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その時、私は歌舞伎座に居る。

堺雅人さん主演の映画『壁男』が関西ではいつになったら上映されるのか、気になって、常にチェックしているのですが、同じくらい気になるものとして、片岡孝太郎さん主演の映画『Beauty』があります。

この度、この映画が第20回東京国際映画祭(10月20日~28日)の日本映画・ある視点部門へ参加することが正式に決まったそうですよ。
なんと『壁男』が昨年、同じ部門で参加しています。
そして10月22日(月)18時50分から後藤俊夫監督と孝太郎さんの舞台挨拶と上映があります。詳しいことはこちらより

関西在中の私はこの日、江戸にいます。その訳は、歌舞伎座での芸術祭十月大歌舞伎の昼の部・夜の部を鑑賞するため。
今回、孝太郎さん、昼の部に一演目だけ出演し、夜の部に出演していないのは、映画『Beauty』の関係があるのかな~とも思っていたんですけれどね。まさか自分が歌舞伎鑑賞する日にそんなことになるなんって(苦笑)。
もう一回、映画祭の期間に上映がありまして、それが24日(水)なのよ。この日は仕事だから、23日(火)の夕に江戸を立つ予定なのよ。
いいんだい、いいんだい。映画『壁男』のように我慢強く、関西での上映を待つんだい。またそれが支えになって、頑張れるから。

ところでこの映画、大河ドラマつながりで考えますと、主演の片岡孝太郎@足利義詮(太平記)初め、片岡愛之助@榎本武揚(新選組!!)、麻生久美子@おりょう(新選組!)、片岡仁左衛門@後醍醐天皇(太平記)が出演されているのは知っていたのですが、嘉島典俊@武田信繁(風林火山)も出ているんだということを先ほど知りました。
今夜の『風林火山』、諸角の援護に向かい、無事だったことに対しての嬉しさを隠しながら叱咤する武田信繁に萌えでした(笑)。
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by eri-seiran | 2007-09-30 23:22 | 歌舞伎 | Comments(0)

斎藤一の命日

今年も9月22日から24日まで会津まつりが無事に行われたようです。私が行ったのは2年前のこと。会津藩公行列の日、とても暑かったよね。あの日は本当に暑く、それでもよく歩いた。2年前としたら、足腰が弱っていることを感じる今日この頃です。

会津藩公行列での今年のゲストは的場浩司さんだったそうです。お~これはドラマ『輪違屋糸里』で近藤勇役を演じたからか?と思っていましたら、行列で白虎隊士中二番隊長日向内記という役でしたので、あれ?と思い、よくよく調べたら、今年の新春ドラマスペシャル『白虎隊』(テレビ朝日)で白虎隊士中二番隊長日向内記を演じていたからなのね。
来年の大河ドラマ『篤姫』では、薩摩藩士で文久2年(1862)に起きた寺田屋事件で亡くなった有馬新七を演じることが決定しているようで、その影響はなかったのかしら?と余計な心配をしたり。

斎藤一忌も9月24日に会津若松の阿弥陀寺にて行われたそうです。これも2年前に参加しました。まだ山南忌の話しもなかった時でしたので、斎藤一がとてもうらやましく思ったり。山南敬助のゆかりの多摩の子孫の方々も参加されており、挨拶で山南敬助の名前を出してくれてとても嬉しく思ったり。
その斎藤一の命日は、9月28日の今日です。
先ほど、斎藤一の命日は9月だったはずだけれど、いつだったかしらと思い、ちょっと調べてみたら、今日でしたよ。今日。
そしてこれは記事にしなければと思ったら、去年の9月28日にしっかりと記事にしているし(苦笑)。また斎藤一が山口次郎として戦った会津の如来堂の写真まで載せている丁寧さ。
そして1年前の記事に書いていることと同じようなことを今日も思っていましたし。成長していない私(汗)。

斎藤一が亡くなったのは大正4年(1915)。享年72。
山南敬助の死からちょうど50年後。これは、本日に気づいた新たな発見。半世紀だよ。半世紀。私はまだ半世紀生きていないけれど、長いな~半世紀って長い。その間に色々なことがあったんだもんね。戊辰戦争に斗南藩での過酷な生活、結婚、そして西南戦争などなど。
最期、床の間に正座をして息を引き取ったと云われている斎藤一。
実際に会ったことがないけれど(当たり前のこと)、斎藤らしい、また武士らしさを感じます。
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by eri-seiran | 2007-09-28 23:07 |  同志たち | Comments(2)

