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長浜

昨日は水都大阪2009に参加しに行こうと数日前から決めていたのですが、その前夜、日本酒を飲み過ぎたようで大阪まで電車に乗って行って、大阪をガツガツ歩く元気がなく、朝からどうしようかな~とゴロゴロしていました。もうひとつ近いうちに行かなければと思っていたのが、長浜城歴史博物館での企画展石田光成と西軍の関ヶ原合戦におけるテーマ3石田光成と大谷吉継です。大阪をやめて長浜にしようか、それとも一日家でゴロゴロしておこうかと、ゴロゴロしながら考え、歩く体力より、車の運転の方がまだいいかも。また水都大阪2009は10月12日まで。一方、石田光成と大谷吉継の展示は10月4日まで(石田光成と西軍の関ヶ原合戦は12月23日まで)ということで、期限が迫っている方でガツガツは歩かなくても良い長浜歴史博物館の方に行って来ました。

行こうと決めたのがお昼過ぎだったので、着いたのが15時。
これが長浜城でございます。
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豊臣秀吉によって築城されました。今浜という地名だったわけですが、織田信長の長をもらって長浜としたんですか。これは知りませんでした。勉強させて頂きました。
秀吉の後は柴田勝家、山内一豊が城主となりましたが、江戸時代に入り、豊臣の時代が終わると共に廃城となり、これは昭和58年(1983)に再興されたものだそうです。
私はここを長浜城と呼んでいますが、そうだったわけですが、平成18年に長浜市長浜城歴史博物館となったそうで、正式名はこちらです。

1時間以上もかけて、高い高速道路代を払って来た今回のメインは企画展石田三成と西軍の関ヶ原と約1ヶ月ごとのテーマ別の石田三成と大谷吉継の展示物。
まず2階展示室へ。ここでは中川泉三没後70年記念展―史学は死学にあらず―を行っていました。中川泉三とは、山南の死後から4年、土方が亡くなった年に現在の米原市(長浜市の隣)で生まれ、明治から昭和初期にかけて滋賀県内の地方史編さんを行い、古文書の調査や保存に力をいれた歴史家です。
歴史を伝えるには調査と保存、重要です。
新選組なんって、時代が時代だったから、保存が思うようにできず、現代において大変なわけですよ。

そして3階へ。
大河ドラマ関連で、3月より北近江戦国浪漫フェスティバル「三成と兼継」が開催されていまして、そして「石田三成と西軍の関ヶ原合戦」の展示物が7月1日から12月23日まで、またその中で9月3日から10月4日まで「石田三成と大谷吉継」というテーマの展示物があるということです。
大谷吉継に関するものは画像と本人による書状など計7点でした。大谷吉継像って昭和59年(1984)に書かれたものだったんですか。つい最近ではないですか。云い伝えられていることを描いているんですね。どなたか、山南敬助についても描いてもらえませんか。
書状は病に伏せていた敦賀の西福寺の住職宛てのものや、寺領安堵を伝える称名寺宛のものなど。
書状から書かれた方の人柄が伺われたりするわけですが、大谷吉継も細やかな配慮があり、また優しい方だったんだろうなと感じられました。
話しはずれるのですが、称名寺という寺の名前を見て、新選組関連でも確かあったよな?と思い、帰って調べてみたら、箱館で新選組屯所となり、土方歳三と新選組隊士の供養碑がある称名寺ったあるじゃないですか。私は間違っていなかった。しかし函館にあるよとすぐに言えなかったのは戊辰戦争に関しての知識が低いからだということを認識しました(汗)。
他は三成の一族、三成をめぐる人々、三成と関ヶ原合戦と言うテーマで展示物があり。石田三成の書状、寛政8年(1796)に描かれた関ヶ原御陣絵図、江戸時代後期に描かれた関ヶ原陣立図、嘉永7年(1854)に三成が捕獲された際の伝承を尋ねて書き残した石田三成生捕覚書などなど。あなた、嘉永7年(1854)と言えば山南が22歳の時であり、また関ヶ原の戦いから約250年後じゃないですか。これは2100年頃に山南の切腹した時の伝承を尋ねて書くということではないですか。

