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山南死後の経過と状況~慶応元年(1865)5月~

月に一度、恒例にしている記事だけれど、今月も先月と同じようにギリギリになってしまいました(汗)。
山南敬助が亡くなって3ヶ月が経って、私のモチベーションも下がっているので、また忙しいこともあり、本当にキーポイントだけ。当時も山南が亡くなって3ヶ月も経つと、哀しみから乗り越え、忙しいこともあって、山南を思うことも少なくなったのかな~なんって、現代の自分と当時の残された者たちを重ねたり。
今月は慶応元年(1865)5月の状況と経過です。
4月27日、新入隊士を伴い、土方歳三、斎藤一、伊東甲子太郎、藤堂平助は江戸を出立しました。

5月9日 土方歳三、斎藤一、伊東甲子太郎、藤堂平助は草津本陣に泊する

山南敬助@堺雅人が辿り着けなかった草津宿ですよ。
薩摩から江戸に向かう時に篤姫もお泊りになった草津宿本陣ですよ。
これについてはしつこいほど、記事にしています。4人でどんな会話をしたのだろうかということにとても関心があるわけで。

5月10日 土方歳三、斎藤一、伊東甲子太郎、藤堂平助、新選組の屯所となった西本願寺に帰着する

平助にとっては、約7ヶ月ぶりの京。帰り着いたのは壬生ではなく、西本願寺。そして山南敬助のいない新選組。
平助はどんなに感じ、どんなことを考えたのだろう?
帰り着いて日も経たないうちに墓参りに行ったよね、平助?

5月下旬ごろ 組織新編成が組まれる

これは西本願寺侍臣である西村兼文による『新撰組始末記』に書かれてあります。
当たり前のことですが、そこに山南敬助の名前はない。
山南敬助の名前がない編成表の書かれた新選組グッズがよく売られていますが、多分にこれが参考になっているものだと思われます。史料として残っているから、グッズにもなるわけで。ただ私は山南敬助の名前がないものを買ったことがない(苦笑)。

                (参考文献:新選組日誌 コンパクト版(上) 新人物往来社)

他にも出来事はたくさんありますが、山南を感じることのできる出来事とはこれくらいでしょうか。
と言うわけで、山南を感じられる出来事も少なくなってきたので、月一度の恒例の記事は今月で一応おしまい。
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by eri-seiran | 2008-05-31 18:21 |  出来事 | Comments(0)

総司の命日

ブログを始めて今年の10月で3年になるのですが、その間、山南敬助と沖田総司と土方歳三の命日は忘れることなく記事にしているよな~と思っていましたが、土方歳三の命日は1回スルーしていました。
と言うことで、山南以外で命日を毎年きちんと記事にしていたのは総司だけでした。

今日、5月30日は旧暦での沖田総司の命日です。慶応4年(1868)のこと。山南の死から約3年3ヶ月後のことです。
私の数え方が間違っていなければ、141回忌。
新暦で考えると、7月19日になるそうで、暑い時季だったんだね。

総司の命日と言うことで、映画『壬生義士伝』の斎藤一@佐藤浩市の後ろについてニコニコ顔で宴会場に入ってくる沖田総司@堺雅人、斎藤一@佐藤浩市や吉村貫一郎@中井貴一などを連れて御用改めする沖田総司@堺雅人を朝の忙しい時間からちょっとだけ観ていました。
いいよな~この沖田総司。
私にとって、映像における一番の沖田総司は言うまでもなくこの方です。
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by eri-seiran | 2008-05-30 08:25 |  同志たち | Comments(0)

遠藤文七郎に会っていた土方歳三

私は新選組ファンと言いながらも、山南敬助が亡くなった後の新選組についてはそれほど詳しくなく、特に江戸に帰ってからについては2004年にだいぶ勉強させて頂きました。
それでも今になって、目から鱗状態のことがあったりします。