元治元年(1864)の秋

今年の夏は本当に暑かった。やっと夜は涼しくなり、日中も過ごしやすくなってきました。
こんな時期に夏の疲れも出てきたりするのよね。
私は元気ですよ。今日も休みなのに仕事をしてきましたから(苦笑)。
そりゃ~ちょっと夏の疲れもありますよ。仕事のストレスもありますよ。色々とありますよ。それでも頑張って働けるのは、自分に仕事というものがあるから。そこで必要とされているから。
そして10月から12月まで3ヶ月連続で江戸に行って、孝太郎さんの歌舞伎を観たり、堺雅人さんの舞台を観たり、また山南敬助ゆかりの地を歩こうと計画したりと、色々と楽しみもあるから。だから頑張れる。

元治元年(1864)年の夏って、例年に比べて暑かったのかな?例年とあまり変わらなかったのかな?でも京都の夏は蒸し暑いので、仙台で生まれ育ち、また江戸での暮らしが長かった山南には2度目の京都での夏とは言え、厳しかっただろうな。岩城升屋事件(或いは鴻池事件)での傷が膿んだりしたかもしれないね。
また思うように働けない。自分は何しに京に来たのだろうと考えたりしたかもしれない。
或いは思うように働けないと共に、近藤や土方たちとの考えにズレが生じてきたら。尚更、考え込んでしまうだろう。
またズレが生じることはなく、もし近藤らが山南のことを思い、江戸、あるいは多摩でしばらく静養したらと勧めても山南の云われている性格を考えると断っただろう。新選組における自分の存在について考えてしまうだろう。

元治元年の秋、山南はどこで何を思っていたのだろうか。

先日、元治元年(1864)9月の経過と状況について書きました。そこで小島鹿之助ら多摩の人たちが近藤・土方・山南・総司・源三郎宛に送った禁門の変にての安否を気遣う手紙に対して、近藤・土方が書いた返事が多摩に届いたことに触れました。
山南は書かなかったのだろうか?
身体的に精神的に書ける状態ではなかったのだろうか?
律儀な方で、便りをマメに出すタイプのような気がするのですが、唯一伝えられている書簡は、この年に小島鹿之助宛に出した年賀状のみ。それも現物はなく、写し。
この年賀状のみということを考えると、それまでもあまり書いていなかったのか?近藤や土方が度々書いているので、遠慮していた、山南と多摩の人たちとの関係はそれまでだったと言えばそれまでですけれど。

唯一の年賀状、それも遅れて出している。年賀状に無事に年を越せたのでご安心くださいと書いている。本当にそうだったのだろうか?
この後、新選組の大幹部として、表舞台に立つことは1度もなく、残っている記録に山南本人が登場するのは、元治二年(1865)2月の脱走・切腹である(私的には脱走に疑惑を持っております)。

あ~謎だ。謎すぎる。書けば書くほど迷路に入っていっちゃうよ(汗)。
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by eri-seiran | 2007-09-27 22:48 |  山南敬助 | Comments(0)

11月は江戸にて舞台鑑賞にゆかりの地巡り

街道てくてく旅 日光・奥州街道踏破は2日目にしてなかなかおいしい。
今日は千住宿からの中継で、昨日に歩いた日本橋から千住宿までを紹介。
反対方向になるけれど、やっぱり山南敬助が仙台藩から江戸に来た時のことを考えていました。隅田川に架かる千住大橋を渡ったんだねとか、浅草を通るんだ、雷門も見えたんだねとか。どこで富士山は見えたんだろうとか。わ~松尾芭蕉のゆかりの地もあるじゃんとか。あ~楽しい(笑)。
千住宿からの中継では、1855年に建てられたという商家を紹介。これが建てられた時にはすでに山南敬助は江戸入りしていたので、山南が歩いた時にはなかったわけね。
また慶応4年(1868)の戊辰戦争の時、この商家の柱に彰義隊の方が切りつけた刀傷を紹介。ほ~ら、戊辰戦争に彰義隊まで出てきたよ。