3階までの展示物を見終えると、階段で5階の望楼(戦国パノラマ展望台)へ。
こちらが彦根方面と琵琶湖です。
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そしてこちらが関ヶ原の方となります。
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長浜城歴史博物館を出て、ガツガツは歩けないので、豊公園をお散歩し、琵琶湖を眺めながら休憩。
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これが16時を過ぎていて、長浜城歴史博物館に入る15時はまだ暑かったものの、この時間には琵琶湖の風もあり、とても気持ち良かったです。陽もとてもやわらかく。

そして来る前に調べてきた長浜の美味しい物屋さんに行くことにしました。
Tea・Lunchみずべです。
琵琶湖に近い住宅街にあります。木造校舎を意識したという建物で、私は自家製のケーキが2種類食べられるスイーツセットプラスホットコーヒーにしました。ケーキはかぼちゃのシフォンとリンゴとくるみ。それにアイスクリームや果物などがついていました。ケーキはあまり甘くなく、また珈琲も美味しかったです。テラスで頂いたのですが、風も気持ち良かったです。
ランチもおいしそうですよ。また次回に。
食べ終わったのが17時過ぎ。今から帰ると、渋滞に巻き込まれるし、せっかく来たのだからということで、これから行けるところということで、豊国神社に寄りました。
秀吉公が亡くなった後、町民が秀吉公の恩徳を慕って豊国神社を建立したものの、江戸時代になって太閤を神格化することが禁じられて取り壊されたそうな。しかし秀吉公の御神像は町役人の家で守り継がれ、その後、えびす宮の建築許可を受け、奥に御神像を安置して密かに祀っていたそうな。神社名は明治維新後に復帰したそうな。

暗くて分かりにくいけれど、こちらは加藤清正像です。
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そしてすぐ近くが黒壁スクエアだったので18時の閉店までの約30分ほど見て参りました。
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こちらはこの先に黒壁スクエアがある昔の北国街道です。戦国も幕末も様々な人たちが通ったんだわ。

長浜にはこれまで何度が行ったことがありますが、改めて歴史の町だと感じました。また彦根や近江八幡とは違うものを感じるんです。中山道より北と南の違いなのか。
そして古い物を大事しながら、洋の部分も感じられ、素敵な町であり、好きです。
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by eri-seiran | 2009-09-26 09:25 | 歴史 | Comments(0)

関ヶ原から

関ヶ原に行きたい。関ヶ原に行きたいよ。
昔、一度だけ行ったのですが、その時には史跡巡りはできず。

ここが関ヶ原だ!

で終わってしまいました(笑)。と言うことで今年中に行って史跡めぐりをしたいです。

さて関ヶ原の戦いの話しになると、あなたは西軍ですか?東軍ですか?という話しになるのですが、私はこれまで東軍でした。
理由は東軍に伊達政宗など好きな方々がいるのと、西軍に苦手な方々がいるという理由からなんですけれどね。
関ヶ原から260年後に誕生する新選組のファンとしては東軍派で良いのかと思うのですが、義は我々にありということでは西軍派であるべきなのかとも思ったり。
ただ今、微妙な感じになってきています(笑)。

そして幕末を語るには関ヶ原からです。

関ヶ原から250年、長州は幕府に対して恨みこそあれ、恩に感じること何ひとつないわ。           
     大河ドラマ『新選組!』 第19回『通夜の日に』にての久坂玄瑞@池内博之の台詞より

すみません!新選組ファンですが、この台詞には拍手ものでした。『組!』での好きな台詞ベストテンに入ります。
やっぱり幕末は関ヶ原からです。
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by eri-seiran | 2009-09-22 09:14 | 歴史 | Comments(2)

大谷吉継

昨夜、久しぶりに大河ドラマ『天地人』を見ました。と言うのはちょっと気になる方が出ていることがわかったので。気になると言っても役者さんではなく400年以上前を生きた大谷吉継です。そしてその人を津田寛治さんが演じていると知ったら見るモチベーションはあがり、リアルタイムで見ましたよ。でもすでに関ヶ原の戦いになっていたのでこれが最初で最後に。もう少し早くに見るべきだった。しかし仕方ない。大谷吉継が気になり始めたのが、先週のBS熱中夜話の関ヶ原ナイト(前編)を見てからだから。
司会のお琴さんこと田丸麻紀が選んだ合戦前夜・西軍のMVPになった大谷吉継に私もこの番組で一気にきちゃいました。

