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山南敬助に纏わる心象風景

水曜日は仕事が何かと忙しく、記事をなかなかアップできず。水曜日、最後にアップしたのは8月22日。そうです。山南敬助@堺雅人の命日とも言える日。23時10分にアップ。ぎりぎりという感じ。きっとこの水曜日が8月22日でなかったら、水曜日にアップできなかった期間はもっと長くなっていただろう。
今日、記事がアップできなかったら2ヶ月連続で水曜日はできないということになるのですが、10月最後の水曜日、今日はアップできそう。時間的にもちょっと余裕がありますし、書きたいこともあり。
本題に入る前に一言、耕史君、勘太郎君、お誕生日おめでとうございます。良い1年でありますように。

さてここからが本題です。
私が山南敬助より早く出逢い、ファンになり、今でも心の片隅で応援している方がいます。シンガーソングライターの永井龍雲さん。オフィシャルサイトはこちらより
代表的な曲に『道標ない旅』があります。この曲名を聞いて思い出す方もいらっしゃるのではないでしょうか?

今年から来年にかけて30周年ライヴをやっております。すごいな~本当にこの方も色々とあっけれど、好きな音楽を30年も続けてきたことは本当にすごいと思うし、感謝です。
そんな昔からのファンであるにも関わらず、また30周年を迎えるんだねとわかっていたにも関わらず、歌舞伎にはまったせいか、今年になってからチェックをするのをすっかり忘れておりまして、30周年ライヴツアーをやっていることも知らず。この秋になってから知りまして(汗)。ライヴの場所や日程から、行けるライヴがなかなかないな~と思っていましたら、12月での京都でのライヴに行けそうです。

そしてこの方の曲で好きなのはたくさんあるのですが、そのひとつが『心象風景』

僕を乗せた朝一番の汽車が 薄暗い中 汽笛を残し
君の家の近くの踏切に差し掛かった時 君の赤いセーターがしだいに
遠去かり やがて一つの点になった

後部車両のデッキに立ち 手を振る僕が 見えただろうか
君の胸を打つ鼓動さえもが 僕のそれと重なり聞こえた

これが最後に覚えてる 君に纏わる心象風景

              『心象風景』(作詞:永井龍雲)より抜粋


ちょっと時代を感じる詩でしょう(苦笑)。
車を運転しながら、これを久しぶりに聴いて、試衛館の同志たちにとって最後となる山南敬助に纏わる心象風景って何だったのだろうとちょっと考えていました。
ごめんなさい。長々と書きながら、最終的にはここに辿り着き(苦笑)。

云われている通りに、幹部たちが見届ける中で山南が切腹したのなら、それが最後となる山南に纏わる心象風景となったのだろう。
しかしもし切腹でなかったのならば?
それはそれぞれによって違うんだろうな~

そして少なくとも、藤堂平助にとっては、最後となる山南敬助に纏わる心象風景は切腹ではなかった。
何だったのだろう?平助が江戸へ出立する前に山南敬助は見送ったのだろうか?それとも平助が山南を見舞い、出立の挨拶に来たのだろうか?

山南にとって最後となる平助に纏わる心象風景、平助にとって最後となる山南に纏わる心象風景、それは江戸に出立する平助と京に残る山南が最後に逢った時なんだろうな。
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by eri-seiran | 2007-10-31 23:35 |  山南敬助 | Comments(0)

山南敬助が観たかもしれない歌舞伎

片岡孝太郎さんに、また歌舞伎に本格的にはまったのが今年の4月。それからずっと考えていました。

山南敬助も歌舞伎を観たのだろうか?

