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山南敬助@高橋長英に胸キュン

映像で山南敬助を演じた役者について自分の感想を述べられるとしたら、

映画『新選組』 中村梅之助
NHKドラマ『壬生の恋歌』 岸部一徳
大河ドラマ『新選組!』 堺雅人
Vシネマ『実録 新選組』 中野英雄


の4人くらいでした。山南敬助や新選組についての映像ものは避けてきたところがあります。そこには色々な自分なりの言い訳があるのですが、これからは色々な山南敬助を拝ませてもらおうと思えるようになったきっかけは『新選組!』での山南敬助@堺雅人に出逢ってからでした。
上記は古い順番に挙げたのですが、観た順番は

岸部一徳 ⇒ 堺雅人 ⇒ 中村梅之助 ⇒ 中野英雄

になります。
しかし山南敬助@岸部一徳に出逢う前に出逢っていながらも、あまり記憶に残っておらず、そして現在 再放送を観て密かに胸キュンになっている山南敬助がいます。
それはTBSドラマ『新選組始末記』での山南敬助@高橋長英です。観た順番としては、岸部一徳さんの前に高橋長英さんが入るはずなんです。
以前にも記事で挙げましたが、このドラマは私が初めて観た新選組の映像であり、これを観て新選組に関心を持ち始めたのですが、山南敬助に胸キュンところが、山南敬助の記憶が定かでありません。
この時、記憶が鮮明に残っており、また胸キュンになったのは永倉新八@夏八木勲でした。
現在、第7話まで再放送されたんですけれど、何故に自分が永倉新八@夏八木勲に胸キュンになって、山南敬助@高橋長英にならなかったのがわかってきました。
山南敬助より登場が多くて、血気盛んな一面がある一方で優しい面もあり、頼りがいがありそうなんだもん。10代の私がこの永倉新八に胸キュンになったのはわかる気がします。
そして山南敬助@高橋長英は、ゆるりとして温ったかく優しく、でも自分の信念を持っているのが感じがられ。そんな人だから土方歳三@古谷一行に何を言われても流しており。
今後、それができなくなるのかな~と思っているですが。

10代の時には山南敬助@高橋長英に萌えなかったわけですけれど、ただ今萌え始めているのは山南敬助が好きになって改めて観たということも影響しているとは思いますが、そればかりでなく、ゆるりとして、ほんわかしたムードの山南敬助に、山南敬助の享年をすでに追い越した年齢である今の私が観ると、胸キュンになるわけで。年齢と共に胸キュンのタイプも多少、変わってくるものです。

さて全26話における第3話で新見錦が切腹し、第4話で芹澤鴨暗殺があったので、山南敬助の切腹もこりゃ早いわと覚悟しておかなければと思ったら、ドラマで取り上げる新選組の出来事が史実とはちょっと前後しておりまして。
第4話で芹澤鴨の暗殺だったのですが、第5話が佐々木愛次郎とあぐりの死、そして佐伯又三郎の死。史実ではこれは芹沢鴨が暗殺された9月よりひと月前の8月だったと云われています。第6話は内山彦次郎の暗殺。これは元治元年の5月に起きたので、そうなると次は池田屋事件につながっていくのかと思いきや、第7話は松原忠司の壬生心中。史実ではまっちゃんの死は山南敬助の死から約半年後です。
と言うことで、ドラマでは出来事が史実と前後しているので、山南敬助の死がいつ頃になるかという見通しが持てない状態です。
徳川家定@堺雅人が何話で亡くなるのかということと同様に、こちらの死も何話になるのかとドキドキものです。
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by eri-seiran | 2008-02-29 07:57 |  ドラマ/映画/舞台 | Comments(0)

元治2年(1865年)2月の山南敬助らの経過と状況

平成18年(2006)の3月より2年にわたって、少なくとも月に1回は記事してきたシリーズもの。始まりは文久3年3月の中旬の経過と状況でした。そして終わりは元治2年(1865)の2月となります。江戸を出立して京に着いた2月の出来事と状況から書いていると思ったら、書いていなかったわ(汗)。