先日、これと言った目的もなく新選組大事典コンパクト版(新人物往来社編)をペラペラと捲っていたら、遠藤文七郎(充信)の名前が目に入ってきました。この方の名前が新選組大辞典に載っていることに驚いたわけです。遠藤文七郎は、幕末の仙台藩における尊王(勤皇)攘夷派のリーダー的な存在の方。
子母澤寛の『ふところ手帖』(中公文庫)の『才女伝』に遠藤文七郎は登場します。そしてここには榎本武揚や土方歳三も登場します。以前、それについては『才女伝』に登場する桜田春三郎という記事にて書いていて、史実で会った可能性もあるような~なんって思っていたけれど、土方歳三は遠藤文七郎に史実で会っていたんです。だから新選組大事典に載っていたんです。慌てて新選組日誌コンパクト版(下)(新人物往来社)もチェックしてみると、ここにも会ったことが書かれているではありませんか(汗)。

慶応4年(1868)9月12日、土方歳三と榎本武揚は、仙台城にて執政の大篠孫三郎と遠藤文七郎に会い、仙台藩の降伏恭順に抗議しましたが、奥羽越列藩同盟が敗北し、藩内の佐幕派が失脚した中で藩の考えが変わることはありませんでした。

この時、遠藤文七郎は土方のことを

斗屑の小人、論ずるに足らず

と評したとのこと(汗)。

『才女伝』では、遠藤文七郎に命じられて、桜田春三郎が榎本武揚らを暗殺しようとするのですが、できませんでした。さて桜田春三郎(桜麿)とは何者かというと、

仙台藩の武士の家に生まれ、北辰一刀流の剣士であります。多分に尊王(勤王)攘夷派であっただろう。何故ならば春三郎の父親が桜田景行、その父親の弟、つまり春三郎の叔父が桜田良佐(りょうすけ)。この桜田良佐が幕末の仙台藩における尊王(勤王)攘夷派の理論的指導者であり、あの清河八郎とも知り合いで、清河が人を斬って幕府に追われていた時にかくまったと云われています。そしてこの良佐の息子が桜田敬助という人です。

桜田春三郎の叔父である桜田良佐は仙台藩の尊王(勤皇)攘夷派のリーダー。だから遠藤文七郎とはつながりがあった。だからこそ史実においても、同じ世代である遠藤文七郎と桜田春三郎のつながりはあったと考えられるはず。
以前、山南敬助が尊王攘夷派でなくてもあっても、桜田良佐に会ったことがあるかもしれない、名前を聞いているかもしれないと書きました。その時は桜田良佐にしか触れなかったのですが、桜田春三郎の年はどうも山南と同じくらいらしい。また遠藤文七郎については天保7年(1836)の生まれなので、山南の天保7年説であれば同年齢。一般的な天保4年説であっても山南より3歳年下。と言うわけでこの3人は同世代。仙台藩で出会っていた可能性は十分にある。共に学問・剣術に励んだかもしれませんよ。

桜田春三郎が土方歳三に会ったという記録は今のところわかりませんが、会っていなくても、遠藤文七郎が土方歳三について春三郎に語ったことは十分に考えられます。

もしもですよ、もしも遠藤文七郎や桜田春三郎が山南敬助を知っていたら。これは面白い。土方歳三が山南敬助を知っている遠藤文七郎と会ったとしたらめちゃくちゃ面白い。
勉学と剣術に励む少年の頃の山南敬助と遠藤文七郎と桜田春三郎。そしてそれから20年以上経った土方歳三と遠藤文七郎と桜田春三郎。それぞれが、仙台藩にて山南敬助を想う。
ほら、小説ができそうですよ。
妄想は広がるばかり(苦笑)。
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by eri-seiran | 2008-05-29 08:17 |  同志たち | Comments(2)

145年後の京

文久3年(1863)4月10日、これを新暦で考えると5月27日。
この日の京の天気は曇りだったと、14代将軍徳川家茂公の上洛に伴って京に来ていた井上源三郎の兄である井上松五郎は日記に書いています。
それから145年後の5月27日の京は快晴で初夏の陽気。ちょっと歩いただけで、紫外線を浴びていると感じられました。

そしてこちらは山南敬助も見たはずの鴨川の145年後です。
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by eri-seiran | 2008-05-27 21:34 |  ゆかりの地 | Comments(0)

