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あれから4年、そして今年、来年

新年は実家のある九州で迎えることが多いのですが、今年は4年ぶりに関西で迎えます。
4年ぶりとは、平成16年(2004)の新年以来です。
4年前の12月31日(記憶が定かでなく30日の可能性もあり)、友人が映画『壬生義士伝』を観たいと言い出し、DVDをレンタルしてきて我が家で観ました。
それまでも多分に映像で観たことはあっただろうと思われる堺雅人。しかしこの時に初めて、この人が今度の大河ドラマ『新選組!』で山南敬助を演じる堺雅人という役者だと認識しました。そしてこの時、この人が演じる山南敬助、期待してもいいかもしれないと思いました。

あれから4年です。
この4年間、たくさんの出逢いがあり、また自分自身にとっても色々と変化があり、とにかく楽く。もちろん辛いこともありましたが、でも楽しいことがあったら、乗り越えられたわけで。

さて、平成19年(2007)を振り返った時の私にとってのベスト3は

・雪が散らつく中、第一回山南忌が開催される。
・歌舞伎にはまる。
・山南敬助オンリーのホームページを立ち上げる。


でしょうか。

山南忌が開催されたのは本当に夢のようでした。またホームページは大河ドラマ『新選組!』がなかったら、決して立ち上げることはなかったであろう。その前にこのブログですね。大河ドラマ『新選組!』→人との出逢い→ブログ→ホームページという感じでしょうか。

また歌舞伎にはまるというより、片岡孝太郎さんにはまったわけですが、今月、南座に観に行った時に思い出したんです。
孝太郎さんの女形に恋したのは、去年の12月の南座での『顔見世興行』夜の部の『俊寛』での海女千鳥@孝太郎でした。
この夜の部を観に行く前に、光縁寺に寄り、その年の最後となる山南敬助のお墓参りをしてきました。そして南座へ。
お墓参りしてから南座に来て、海女千鳥@孝太郎に出逢ったんだと、今年の南座で思い出しました。もちろん、お墓参りしていなくても出逢っていたわけなんですけれど、これは山南敬助が出逢わせてくれたんだと思ったバカな私。
去年の11月に辛いことがありまして、そんな私のために出逢わせてくれたんだと。
お陰で、辛いことも乗り越えられましたが、この1年間、歌舞伎鑑賞に費やした時間とエネルギーとお金は大変なものでしたよ、山南さん(苦笑)。でも反対に、歌舞伎鑑賞のために江戸に行く機会も増え、江戸での山南敬助の足跡を辿ったり、浸ったりすることもできたわけで。あれ?そのために出逢わせてくれたの(苦笑)。

来年も歌舞伎鑑賞は続くでしょうし、山南敬助の足跡を辿るも実施しますし、大河ドラマに4年ぶり2回目の出演となる堺雅人さんの徳川家定もとてもとても楽しみですし、また映画『アフタースクール』『ジャージの二人』も。
そしてホームページも更新が怠っておりますが、来年は頑張ろうと密かに決意しています。

今年も本当に色々とお世話になり、また当ブログ・ホームページを訪問してくださり、ありがとうございました。
平成20年(2008)が良き年となりますように。
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by eri-seiran | 2007-12-31 22:27 | 身辺雑記 | Comments(2)

愛しき役者たちの忘年会

江戸での旅、12月26日は全くのフリーでした。
この日、舞台『恐れを知らぬ川上音二郎一座』は休演日。
と言うことで、私はNHKスタジオパークに行こうかと考えていました。大河ドラマ『篤姫』の撮影見学。確率としては低いだろうけれど、徳川家定@堺雅人の撮影に出くわすかもしれない。
しかし友だちからスタジオパークは休館日に入ったと教えてもらいました。危ない、危ない。もう少しで、11月に江戸城本丸跡を訪ねようとして、北詰橋門で門前払いを食らった時と同じ状況になるところでした(苦笑)。

そんな26日、『新選組!』の忘年会が行われたそうです。
これも友だちより、鈴木砂羽@明里のブログの記事に書いてあると教えて頂きました。
あれから4年。すごいな~
明里が去年の12月の記事で触れていらっしゃいますが、他のドラマチームにはめったにみられないと。
副長こと山本耕史君、あなたは偉い!尊敬しちゃうよ。
日程調整するのが大変だったでしょうけれど、出演している日本人の役者さんたち13人のうち6名が『組!』の役者たちという『恐れを知らぬ川上音二郎一座』が休演日であるこの日になったのは納得。
誰が参加したのか、わかりませんが、堺雅人@山南敬助は参加されたそうです。明里、山南先生と1年ぶりに逢えて、嬉しかったそうです。