2月1日  松平容保公の東下りが朝廷より許可される。

これは将軍家茂公への上洛要請のためです。
しかし後日、幕府側より待ったがかかり、実現しなかったらしい。

2月上旬  土方歳三、松平容保公に拝謁して、東下りに同行したいと申し出るが、容保公は京の警備に専任するように言って、土方の申し出を辞退している。

これら一連の出来事って、山南敬助の死に多少なりとも影響があるのだろうか。
松平容保公にお供することを申し出ることができない体であれば、辛いだろうな。容保公の東下りが実現できないとわかったのは、山南の死後のこと。ただ伝奏方より老中阿部豊後守(阿部正外)から通達があるまでこの件について控える旨の依頼があったのが山南の亡くなった2月23日らしい。

2月9日  土方が佐藤彦五郎宛に書簡を送る。

書簡で2件のことを報告しています。ひとつは松平容保公の東下りの問題と、もし東下りすることになったらその様子を伝えてほしいということ。
もうひとつは前年の11月に作成された行軍録に永倉新八の名前がないことに疑問を抱いた彦五郎への返事です。
これについては以前に記事で何度も触れていますが、この行軍録に名前がない試衛館のメンバーは永倉新八に藤堂平助、そして山南敬助の3人。永倉は会津藩に近藤批判の建白書を提出したことへの責任を問われての謹慎処分を受けていたためと考えられます。そのことを彦五郎は知らなかったから、永倉の名前がないことに疑問を抱いて尋ねたようです。土方は書簡にちょっと事情があってそうなっただけであり、心配しないようにという内容のことを書いています。
土方は山南や藤堂のことについては何も触れていません。と言うことは、彦五郎が永倉の名前がないことについては尋ねたが、山南と平助のことについては尋ねなかったということになります。藤堂平助はこの時期、江戸にいたため、これについては彦五郎も知っていた。だから尋ねなかったわけです。
彦五郎と山南の付き合いは永倉より長く、深かったと、残っている記録から考えられます。そんな山南の名前が無かったら、尋ねないはずがない。それを尋ねていないと言うことは、山南についても行軍録に名前がない理由を知っていたということになります。

2月22日 山南、脱走して、追って来た沖田総司と大津にて出会う。

山南敬助の状況と経過の記事において、めちゃくちゃ久しぶりにご本人が登場かと思えば、いきなり脱走だし。
小島鹿之助宛てに書いた年賀状とか、多摩の富沢政恕が壬生屯所を訪ねたけれど山南は病に臥していて逢えなかったなどの山南の名前が登場することはありました。しかし本人がこのようにして表舞台に登場したのは芹澤鴨の暗殺以来です。約1年5ヶ月ぶり。そんでもって脱走(涙)。また芹澤鴨の暗殺も、山南が加わったという当時の記録はありません。暗殺者については色々な説があり。と言うことで、これが表舞台に立った最後だったとも確定はできませんし。
私的にはこれまでの経過、脱走した時の記録などから、脱走説はフィクション性が高いと見ています。

2月23日 山南敬助 割腹。享年33。

山南の死は近藤や土方から命じられた切腹だったのか、自ら死を選んだ自害だったのか。
私の中でこの答えは出ないので、当時の記録に残っている割腹という言葉を使いました。
命じられても本人も希望した切腹という考えもできます。
私が拘っているのは、最期をどのような方法で迎えたかということではなく、近藤や土方と仲違いしたことによって、人生の最期を迎えることになったのか、それとも他に原因があるのかということ。

2月24日 山南敬助の葬儀が行なわれる。

と一応に云われていますが、それについて触れているのは子母澤寛の『新選組遺聞』のみです。山南の死から約1ヶ月経って、総司が山南の死について軽く触れてある書簡があり、そこに山南は26日に亡くなったと書かれています。それは間違いであり、そのために26日に葬儀が行なわれたのではないかということもあり得ます。葬儀が行なわれなかったということも考えられると最近、ちょっと思っていまして。

