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それから約3年3ヶ月後

に、沖田総司はこの世を去りました。

慶応4年(1868)5月30日 享年27

今日は旧暦での総司の命日です。新暦で考えた場合は、7月19日です。
タイトルのそれからというのは、山南の死からです。元治2年(1865)2月23日。

浪士組として京に行くことが決まり、文久3年(1863)1月に山南兄と総司は二人で、小野路村の小島鹿之助宅に挨拶に行き、一泊している。
江戸から小野路村までどんなことを話したたんだろう。小島宅では布団を並べて寝たんだろうな。
総司は山南を兄のように、山南は総司を弟のように思っていたとよく云われているけれど、そうだったと言える当時の記録は残っていない。
でもこのようにして二人で行ったことなどを考えると、そう思いたい。
総司から見た山南、山南から見た総司、小説などでは色々な描き方がされているけれど、実際はどうだったのだろう。

山南の死から3年3ヶ月。総司にとっては幸せな日々では決してなかったはず。
病との闘い。
病のために思うように闘えぬ悔しさ。
総司と恋仲にあったのではないかと云われる女性の死。
平助や源さんとの別れ。
鳥羽・伏見での敗北。
近藤や土方らに付いていけない悔しさ。

そんな3年3ヶ月の間に、共に試衛館で過ごしたこと、また一緒に多摩に行ったことなど山南を懐かしく思い出すことがきっとあったよね。
あったと思いたい。
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by eri-seiran | 2007-05-30 22:10 |  同志たち | Comments(0)

愛の対象は現代に存在しない人

ここは、山南敬助をメインにしたブログということにしておりますが、山南敬助以外の記事でも書きたければ、多々書いてきました。例えば大好きな堺雅人さんや山本耕史君のこと、それ以外の『組!』の役者さんたちのこと、それ以外の好きな役者さんやドラマに映画に舞台に、また自分の身の回りで起きたこと、感じたことなどなど。

でも片岡孝太郎さんの舞台については、書きたいけれど、書くのが苦しいというものがあり、我慢して抑えているところもありました。4月などは我慢しきれず、思いっきり書きながら、山南敬助に申し訳ないという気持ちがありました(苦笑)。
だってゾッコンなんだもの。浮気をしていることを堂々と宣言しているようなものなんだもの、私にとっては。
それなら堺雅人さんにもゾッコンだけれど、思いっきり書いているではないか!ということになるのですが、それは山南敬助をメジャーにしてくれた方だから、OKなんだ。耕史君や『組!』の役者さんたちも『新選組!』に出演していた方々だからOKなんだ。しかしそれ以外の方についても書いているけれど・・・それはただ今、それほどゾッコンでないからだろうと、色々と考察しておりました。

しかし最近、その理由がはっきりしてきました。
レッドさんの記事で教えてもらった木精占いをしてみたら、私はリンゴでした。

SQ Life 木精占い

時に不幸なほど相手に惚れ込み、恋に没頭するでしょう。

あるあるあるわよ。あったわよ。

そして
愛の対象は異性に限らず、家族、友人、他人など様々です。

あるある。そういうところは私にある。

そして愛の対象が、現代に存在しない人の時もある。まさしく今の状態である。愛の対象は、山南敬助。
そして、同じように現代に存在しない人、それも女性にゾッコン。それは、舞台にて片岡孝太郎さんが演じる現代に実在しない女性。
約140年前には存在した人と、一人の歌舞伎役者さんが演じる舞台上での女性という大きな違いはあるものの、私の中ではなんか相通じるものがあるのです。
堺さんのことは堂々と書けても、孝太郎さんの舞台のことを堂々と書けないのはそこの違いなんだ。

昨日、『三響會』の記事を書いた後、思ったんです。山南に遠慮することなく、堂々と記事を書けた。それは孝太郎さん演じる女形についてではなく、歌舞伎役者・片岡孝太郎さん自身のことを書いたからである。

これまでこの女性の方、素敵だな~とか、自分もあんな女性になりたいな~と思ったことはありますが、ゾッコンと言うものはなかった。
孝太郎さん演じる女形にゾッコンな自分を見ていると、自分がもし男だったら、ビジュアル的には、あのような女性を好きになるのかな~と思ったりする今日この頃でございます。
また土方でなく、山南敬助が好き。愛之助さんでなく、孝太郎さんを好きになるのも、私らしいと思ったり。
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by eri-seiran | 2007-05-29 14:14 | 身辺雑記 | Comments(3)