ところで、鈴木砂羽さん、出身地は静岡県なんだ。ブログに書かれてあるプロフィールを見て、ただ今、知りました。静岡県と言うと、私にとっては富士山なんですよ。新幹線で江戸に行く時、富士山が見えると思い出しちゃうんだよね。明里が富士山を見たいと言い、その後、山南が決意する(涙)。
私にとって、富士山=『新選組!』の山南敬助と明里ですから。

その山南敬助を演じた堺雅人さんも『NHK大河ドラマ・ストーリー 篤姫 前編』(NHK出版)において、『新選組!』について触れています。

責任も1/9、うれしいことも1/9、そんないいチームでした。

9とは試衛館+斎藤一のこと。そして前回は特殊だったと。
山南敬助@堺雅人と今回の徳川家定@堺雅人の居場所を対比して述べていること、また同じ大河ドラマということで、熱く語ってくれているわけですが、嬉しかった。
今でも副長と気持は一緒ね(涙)。

さて26日に『組!』の忘年会が行われた後での最初の舞台を私は鑑賞したということになり。どうでもいいことなんですけれど、なんか嬉しくて嬉しくて。もちろんその時はそんなこととは知らず、観ていたわけですが、今になってそんな楽しいひと時を過ごした翌日だったんだねとか、だから一層、慶喜公、源さん、山南のスリーショットに感動したんだとか(苦笑)。
堺さん以外のメンバーで誰が忘年会に参加したか?わかりませんが、一緒に参加してでもしていなくても、昨日の忘年会が話題になっただろう。
そして忘年会では、舞台『恐れを知らぬ川上音二郎一座』が話題に出ただろうし、また堺雅人さん演じる伊達実が新選組の羽織を着ていることについても(笑)。

ただ今、13時過ぎです。
現在、千穐楽である舞台『恐れを知らぬ川上音二郎一座』が上演されていることでしょう。
少し早いですが、約2ヶ月間、役者さんたちスタッフさんたちを初め、この舞台に関わったすべての方々、本当にお疲れ様でした。
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by eri-seiran | 2007-12-30 13:21 | 『組!』の愛しき役者たち | Comments(0)

試衛館跡から伝通院まで歩く

今年の3月に若き日の山南敬助が学んだ小野派一刀流の大久保道場跡から試衛館跡まで歩きました。その時のレポはこちらより
江戸での山南敬助の足跡を辿るという視点から考えると、次は試衛館跡から多摩なんですけれど、あまりにも距離があり、体力的にも時間的にも無理なのでパス(苦笑)。
と言うことで、今度は試衛館跡から伝通院だと決めていました。本当は今年の6月に江戸に行った時、実行する予定でした。そのために試衛館跡に近くて安い宿を探して予約したのですが、色々な理由で延期となりました。理由のひとつに山南敬助らが歩いたのは冬。だから寒い季節に歩きたいということになり。
そこで今回、実行に至りました。

宿は6月の時と同じ所。しかしこの宿から試衛館跡まで歩いたのですが、思っていたより近くなく。ちょっとそれは残念でした。

さて今回、当ブログを訪問してくださっており、また山南敬助について熱心に調べている白兎さんが付き合ってくださいました。
山南敬助が大久保道場からダイレクトで試衛館を訪れたのか、すでに辞めてあちらこちら回っている時に試衛館と出合ったのか、わかりませんが、一人だった可能性は大きい。しかし試衛館から伝通院に行く時には一人でなく、試衛館の同志の誰かと一緒だったはず。或いはみんなで。一人だった可能性は少ない。
そんなことを考えると、今回、一人でなく白兎さんと一緒に歩けたのはとても有り難く。白兎さんは私より随分と若いということで、山南敬助に浸りながら歩く私としては藤堂平助と一緒に歩いている気分になっちゃいましたよ。山南敬助と藤堂平助の年齢差より随分あったんですけれどね(汗)。
さて、今回の試衛館跡から伝通院までの道程は、『「新選組」土方歳三を歩く』(山と渓谷社)を参考にさせて頂きました。すみません、山南敬助を歩くになってしまいましたけれど(苦笑)。
試衛館跡からまず住宅街を歩き、途中で大久保通りに出ました。神楽坂上の交差点から神楽坂通りを歩き、神楽坂下の交差点で外堀通りを左に曲がって地下鉄南北線の飯田橋駅を通り過ぎ、飯田橋の大きな交差点の歩道橋を渡り、小石川運動場を右手に見ながら細い道を歩き、牛天神下の交差点、安藤坂の交差点を通り、後は安藤坂をまっすぐ行けば伝通院にぶつかります。
わかりにくい説明ですみません(汗)。しゃべりながらゆっくり歩いて約1時間でした。