夏には徒然亭四兄弟に逢える

今週、入っていた仕事のひとつが昨日になってキャンセル。これが時間的にも体力的にも一番大きかったので、ちょっと余裕が出てきました。
ただャンセルになる前から、今日は休むぞと決めていました。と言うわけで、心置きなく休めることに。
京の南座まで三響會の昼の部を観に行って来ます。
昨年に続き、片岡孝太郎さんがご出演。そして狂言の方から、昨年は野村萬斎さんがご出演され、この方を舞台で久し振りに観れて嬉しかったのですが、今年、狂言の方から、もっぴーこと茂山宗彦さんがご出演。この方を舞台で観るのは初めてなので楽しみなんです。

関西では、月曜日から金曜日までの11時半から12時までNHK総合でぐるっと関西おひるまえという番組をやっていまして、そのキャスターの一人に茂山宗彦さんがいまして、月・火・木を担当。
昨日の月曜日の朝、NHKを観ながら朝食を取っていたら、この番組の本日(5月26日)の分の宣伝をしていまして、茂山宗彦の『狂言を楽しむ』というコーナーがあるということで、三饗會を観に行く前に予習しておこうと思い、予約録画をしておきました。そして昨日は観る余裕がなかったのですが、今朝、予約録画をしたものを観ました。
そしたらなんと茂山宗彦の『狂言を楽しむ』のコーナーの前にとてもとても嬉しい発表と映像がありました。予約録画しておいて良かった。本当に良かった。

知っ得NHKというコーナーがありまして、そこにてあの『ちりとてちん』のスピンオフドラマの正式発表ですよ。
「あのちりとてちんが復活します」と嬉しそうに話す小草若@茂山宗彦。その時の笑顔が最高でした。
タイトルはちりとてちん外伝『まいご3兄弟』ですって。
5月21日に行なわれたクランクインの会見の映像が流れ、久し振りに徒然亭四兄弟を拝見することができました。4人ともとても嬉しそう。
3兄弟とあるように、今回の主役は草原兄さん@桂吉弥、小草若@茂山宗彦、四草@加藤虎ノ介の3人。そしてスピンオフがあるという情報が流れていた頃から、この3人の名前はあったものの、草々@青木宗高の名前がなく、「なんでなんだよ!」と叫んでいらっしゃった方々、お喜びください。この方も登場するそうです。「ぜひ出たい。出してくれ。」と言っていたら、希望を聞き届けてもらったと青木さんが会見で嬉しそうに話していました。また四草もちゃんとしゃべっていましたよ(笑)。

この日(26日)も朝の9時から撮影をしていたそうで、もっぴーは撮影の服のままでこの日は『ぐるっと関西おひるまえ』に登場していたのです。
この番組の冒頭で、女性キャスターの方が、「どうしたんです?」ともっぴーの服について突っ込んでいました。もっぴーは後々紹介させて頂くと話していて、狂言とどのように関係があるのかと私は不思議に思っていたのです。このことだったんだです。ちなみに記者会見も同じ服でした。柄の入ったグレーに薄いベージュ色に赤の柄が入ったカッターシャツ、赤とグレー色のパーカーでした。
この生番組中、他のメンバーはお昼の休憩時間で、どこかで自分を観てくれているとのこと。

肝心のドラマの内容は連続テレビ小説『ちりとてちん』の公式サイトにあります。もっぴーも話していましたが、とても面白そうです。楽しみ。
また気になる放映についてですが、

7月25日(金) 20:00~20:43 総合 (関西エリア)
7月27日(日) 11:00~11:43 衛星第2
8月4日(月) 0:30~1:13 総合(関西エリア)

ですって。そして関西以外にお住まいの方、お喜び下さい。8月に総合で全国放送予定とのこと。公式サイトより。
公式サイトは5月一杯までということです。それ以後についてはこちらからですって。

またクランクインの会見の様子が5月28日(水)19時56分~58分のプレマップで紹介する予定のようです。ただ休止になる場合もあるそうで。こちらも公式サイトより。

楽しい情報を得てルンルンです。茂山宗彦の『狂言を楽しむ』のコーナーも観て予習も済み、それではこれから京に行って歌舞伎役者である片岡孝太郎さんと狂言師である茂山宗彦さんを拝んで来ます。
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by eri-seiran | 2008-05-27 11:36 | エンターテインメント | Comments(0)