この方についてはあまり知らず、そこで調べようと思って自分の本棚を見ると、幕末に関しての本ばかりで、戦国と言えば、伊達政宗に関するものと司馬遼太郎の『関ヶ原』くらいしかないではないか。と言うことで、昨日、本屋さんに行って来ました。大谷吉継に関する本がいくつかありましたが、歴史街道セレクト 大谷吉継 友情に殉じた関ヶ原の仁将(PHP研究)にしました。

歴史上の人物でこの人について知りたい、そして調べていくという作業を久しぶりにしており、ワクワク感があり、楽しいです。
山南敬助ほどに気持ちが入り込むとお金から時間から体力から消耗するのでほどほどにしておかなければと思ってはいるのですが・・・
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by eri-seiran | 2009-09-21 21:02 | 歴史 | Comments(0)

広島の川から

以前、記事にて触れましたが、小さい時には船が怖かった私です。そんな私ですので、川下りなんってとんでもないって感じで、しかし小学生の時に1泊2日の家族旅行の行程に川下りというとんでもないものが入っておりまして。どうしよかと密かに悩んでいたのですが、雨が降って増水のために川下りは中止となり、残念がる家族と反対に私はヤッタと喜びました。
そんな子どもが大人になると、川下りなんか喜んでするようになるから大人ってわからないものだ。
保津峡や木曽川、柳川などなど。
主に自然の中での川下りだったのですが、3年前の山南敬助&新選組も下った大坂の大川にて船に乗ってから、都会の川から見る町と歴史にはまりまして、広島にてもあるということを知り、時間があったので広島の川にて船に乗ってきました。
ひろしま河川遊覧です。
原爆ドームがすぐ近くにある元安橋から船は出発して元安川を上がって行くと旧太田川と合流し、中洲でUターンして戻って来るコースで時間にして40分です。
大阪と違いで良いのは窓が開けられたり、船外に出れるので、川の風を感じられること。またガイドさんが載っていて生の説明が聞けることでした。最後の方なんかグループごとに写真も撮ってくれて、私も一人でしたが、記念に撮ってもらいました。

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船乗り場を出発して右手にすぐに見えた原爆ドーム。

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船が進むと原爆ドームも違う角度から見えます。

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広島の空と川と町です。

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船首に鳥がとまっています。

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一本木鼻という中洲です。こちらの木にも鳥がとまっています。

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Uターンして帰ってきました。橋は手前が新幹線、奥が在来線です。

桜並木もあり、春はもっといいだろうと思います。
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by eri-seiran | 2009-09-19 11:40 | | Comments(0)

大坂の川を下る山崎烝

先日に予約録画したBS熱中夜話関ヶ原ナイト(前編)を夕食を取りながら見ました。いや~勉強させて頂きました、面白かったです。私は戦国も好きで戦国ブームと幕末ブーム、時々赤穂浪士ブームがあるのですが、ここ数年長いこと幕末ブームが続いていて、でもやっぱり戦国も面白いなと思いました。
昨年の12月に放映された新選組ナイトではテーマは大河ドラマ『新選組!』なのか、史実の新選組なのかよくわからなかったのですが、今回の関ヶ原ナイトは良かった。
見終わって戦国も面白いな~近いうちに関ヶ原に行こうかな~なんって思いながら、再生を終え、チャンネルをNHK総合にすると、新選組の監察方の山崎烝の声がするではないですか。私が幕末から戦国に浮気をしようとしていたことがばれた?
ということでドキッとしました。