浅草の雷門、そして浅草寺には遠い昔、父と二人で一度だけ行ったことがあります。10月の江戸行きは歌舞伎鑑賞だけの強行スケジュールですが、11月は歌舞伎に堺雅人さんの舞台鑑賞以外についても楽しめる余裕がありそうなので、ちょっと浅草に行ったりして、若き日の山南敬助が歩いたと思われる街道を歩いてみようかしら。

そうなんですよ。11月の歌舞伎座の演目と主な配役が決まったんですよ。
詳しいことは こちらより
片岡孝太郎さん、11月も歌舞伎座ですよ。お昼の部と夜の部と合わせて3演目。
堺雅人さんの『恐れを知らぬ川上音二郎一座』のチケットをゲットする時に、11月の歌舞伎座に孝太郎さんが出演することになった場合も考えて、日を選んでチケットをゲットしましたから。
新参者なのでよくわからないのですが、夜の『三人三吉』が一番楽しみかな?
昨日、たまたまWOWOWにて6月のコクーン歌舞伎『三人吉三』が放映されていたので、これを観ようかと思ったのですが、約3時間半。それで最初に『三人吉三』の解説があったのでそれだけは観てお勉強させて頂きました。歌舞伎の作品を解説してある本を読んだりもして。あ~楽しみ。

11月の中旬まではかなり厳しい状況ではありますが、その後には江戸にての堺雅人さんの舞台鑑賞に、山南敬助の新たな視点から見たゆかりの地巡りに、孝太郎さん出演の歌舞伎鑑賞にと楽しむんだい。そしてそれを支えに頑張るんだい。
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by eri-seiran | 2007-09-25 23:37 | 歌舞伎 | Comments(0)

元治元年(1864年)9月の山南敬助らの経過と状況

つい先日に9月になったと思っていましたが、もう9月も下旬。
早いな~と言うことで、そろそろ恒例の記事を書ける時に書かなければ。

9月4日 近藤勇と土方歳三の書簡が小野路村に日野より届く。

これは8月12日に小島鹿之助ら多摩の人たちが近藤勇ら大幹部5名宛に出した安否を気遣う書簡に対しての返事です。
8月の記事にも書きましたが、改めて大幹部5名とは、近藤勇、土方歳三、山南敬助、沖田総司、井上源三郎です。これは小島政則(小島鹿之助の父親)が安否を気遣う書簡をこの5名に送ったと書いてある日記が残っており、その日記に書かれている名前の順番ですから。総司や源三郎より山南の名前が先にあるのはポイントとなるところですから。
近藤や土方の書簡は残念なことに現存しておりません。写しもありません。
翌日の9月5日に小島鹿之助は日記に、書簡が届いたこと、無事だと書かれてあったこと、詳細は近藤の兄である宮川総兵衛に託してあると書いていたと記してあります。宮川総兵衛は8月20日に京を出立していますが、宮川は近藤が江戸に帰って来て、小島家を訪問の際に同行するまで、小島家を訪れた気配はなし。
山南は病のために静養しており、八月の禁門の変には参加しておりません。宮川はこの時に京に居たわけですから、山南の詳細については知っていたはず。書簡には近藤もみんな無事と書いているわけですが、5人ともみんな元気です。変わりありませんということではなかったわけです。その点については何も触れなかったのだろうか?宮川が伝えることになっていたのだろうか?

9月5日 近藤勇、永倉新八、武田観柳斎、尾形俊太郎、江戸に向けて京を出立。

この江戸行きは、将軍上洛の要請、そのために老中松前伊豆守に会うこと、新人隊士募集などの目的がありました。

9月6日 葛山武八郎が切腹。

おっと出てきたよ、この出来事。前月に永倉新八、原田左之助、斎藤一、島田魁、尾関雅次郎、そして葛山武八郎が近藤勇を批判した建白書を松平容保に提出した事件の責めを負わされて切腹したと云われています。
ただ今、大河ドラマ『新選組!』にてこの出来事を取り上げた第31回、山南敬助@堺雅人が怒りを顕にしている目で土方歳三@山本耕史を見るあの映像が蘇ってきて、マジで胃が痛くなってきた(苦笑)。

史実では切腹であれば、土方歳三一人の判断ではなく、近藤勇とすでに話しができていたんだろうな~と考えています。また葛山武八郎は会津の出身なので、容保公にも迷惑を掛けたということで自刃だったのでは?という説もあります。
どちらにしても山南敬助は静養中であり、葛山の切腹(自刃)について意見できるような状況ではなかっただろう。