私のイメージとしては、そのような芸能にはあまり関心がないような気がするのですが、それは私の勝手なイメージであり。メチャクチャ好きだったかもしれない。それほど関心がなくても、江戸の友人らと観に行ったかもしれない。また京に来てから、観に行ったかもしれない。

今日、片岡孝太郎さんではなく、孝太郎さんの息子さんの片岡千之助君でネットサーフィンをしていたら、新選組と歌舞伎の関係という記事に辿り着きましたよ。導いてくれてありがとう(笑)。
2004年の古い記事であり、2004年・新選組・歌舞伎と言えば、大河ドラマ『新選組!』に出演していた中村勘太郎君と中村獅童君が挙げられます。新選組と歌舞伎の関係の記事(1)は、中村勘太郎君が演じた藤堂平助、中村獅童君が演じた滝本捨助のモデルとなった松本捨助について、また役者としての二人への期待、そして『新選組!』全体の感想も書かれており、高い評価をしてくれています。
私的には藤堂平助のことについて、

同じ門下の山南敬介とも親しかったとも言われ、なんとなく新選組の中でも「知性派」(?)といったニオイがしますね。

を読んで、同じ門下だったのだろうかという史実における疑問はおいといて、思わず笑み。

そして新選組と歌舞伎の関係の記事(2)のタイトルが、近藤勇が見たかもしれない忠臣蔵です。
そうなんですよ。近藤勇が忠臣蔵が好きだったから、ダンダラ袖模様の隊服を作ったと云われておりまして。
『新選組!』でも、好きだと近藤勇@香取慎吾が言っておりましたね。
そうだよね~近藤は『忠臣蔵』を観たからこそ、好きなんだろう。
うん、観た可能性はあり。
こちらの方の記事では、とてもご親切に、近藤勇が観たとしたら、どの『忠臣蔵』ということで、近藤勇が近藤周斎の養子になってから浪士組として京に行くまでの間、江戸にて『忠臣蔵』が公演された年月を挙げて下さっております。
これって、山南敬助が江戸に居た時期ともほぼ重なるんですよね。

近藤と山南が出逢い、一緒に観に行った可能性も無きにしも非ず。そこに土方歳三も加わったり。或いは近藤と山南と二人で観に行って、土方はいじけて、一人で観に行った可能性も無きにしも非ず(苦笑)。

約350年続く片岡仁左衛門家。もし山南敬助が歌舞伎を度々観ていたなら、この片岡仁左衛門を観たかもしれない。そうだよ、観たかもしれないよ。
そしたら、何代目の片岡仁左衛門を観たんだろうと思って調べてみました。八代目、或いは九代目となるようです。八代目が亡くなったのが文久3年(1863)です。そうです。山南敬助らが浪士組として京に行った年だよ。
九代目は天保10年(1839)の生まれなので、天保4年、或いは7年の生まれだった山南と同じ年頃だったと言えるでしょう。ちなみに天保10年生まれには永倉新八がいます。
山南が亡くなってから142年。片岡仁左衛門家は、今では15代目となり。
すごいな~歴史って。

とにかく歌舞伎を山南も観たかもしれない。時代は違うけれど、山南も楽しんだ芸能を私は楽しんでいるのかもしれないわ(笑)。
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by eri-seiran | 2007-10-30 22:55 |  山南敬助 | Comments(0)

元治元年(1864年)10月の山南敬助らの経過と状況

昨日、記事をアップしてから慌てて職場に行きました。長袖のTシャツに薄手のベスト、寒かった時に着る薄手のジャンバー。しかし外に出れば良い天気でとても暖かく、仕事をしていると暑くなり、ベストも脱ぎました。仕事は一つひとつ片づけられているものの、ここまでやっておきたいというところまではなかなか進まず、リミットの時間がやってきて、慌てて帰りました。残りは明日です。
帰ってから干してあった洗濯物を片付け、日中は暖かかったけれど、夜になると肌寒くなるだろうし、ジャンバーを少し分厚いものにしようか悩みましたが、結局は同じジャンバーを持って電車に乗り、いざ大阪へ。堺雅人さん主演の映画『壁男』を鑑賞するために。

JR大阪駅から上映されるテアトル大阪まで歩く。なんか暑い。暑いよ。チケットとパンフレットを購入して、近くのレストランで夕食を取る。暑い。ここでベストも脱ぐ。映画は21時5分からの上映。終わったのが23時前。そんな時間に大阪の町を歩いていてもベストを鞄に入れ、ジャンパーは手に持ち、Tシャツ1枚状態でしたが、寒くなく、ちょうど良い。
えっ!10月も下旬だよねと自分で確認する。そうです10月も下旬です!!