山崎烝とは桂吉弥さんのこと。金曜日の20時から放映のかんさい特集の番組に出ていたのでした。
そしてその番組は『大にぎわい!淀川舟くだり~再発見・水都大阪~』というもの。
淀川の始点である桂川・宇治川・木津川の合流点から三十石船風の船で淀川、大川、道頓堀まで下って川の偉大さや川から見た大阪、また現在行われている水都2009大阪の模様を紹介するものでした。
山崎烝も京から三十石船に乗って大坂に下ったはず。
船からはライトアップされた大坂城が見えました。今でこんなに見えるのだから、当時はもっと見えたであろう。

BS熱中夜話の関ヶ原ナイトでファンの多くの人が関ヶ原に行ったレポの後に、歴史専門家の方が歴史の舞台を歩くことは大事なことであり、本を読んでも理解できないことも、現地に行って理解できること、解釈できることがあると仰っていたのを聞いてその通りですと思ったのですが、この川下りを見て、再びそうだよねと思いました。京から大坂に船に乗って来た時、新選組のメンバーは船から遠くに大坂城が見えたのです。
大川巡りは私も2回していて大坂城が見えるということは分かっているんですけれどね。1回目は3年前の秋でこちら
2回目はそれから半年後の春でこちら

と言うことで、やっぱり関ヶ原より先に大坂に行って水都大阪2009に参戦して来ようと思います。
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by eri-seiran | 2009-09-18 23:01 |  ゆかりの地 | Comments(2)

近藤勇らが訪れた国泰寺跡

山南敬助が亡くなった後の出来事ではありますが、幕府は対する長州に詰問使を派遣することになり、その代表が大目付の永井尚志でした。そしてそれに新選組も随行することになりました。
慶応元年(1865)11月のこと。新選組からは近藤勇、伊東甲子太郎、武田観柳斎、尾形俊太郎、山崎烝、吉村貫一郎、芦屋昇、新井唯雄、服部武雄です。
11月7日に大坂を出立して、16日に広島入り、20日に長州藩との会談を持ったのがここです。
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広島城下の国泰寺跡です。
広島城より約1キロほどの所。
国泰寺は毛利家の時代に安国寺として創建され、その後に広島城主になった福島正則が国泰寺に改称し、福島の後に城主となった浅野家の菩提寺となりました。

広島に行くことになり、広島には近藤らが行っているから新選組ゆかりの地があるはずと思い、新選組史跡辞典 西日本編(新人物往来社)で調べたら、唯一、ここが載っていました。
ぜひとも行かなければと思い、場所のチェックをしたら、宿の近くではないですか。
と言うことで朝食前の散歩中に訪れました。
都会の真ん中にこのような緑の地や史跡があるとほっとします。
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国泰寺の愛宕池跡です。

ここは原爆投下地よりとても近く、そのために全壊したそうです。
現在、国泰寺は西区に移転しており、この庭園跡だけがこの中区中町7-6に残っているのです。

さて長州藩との会談はうまくいかず、一度、京に帰ってから、翌年の1月に老中の小笠原長行を代表として、新選組は近藤に伊東、尾形、そして篠原泰之進が随行しましたが、これも失敗。
しかし長州藩との交渉失敗だけに終わらず、新選組にも亀裂が生じ始めたのでした。近藤・尾形組と伊東・篠原組に分かれ、現地では別々の行動を取ることが多くなったとか。広島から京に帰るのも別々だったとか。どうもこの時から油小路の変は始まっていたようです。
山南敬助が生きていたら、山南敬助が心身ともに元気であれば、山南敬助の考え方が近藤と土方と同じであれば、尾形ではなく、山南が広島に行っていたかもしれないな。
そして勘定方の河合耆三郎が切腹したのは近藤が広島出張2回目の時のことでした。
なんか大変なことが色々とあった2回目の広島出張だったんだな。
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by eri-seiran | 2009-09-15 08:56 | 新選組 | Comments(0)

舞台のチケット

歌舞伎座公演でのチケットの一般発売が普通は前月の15日からなので、来月の御園座での吉例顔見世興行の舞台を観に行く日をそろそろ決めなければと思っていたら、なんと8月の下旬に発売になっているではないですか。そうか、御園座って、歌舞伎座とか、大阪松竹座とか、南座とは違うのか(汗)。
私は10月の舞台とは縁がないんだと思って涙が出そうだったのですが、とりあえず取れました。
2日間に亘って、昼の部と夜の部を観る予定です。
今度こそはひつまぶしを食べるんだい。