2月下旬 屯所を西本願寺に移すために、西本願寺と交渉をする。

このことについて触れているのは西本願寺の寺侍であった西村兼文です。しかしこの頃、西村は旅に出ており、京にはいませんでした。

2月28日 西本願寺は新選組が屯所として使用することを許可し、朝廷にそのことを伝える。
                   
               (参考文献:新選組日誌 コンパクト版(上) 新人物往来社)

この月、大きな出来事は山南の死以外にはありません。
その山南の死、やっぱり、納得できないことが多い。
山南の死についてはまたいつか、改めて記事にしたいと思っています。
それからこのシリーズの記事は、山南が亡くなったので取りあえず今回で終り。
このシリーズは山南敬助が京で過ごした2年という年月と同じように、約2年間にわたってアップしてきました。
2年という年月のうち、約半年から1年に満たない期間は表舞台に立っていたけれど、それ以後は病という理由で表舞台に立てませんでした。そんな事情があっての幕末という時代の2年という年月と、現代を生きる私にとっての2年という年月の長さを比べることはできないことがわかりました。
ただ現代を生きる私にとって2年という年月は早かったです。
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by eri-seiran | 2008-02-26 11:27 |  出来事 | Comments(0)

スタジオパークにて 其の三

今回、スタジオパークに行って、大河ドラマ『新選組!』の撮影見学をしなかったことへのトラウマが意外と大きなことに気付きました。
また『新選組!』への思いが強いことを再確認しました。これまでの記事を読んでいたら分かるってば(笑)。
たかがTVドラマですが、あんなに熱くなった1年はなかったし、色々な物を頂きました。
TVドラマによってここまで影響を受けるのは初めて。ここまでの影響を受けるTVドラマに出合うことはもうないだろう。

そんなドラマの撮影が行なわれたスタジオパーク。
今でも4年前の面影は残っており。
歴代の大河ドラマが紹介されているコーナーで、一番最初に目に入ってきたのが『新選組!』でした。自分が一番に探しているから当たり前のことなんですけれどね(笑)。
ショップのコーナーには新選組のガチャポンが置いてあって、久しぶりにやってみました。これは占いみたいなもの。「山南敬助でありますように」と願いながら。私にとっては大大大吉。しかし沖田総司でした。それでも「吉だ!」
そしたら凶は誰なんだよ?と自分で突っ込みをいれる。
土方歳三@山本耕史のテレフォンカードもまだ売っていましたよ。これは初めて訪れた時に買おうか、どうしようかと迷った挙句、買わず。帰ってきてから後悔。だから約3年3ヶ月経って買っちゃった。テレフォンカードなんって使うことはないのに。
また一日目は気付かなかったのですが、土方歳三@山本耕史の和服と洋装のポスターもレジの所に貼ってあり。

今だったら、きっと毎月のように行っていただろうな~撮影見学のために。

スタジオパークの中を見学しながら、

Come Back 2004!

と、心の中で叫んでいた私です(笑)。
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by eri-seiran | 2008-02-25 21:26 | 『組!』の愛しき役者たち | Comments(0)

スタジオパークにて 其の二

こちらの記事の続きです。

まず今回は2日間ともスタジオパークにいました。
1日目、江戸に着いてから渋谷の宿に荷物を預け、12時過ぎくらいにスタジオパークへ。大河ドラマ『篤姫』は大奥の撮影。15時過ぎに、今日は徳川家定@堺雅人の登場はなさそうだと判断して歌舞伎座へ。こちらは行けば確実に逢えるわけで。
孝太郎さんの女形に恋に落ちた平成18年(2006)12月18日の1週間前の12月11日に化粧坂少将@孝太郎に逢っていたのですが、これでは恋には落ちませんでした。もちろんこれもとてもきれいなんですけれど、演目そのもの、役柄から、恋には落ちなかったんだということが今回、再会してわかりました。そして海女千鳥@孝太郎に逢えて良かったと改めて思いました。