と言うのに、毎月、恒例にしている記事がアップできていません。
江戸に行く前にアップしておかないと厳しいぞとは思っていたのですが、予想通りに。しかしこれだけはどんなことがあっても書くと自分の中で決めております。

9月の状況と経過についてはこちらより
要約しますと、近藤勇は永倉新八、武田観柳斎、尾形俊太郎を伴って江戸へ凱旋。将軍上洛のお願い、東国での新人隊士の募集が主な目的。この時に多摩の人たちなどに山南敬助の状況について近藤から伝わったと考えられます。また山南の死に影響を与えたかもしれない、与えなかったかもしれないけれど、山南のために弔歌を詠んでくれた伊東甲子太郎と会い、伊東一派の新選組への入隊が決定。
京では、近藤を批判した建白書を松平容保公に提出したことへの責任を取って、葛武八郎が切腹。

10月1日 近藤勇、日野より八王子に向い、夜に江戸に帰着。

八王子では佩刀を見せ、刀剣などの話しをしたそうです。見せたのはどちらの刀だったのかしら?

この頃 伊東甲子太郎が新選組に入隊することが決まり、伊東に同行するという人たちが集まる。

10月5日 古参の隊士である笹塚峯三(篠塚峰三)が新選組を除隊。

文久3年6月頃に入隊した隊士で、池田屋事件にも参加しております。以前の主人から乞われて除隊となり、その主人の所に戻ったと云われています。土方はこのことを江戸にいる近藤にも伝えていますし、松平容保公の依頼により除隊となっています。
除隊、できるんじゃん(苦笑)。
まあ~この主人、そして篠塚という人がどのような立場の人だったのかが、キーポイントとなり、とても気になるところです。

10月7日 近藤勇の門人2人が新選組に入隊したくて、武州から京にやってくる。

突然の訪問で、土方は困ったらしい。今後、このようなことがないように、佐藤彦五郎にお願いしています。近藤も土方も故郷の人たちで、彼らにあこがれて入隊したいという者、また長男である者の入隊は断っています。彼らが故郷の人々を愛するが故でしょう。

10月8日 近藤勇が土方歳三宛に江戸から送った書簡が届く。

土方歳三宛というのがキーポイントですよね。山南敬助との連名ではない。この貴重な書簡が現存しないため、また内容もわからないため、考察も難しいですが、多摩の古い友人である土方歳三に送った内容のものなのか、新選組副長である土方歳三に送った内容のものなのか。そこで近藤と山南の関係、また新選組における山南の立場も見えてくると思うんです。
ただ、近藤は山南敬助宛に病を気遣う書簡を送ったかもしれないな~と思うのです。それは近藤だけではなく、多摩の人たちも。山南の静養は周りが隠そう、隠そうしているものを感じます。だから山南の静養がばれるようなものは、後になってから処分した可能性もあるな~と思ったり。

10月9日 土方歳三、近藤からの書簡を受けて、近藤勇・佐藤彦五郎の連名宛で書簡を送る。

土方が近藤に送った書簡の中で、唯一現存する書簡となり。内容は先ほどまで挙げた出来事の報告や京では長州征伐に備えて訓練を行っていることなどを伝えています。しかしこの書簡が届いた時には、近藤は江戸を経った後だったとのこと。

10月11日 近藤勇、松本良順を訪ねて、話をする。

この人と出会い、諸外国や西洋文明について話しを聞き、その後の近藤自身の考えも変わってきたのだろう。この人との出会いは新選組に大きな影響を与えたと言っていいだろう。

10月12日 近藤勇、江戸での入隊希望者を会津藩に伝える。

全員で22名。会津藩の記録には伊東甲子太郎派初め大石鍬次郎の名前があります。

10月14日 近藤勇、再び、松本良順を訪ね、受診して、胃腸薬をもらう。

胃腸の調子が悪かったのね?ストレスかしら?この時に京においての再会を約束したそうです。そしてそれは実現となり。

10月15日 近藤勇、永倉新八、尾形俊太郎、武田観柳斎、新入隊士と共に江戸を出立。

10月12日に伝えた新入隊士とは若干の違いがあり。全部で24名となっています。
藤堂平助はどこでお見送りしたのであろうか?