去年の12月に一目惚れした

海女千鳥を演じていた片岡孝太郎さん出演の三響會を、それも同じ場所である京の南座で観て参りました。

これは能と歌舞伎という二つの古典芸能を比較・融合させて、同時に楽しみというものとのこと。
歌舞伎界からは松嶋屋の片岡孝太郎さんと片岡愛之助さんが出演。そして今でも好きですが、一時は江戸までは足を運ぶほどではありませんでしたが、関西での舞台は何回か観に行ったことがある野村萬斎さんも出演。
野村萬斎さんに、はまったきっかけも大河ドラマでした。1994年に放映された『花の乱』で演じた細川勝元。片岡愛之助さんを知ったのも大河ドラマ『新選組!』の続編ドラマ『新選組!!土方歳三 最後の一日』で演じた榎本武揚。
そしてなんと片岡孝太郎さんも昔に大河ドラマに出演しているんです。1991年の『太平記』で主人公の足利尊氏@真田広之の嫡男の足利義詮役。『太平記』は観ていたんだけれどな~覚えていない(汗)。お父さんの片岡仁左衛門さん(当時は片岡孝夫)も後醍醐天皇役で出演されていて、これは覚えている。
とにかく私が好きになる方は、大河ドラマ絡みが多いみたい。

さて、舞台の方ですが、初めて生の孝太郎さんを観たというのが今日の一言です(苦笑)。
だってこれまでは女形を演じる孝太郎さんを観てきたわけですが、今日は立役で、藤間勘十郎さんとの舞踊『喜撰』でした。だから白塗りもしていないし、鬘も付けていないし、衣装もシンプルだし。あ~これが孝太郎さんだ~と実感。しかし勘十郎さんの喜撰法師が見惚れてしまうお梶という女が孝太郎さん。だから女形ではなくても色気はありましたよ。踊りも品があり、きれいでした。
私的には、ラストの能と歌舞伎による『石橋』が、派手さがあり、楽しめました。愛之助さんの獅子は勇敢で、赤くて長い毛を様々に派手に振る様は見事でした。
ところでこの『三響會』は、昨日の27日(日)の17時からの夜の部と今日の昼の部と夜の部の3回公演だったわけですが、26日は俳優祭でお二人とも東京だったわけでしょう?
と言うことは、27日の午前中に京都に来たんだろうな?そして17時から舞台。17時までの限られた時間にリハーサルをされたのでしょうか?すごいな~

上方歌舞伎に力を入れているということ、同じ松嶋屋ということもあってなのでしょうか、同じ舞台に立つことが多いお二人さん。
このお二人が、今度は一緒に映画『Beauty』~美しきもの~に出演。農村歌舞伎を愛し、女形である主人公が孝太郎さん。農村歌舞伎では、立役である主人公の友人が愛之助さん。そして他におりょうさんにしずかちゃんこと麻生久美子さんも出演。また片岡仁左衛門さんも特別出演。
松嶋屋の3人と監督との記者会見はこちらより
この映画がクランクアップしたそうです。
あ~これも楽しみ。
ただ、今月の上旬に亡くなられた北村和夫さんも村長役で、昨年から撮影に入っていて、5月に撮影するシーンが残っていたらしいけれど、どうなったんだろう?
とにかくこれが最後の作品となるんだね。好きな役者さんの一人でした。

そうそう、本日のプログラムにも、孝太郎さん、愛之助さんの紹介に映画『Beauty』~美しきもの~の公開も控えていると書かれてありました。
こちらの方はこれから編集作業に入るそうですから、公開には時間が掛かりそうです。しかし好きな役者さんたちの舞台・映画が毎月のようにすでに入っていますから、しばらくは我慢できそう。そして来月は、『双蝶々曲輪日記』での孝太郎さん演じる女房お早ですから。
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by eri-seiran | 2007-05-28 21:55 | エンターテインメント | Comments(0)

試と誠

先日の記事『新選組!』再鑑賞 第21回では、京にて留守番組だった土方歳三@山本耕史には全く触れなかったのですが、上半身、裸になって体を拭くシーンを見て、すごいな~この筋肉、お梅@鈴木京香さんにも言われていたけれど、色が白いな~とか、土方とはあまり関係ないことを考えていました(笑)。