2日目、午前中からスタジオパークにいました。撮影の予定は10時半からと出ているのになかなか始まらず。
この日は午後から、七織さんとKさんが合流することになっていました。13時前後、2人が到着。そしてやっと13時過ぎから役者さんたちが登場してきましたが、今日も大奥の撮影で始まり。撮影の休憩もなかなか入りそうにないし、徳川家定@堺雅人の登場もなさそうなので、遅いランチを取るため、また座ってゆっくりとおしゃべりするために、14時を過ぎてから一度スタジオパークを出て、近くのレストランへ。
エネルギーを蓄えながら、家定やシゲちゃんトークなどで盛り上がり。もちろん堺さん以外の話も盛りたくさんあったわけですが、以外の話しの一人がイケテツこと池田鉄洋さん。『IZO』での坂本龍馬は良かったよね~とか。自分、18日の月曜日に観て記事にしていますが、お二人とも東京にて1月に観ており。それで共感しあったわけです。
15時半頃、スタジオパークに再び戻ることに。どこから再入場するかということなったのですが、出てきたレストラン・スタジオカフェがある方から再入場しようということになり。するとレストラン・スタジオカフェの前で何かの撮影を行っていました。スタッフの方が撮影中ですと言っており。野球のユニフォームを着た方々が5~6人。私は横目で見てそのままそこを通り過ぎようとしたところ、七織さんから「エリさん、待って」と声を掛けられました。何故ならその5~6人の中に、先ほど食事をしながら話題になった『IZO』で坂本龍馬を演じていた、18日(月)、大阪にて私が遠くから見たイケテツこと池田鉄洋さんがいたのです。
『IZO』の鑑賞の記事でも述べましたが、このパンフレットにて堺雅人さんからイケテツあてのメッセージもあり。それは、『ヒミツの花園』にて長男の航、次男の修という役を演じた縁によるもの。
そして何の撮影かと思えば、バッテリーというドラマでした。
野球のユニフォームを着た5~6人が集合した場面を撮影した後、近くにいた小さな子どもにイケテツが近づいていき、突然、その子どもを相手に二人芝居を始めました。ありもしない野球ボールが落ちているかのように言い、そのボールをその子どもに拾うように言うと、拾う子ども。そしてキャッチボールを始めたり。その子どもも最初はちょっと戸惑っていましたが、次第にイケテツとやり取りしている。えらい。
なんっていいやつなんだ、イケテツ。なんって楽しいやつなんだイケテツ。
その子どもはスタジオパークの見学に来られていたようで、このやり取りが終わった後、スタッフの方が付き添っていた保護者に「ありがとうございました」とお礼を述べており。
またこの方が10月31日生まれということを先月、七織さんたちから教えてもらい、『組!』ファンとしては関心が高まるひとつでもあり(笑)。

先ほど話題になっていた方を近くで、生で拝めるとは、本当にサプライズ。
そしてこれで運が向いてきたか、運は尽きたかという感じでした(苦笑)。
運が尽きたと言っても、長男が登場しないので、次男の僕が代わりにというかのごとく現れた救世主ように思え。結局は後の方となったわけですが、とてもおいしかった。嬉しかった。
長男には逢えませんでしたが、次男の登場に大満足で、スタジオパークをあとにして帰って来た次第でございます。
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by eri-seiran | 2008-02-24 21:07 | エンターテインメント | Comments(2)

旧暦での命日

平成20年(2008)2月23日 山南敬助の旧暦での命日です。
私の数え方が間違っていなければ、144回忌になります。

当時のもので山南敬助の死を伝えているのは、

光縁寺の過去帳
沖田総司が書いた佐藤彦五郎宛の書簡
伊東甲子太郎の弔歌


以上の三点です。
他のものは明治以降に記されたもの。
当時の山南の死を語るものには、脱走したとか、近藤勇や土方歳三との確執によるものだとかは記されていない。
だから・・・