ここに辿り着くまで白兎さんと、山南敬助についてただひたすら話し続けました。山南敬助についてよく調べており、私の方が色々と勉強させて頂きました。また若いっていいな~と思いました。山南敬助も平助と一緒に歩きながら、平助に教えられたこともあっただろし、また若いっていいな~って思ったかもしれません(笑)。とても楽しく一緒に歩かせて頂きました。ありがとうございました。

さて3月に大久保道場跡から試衛館跡まで歩いた時、牛込橋を渡って神楽坂下まで出て、そこからは違う道を歩いて試衛館跡まで辿り着きましたが、伝通院に行くにも違う道もあっただろうけれど、今回、試衛館から神楽坂下まで辿り着いたわけです。これは感動でした。
史実の山南敬助についてはわかりません。しかし外堀に架かっている橋を渡って外堀を越え、試衛館に出合ったのは史実。
私が外堀を越えた時に渡ったのは牛込橋。そして今回、伝通院に向かう途中でここに再び出合い。この橋を渡れば外堀の内。自分はあの橋を渡って外堀を越え、試衛館に辿り着いたんだと感慨にふけてしまいました。

次は伝通院から中山道を歩いて京なんですけれど、多摩よりずっと難しいのでパス。
と言うことで、史実は全くわかりませんが、昨日の記事で触れたように可能性としては全くないとも言えないし、ちょっと距離感を調べたいので、北辰一刀流の玄武館から大久保道場跡まで歩いてみたいなと考えております。
と言うか、実は昨日、実行する予定だったんです。実行しようと決めたのはその日の朝で、体力的に大丈夫だと思えたから。
しかしホテルから東京駅のコインロッカーに荷物を預けるのに体力を使い果たし、玄武館に辿り着くまで時間がかかってしまったから、断念したわけです。
次回こそは、玄武館から大久保道場へ。
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by eri-seiran | 2007-12-28 09:22 |  ゆかりの地 | Comments(0)

今年、最後の江戸の旅

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の締め括りは、シアタークリエでの『恐れを知らぬ川上音二郎一座』の観賞でした。
最後、舞台横一列に並んだ役者さんたち、慶喜公に源さんに山南のスリーショットに涙。今回、この舞台、一杯楽しませてもらいましたが、この3人の後半の絡みは特に大好きです。
そして今月の31日で堺雅人という役者を知って、4周年になろうとしています。この役者さんに出会えて本当に良かったと思えた舞台でした。
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by eri-seiran | 2007-12-27 18:31 | 身辺雑記 | Comments(0)

山南敬助が居たかもしれない玄武館跡より

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迷いました。この辺りをグルグル歩き回っていました。
約3年前に初めて来ましたが、その時は中に入れず、すでに夕方で暗く。今回は中に入れました。あれ?学校の建物がなくなっている。迷った原因のひとつがこれです。
石碑と木くらいしかありませんが、幕末に浸れる良い所です。
山南敬助が玄武館にて北辰一刀流を学んだか、定かではありません。
しかしここに居たかもしれないし、また訪れたかもしれないと思ったり。
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by eri-seiran | 2007-12-27 11:33 | 身辺雑記 | Comments(0)

江戸城本丸跡にて

私は凍え死ぬかと思いました。かなり大袈裟ですけれど(苦笑)。
本丸跡に辿り着くまでは地下鉄に乗って暑かったですし、その後は目的地に向かってガツガツ歩いていましたし、気持ちも高ぶっていましたから、全然、寒いと感じませんでした。しかし記事をアップしてから、段々と寒くなり。広々としているから冷たい風を遮ってくれるものはなし。本丸跡からは木々のある所を歩いたのですが、それでも寒く。大手門から出て、オフィスビル街を歩き始めるとやっと寒さもマシになり。ビル内に入れば暖かく。
助かった(笑)。しかし本丸跡での寒さが当たり前なんですけれどね。山南敬助だって、江戸であんな寒さを感じたはず。
さて寒いので、どこかに入ってゆっくりできる建物を探していたら、レストランにショップが入っているビルがあり、その中には本屋さんもあり。そして探していた藤沢周平氏の『回天の門』(文春文庫)がありました。もちろん購入。これは清河八郎を主人公にした物語です。
本丸跡からこの書物に辿り着き。
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by eri-seiran | 2007-12-26 15:38 | 身辺雑記 | Comments(0)

江戸城本丸跡より

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約一ヶ月前、門前払いに合いましたが、今日はスムーズに入れました。
山南敬助にとっては決して入ることのできない所だった。しかし山南敬助初め試衛館のメンバーはここに居られた将軍のため、そして幕府のために浪士組として京に行ったは確かなり。

とてもとても広いです。何もありません。訪れる人々も少なく。
当時は立派な建物があり、たくさんの人々がいて、それでも孤独感を感じていた徳川家定@堺雅人にも浸り(笑)。
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by eri-seiran | 2007-12-26 10:38 | 身辺雑記 | Comments(0)