伊東先生に深雪太夫に

映画『アフタースクール』を紹介している番組は色々と予約録画はしているものの、殆どが最初から最後まできちんとは観ていないのですが、『王様のブランチ』は生出演ということで、大河ドラマ『篤姫』を観る前に予約録画が無事にできていたことを確認して、そしてこれはきちんと観ました。

この『王様のブランチ』、初めて観たのですが、伊東甲子太郎こと谷原章介さんが司会をしていたことは知っていたものの、深雪太夫&お幸こと優香さんや、まさことはしのえみさんもレギュラーだったなんって知りませんでした。そこに山南敬助が加わり、映画『アフタースクール』の映像ではつねさんが登場してくれたし。予定外の驚きと喜び。そして山南が去った後には、榎本武揚までが登場したりして。

さて映画『アフタースクール』のイケメン3人組と言われていた堺雅人さんに大泉洋さんに佐々木蔵之介さん、そして司会の谷原章介さん優香さんらとのやり取りなど含め、全体的にとても楽しかったです。美味しかった。映画も早く観たいな。

新年度に入り、仕事においてハードな状況が続く中、ただ今、一番凄まじい事態になっており、今朝も4時半に起きてと言うか、起こされて、夕方まで仕事をして、かなりクタクタだったのですが、この映像は清涼剤になりましたよ。
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by eri-seiran | 2008-05-25 21:47 | 『組!』の愛しき役者たち | Comments(0)

決意した瞬間と表情

大河ドラマ『新選組!』の山南敬助@堺雅人の脱走・切腹の辺りは、TBSチャンネル『新選組始末記』の山南敬助の切腹にて最期を迎えるまで、また自分がそれについての記事が書けるまでは観ることを避けようと決めました。
しかし『土曜スタジオパーク』に堺雅人さんがゲスト出演した時に『新選組!』の映像は登場すると思ったものの、避けて通らなければならないということをすっかり忘れておりました。まあ~あの位だったらOKです。
それで山南敬助@高橋長英の切腹についていまだに書けないでいるのですが、これを書くには時間を要しそうなので、自分がたっぷり書ける時間がある時にと思っているのですが、そんな時がなかなかやってこない。

さて前回の大河ドラマ『篤姫』の第20回『婚礼の夜』にて、何事も上様と共にと鴨を追いかけていた篤姫@宮崎あおいが橋から落ちそうになった時、徳川家定@堺雅人が助けに行こうか、どうしようかと一瞬悩むシーンがありました。助けに行くということは自分の素を出すこと。しかし仕方がないと決意した瞬間の表情、そしてそれまでの無邪気な徳川家定の表情から、素の徳川家定の表情に変わりました。その決意した瞬間の表情とその表情の変化が好きです。
このシーンを観ながら、『新選組!』の第33回『友の死』にて、脱走した山南が明里@鈴木砂羽と串団子の食べ方について話しながらゆっくりと休息して、幸せを感じながらもどこかで不安な表情をしている山南。そんな時に向こうから馬に乗ってやって来た沖田総司@藤原竜也に気付き、恐れていたことが現実となり、腕を組んだまま目をつぶり、一瞬考えた後、すべてを受け入れて決意し、笑みを浮かべ、そして目を開け、立ち上がり、山南に気付いていない総司に自分から、

沖田君、ここだ。

と声を掛けるシーンを思い出していました。
好きなシーンでもあり、いつ観ても涙のシーンです。
第33回を観た時にどこから涙だったと言うことを、観た人たちの間でよく話しをしていましたが、源さんのお弁当のシーンとか、明里との格子窓での別れのシーンとかありましたが、私は山南が沖田に声を掛けたシーンからずっと涙でした。周りからは、「早い!」と言われましたけれど。

と言うことで、山南敬助@高橋長英の最期の記事がまだ書けていないんですけれど、無性に観たくなって、第32回『山南脱走』から第33回『友の死』の「沖田君、ここだ。」と声を掛けるオープニングのシーンまでを観て涙でした。
第32回でも坂本龍馬@江口洋介と話しをした後、悩み、新選組を辞めて一度江戸に帰ろうと決意したのだろうと思われる瞬間。土方にそのことを話したところ、許されず、板の間にて一人で悩み、考え、脱走ということを決意しただろうと思われる瞬間。そして、会津公の所から戻ってきた近藤勇@香取慎吾を見て、自分の苦悩を伝えずに総長として友として近藤に話そうと決意したと思われる瞬間。
屯所を出たところ、剣の練習をしている総司に声を掛けようかと悩み、声を掛けようと決意した瞬間。
そして翌日、馬に乗ってやってきた沖田を見てすべてを受け入れようと決意した瞬間。
それぞれにおいて表情が変わる瞬間が好きだ。そしてこの瞬間の表情の変化がこの人は上手いな~と思う。