徳川家定@堺雅人に逢いたいがために江戸に行ったり、シゲちゃん@堺雅人にやられている私ですが、山南の死について改めて考えている今日この頃です。
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by eri-seiran | 2008-02-23 07:27 |  山南敬助 | Comments(2)

スタジオパークにて 其の一

山南敬助の旧暦での命日を前にして、山南敬助が青春時代を過ごした江戸から帰って参りました。

残念ながら、徳川家定@堺雅人には逢えなかったけれど、大河ドラマ『篤姫』の撮影は見られました。昨日も今日も大奥の撮影でした。篤姫役の宮﨑あおいちゃんがとてもとても可愛かった。
逢えなかったけれど、仕事でちょっとストレスがたまっていて脱走したい気分であり(苦笑)、お陰で発散できました。
楽しかった。明日からまた頑張ろう。

昨日は化粧坂少将@片岡孝太郎にも逢えたし。そしてなんと『笑っていいとも!』の来週の月曜日のテレフォンショッキングのゲストが孝太郎さんという情報がスタジオパークに居た時に入ってきて。撮影そのものが始まらず、ちょっと疲れてきていた時であり、これで疲れも吹っ飛んだ。『スタジオパークからこんにちは』と放送時間が重ならないかとプチパニック状態(笑)。冷静に考えれば、すぐわかること。良かった。月曜日は祭りじゃ(笑)。
情報、ありがとうね。

そして徳川家定@堺雅人には逢えなかったけれど、また大河ドラマ『篤姫』とは関係ないけれど、予定外の人に逢っちゃった。突然逢えた嬉しさと共に、これで運が向いてきたか、それとも運は尽きたかというどちらかだと思ったのですが、尽きたようです(苦笑)。
でもめちゃくちゃうれしかったな。今日は徳川家定@堺雅人の登場は見られそうにないから、それなら僕がという救世主のごとく現れてくれたように思えました。
この話はまた後日に。
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by eri-seiran | 2008-02-22 23:23 | エンターテインメント | Comments(4)

富士山

明里@鈴木砂羽が富士山を見たいと言ったことが、山南敬助@堺雅人の新選組を離れるひとつのきっかけになりました。
そんな二人は江戸を目指しましたが、江戸には辿り着けず、富士山も見ることはできませんでした。いつか見に行こうと明里に約束した山南敬助。約束は果たしのだろうか?

平成20年(2008)2月21日、快晴。私は雪をかぶった雄大な富士山を拝むことができました。
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by eri-seiran | 2008-02-21 10:20 | 身辺雑記 | Comments(0)

理由はただひとつ

明日にて、江戸行き5ヶ月連続となる予定です。
1月に江戸に行くまでは、2月の江戸行きは迷っていました。しかし1月に江戸に行って、徳川家定@堺雅人に逢えなかった時点でほぼ行こうと決めていました。
そして最初は25日(月)、26日(火)で行こうと。しかし振替休日が入り、21日(木)、22日(金)がお休み。めずらしく週の後半に2連休を頂けることになりました。これは25日~26日で行くより、21日~22日で江戸へ行った方が逢える可能性が高そう。そんなわけで、宿も取りました。

でも仕事の状況、連続小説『ちりとてちん』の撮影が今週一杯らしいこと、25日の『スタジオパークからこんにちは』のゲストが四草こと加藤虎ノ介さんであることなど考えると、25日~26日で江戸へ行った方が良いことはわかっています。
それでも明日から江戸へ行く理由はただひとつ。徳川家定@堺雅人に逢える確率が25日~26日より高そうだから。
実は昨日の夕方まで悩んでいました。しかし江戸の観察方より連絡を頂き、行く決心がつきました。