ところで、この21回で誠の旗が登場します。山南や近藤たちが留守の間に、土方は藤堂平助@中村勘太郎や旗持ちとなる尾関雅次郎@熊面鯉に出来上がった旗を見せます。
誠にした理由に、誠の道を進む近藤先生にふさわしいということ、そして
風になびけば、試みるという字に見えなくはないし。
と、土方が旗をなびかせるんですけれど、ちょっと無理があるかな(苦笑)。
試みるの試は試衛館の試なんです。

これもあって、また山南敬助が主人公である小説『新撰組 山南敬助』が復刊されるとなって、山南敬助が主人公である短編小説を思い出しました。早乙女貢氏の『散りてあとなき』です。

試衛館の時代から、土方歳三はどうしても山南敬助とは性格的に合わず、山南を受け入れることができず、目障りであった。苗字が本当は山南と書いてヤマミナミであるのに、人はヤマナミと呼んだり、サンナンと呼んだりすることも気に入らず、正式はどっちなんだと突っかかったり。しかし山南はそんな土方のことは気にせず、軽く流していた。試衛館にいる時にはそれでよかったが、新選組となってからは、山南も流してばかりではいられなくなる。新選組のため、また自分の立場上、元々の性格から、意見する。そのためにどんどん土方と確執が生じてくる。山南を尊敬していた近藤であるが、やはり多摩のつながりは強いと言ったところだろうか。
芹沢鴨の暗殺には仕方なく参加したが、納得できない。体調が悪くて池田屋事変にも参加できず、伊東甲子太郎の入隊によってさらに疎外感を感じ、そして決定的だったのが西本願寺への移転問題。ついに山南は脱走した。インテリで線の細い山南は新選組という組織の中にいるのには耐えられなくなった。

このように、山南敬助と土方歳三の確執を描いた内容であります。

その確執の原因の一つにこのようなことがあったのです。
この小説では、近藤勇の天然理心流の道場の名前は誠衛館であったのです。ある日、看板を新しくするのに、土方が自分より書くと言い出し、誠衛館と書いた。
しかし字が崩れ、お世辞にも上手いと言えなかった。そしてそれは試衛館とも読め、
「誠衛館でなく、試衛館だ」と言った者もいた。
土方はそれを言ったのが、山南だと思い込んでいた。

物語の中では真実は明らかにされていないのですが、山南ではないと私は思う。

誠衛館が試衛館と読まれたという小説の中での話と、ドラマ『新選組!』においては、誠が試衛館の試にも見えないということもあって誠にしたという話。
面白いな~なるほどね~と、思った次第です。

『新選組!』の土方歳三は、壬生浪士組という看板は山南敬助に書いてもらっていました。『散りてあとなき』の土方も、素直に山南敬助に誠衛館と書いてもらっていたら、試衛館と読む人もいなくて済んだのに(苦笑)。
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by eri-seiran | 2007-05-26 10:21 |  本 | Comments(0)

10石舟に乗って考えたこと

秋山香乃さんの『新選組藤堂平助』(文芸社)の山南敬助は、文久4年(1864)の正月に、将軍上洛のために大坂入りし、滞在中、岩城升屋より、不逞浪士から脅かされていると助けを求められ、土方歳三と二人で駆け付け、不逞浪士と戦い、土方を庇い、大怪我をした。そのために大坂の旅籠で療養し、沖田総司が用心棒も兼ねて、看病した。
2月になって、山南は大坂から京の壬生の屯所に帰ってきた。

北方謙三さんの『黒龍の柩』(毎日新聞社)の山南敬助は、文久3年(1863)の暮れ、将軍警護のために大坂に先乗りしていた。山南はどこかで攘夷派の浪士と斬り合いになり、倒れていたのを発見された。意識が戻ったのは、土方たちが大坂での将軍警護が終わり、大坂を出発した後だった。山南は3月に大坂から山科に移って静養し、壬生の屯所に戻ったのは禁門の変も終わった夏だった。

先日、伏見で10石舟に乗った時、大坂で不逞浪士と戦い、大怪我をした山南のことを考えていました。大坂行きはこの伏見から30石舟に乗って行っただろう。しかし大坂で大怪我をした山南は、一緒に来たメンバーとは帰れなかったのではないだろうか?しばらく、大坂で療養していたのではないだろうか?そしていくらか経ってから、京に帰ってきたのだろうか?やはり来た時と同じように30石舟に乗って帰ってきたのだろうか?誰かが付き添っていたのだろうか?
あるいは歩けない状態であったなら、戸板で運ばれ、舟に乗り、帰ってきたのだろうか?
そんなことを10石舟にて、奇麗な景色を見ながら考えていました。