9月9日 近藤ら4人が江戸に着。

9月10日 近藤勇ら江戸の会津藩邸に挨拶へ。また小島鹿之助ら多摩の人たちが近藤勇の帰着の報せを聞いて、江戸に向かう。

9月15日 小島鹿之助が近藤と会って、小野路村に帰ってくる。

9月16日 佐久間恪二郎(三浦啓之助)の新選組への入隊について、土方歳三が勝海舟へ書簡にて報告する。

佐久間恪二郎は、信州松代藩出身の思想家・兵学者で、河上彦斎などの攘夷派に暗殺された佐久間象山の息子です。母親は象山の妾だったそうですが、佐久間象山の正妻は勝海舟の妹であり、そのために土方は勝海舟に報告したようです。追伸で近藤が将軍に上洛をお願いするために江戸に赴いていることも書かれており、まだ会ったことがない勝海舟への根回しとも取っていいのではないだろうか。
ちなみに佐久間恪二郎の入隊目的は父親の仇を討ちたいためであり。また佐久間恪二郎が本名ですが、新選組では三浦啓之助と名乗っていました。

9月18日 小野路村の橋本道助らが江戸にいる近藤勇を訪ねる。

9月18日 芹沢鴨・平山五郎の一周忌。これは16日とも考えられる。

この頃、壬生寺に芹沢鴨と平山五郎の共同墓碑を建立。この墓石は現存しておりません。

9月中旬 江戸に滞在中の近藤勇、尾形俊太郎、武田観柳斎は、老中松前伊豆守に会う。

将軍の上洛をお願いしたわけです。また老中松前伊豆守に会えたのは、松前藩出身だった永倉新八の縁故を利用したと云われています。しかし永倉は脱藩した身だったので、この場にはおらず。
このように老中と会うことが江戸に行く目的の一つだったので、学があったと云われている尾形や武田を同行させたのでしょう。山南敬助が元気であれば、同行したかもしれない。

9月中旬 伊東甲子太郎が近藤勇を訪ねる。

先に江戸入りしていた藤堂平助によって、新選組の入隊を決めていた伊東甲子太郎が直接、近藤に入隊を伝えたようです。
これが伊東甲子太郎や藤堂平助のターニングポイントになるとは・・・
また山南敬助の脱走・切腹にも影響を与えたと云われている伊東甲子太郎。史実では、山南敬助のターニングポイントにもなったのだろうか?

9月21日 土方歳三、小島鹿之助宛への書簡と共に、女性からの恋文の束も送る。

すみません。どのように解説すればよいか、わかりませんが、とにかく自慢したかったのね(苦笑)。

9月30日 近藤勇、日野の佐藤彦五郎宅を訪ねる。

近藤は馬にて日野入りしたとのこと。また小島鹿之助ら多摩の人たちも集まったらしい。近藤一人だったようですが、山南敬助がこの江戸行きに同行していたら、一緒に日野入りしただろうな。

                (参考文献:新選組日誌 コンパクト版(上) 新人物往来社)

書きながら思ったことは、京に行ってから初めての帰郷、また池田屋事変・禁門の変における凱旋であることから、多摩の人たちが帰ってきた報せを受けて、すぐに会いに行くなど、多摩の人たちも近藤も嬉しかっただろうな~と思いました。
一方、山南敬助は池田屋事変にも禁門の変にも参加できず、そして未だに新選組の中で働けるような状況でもなく、京での秋をどのような想いで過ごしていたのだろうと思ったり。
そして近藤勇が多摩の人たちと会っていることから、山南敬助の状況についても多摩の人たちには伝わっただろう。だからこそ、その後の11月に長州出兵に備えて作られた行軍録に永倉新八の名前がないことについて、佐藤彦五郎は不審に思って土方に訊ねているものの、江戸にいた藤堂平助、そして山南敬助の名前がないことについては理由がわかっているから訊ねていない。
しかし山南のことについて多摩での記録にも全く出てこないということが、やはり山南の身に起こっていることは近藤や土方初め、多摩の人たちも隠そうとしているように思えてしまうのです。
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by eri-seiran | 2007-09-24 20:33 |  出来事 | Comments(0)