久しぶりに宿も渋谷です。最近は殆ど歌舞伎座周辺でしたから。いつ以来だろう?
孝太郎さんが二月大歌舞伎にて夜の部の最初の演目『寿曽我対面』に出演しているので、歌舞伎座に行けたら行って、一幕見で鑑賞したいと思っていますが、それ以外は渋谷にいます。
理由はただひとつ。徳川家定@堺雅人に逢いたいから。
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by eri-seiran | 2008-02-20 23:17 | 『組!』の愛しき役者たち | Comments(0)

以蔵ブーム中

土佐出身の幕末の志士を3人挙げよと云われたら、私は迷うことなく、坂本龍馬、中岡慎太郎、そして岡田以蔵を挙げるだろう。
私にとって、土佐出身の幕末の志士ベスト3に入る以蔵を主人公にした新感線プロデュース いのうえ歌舞伎☆號『IZO』を昨夜、大阪のシアターBRAVA!にて観て参りました。

主なキャストは次の通りです。

岡田以蔵:森田剛
ミツ:戸田恵梨香
武市半平太:田辺誠一
島村源平衛:千葉哲也
勝海舟:粟根まこと
坂本龍馬:池田鉄洋
田中新兵衛:山内圭哉
寅之助:木場勝己
山内容堂:西岡徳馬

他にも登場人物としては、吉田東洋に姉小路公知に本間精一郎に永井尚志に新選組の隊士3人などなど。
カーテンコールでこれらの方々が全員、舞台に揃ったのを観て、幕末ファンとしては感動でした。
新選組は名も無き隊士かと思っていましたが、一人の方が咳を強調していたので、あれは沖田総司だろう。

新感線の芝居はこれで2度目でした。もっと脱線するのかと思っていたのですが、歴史の流れ、云われている説にかなり基づいており、人斬り以蔵の人生を真正面から描いていてちょっと意外でした。私的にはそれがとてもよかったわけで。ラストの方では泣いている観客も多く、私もウルウル状態。

岡田以蔵@森田剛
武市半平太に忠誠心を貫ぬく、そして剣でしか生きる術を知らなかった以蔵を見事に演じていました。私的には子どもぽっい感じがしましたが、それはそういうキャラクターの以蔵として描いているんだろうから、それはそれでよかったです。
舞台が終ってから、パンフレットを見て気付いたのですが、森田君、舞台経験ってそんなにないんですね。以蔵を観ていて、そんな感じが全くせず、舞台を何度も踏んできたのだろうと思わせるところがあったものですから。それだけ良かったということなんだろうな。
演出のいのうえひでのりさんが岡田以蔵をやろうと思ったと同時に、森田君がイメージされたそうで、それはわかるな~と納得。

武市半平太@田辺誠一
知的で表面的には穏やかであり策士であり、回りから慕われ、そして自分の選んだ道をどんなことをしても貫き通した半平太。良かったです。観ていて、この方の伊東甲子太郎もいいかもと思いました。

坂本龍馬@池田鉄平
いや~良かったです。この坂本龍馬は良かったです。とても坂本龍馬らしかった。大らかで温かくて面白くて、周りの影響を受けて思想が変わっていきながらも、最終的にはここだというところに辿り着く。以蔵を心配する龍馬の気持も伝わってきて。重たい話の中で、イケテツの坂本龍馬がホッとさせてくれました。

田中新兵衛@山内圭哉
かっこよかったです(笑)。ヅラもあまり違和感がありませんでした(苦笑)。
以蔵と共に幕末四大人斬りの一人である田中新兵衛ですが、以蔵とは対象的な人斬り新兵衛を演じていて、以蔵がライバル視する気持ちがわかりますよ。