10月27日 近藤勇ら、京に到着。

山南敬助は近藤勇らを壬生の屯所で出迎えることができたのだろうか?到着した日に、伊東甲子太郎と会ったのだろうか?

         (参考文献:新選組日誌 コンパクト版(上) 新人物往来社)

このようにして書いていますと、近藤も土方も山南も気付かないところで、これからの新選組に大きな影響を与える人たちが新選組に接近しており。
また新選組が大きな嵐に巻き込まれていくものを感じちゃいます。
そして約4ヶ月後に山南敬助が割腹するなんって、だれもこの時点では思ってもいなかったわけで。しかしその日は確実に近づいてきています。
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by eri-seiran | 2007-10-29 12:47 |  出来事 | Comments(0)

江戸での歌舞伎鑑賞

今日は久しぶりに日曜日がお休み。土日に関係ない仕事なものですから。しかしこれから休日出勤だ!誰がこのような状況にした!
自分です(苦笑)。
何時に行かなければいけないというものはないので、仕事が片付けられて、大阪での映画『壁男』を観に行ける時間に間に合うように帰ってこられたらいいので、記事をアップしてから行こう。

江戸での歌舞伎鑑賞の記事、歌舞伎ファンの先輩であり、歌舞伎座での夜の部を一緒に鑑賞した七織さん、ふみさんに託してスルーしようかと思ったのですが、昼の部の『赤い陣羽織』は私しか観てないし。これがメインだったし。
と言うことで、歌舞伎座での芸術祭十月大歌舞伎新橋演舞場の昼の部の十月大歌舞伎から演目をピックアップして簡単に感想等を書きます。

歌舞伎座での芸術祭十月大歌舞伎 昼の部と夜の部より
観劇日 10月22日(月)
配役はこちらより
みどころについてはこちらより

『赤い陣羽織』
風采のあがらない、でも人はとてもいい40代のおやじ@錦之助。そんなおやじにほれ込んだおやじの女房@孝太郎。サイトのみどころでは、美人で気だても頭もいい、出来すぎた女房と書いてありましたが、美人で気だてもいいというのは感じられたけれど、頭もいい、出来すぎたというところまでは感じられなかった。購入した筋書きには見目麗しい女房ということだけ書いてあったので、それなら納得。
この作品は木下順二の民話劇調を昭和30年に初めて歌舞伎化され、40年以上ぶりの復活作品とのこと。もちろん孝太郎さんも初めてのお芝居で、初めての役。作っていく中で変わってきたものもあるんでしょうね。
風采のあがらないものの、とてもやさしく、女房を愛しているというおやじ、またそんなおやじを心の底から愛しているという女房でした。二人のやり取りはとてもコミカル。女房は元々、茶屋で働いていたそうですが、以前はお堅い部分があったのだろうけれど、おやじと一緒になってから、本当の自分をさらけ出せるようになったのかな~とか、想像したり。

私がこれまでに見たことがない孝太郎さんの女形であり、奇麗と言うより、容姿からしぐさまで可愛らしかったです。また全体的にコミカルで、ほのぼのとしており、またお代官の奥方@吉弥によって引き締められているところもあり、面白く楽しい演目でした。

『怪談 牡丹燈籠』
七織さんとふみさんと一緒に鑑賞。私が関西から上京して観に行くということで、私の日程に合わせて下さいました。
ゴールデンコンビと言われている仁左衛門さんと玉三郎さんの共演を生で初めて見たのですが、さすが~と言うしかない。
夫婦になって年月が経った下男伴蔵@仁左衛門と伴蔵女房お峰@玉三郎の二人のやり取り。テンポがよく、突っ込むタイミングなど本当に楽しくおかしく。笑いが止まりませんでした。息のあった二人のやり取り、他の役者さんたちも良く、安心して観ていられるというものがありました。
後半はお金によってこれまでの夫婦ではいられなくなり、ラストは伴蔵によってお峰は殺されるのですが、『女殺油地獄』ほど、あまり残忍さや悲惨さはなかったのですが、ここの度合は難しいのだろうな~と思いました。このシーンを観た時、4月に大阪松竹座で観た愛之助さんと孝太郎さんによる『色彩間苅豆 かさね』を思い出しました。
そして夫婦仲があまり良くなくなってきたものの、伴蔵が女房お峰を殺してしまったところに納得できませんでしたが、ここはあまり追求しなくてもいいところらしい。