そして『蛮幽鬼』です。
大阪公演の一般発売が明日ということですが、仕事のために参戦できない。今週の初めにはまだ一枚も取れていない状態。全く観に行けなかったらどうしょうと思っていたのですが、保険で申し込んだ分が取れたと連絡がありました。
とりあえず全く行けないということはなくなりました。本命も連絡がないということは取れているんだろうなと思うのですが。
ところで11月、孝太郎姉さんはどこだろうか。それによっちゃ大変な状況になるんだけれど。
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by eri-seiran | 2009-09-12 09:52 | 歌舞伎 | Comments(0)

近藤勇も伊東甲子太郎も

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来た地に私も仕事で来ています。

やっぱり夕食はこれです。
美味しかった。
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by eri-seiran | 2009-09-09 21:07 | 身辺雑記 | Comments(0)

美味しい珈琲巡り

最近、京や大坂に行った時、京阪神 珈琲の本を参考にしながら美味しい珈琲の店巡りを密かにしております。
8月28日、9月4日に京に行って3件の珈琲の店を訪れました。

長樂館
京に行った理由は映画『南極料理人』観賞と霊山歴史館での『新選組 その光と影を追う』を見るためでした。と言うことで、霊山歴史館辺りで本に載っている美味しい珈琲の店を探したら、ここだったのです。
ここはカフェやレストランの他にホテルも併設しております。
明治42年(1909)に煙草王の村井吉兵衛と言う方が私財を投じてヨーロッパの建築様式にて建てられらたそうで、今年がちょうど100年目であり、そしてなんと木戸孝充(桂小五郎)の墓参りに来た伊藤博文がここに泊まった時に長樂館と命名したそうな。
すみません。これらのことについては家に帰ってから知りまして、そんなこととは知らず、『新選組 その光と影を追う』を見た後に行って良かったのだろうか(苦笑)。
と言うことで、100年の歴史のある、またヨーロッパ建築様式の建物は文化財となっております。
私はブレンド珈琲とスコーンを頂きました。もちろん美味しかったです。自分の好みとしては味的には最高に美味しいというものではありませんでしたが、洋風のシックな建物で、お店の人の対応、落ち着いた雰囲気、歴史がある建物ということでとても美味しく飲め、歩き疲れた私はゆっくりできました。飲むもの、食べるものが味的に美味しくても、対応が悪かったり、お店の雰囲気が良くなければ、美味しい物もまずくなるものです。
伊藤博文も木戸孝充や高杉晋作など同志、幕末のことなどを色々と思い出しながらここで過ごしたんだろうな。

喫茶ソワレ
9月4日に祇園から山南敬助&新選組ゆかりの地めぐり@四条通編をしている途中で寄りました。
ここは2回目だったのですが、ちょっと迷いました。四条通り高瀬川沿いにちょっと上がった所で、古高俊太郎が武器・弾薬を隠していた升屋跡のすぐ近くです。
ここの珈琲は以前に飲んでいるので、今回は美味しいという噂のゼリーコーヒーにしました。
冷たくマイルドな甘さのカフェ・オレにほろ苦いコーヒーゼリー。ちょっと疲れていたし、暑かったので、私の体には良かった。ここもシックで落ち着いた雰囲気で好きです。

フランソワ喫茶室
喫茶ソワレと同じく9月4日。
夜に四条烏丸で友だちと酒を呑んだ後に美味しい珈琲を飲もうと、先ほどの本を参考に探したのですが、四条烏丸はあまり詳しくないし、時間も時間で見つけられなくて、ここに辿り着いたのでした。
ここは学生時代から何度も来ておりますが、自分が年を重ねるごとに好きになってきているようです。
昭和9年(1934)に開店された歴史の長いカフェです。今回はカフェ・オ・レにしました。私は珈琲にミルクをたっぷり入れて飲むのが好きなんですが、ここのカフェ・オ・レはオーソドックスという感じで美味しかったです。
ちょっと酒の呑み過ぎて気持ち良く酔っていたのですが、かなり歩き、そしてカフェ・オレを飲んで酔いも覚め、無事に四条河原町から市バスに乗って京都駅、そこから電車に乗り、電車の中で薄い安物の上着をどこかに忘れてきたことに気づいた次第です(汗)。
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by eri-seiran | 2009-09-07 09:18 | 珈琲 | Comments(0)