さてこの舞台のパンフレットが非常においしい。幕末ファンにはちょっとたまりません。
幕末特集として、幕末の年表、幕末用語などがあり。また出演者のインタビューに、それぞれ演じた幕末の人物についてどう思うか?とか、もし幕末に生きていたら?とかあり、それぞれの考えがとても興味深い。
そして舞台を観ながら、またこのパンフレットを見て、自分が間違った認識をしていたことに幾つか気付きました。
例えば、岡田以蔵と武市半平太は山南敬助より先に亡くなったと思っていました。しかし今回、この舞台を観て、山南敬助より後だったことを知りました。彼らが亡くなったのは慶応元年(1865)5月。山南敬助は同じ年の2月。山南敬助の死から3ヶ月後でした。すみません、どうでもいいことなのですが、どうしても山南敬助中心で考えているものですから。
それで何故にそんな勘違いをしていたのだろうかと思ったら、パンフレットの幕末特集を見て気付きました。半平太も以蔵も捕縛されたのが文久3年(1863)。そこから長い尋問を受けて、慶応元年の5月に半平太は切腹、以蔵は打ち首となったわけです。そう、山南が亡くなった時には生きてはいたものの、表舞台には立っていなかったのです。そういうわけで私は勘違いをしていました。
それから田中新兵衛は以蔵らよりも長生きしたと思っていたのですが、これも勘違いでした。

また以蔵を演じた森田君が28歳と言うことにパンフレットを見て気付き、これも驚きました。私の中では20才頃のままの森田君であったものですから。
年月は確実に経っており。大河ドラマ『新選組!』から4年。『組!』の愛しき役者たちも4歳という年齢がプラスされたわけで。
山南敬助を演じた堺雅人さんも4年前は30歳でした。今は34歳。
そんな堺雅人さんが坂本龍馬を演じた池田鉄洋に寄せたメッセージがパンフレットに載っています。これがまたこのパンフレットの楽しみであり。堺さんらしいメッセージでした。そしてここでイケテツの方が堺さんより3歳年上ということに気付き、これも驚きでした。
森田剛君には橋本じゅんさんから、西岡徳馬さんには藤原竜也君からメッセージが寄せられていました。
このように出演者の方への色々な方からのメッセージもとても美味しかったです。

岡田以蔵に関する書物については、昔に司馬遼太郎の『人斬り以蔵』(新潮文庫)を読んだことがありますが、今回の舞台を観て再読したくなりました。
ただ今、私の中でちょっと以蔵ブームです(笑)。
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by eri-seiran | 2008-02-19 22:43 | エンターテインメント | Comments(0)

『ちりとてちん』と『新選組!』

以前の記事で触れましたが、連続小説『ちりとてちん』は大河ドラマ『新選組!』以来の熱いドラマ。観るエネルギーの使い方、そしてたかがドラマにここまではまっているのは『新選組!』以来です。

『新選組!』を観始めた理由は以下の通りです。
大河ドラマはどの時代の物語であれ、主人公が誰であれ、第1回は必ず観るようにしています。その後も数回は観ます(1回で終わったのもありますが)。その後、良いと思わなければ自然に観なくなりますし、良ければ予約録画してでも観ます。
『新選組!』は放映が決定した時点で、幕末が好き、その中でも新選組が好き、山南敬助が大好きな私にとっては観るのを楽しみにしておりました。正直言えば、思いが強いだけに不安もありました。もしその不安が的中して、作品が良くなければ、また山南敬助の描き方が目茶苦茶だったら、いくら好きな新選組のドラマでも観なくなっていたかもしれません。
しかし不安は的中せず、作品はもちろんのこと、このドラマから生じた様々な縁など、自分にとってこれ以上のドラマに出合うことはないだろうと思うほどのドラマでした。