大坂で不逞浪士と戦い、大怪我をし、その後、表舞台には立てなくなった。壬生の屯所で静養していたのだろうか、屯所以外の京で静養していたのだろうか、それとも大津で静養していたのだろうか?などについては、これまで考えたりしてきましたが、いつ頃、どのようにして、大坂から帰ってきたのだろうかと、考えたことはありませんでした。

これまでのように歩いたり、今回のように10石舟に乗ったり、現代においてできる当時と近い体験をしてみることによって、新たに気づいたり、感じたりすることもあるわけです。今回のことは考えれば考えるほど、滅入ってしまいそうですが、殆どは嬉しかったり、楽しかったり。
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by eri-seiran | 2007-05-24 23:01 |  山南敬助 | Comments(0)

壬生寺

21日、南座の前からバスに乗り、壬生界隈に向かいました。
まずは光縁寺へ。
3月11日の山南忌以来でした。来るたびに墓石の欠けているところが増えたように思うのは気のせいだろうか?

綾小路通を西に歩き、旧前川邸の所を左に曲がり、坊城通を南に下る。八木邸前、新徳寺前を通って、山南忌の記念式典が行われた壬生寺へ。
16時半近く。あの日とは違って、静かな壬生寺。しかし境内には子どもたちの姿もあり。
沖田総司はこの壬生寺で子どもたちと遊んでいたと云われている。
山南敬助もこの壬生寺には来たことはあるだろう。
子どもたちと遊ぶ総司を微笑ましく見ていたかもしれない。
山南も子供が好きだったと云われている。山南も一緒に遊んであげたかもしれない。

壬生寺の本堂の階段に座り、境内で遊ぶ子どもたちに鳩、そしてこのようなきれいな青空を見ながら、そんなことを考えていました。
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by eri-seiran | 2007-05-23 23:34 |  ゆかりの地 | Comments(0)

10石舟にて約140年前に浸る

昨日が山南Dayであった理由其の壱は、『新撰組 山南敬助』の復刊が決定したこと。其の弐は山南会の会員之証が届いたことでした。そして今日は其の参です。
先週、関東にお住まいのふみさんから、21日に南座での坂東玉三郎特別舞踊公演を鑑賞するために、20日にから関西入りすると連絡を頂きました。その時から、この特別舞踊公演のチケットもまだ余っているようなので、ご一緒に鑑賞して、お勉強させて頂こうかな~とも考えていました。
20日の朝から関西入りしたふみさんは、伏見の新選組ゆかりの地を中心に巡ったそうです。私は仕事だったため、ご一緒できずに、夜にお会いし、夕食をとりながら、その伏見の新選組ゆかりの地や歌舞伎の話しなどで盛り上がりました。伏見の新選組ゆかりの地は山南敬助にとっては殆ど関係ないこと、いつでも行けるという思いから、殆ど行ったことがありませんでした。しかし今回、ふみさんが巡った所で、これは山南敬助も関係あるという所があり、とても興味があったのが10石舟での伏見の宇治川遊覧。
これはいつか行きたい、乗りたいと思っていたものの、やはりいつでも行けるということから、なかなか実現できず。しかしふみさんの話を聞き、パンフレットを見せて頂いたら、近いうちに行きたい、乗りたいと思いました。

翌朝の21日、その時点でまだその日の私の行動は決まらず。ふみさんと一緒に坂東玉三郎さんを観るのも捨てがたい。
しかし来週の月曜日に南座で三響會を鑑賞することになっていますし、6月24日には江戸の国立劇場にて6月歌舞伎鑑賞教室「双蝶々曲輪日記」、翌日の25日には歌舞伎座での六月大歌舞伎の夜の部を鑑賞予定ですし、また7月には大阪の松竹座での七月大歌舞伎を絶対に観に行きたいと思っていますし、それを考えるとお財布の方が厳しい。こちらも相変わらず、爆走中です(苦笑)。
そこでどうしょうと思っていたのですが、朝、カーテンを開け、前日までの雲が一つもない青空を見て、心が決まりました。ふみさんと一緒に京に出て、ふみさんが南座で鑑賞中、私は伏見まで足を伸ばし、10石舟に乗ろうと。