昼の部で体力が消耗していましたが、とても素晴らしい舞台で、またお二人とご一緒でき、体力も復活した次第です。そして観終わった後、いつか下男伴蔵@愛之助、伴蔵女房お峰@孝太郎で観たいな~と思った次第です。


新橋演舞場での錦秋演舞場祭り 昼の部 十月大歌舞伎 
観劇日 10月23日(火)
配役はこちらより
みどころについてはこちらより

これは歌舞伎座での孝太郎さん出演がなかったら、これだけをわざわざ江戸まで観に行くところまではしませんでした。ただこの演目の発表があった時には、観たいと思いました。だから山南敬助ゆかりの地めぐりはいつでもできますので、こちらの方を優先したわけです。
中村屋親子の『連獅子』は、TVで何回も観ていましたので、いつか観たいな~と思っていました。そして『俊寛』は私が孝太郎さんに恋に落ちた演目。これを別の役者陣で観てみたいという思いがあり。

『俊寛』
去年の12月に観た松嶋屋による『俊寛』の記憶が定かでないのもあるのですが、松嶋屋によって、また中村屋によって、それぞれ違うんだな~ということ、それぞれの違いを観るのも楽しいな~と言うことがわかりました。また勘三郎さんのこのようなシリアスな役もいい。
もちろん海女千鳥@七之助君、良かったですよ。良かったです。
でも観終わった後、いつか、海女千鳥@孝太郎を再び観たいな~と思っちゃいました。

『連獅子』
観られて良かった。本当に良かった。
3人の息の合った動き。乱れぬ動き。すごい、すごかった。
この演目、動きが激しく、観ながら、勘太郎君の足、大丈夫かしら?と心配になり。だからこそ、胸が熱くなったりもしたわけで。

歌舞伎役者としての技能はもちろんのこと、やはりDNAを感じずにはいられない。血縁が歌舞伎の楽しみの一つでもあるということを目にしたことがありますが、それだけではないけれど、それはあると思うし、私が歌舞伎にはまっている一つの理由でもあります。
それを強く感じられた舞台でした。

と言うことで、やっと江戸での歌舞伎鑑賞の記事をアップできました。ほっと一息。
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by eri-seiran | 2007-10-28 10:51 | 歌舞伎 | Comments(4)

胸キュン3人衆

ただ今、私の胸キュン3人衆と言ったら、山南敬助、堺雅人さん、片岡孝太郎さんです。その時その時によって、想いが強くなる方が変わっています。その時に誰が私の心の中を多く占めているかということであり。

例えば10月で言えば、街道てくてく旅 日光・奥州街道突破を山南も歩いたかもしれないと思いながら観ており、特に宇都宮にて樹齢約400年という大イチョウの木には熱くなり。と言うことで、10月上旬辺りは山南敬助への想いが強い。記事も山南に関することが多く。

中旬は、書くまでもなく、来年の大河ドラマ『篤姫』に堺雅人さんが徳川家定公で出演と言うことで、徳川家定@堺雅人祭りで、また堺雅人さんの誕生日ということも重なり、中旬は堺雅人さん。

そして下旬。片岡孝太郎さんです。これは江戸に行って、歌舞伎鑑賞してから。
その江戸から帰ってきて、凄まじい状況です。テレビも殆ど観ていません。ただ食事をしながら、孝太郎さんの映像を何度も観ています(笑)。これが支えとなり、励みとなり。
昨夜も23時過ぎまでひたすら仕事をしていました。机に孝太郎さんの舞台写真を置いて、時々見て、励みにする。お陰で頑張れました。けれど、仕事量はなかなか減らないよ。