『ちりとてちん』を観始めた理由は以下の通りです。
NHKの朝の連続小説ドラマは大河ドラマと同じように最初は観るようにしています。観ていくうちに良いな~と思えば、朝や職場の休憩時間で観られたら観ます。いいな~と思わなかったら、観られても観ません。またいいな~と思っても予約録画してまで観ようということはありませんでした(去年の『芋たこなんきん』は予約録画した時もあったかな?)。だいだい、朝か昼かに観られますから。もし観られなくても後悔することはありませんでした(『オードリー』は4年経ってから後悔)。
今回は予約録画してまで観ています。
この『ちりとてちん』を観るきっかけになった一番の理由は、『新選組!』で山崎烝を演じた桂吉弥さんが出演するということからでした。つまりこのドラマとの縁も『新選組!』によるものだったのです。
桂吉弥さんが登場するまでは観られたら観ていましたが、予約録画はしていませんでした。
しかし吉弥さんがそろそろ登場すると言うことで、予約録画をしてまで観たら、ちょうど草原@吉弥の登場の第6週~第7週の2週間でやられ、それ以後予約録画をしてまで観るということになりました。


離ればなれになっていた弟子たちが結束を固め、ひとつの目的に向かっていく姿、そしてそれが草若師匠@渡瀬恒彦を再び高座に上がらせることになり。
男たちが結束して一つの目的に向かっていく姿に弱い私。
バラバラだった徒然亭の男たちがひとつとなり、落語会を開こうとする姿に、この私が萌えないはずがない。
この第6週から第7週を『新選組!』に例えるなら、第15回の『行くか、残るか』だろう。
弟子たちの熱い思いが伝わり、再び高座に上がった草若師匠を『新選組!』で例えるなら、近藤勇@香取慎吾だと思いました。徒然亭を新選組に例えると草若師匠は近藤勇にどうしてもなります。
しかしです。最初、草若師匠が病であること、死が近づいているのを知っていたのは糸子さん@和久井映見、そして観ている私たちだけでした。山南敬助@堺雅人は観ている私たちだけでした。
そこで師匠に山南敬助を重ねてしまいました。
そして今、改めて思ったのです。『行くか、残るか』で試衛館派のメンバーが残ることを決めて立ち上がる中、最後まで悩んだのは山南敬助。山南が自分も残ることを決めた瞬間を映像で描くなら、残ることを決意した表情になり、正座していたところから立ち上がるというシーンになるだろう。それもスローモーションで(私が監督ならば)。
そうです。草若師匠が高座に上がった時から山南敬助だったのです。私の邪道な見方からすれば。

山南敬助が死に向かっていることを知っているのは観ている私たちだけ。
試衛館派のメンバー初め、本人も気づいていませんでした。
病と切腹と言うように、人生の最期を迎える方法は違うけれど、徒然亭の落語と新選組を託したいという思いは同じように熱く、また周りが生きていてほしいという願いも同じ。

師匠が死に向かっていく時、弟子たちは新たに結束して落語会を成功させました。そして多分に、これからも色々とあるだろうけれど、師匠に託された徒然亭の落語を伝えていくのだろう。
『新選組!』もそうでした。山南に託され、新選組は結束します。山南の死によって分裂を遅らせることができました。そして色々とありながらも最後まで新選組を守り通します。

今日の『ちりとてちん』を観ていて、いいな~と思ったのはドンと重たくならないように描かれてあったこと。笑えたこと。『新選組!』の第33回で山南敬助が亡くなった後、第34回の『寺田屋大騒動』はコミカルな内容になっていました。最初、私的にはこれが受け入れられなかったのですが、山南敬助の死で悲しみのどん底にある演じている人たちも観ている側の人たちも一度、リセットするべきだという三谷さんの考えであったのを後になって知りました。今日の『ちりとてちん』を観て、そのことも思い出していました。

『新選組!』の場合、山南敬助の死以後、近藤・総司・平助を初め、新選組の主な隊士の殆どが亡くなっていくので、どんどん辛く悲しくなっていきました。一方『ちりとてちん』の場合、徒然亭一門にとって色々とあるでしょうが、これ以上に悲しくなることはないだろう。
それが私にとっての『ちりとてちん』と『新選組!』の大きな違いでしょうか。
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by eri-seiran | 2008-02-18 11:36 |  ドラマ/映画/舞台 | Comments(2)

山南敬助をメインにしたブログです。ホームページ『山南敬助 赤心記』共々よろしくお願い申し上げます。


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