京にて一緒に昼食を済ませた後、舞台が終わる15時半に南座の前で落ち合うことにして、南座の所で別れ、私はそのすぐそばにある京阪の四条駅から特急電車に乗って、11分で中書島駅へ。駅を降りて歩いて、舟乗り場らしきところがありましたが、こちらは30石舟乗り場。そうなんです。30石舟での宇治川巡りもあるのですが、こちらは期間が決まっており、今回は乗れず。そこから川に沿ってしばらく歩くと、10石舟乗り場へ。
約140年前、新選組のメンバーたちも京から大坂入りする時に、伏見から30石舟に乗って宇治川から淀川に出て大川に入り、そして常宿にしていた京屋に辿り着いたのです。
大川巡りはこれまでに、アクアライナーにて体験しております。去年の夏に、そして先月の上旬に。今回は京の発着場であった伏見。山南敬助も土方歳三も同じ川を下ったり上ったりしたのです。
これが10石舟です。
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ふみさんは日曜日に乗られたので、お客さんも多かったそうですが、今回は私も含め客は3名。舟はモーターで動き、また説明も録音されたものが流れてきますが、おじさんが時々、生で説明してくれる。また小さな舟なので人間が動く、また舟がすれ違うと、舟が揺れる。
これは宇治川の支流になり、船は宇治川の本流に出るわけです。
これは宇治川の本流に向かう時の景色。
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この季節、緑の柳がとてもきれいでした。
三栖閘門舟着場で舟を降りて、20分ほど資料館などを見学。
これが三栖閘門です。この向こうが宇治川の本流になります。
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この三栖閘門の向こう側を上から見た場合、このようになるわけです。
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右が大阪方面になります。手前の石ころがある小さな川の形跡が10石舟に乗ってきた宇治川の支流になります。昔はもっと大きかったそうです。新選組のメンバーが乗った30石舟もここから宇治川の本流に合流して、大坂に向かったと思われます。
係りの方に尋ねたら、昭和の30年代後半までは大坂と京都間で物資を運ぶのに舟が使われていたそうです。自分が子どもの頃はまだあったとのこと。
20分間ほどの見学が終わると、次に来た10石舟に乗って、来た川を戻っていきます。途中、高瀬川も合流します。舟から寺田屋も見えます。その辺りで、坂本龍馬についての説明が流れる。知っている逸話だったりしたので、軽く聞き流しながら、このようなきれいな景色に浸っていたところ、
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突然、土方歳三、沖田総司、永倉新八、近藤勇、そして新選組の名前が登場。戊辰戦争の勃発についての説明。新選組がどのようにして大坂までたどり着いたかということも(涙)。
山南敬助の名前は出てこなかったけれど、山南敬助も元気な頃、30石舟に乗って大坂入りしたのはほぼ間違いない。土方や総司らみんなと一緒に乗ったはず。

大坂のアクアライナーもとても楽しいけれど、こちらは舟から景色まで、約140年前にかなり浸れます。また新選組ファンでなくても十分に楽しめます。

限られた期間で、夜間運行をする時もあったり、三十石舟もあったりします。
詳しいことはこちらより
10石舟巡りも冬の間は運航していませんので、ご注意くださいませ。

舟を降りて、しばらく川を見つめて、山南敬助に浸り、そして京阪電車で京に戻り、15時半に南座の前でふみさんと落ち合いました。それから二人で壬生界隈へ。
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by eri-seiran | 2007-05-22 23:14 |  ゆかりの地 | Comments(2)

山南Dayとなった理由 其の弐

第1回「山南忌」にて、『山南会』というものができることが発表され、その場で申し込んだものの、入会金と年会費を納めるのが遅くなり、土方歳三の命日に振り込んだら、早速、19日に発足記念会員証が配達記録で届いたようですが、不在にしていたものですから、郵便局からの郵便物の預かりのお知らせがポストに入っていました。しかしそれに気が付いたのが昨日の20日の夜。
今日は、午前中から出かけることになり、そこで今日の最終の配達時間帯で再配達をお願いしました。それで暗くなるまでに家に帰ってきたというわけです。