完結編は山南敬助も歩いたはずの日光・奥州街道

昨年の4月より、NHKで放映されていた『街道てくてく旅』では、山南敬助は歩いたかどうかわからないけれど、近藤勇や土方歳三、斎藤一らは歩いた東海道編、山南敬助が試衛館の同志らと共に浪士組として京に上がる時に歩いた中山道編、また山南敬助が多摩への出稽古などのために歩いたはずの甲州街道編がありました。その度に記事にもしてきました。例えばこちらとか、こちら、またはこちら
そして明日より、このシリーズの完結編となる日光・奥州街道踏破が始まります。これで五街道制覇です。
こちらのサイト、少女マンガぽい雰囲気が漂っているのがちょっとね(苦笑)。
そして山南ファンとしては仙台城下から江戸の日本橋に下ってほしかった。
だって若き日の山南敬助が仙台藩から日本橋に向かって歩いたはずだから。山南敬助がどんな景色を見ながら、またどのような道程だったのか、感じられるでしょう。これはちょっと残念と思っていました。

でもね、木曜時代劇『陽炎の辻~居眠り磐根 江戸草紙~』の第8回「対決の晩夏」を観ながら思ったんです。
山南敬助も江戸に出て来てから浪士組として京に上がるまで、故郷の仙台藩に帰ったこともあったかもしれないなって。
『新選組銘々伝 第四巻』(新人物往来社)の山南敬助について書かれている清水隆氏によると、山南敬助が小野派一刀流の大久保道場にいた時に中山幾之進と立ち合ったのは、山南敬助が21歳の時であったと考えられるそうです。だからこの時にはすでに江戸にいたわけになります。また清水氏によると、同時代の人たちが地方から江戸へ遊学する場合、早くても16歳だそうです。と言うことで、山南は16歳から21歳までの間に江戸にやってきたと考えられます。浪士組として参加したのが31歳。つまり10年~15年間の間に江戸にいて、仙台藩に帰ったこともあるのではないかと。
ちなみに山南の年齢については、生まれを天保4年(1833)と考えた場合です。

だからね、山南敬助も日本橋から仙台に向かって歩いたかもしれないと思いながら、この街道てくてく旅における日光・奥州街道編を楽しもうと思っているんです。また新選組が戊辰戦争にて北上して行ったわけですが、その時に布陣したりした宇都宮、白河、郡山なども登場しますし。

生放送は明日より土日を除く11月23日(金)まで。BShiとBS2にて午前8時から8時15分まで。BShiでは夜に再放映もあるそうです。またダイジェストが総合であるようです。詳しいことはこちらより

私はすでに予約録画の設定完了。だって毎朝、リアルタイムでは観られないもん。
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by eri-seiran | 2007-09-23 22:45 | エンターテインメント | Comments(2)

報告するのも恥ずかしい限り

ですが、とりあえず報告しておきます。

ホームページ 山南敬助 赤心記English Siteを作ったものの、トップページを作ったまま、全くほったらかし状態でした。と言うことで、昨夜、Greetingsをアップしました。

English Site を作った目的は、まあ~山南敬助について外国人の方にも知ってほしいという思い、自分の英語力を伸ばしたいという思い(好きなことについて英語で語るとなると、私は必死で語るらしい)、また知り合いの外国の方々が日本の歴史などに関心があり。それでサイトに遊びに来てくれるだろうと思い。
そんなこんな理由からでしたが、全くアップできないので、目的を達成できていない。またこんな状態なので、ホームページを作ったよと連絡することもできず(汗)。
このEnglish Siteを作るに当たり、助けてもらった方だけは知っているんですけれどね。

平成16年(2004)に京都に住んでいた北米の方が、突然、『新選組』や『誠』という文字をよく町の中で見かけるようになったと言っていましたっけ。
平成17年(2005)にイギリスから遊びに来た友人は、新選組のガチャポンにトライしたり、新選組のフィギュアを揃えたいと言っていましたっけ。

今後、こちらの方はどのようになっていくか、わかりませんが、そしてまだ外国の知人たちには報告できるような状況ではありませんが、こちらでは取りあえず、ご報告しておきます。
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by eri-seiran | 2007-09-23 12:23 | 山南敬助 赤心記 | Comments(0)