山南敬助&新選組ゆかりの地めぐり@四条通編

9月4日の金曜日、夜に友人と京の四条烏丸で飲もうと言うことになりました。せっかく京に行くんだったら、霊山歴史博物館で9月1日より始った2009年秋の常設展~龍馬、新選組、篤姫・・・~よみがえる幕末維新を見に行こう思ったりもしたのですが、1週間前によみがえる幕末維新~新選組 その光と影を追う~を見に行ったばかりだったし、お昼過ぎまで用事があって時間があまりなかったし、あの坂を再び歩くのもしんどかったし、10月18日まででまだ余裕もあったのでパスしました。

そこで少し時間があったので四条通り新選組ゆかりの地めぐりをしてきました。
スタートは祗園から。八坂神社です。
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歴史的な史実としては残らないけれど、山南敬助も八坂神社の階段は上っただろうと思う。
そして山南敬助は関係ないけれど、祗園会所跡です。
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東大路通を挟んで、八坂神社の向かい側にあります。
元治元年(1864)6月5日、過激派浪士の取り締まるために集合した場所でございます。つまり池田屋事変ね。現在はコンビニストアになっております。

そこから西、つまり壬生の方に向ってしばらく歩くと、花見小路通と四条通の南側の角にある一力亭です。
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文久3年(1863)10月10日、一力亭にて行われた佐幕派の会合に近藤勇が出席しています。
そして今、知りました。仮名手本忠臣蔵の七段目一力茶屋の場の一力茶屋はここのことだったのか。
その仮名手本忠臣蔵七段目も上演されたであろう南座が一力亭から西へ少し歩けばあります。元治元年(1864)11月、顔見世興行中、新選組隊士が悶着を起こしたとか。

そして鴨川を渡り、四条河原町通を越えていきます。
四条河原町通と四条烏丸通の間であった出来事があるものの、場所の名前を覚えておらず、チェックできませんでした。帰ってから確認すると、四条通御幸町辺りなので、この辺りになります。

出来事とは文久3年(1863)6月1日、山南敬助と永倉新八がこの辺りを歩いていたということ。井上源三郎のお兄ちゃんの井上松五郎がこの辺りで山南敬助と永倉新八に逢ったと言うんです。歴史には残らないけれど、井上松五郎日記には残っている出来事なんです(笑)。

四条烏丸通に辿り着き。
今回一番確認したかった場所はこの四条烏丸の交差点の北西のコーナー辺りにあった鴻池京都店。この辺りね。

しかしこのコーナーは現在は建築中で囲いがしてありました。

この辺りは金融機関の会社が建ち並んでおり、京のウォール街って感じ。そんな所に鴻池京都店はあり、改めて鴻池はすごい、また壬生からも近いということに気付きました。
鴻池は大名貸しなどを営む豪商であり、本店は大坂にありました。鴻池は新選組に多額の献金をして支えています。反対に鴻池も新選組に助けてもらっていました。それは押し入る賊から鴻池を守ってもらうこと。
鴻池の京都別邸で押し入った賊を山南と近藤が闘ったと云う記録が残っています。これは同じような事件として岩木升屋が有名であります。当時は岩木升屋より鴻池が有名であったために名前が入れ替わったのではないかとも言われております。

祇園から四条烏丸と四条烏丸から壬生までの距離は同じくらいか、壬生までの方が近いのではないかと思い、時間さえあれば壬生まで歩きたい気分だったのですが、待ち合わせの時間が近づいていたので今回は断念。次回はここからスタートです。
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by eri-seiran | 2009-09-06 07:42 |  ゆかりの地 | Comments(0)

山南敬助をメインにしたブログです。ホームページ『山南敬助 赤心記』共々よろしくお願い申し上げます。


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