その堺雅人さん出演の映画『アフタースクール』の公開が今日です。
テレビでの番宣など予約録画したり、雑誌を買ったりしているますか、まだきちんと観ていなかったり、読んでいなかったり。物によっては映画を観るまでは避けた方がいい物もあったりするようで。
だから早く映画を観に行きたいのですが、映画館まで足を運べる時間がなく、1週間以上、お預けになりそうです(涙)。
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by eri-seiran | 2008-05-24 07:51 |  ドラマ/映画/舞台 | Comments(2)

リベンジは叶わず

2月にスタジオパークに行って、大河ドラマ『篤姫』の撮影を見学しましたが、徳川家定@堺雅人には逢えず。しかし諦めていませんと、記事で書きましたが、3月に入って難しいな~と思い始め、4月に入って殆ど諦め状態に入り、5月に入って完全に諦めていました。
しかし堺さんと共演していた鈴木美智子さんのブログにて堺さんのクランクアップについて書かれてあり、昨夜、かなりのショックを受けました。

私、完全には諦めていなかったんだ

ということに気付きました。
平成16年(2004)の『新選組!』の時のリベンジは叶わず(涙)。
何年後かの大河ドラマまでお預け(笑)。今度は戦国時代辺りがいいな。また赤穂浪士もいいな。

撮影見学だけでも江戸に行くかもしれませんとも言っていましたが、2月に江戸に行った以来、それは難しかった。

と言うことで、それだけでの江戸行きがなくなりましたので、次回の江戸行きが確定。

6月22日(日)~23日(月)

もうすでに宿は押さえています。
メインは頓兵衛娘お舟@孝太郎に会うために。

また22日は総司忌。総司忌の時しかお墓参りはできない。どうしても一度行きたかった、いや行かねばならないと思っていたお墓参りに行くこともメインだったりします。
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by eri-seiran | 2008-05-22 07:42 | 身辺雑記 | Comments(0)

家定公と篤姫の婚儀が行われた時

徳川家定@堺雅人が庭で鴨と言うべきか、アヒル(家鴨)と言うべきかの鳥を追い掛けるシーンがあることは知っていましたが、『組!』ファンとしては、

鴨が池に逃げ込んでしもうた

という台詞は美味しかったです(笑)。

徳川家定と篤姫の婚儀が行われたのが、安政3年(1856)12月。徳川家定33歳。篤姫(敬子)22歳。
そしてあのお方たちは

山南敬助 24歳(天保7年説の場合21歳)
近藤勇   23歳
土方歳三 22歳
沖田総司 15歳


です。
みんな若い。総司なんか、現代では中学3年生か、高校1年生ですよ。でもこの年、近藤と一緒に総司が調布にて出稽古を行った記録が残っています。さすが天才剣士です。

さて山南敬助がどこにいたかということはとても難しい。こればかりはわかりません。
と言うのは、師であった大久保道場の大久保九郎兵衛が同じ年の3月15日に病にて亡くなっているから。家定公に仕えてきた山南敬助の師は、家定公と篤姫(敬子)の婚礼の前に亡くなったのです。
師が亡くなってから大久保道場を後にしたのか、そのまま残ったのか、わからない。
ただ、試衛館の門人(食客)となったのは、師が亡くなった後だろうと考えるのが自然かな。
もし師が亡くなるまで大久保道場に居たとしたならば、大久保九郎兵衛より3ヶ月前(安政2年12月10日)に亡くなった北辰一刀流の千葉周作の門人にはなれない。