総長が薦める酩酊状態で読む本

ほぼ日刊イトイ新聞と言えば、3年前の平成16年(2004)に、途中からでしたけれど、ほぼ日テレガイドで大河ドラマ『新選組!』を取り上げてくれて、なかなか面白く、読みながらそうだよね~と同感したり、そういう見方もあるのかと思ったり。

その日刊イトイ新聞での一番のサプライズが、同じ3年前の9月(山南総長@堺雅人が亡くなって約一ヶ月後)、ほぼ日テレビガイド男子部修学旅行!with 山南総長 ~秋の京都に新選組を訪ねて~でした。本当にこれはサプライズでしたよね。インターネットで実況中継されて。わ~今、あそこにいるんだとか、一人で大騒ぎ。
私の記憶違いでなければ、堺雅人さんがラジオにゲスト出演して、その時にこのイベントについて話しをして、堺さんを誘い、実現となり。

そのほぼ日刊イトイ新聞に、堺雅人さん、平成18年(2006)にも登場しています。こちらより

そして今回、再び登場。『あのひとの本棚』ということで、自分でテーマを決めて、5冊の本を紹介。
堺さんのテーマは『酩酊状態で読む5冊』です。毎日1冊ずつ紹介しており、堺さんは今月の16日から紹介し、20日にて無事に終了。どうしてももう一冊紹介したくて、6冊紹介してくれています。こちらより
何故、これらの本が酩酊状態で読むと良いのかという理由がなかなか堺さんらしくて面白い。
私が持っていて読んだことがあるのは、唯一、司馬遼太郎氏の『街道をゆく』です。これは文庫本やワイド版、コンパクトにした雑誌など色々なバージョンで出版されております。私も興味あるものを何冊か持っていて、コンパクトにした雑誌の時に揃えようかとも思ったのですが、諸事情あり諦めました(苦笑)。

堺さんが紹介した文庫本の第一巻は、甲州街道に長州路ではないか!と、突っ込みを入れたのは言うまでもありません。
甲州街道は、江戸の日本橋から多摩へ、そして甲府を経て、終着点は下諏訪で中山道に合流。山南敬助も何度も多摩へは足を運んでおり、この甲州街道を歩いたはず。もちろん、近藤勇も土方歳三も沖田総司も。
そして長州路はあの長州藩における路ですよ。文庫本では同じ巻だったんだね。おっと(苦笑)。
甲州勝沼の戦の時にもこの道を通り、日野などでは多摩の人たちが出迎えたらしい。しかし勝沼では負け戦となり、みんな敗走して江戸まで帰ったそうである。

さて5冊目が三谷幸喜さんの『オンリー・ミー』です。堺さんべた褒め。これは読んだことがないので、私も読んでみたいと思っています。と言うか、好きな人が薦める本というものは読みたくなるのです私(笑)。

そして堺さん、三谷さんの本を読んで、こんな面白い人と同時代で良かったと思うとのこと。
それを仰るなら、私も堺雅人という役者と同時代で良かったと思っていますよ。そして三谷さんも。
この二人がいなかったら、山南敬助への想いは未だに心の片隅に閉まったままだったでしょう。もちろん、堺雅人という役者が演じる色々な人物を観られることの幸せも感じております。

ところで私は酩酊状態で本を読むことは殆どないのですが、酩酊状態で好きな映像を観て、どっぷり浸かり、そして思いっきり笑ったり、泣いたり、愛したり。
今度、堺さんの言う酩酊読書の醍醐味を味わってみましょう(笑)。
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by eri-seiran | 2007-09-21 20:53 | 『組!』の愛しき役者たち | Comments(0)

斎藤一に沖田総司、平清盛に平重盛

と言えば、映画『壬生義士伝』、また昨日に鑑賞した映画『スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ』で佐藤浩市さんと堺雅人さんそれぞれが演じたキャラクターです。
そして佐藤浩市さんと堺雅人さんで忘れてはならないのが、大河ドラマ『新選組!』の芹沢鴨に山南敬助です。

当ブログ、ホームページを訪問して下さっているKさんから興味深い本を教えてもらい、先日、大阪に行った時に購入して参りました。
島野功緒氏の『時代劇の色気』(講談社+α新書)です。