と言うことで、堺雅人さん主演の映画『壁男』を明日、大阪まで観に行くつもりにしていましたが、大変な状況なのでやめよう。上映期間は2週間ほどと言っていたけれど、東京では約1ヵ月半の上映になったから、大阪も最初の予定より伸びるだろうと思い、サイトの方を訪れたら、最初の予定通りにジャスト2週間じゃん。東京での上映が終わる日と同じじゃん。
と言うことで、明日、やっぱり観に行くことにします。明日、観なかったら、厳しいものがあるから。
江戸から帰って来てから頑張っているんだもん。ご褒美。ご褒美。息抜き、息抜き。
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by eri-seiran | 2007-10-27 22:20 | 身辺雑記 | Comments(0)

嬉しい夢に記事を支えに

山本耕史君が夢に出てきちゃったよ。全国の耕史君ファンの皆様、ごめんなさい。と言う私もファンであります。
何かのイベントに来ており、何故かお話しが出てきて、自分が『新選組!』について熱く語ったり、昔からの山南敬助のファンですという告白をしたり、それを聞いてくれたというものなんですけれどね。
そこでなんでこんな夢を見たんだろうと考えていたんです。

昨日、会議があり。議論している内容は違いますけれど、立場も違いますけれど、これ、大河ドラマ『新選組!』の第31回の「永倉新八、反乱」にて、新しい組織図に永倉新八@山口智充が意を唱えるシーンと同じではないか!と、思っちゃった会議だったわけですよ。
もう少しで、

私は承服できん!

と言ってしまうところでした(汗)。まあ~やわらかい言葉でそれに近いことを言ったんですけれどね。他にも同じく承服できない人が多かったので、これについての結果は出ず、改めて検討となったんですけれどね。

多分に山本耕史君の夢を見たのはこれの影響かな?なんって思っているんです。
と言うわけで、江戸から帰ってきて予想以上に凄まじい状況となっております。
そんな状況の中で、そんな夢を見た影響はおいといて、夢自体は頑張れる力となり。そしてもう一つ、嬉しいことがあり。

22日、私が歌舞伎座で『赤い陣羽織』でのおやじの女房@孝太郎さんに逢えた日の夜、孝太郎さんは第20回東京国際映画祭に参加している主演映画『Beauty』のための舞台挨拶に行かれました。
その時の様子が歌舞伎美人サイトでアップされていますよ。孝太郎・愛之助共演映画『Beauty』上映というタイトルにて。片岡愛之助さんもいいな~とは思っていたのですが、ここ2~3日ほどで、とてもいいな~と思うようになっておりまして。単純な理由からなんですけれど。と言うわけで、タイトルそのものにも胸キュン。
またレッドカーペットを歩く様子も『Beauty』の公式ブログで紹介されていますよ。

嬉しい夢、嬉しい記事、それらを支えに今日も一日、頑張りましょう。
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by eri-seiran | 2007-10-25 09:58 | 身辺雑記 | Comments(2)

江戸より帰る

夕方の5時過ぎに江戸を経って、2時間20分で京に着きました。山南敬助に申し訳なくって、申し訳なくって。
山南だって江戸に帰りたいと思ったことがあったかもしれない。今の時代なら、休みの日、祇園でも行ってくると言って、日帰りで江戸まで行けたのに。京から歩いて2時間20分だったら、大津までは辿り着けるかな?草津は無理だわね。

今年になって、3月、6月、8月、そして今回、4度目の江戸行き、つまり東京行きでした。
平成15年(2003)までは、仕事関係、またはプライベートで東京に行くのは、1年に1回くらいでした。このようにプライベートで東京に度々行くようになったのは、大河ドラマ『新選組!』がきっかけであり、平成16年(2004)の11月に行ったのが始まり。この時のメインは、堺雅人さん出演の舞台『喪服の似合うエレクトラ』を観るためでありましたが、3泊4日の旅となり、江戸の新選組ゆかりの地めぐり、そして会津まで足を伸ばしました。

そしてこれは今年になってから知ったのですが、同じこの11月に歌舞伎座では片岡孝太郎さんの息子である千之助君の初舞台だったそうです。今なら迷わず観に行くよ。でもその頃は佃医師@片岡孝太郎は知っていても、歌舞伎役者・片岡孝太郎さんは知らなかったし。ゾッコンとか以前の問題であり(苦笑)。とにかくこの頃は大河ドラマ『新選組!』、史実の山南敬助&新選組、そして堺雅人さんにゾッコンだったから。
しかしそういう時があったから、それにプラス、歌舞伎役者・片岡孝太郎さんにゾッコンという今があるわけであり。そして今年に江戸に行った4回のうち3回が孝太郎さんの舞台鑑賞がメインであり。人生ってなんって面白いんだろう。
来月のメインは孝太郎さん&堺雅人さんの舞台ですから。12月は堺さんの舞台。孝太郎さんは京の南座。はい、もちろん南座も行きますよ。