安政3年12月に山南敬助はどこにいたかわからないけれど、江戸にいなかったかもしれないけれど、自分の師が仕えていた徳川家定と篤姫(敬子)の婚儀が行われたことをどこかで知ったのは確かなはず。山南はこの婚儀についてどのように考えていたのだろうか。
そして山南が近藤らと確かに出会っていて、日野での新年の稽古に参加した万延2年(1861)1月まで約4年1ヶ月となり。
すでに近藤らと出会っていたかもしれませんが、もし出会っていなかったら、近藤らと出会う日はそこまで来ていた。篤姫(敬子)の人生が大きく変わる中、山南の人生も変わろうとしていたんだね。
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by eri-seiran | 2008-05-19 12:17 |  出来事 | Comments(2)

篤姫の波乱万丈の生涯

1月31日に連続小説ドラマ『ちりとてちん』の徒然亭四兄弟に逢いたいために、初めてNHK大阪放送会館に行った時、その隣に大阪歴史博物館があることを知りました。そしてその後、そこでNHK大河ドラマ特別展『天璋院篤姫展』があるということを知って、これは行かなければと思っていました。期間は4月19日~6月1日まで。
と言うことで、これだけの目的でも大阪まで行こうと決めていましたが、舞台『幕末殉教伝 イエス斬り捨て』を観に行くことになり、これが休みの日の19時からの鑑賞。
と言うことで、舞台鑑賞前に見ることに。仕事が休みの日だったのですが、朝から所用があり、それに取りかかるのが遅かった上に、思った以上に時間が掛かり、結局、大阪歴史博物館に着いたのが15時半。閉館が17時なので、ちょっと急ぎ足で拝見。

大河ドラマ関連の展示物を拝見するのは、大河ドラマ『新選組!』以来。今回の展示鑑賞も平成16年(2004)を思い出させてくれました。あの時は京都にて。展示物の拝見のみと、また後日に同じ場所で小島政孝氏の講演を聞きに行った時も確か前期と後期では一部入れ替えがあったので再び拝見しました。あ~懐かしいや。

さて今回も前期と後期と一部入れ替えがあるようですが、私が見たのは前期となります。展示の構成は

プロローグ 篤姫のふるさとと薩摩
第1章 御台所への道のり
第2章 婚礼~将軍家定と敬子~
第3章 江戸城大奥
第4章 幕府瓦解~徳川存続への思い~
エピローグ 明治の天璋院


となっていました。
平日なのに人も多く、大河ドラマ『篤姫』への人気の高さが窺われました。一番、興味があったのは第2章と第4章。
徳川家定画像は初めてでした。画像を見る限りでは端整な顔立ちという印象を受けました。
他に家定関連のものでは、徳川家祥元服御用控 御檜扇に、徳川家定奉納 太刀に、徳川家定筆 松図等など。 

天璋院関連で特に関心があったひとつが天璋院から徳川家茂宛の書状。これは文久3年(1863)4月下旬から5月頃にかけてのものだそうです。まさしく山南敬助ら試衛館のメンバーが壬生浪士組として、徳川家茂のために京に居た時であります。家茂の体のことを気遣うなどの内容。ドラマでも出てくるのかしら。
それから戊辰戦争の時、天璋院から官軍隊長宛の書状。今は官軍である薩摩出身の天璋院が徳川家の人間として、徳川存続のために書かれた文は胸が詰まります。また徳川家は滅びるようなことがあったら、家定公に申し訳ないといった家定公への想いも感じられました。

大河ドラマ『篤姫』の第19回における「篤姫紀行」は篤姫が暮らした城でした。そこで篤姫の婚礼品も紹介され、贅沢を尽くした大奥での暮らしぶりを今に伝えるという語りがありましたが、まさしくその通りと思える天璋院の所用が展示されていて、すべて豪華なものばかり。ドラマの中で幾島が西郷に最高級の品を揃えるように言っていましたが、将軍の正室となり、大奥に入るためにはそうしなければならなかったんだな~と、拝見しながら改めて思いました。

篤姫(敬子)が第13代将軍の正室となり、家定が亡くなった後も家茂、慶喜などその後の徳川家を支え、徳川存続に力を注ぎ、明治以後も徳川家人間として生きた波瀾万丈の生涯が窺われるものとなっており、見応えがありました。
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by eri-seiran | 2008-05-17 21:14 | 歴史 | Comments(0)

山南敬助をメインにしたブログです。ホームページ『山南敬助 赤心記』共々よろしくお願い申し上げます。


by eri-seiran