時代劇を観る上での基礎知識から裏話、これまでの時代劇についての感想などが書かれています。
水戸黄門、大奥、忠臣蔵などを描いたドラマや映画など様々な作品が登場します。
そして大河ドラマ『新選組!』についても2ページ弱ですが、触れてくれています。だから私に教えて下さったんです。本当にありがとうございました。
その2ページ弱の項目のタイトルは、

『新選組!』の佐藤浩市と堺雅人

なんですよ。それまでにこれまでの新選組のテレビドラマや映画に触れており、テレビドラマ『新選組血風録』(1965)や『燃えよ剣』(1970)で土方歳三を演じた栗塚旭さん、また同じく両方で沖田総司を演じた島田順司さんを挙げ、高く評価されていらっしゃいます。ちなみに大河ドラマ『新選組!』で栗塚旭さんは土方歳三@山本耕史の兄である土方為次郎、島田順司さんは沖田総司@藤原竜也が最期を迎えた家の主人・植木屋平五郎で登場していました。このキャスティングはお見事。
それ以外の新選組のドラマや映画についてはお褒めになったり、そうでなかったり。

そして大河ドラマ『新選組!』については、異色とし、全体的に高く評価しています。近藤勇@香取についての感想も私と同じだと思ったり。
全体的に高く評価している中でも、山南敬助@堺雅人と芹沢鴨@佐藤浩市が際立っていたとして取り上げているのです。
文章としては簡単に書かれていらっしゃるのですが、嬉しいよ、嬉しい(笑)。
最後にお梅さんや斎藤一などを挙げ、役者の個性が引き出されていたということを書かれています。
大河ドラマ『新選組!』はまさしくその通りだったと私も思います。観る前は一部の役者さん以外はあまり知らなかったものですから、どうなのかしら?とも思ったりしました。これについてはごめんなさいです。

ひとつだけ言わせてもらうと、山南敬助@堺雅人を語る上で、土方歳三@山本耕史の名前も登場するのですが、ここにてこの方については語られていないのが残念。『新選組!』を語る上で土方歳三@山本耕史は外せない。もちろん山南敬助@堺雅人を語る上でも。
土方歳三@栗塚旭に沖田総司@島田順司が語り継がれてきたように、土方歳三@山本耕史に山南敬助@堺雅人も語り継がれていくことだろう。
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by eri-seiran | 2007-09-20 00:20 |  ドラマ/映画/舞台 | Comments(2)

芹沢鴨の命日に『スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ』を鑑賞

芹澤鴨と平山五郎が暗殺されたのは、文久3年(1863)9月18日と一般的には云われていると思いますが、16日説もあり。大河ドラマ『新選組!』も9月18日説の方を取っていました。
そう、旧暦で考えた場合、本日は芹澤鴨らが暗殺された日であります。
そんな本日、映画『スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ』を観て参りました。わざわざ鴨の暗殺日を選んだわけではなく、平日で、自分が仕事の休みの日に観に行こうと思いまして、そしたら偶然にも今日になったのよ。ちなみに新暦で考えると、10月30日なので、暗殺が行われたのは肌寒く感じる季節だったようです。

この映画に堺雅人さんが出演するという情報が流れてきたのは、約1年前のことでしたっけ?公開まで長いな~と思っていたけれど、気がつけば公開。早いですね。

実際に映画を観て、自分が思っていたのと、ちょっと違いもあり、おすぎさんの仰っていたことが鑑賞前よりとても納得できる(苦笑)。ただおすぎさんの仰る通り、好き嫌いはありますし。
それから、邦画なのに英語。だから邦画なのに字幕を見なければならない。字幕を見るということに慣れず。最初は少し戸惑いました。洋画だと最初から字幕を見ますよというスタイルでいくのですが、そうじゃないものですから、字幕の方に目がいかない。英語でしゃべり始めてから、そうだそうだという感じで、目が字幕にいくという感じでした。まあ~それは観ていくうちに慣れてきました。
役者さんたちはみなさん良かった。一生懸命さが伝わってきましたよ。今回の映画を鑑賞して何が一番驚いたって、この人が出ていたの???でした。知らなかった(汗)。

ここからネタバレと私的な感想
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by eri-seiran | 2007-09-18 21:06 | 『組!』の愛しき役者たち | Comments(0)

山南敬助をメインにしたブログです。ホームページ『山南敬助 赤心記』共々よろしくお願い申し上げます。


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