明日からのことはあまり考えたくないのですが、来月もまた12月も江戸に行くことは決定しているので、それを支えに頑張りましょう。
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by eri-seiran | 2007-10-23 22:18 | 身辺雑記 | Comments(2)

江戸での朝

を無事に迎えました。昨日は歌舞伎座での『芸術十月大歌舞伎』の昼の部、夜の部を観賞。
今回の江戸行きの一番の目的であった『赤い陣羽織』の女房@孝太郎が昼の部のトップバッターだったものですから、それが終わったらちょっと不抜け状態。夜まで体力が持つか?心配だったのですが、夜の部は七織さんとふみさんとご一緒できたこと、夜の部の『怪談牡丹燈籠』が素晴らしく、楽しめたことで最後まで体力も保ち、しっかり観賞できました。

鑑賞後、歌舞伎座の近くでお茶をした後、お二人と別れて、一人で宿に向かってしばらく歩く途中、見上げればおぼろ月。あ~約150年前、山南敬助も友らと酒を呑み、別れた後に一人で歩きながら江戸での月を見たかもしれないな~なんって思ったり。そしてこうして朝を迎えたんだよね、この江戸にて(笑)。
今日は新橋演舞場での『錦秋演舞場祭り』の昼の部を観賞して、夕方に江戸を経ちます。今回は本当に歌舞伎三昧の旅なり。
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by eri-seiran | 2007-10-23 09:02 | 身辺雑記 | Comments(2)

終わった。終わった。終わったよ。

ここ2週間ほど、ある仕事に振り回され、またその仕事がプレッシャーになっていましたが、昨日、その仕事を無事に終えることができました。
この仕事、歌舞伎鑑賞のために江戸に行くことを決め、チケットを取った後に入ってきた仕事で、まあ~江戸にて歌舞伎鑑賞を支えに頑張れたところもありました。
しかしこの仕事に振り回され、他の仕事が捗らず、22日に私は江戸に行けるのだろうかという不安にもちょっと陥ったり。仕事は溜まっておりますが、23日の火曜日までにしておかなければならないことは無事に済ませることがなんとかできました。江戸から帰ってきてからのことを考えると恐ろしいのですが、とにかく明日の22日から23日までの1泊2日、江戸に行ける状況に辿り着いたぞ!

と言うか、朝の記事をアップした時には今日は大変な1日になる感じだったのですが、午前中で仕事を済まして帰ることができ(朝日を見ていた段階ではそれが難しいと思っていたわけ)、パッキングもほぼ終わり、まだ観られていなかった前回の『風林火山』を観て、ネットサーフィンをして明日の歌舞伎座での芸術祭十月大歌舞伎の予習をしたり(主に『赤い陣羽織』について)、なんかいつもの江戸行きより、余裕たっぷり(笑)。

孝太郎さん、一演目だけというのはちょっと寂しいのですが、上方から脱出でき、江戸に行けるだけでも今の私には幸せ。
仕事のことは忘れて、江戸での歌舞伎鑑賞をエンジョイするんだい。
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by eri-seiran | 2007-10-21 18:06 | 身辺雑記 | Comments(2)

朝は必ずやって来る

自分がこの世にて生きている限り、どんなにつらいことがあっても、仕事が思うように捗らなくても、今日という日を迎えたくないと思っても、朝は必ずやって来る。
だから今日を無事に終えたら、明日という10月22日の朝を迎えることができるはず。ヨッシャ、今日一日、頑張ろう!

そんなことを思わせてくれる朝日を上方にて見ることができました。
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by eri-seiran | 2007-10-21 06:47 | 身辺雑記 | Comments(0)

山南敬助をメインにしたブログです。ホームページ『山南敬助 赤心記』共々よろしくお願い申し上げます。


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