1月、浪士組として京を出立したのは2月、そして山南の命日も2月。
私がこの時期になると、うずうずするのはこれらが影響しているのではないかと思ったりしております。
去年も1月の末に多摩・江戸を訪ねたおかげで、ミラクルが起こりましたから。   
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by eri-seiran | 2007-01-19 00:30 |  ゆかりの地 | Comments(0)

山南敬助をメインにしたブログです。ホームページ『山南敬助 赤心記』共々よろしくお願い申し上げます。


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