先ほどの記事を書き終え、まだかしら?まだかしら?と、ドキドキしながら待っていたら、届きました。
木製の山南会の会員之証。
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手にして、改めてこのような会ができたこと、すごいな~すごいことだよと、涙が出そうでしたよ。こんな日が来るなんって考えたこともありませんでした。
何かにつけられそうな大きさであり、つけられるようにもなっていますが、とんでもありません。そんなことできません。大事に大事にしまっておこう。

今日、山南会の会員証が届くから、山南敬助のゆかりの地に行こうとか、光縁寺に行こうとか、なったわけではないんです。自然にそういう流れになってしまったんです。
自分が京都に出てから、すごい流れだな~と気付いた次第です。
光縁寺に行けば、もちろん旧前川邸の前も通り、山南忌の記念式典が行われた壬生寺にも行ってきました。
雪が舞う冬空だったあの日もすでに懐かしく。

「どこかに所属していないの?」など、これまで尋ねられることがありましたが、どこにも所属していませんでしたので、「いいえ」でした。しかしこれからは、正々堂々と「山南会です」と答えよう。
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by eri-seiran | 2007-05-21 23:37 |  イベント | Comments(4)

祝・『新撰組 山南敬助』復刊決定!

今日はなんという素晴らしい日だ。こんなことがあるんだ。
私にとってはまさしく山南Dayである。

今日は休みであり、今日一日どのように過ごすか、今朝まで悩んでいたのですが、久しぶりに雲ひとつない青空を見たら、行こうと決意。
京都でまだ行けていなかった山南敬助ゆかりの地と光縁寺へ。

そしてこれから起こることのために、暗くなるまでに家に辿り着き、今日の記事は山南敬助ゆかりの地に行ったことではなく、これから起こることを書くんだと心に決めていました。
しかしこれから起こることより先に、色々とチェックしていたら、すごい情報が入ってきました。

『新撰組 山南敬助』の復刊が決定!

詳しいことはこちらより
そうなんです。
昭和50年(1975)に新人物往来社から出版され、その後、絶版になった童門冬二氏の小説『新撰組 山南敬助』の復刊が決定したのです。
2004年の大河ドラマ『新選組!』の山南敬助@堺雅人の影響により、一部ファンの間で復刊を求めていました。
昔、山南敬助を好きになった頃、これは読んでいるのですが、学生でお金がなく、図書館で借りたのか、購入したけれど、その後、行方不明になったのか、覚えていない(汗)。

そう言うわけで、私も復刊を求めていた一人でした。しかしなかなか復刊の情報は入ってこない。長い長い冬でした。
そこで古本屋を見つけては、探してもいました。そして当ブログに訪問して下さっている方から情報を教えて頂き、数ヶ月前に購入。
当時の定価よりも高かったけれど、それは嬉しかった。
そして自分は数ヶ月前に購入しましたが、今回の復刊は本当に本当に嬉しい。

この小説が復刊になった影響に大河ドラマ『新選組!』のことが書かれてあり、

今まで地味な存在であったが・・・大河ドラマ『新選組!』によって状況が一変した・・・当時無名だった堺雅人の好演により人気が爆発したのである。

堺さんって無名だったの?そりゃ私もそれまで知らなかったけれど(汗)。

欲張りな私。次は、山南敬助が主人公である新たな小説をどなたかに書いて頂きたいものです。

しかしこちらの復刊ドットコムでは、在庫が30となっているけれど、他のインターネットショップで検索したけれど無いし、30で終わりということはないですよね?
ちなみに同じように同じ日に復刊が決まった本を調べてみたら、やっぱり在庫は30になっていました。
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by eri-seiran | 2007-05-21 20:18 |  本 | Comments(2)

『新選組!』再観賞 第21回

新年度になって、例年以上に仕事が大変なのに、休みの日は遊びまわっていたものですから、尚更大変な状況になり、まるで出口の見えない迷路に入っているような状況でした。
しかしやっと出口が見えてきたという感じです。
そんなこんなで、大河ドラマ『新選組!』の再鑑賞も4月の上旬に第20回を観て、記事にしてから止まったままの状態でした。
今日は、久しぶりに第21回を観賞。
久しぶりに観ると、とても新鮮であり、懐かしい気持になる。

第21回『どっこい事件』
文久3年(1863)6月3日

将軍が江戸に帰ることになりましたが、壬生浪士組は残り、松平容保公の下で働くことに。そして近藤、芹澤、山南たちは、不逞浪士を捕縛するために大坂に下ります。土方は京に残りました。大坂においては、近藤が居ない時に、小野川部屋の力士との乱闘事件を起こし、力士が一人亡くなります。しかし近藤によって、小野川部屋の親方と和解に。