伝通院

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に2時半位に着きました。試衛館から伝通院まで約1時間ほどです。途中、信号で止まったり、地図とにらめっこしたり、ゆっくりなペースで歩いたので、山南敬助らであれば、30分まではいかないにしても、それに近い時間で行けたのではないでしょうか?
約3年振りの伝通院は懐かしかったです。
でも何も変わっていなかった。清河八郎の墓を探すのにちょっと苦労したところも(苦笑)。
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by eri-seiran | 2007-12-24 17:04 | 身辺雑記 | Comments(0)

試衛館から伝通院へ

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江戸に無事に着きました。
文久3年(1863)の冬、同志らと共に伝通院へ一緒に向かった時の山南敬助に浸りながら、これから私も試衛館跡から伝通院に向かいます。
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by eri-seiran | 2007-12-24 13:29 | 身辺雑記 | Comments(0)

元治元年(1864年)12月の山南敬助らの経過と状況

月に一度、恒例にしている記事。今月は元治元年(1864)の12月です。
歌舞伎チャンネルがやってきたことや、南座での孝太郎さんの女形がとても素敵だったことに舞い上がっていたため、この記事のアップが遅れてしまったけれど、もっと早くアップしておくべきだった。江戸行きを前にしてバタバタの状況です。
そんな状況においてもこの記事をアップするのは、江戸から帰って来てからはもっと困難な状況になるから。

NHK大河ドラマ『篤姫』のガイドブック、NHK出版と東京ニュース通信社発行の2冊も買ってしまったけれど、まだ堺雅人@徳川家定のインタビューしか読んでいないけれど、写真もインタビューの内容も萌ですよ。たまりません(笑)。
そしてNHK出版の方のインタビューにおいての1/9という文字に涙。
と言うことで、このガイドブックについても書きたいし、他にも色々と記事にしたいこともあるのですが、この記事だけは来月にということにはできませんので。

12月2日 新選組隊士50名、近江の国の瀬田へ。

近江の国の瀬田とは、今の滋賀県大津市の最も東寄りにあるエリアです。この瀬田を江戸に向かって超えると、今の草津市に入ります。草津宿があった現在の草津市です。
浪士組として京に上がる時、山南敬助が村上俊五郎に激怒したと云われる草津。
『新選組!』の山南敬助@堺雅人が脱走した時に目指した所だけれど、辿り着かなかった草津。
史実の土方歳三、伊東甲子太郎、斎藤一、藤堂平助が山南敬助の死後から約2ヶ月半後に宿泊した記録が残っている草津本陣がある草津。
あ~草津だよ(笑)。
さて何故、新選組隊士らが瀬田に行ったかと言うと、水戸天狗党が西に上方にやってくるという報せが入り、一橋慶喜が翌日の3日に出陣しているために、それに伴う出動と考えられているようです。

12月上旬 近藤勇、大坂の豪商から銀六千六百貫、会津藩御用のために借用する。

先日、記事にした鴻池善右衛門の残した記録にあり、お金を貸した豪商は鴻池善右衛門初め、平野屋五平衛などすさまじい人数。そしてその中でも一番多く貸したのが鴻池善右衛門。さすが上方を代表する豪商。あっぱれなり。

12月某日 京の五条坂に潜伏中の不定浪士11名が捕縛される。

            (参考文献:新選組日誌 コンパクト版(上) 新人物往来社)

記録に残っている12月の出来事のなんと少ないこと。他にもないことはないんですけれど、あまり関係なかったりすることだったので省きました。
あまり出来事がなかったということは、新選組にとって平和だったと言うことなんでしょうけれどね。
山南敬助についても何も見えてこない。
ただ大坂の豪商らが新選組にお金を貸したということは、大坂での活動が認められたのだろうと思うのです。そしてそこには、岩木升屋、或いは鴻池にて、山南敬助が不逞浪士と戦った出来事も含まれているのは間違いないだろう。
それから、私は山南敬助は大津で静養していたのではないかという見方をちょっとしておりまして、もしそうだったら、12月2日に瀬田へ出動した帰り、試衛館派の誰か、立ち寄ったかもしれないと思ったり。

山南敬助の死まで後2ヶ月となり。
史実ではどこにいて、どんな状態で、何を考えていたんだろう。
江戸での日々を思い出していたかもしれない。
私は明日、山南敬助が静養中に懐かしく思い出しただろうと思われる試衛館から伝通院まで歩いてきます。
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by eri-seiran | 2007-12-23 21:30 |  出来事 | Comments(0)

山南敬助をメインにしたブログです。ホームページ『山南敬助 赤心記』共々よろしくお願い申し上げます。


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