昨年の夏に、この事件のゆかりの地を巡ったのですが、本当に近い。新選組が常宿にしていた京屋、夕涼みのために舟に乗った所、舟に乗ってから、お腹が痛いよと斎藤一が言ったためにみんなで舟を降りた所、降りてから北新地に向かう時に力士を斬ったと云われる蜆橋、そして北新地で呑んでいたところ、力士がやって来て乱闘になった住吉楼(ここだけは直接は行っていないのですが、地図を見る限りでは近い)。

前回に続き、京屋の暖簾が出てきていますよ。
ドラマの方では、舟に乗るシーンはなく、京屋でお腹が痛いと言う斎藤一@オダギリ。先に行ったふりをして、待ち伏せしていた山南敬助@堺雅人と永倉新八@山口智充。斎藤の腹痛は仮病ではないかと見抜いていたお二人でした。

博打打ちの小六の加勢に行くと言う斎藤に

山南:やつらとは手を切ってもらえませんか。
斎藤:そうはいかん。
永倉:お前はもう壬生浪士組の一員だ。
山南:手を切ってもらわなければ困るのです。何かあった時に近藤さんに迷惑がかかる。
斎藤:小六がいなければ俺はのたれ死んでいた。
山南:近藤さんがいなければ、あなたは江戸で捕まっていましたよ。


山南のその言葉に斎藤は心が動きます。江戸での危険な状況から斎藤一がどのように逃れたか、山南は知っていました。確かこれで、斎藤は小六と完全に手を切るんですよね。斎藤を救ったのは、山南。そしてこれから約1年8ヶ月後に脱走しようとする山南を見て、黙って逃がしてくれた斎藤一(涙)。

話は戻り、遅れて京屋を出た山南たちが芹沢鴨@佐藤浩市らに追いついた時、事件は橋の上で起きた。
力士たちと芹澤鴨らが橋の上でぶつかり、一人の力士を斬ってしまう。そのことによって、力士と壬生浪士組との乱闘事件が起きます。
史実でも、近藤勇と井上源三郎は大坂には一緒に来ていたものの、その場には居なかったと云われています。またドラマでは、力士と戦うことを最後まで拒み、戦うことになっても斬らなかった山南敬助ですが、史実では山南も力士を斬ったと云われています。
記録に残っているものでは、山南が真剣を振るった最初の出来事です。
史実において、「山南さん、あなたが付いていながら」と、近藤に怒られたかはわかりませんが・・・

山南が書いた届け出を持って、山南と近藤は奉行所に行く。そして小野川部屋の親方に会うことに。そこで山南は近藤に
山南:あまり下手に出られない方がよろしいかと思います。このような場合、先に謝った方が負けですから。
近藤:それは違う。先に手を出したのは私たちの方です。
山南:そうですが・・・
近藤:私は策を労するのは好きでないのです。


近藤は誠意を持って、親方に謝ります。近藤の姿勢に親方は心打たれて和解します。
「そちらに伺ってお悔やみを」
と言う近藤を山南は止めようとします。その時、近藤は山南に何がいけないと言いたそうな目で山南を見ます。山南は目をそらします。親方は喜び、快く近藤の気持を受け止めます。
今回のように山南の意見を受け入れず、このような2人の考え方のずれが露骨に出たのは初めてではないだろうか。

山南は他のメンバーが待っている所に戻り、近藤によって事件が上手く治まったことを伝え、近藤の素晴らしさを伝えます。
芹澤にも、
「そういうことですので、全てわれらの方で治めました」
と、ちょっと嫌みな言い方をします。この時の、そしてこの後の芹澤がいい。わかったよと応えながら、山南たちがいなくなると、悔しくて物に当たる芹澤がいい。
でもね、この事件を通して、山南も自分にないものを近藤が持っていることに対してジレンマを感じたのではないだろうか。近藤が来る前に奉行所に届出を出すことを拒む芹澤を説得できなかったし。
近藤と山南の間に少しばかり距離ができた?と、思ったりもした第21回でした。
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by eri-seiran | 2007-05-19 22:29 |  ドラマ/映画/舞台 | Comments(2)

山南敬助をメインにしたブログです。ホームページ『山南敬助 赤心記』共々よろしくお願い申し上げます。


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