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『真田丸』ゆかりの地巡り@九度山

大河ドラマ『真田丸』の終盤になってきた今頃、やっと真田信繁ゆかりの地めぐりを実施して来ました。
遅いですね。
でもそう言えば、2004年の『新選組!』の時も山南敬助が亡くなった後、山南の墓がある光縁寺に久しぶりに行った以外、新選組ゆかりの地巡りを実施したのは11月の末でした。江戸と会津へ。

我が家より、九度山までは3時間弱。日帰りでも行けたのですが、高野山にも行ったことがなかったので、せっかくなので高野山にも行こうと思い、1泊2日で行って参りました。1日目に高野山へ。宿は少し離れていたのですが、橋本市内のビジネスホテルへ。

橋本駅から南海電鉄高野山線で再び高野山の方に向かい三つ目の駅である九度山駅へ。
じゃ~ん。やって参りました。
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まずは1月に放映された『鶴瓶の家族に乾杯』にて松@木村佳乃も歩いていた真田のみちを歩いて、真田いこい茶屋で一休み。真田のみちに建つお店のあちらこちらに六文銭の旗が掲げられていました。
休憩の後、まずは真田古墳(真田の抜け穴伝説)へ。
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古墳時代後期(4世紀頃)の古墳の石室で、真田親子の屋敷跡の真田庵から近いこともあって、この抜け穴を通って大阪城に向かった、穴の奥は大阪城に通じていると地元では語り継がれてきたらしい。
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それだけ真田幸村(九度山では信繁より幸村と呼ばれているらしい)が九度山の人たちに愛されていたということなのだろう。

そして次に九度山・真田ミュージアムへ。
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今まで大河のドラマ館は色々と行っていますが、広くはないものの、見応えがありました。一番興味があったのは大阪の陣合戦解説動画です。敵もどのような藩がどこにいて、どのように戦い、幸村や大坂側はどのようにして敗れたのか、わかりやすかったです。敵にも伊達政宗を初め、好きな武将たちもいるから私としては複雑な気持ちなのですが、やっぱり気持ちは幸村を初めとした大坂側へ。
真田ミュージアムを見終えた後は、道の駅柿の郷くどやまへ。
真田関連のグッズ店で、記念に真田丸どーもくんのグッズと真田紐のコースターをゲットしました。

みちの駅から再び駅方面に向かって真田親子の屋敷跡に建つ真田庵(善名称院)へ。敷地内には真田昌幸の墓や真田宝物資料館、また真田幸村・大助親子の四百回忌碑がありました。
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2014年5月に建てられたようですが、この時には2016年には真田幸村を主人公にした大河ドラマが放映されると伝わっていたんでしょうか。

そしてこの真田庵のすぐ近くにあるそば処幸村庵にてお昼ごはん
と思って行ったら、すごい人で待っている人数が半端じゃない。団体も入っていたようで。
しかし1日目を高野山にして、2日目に九度山にしたのは、1日目である月曜日、そば処幸村庵は定休日と書いてあったため。だから諦める訳にはいかない。
しかし私が名前を書いて、しばらくすると、団体さんが食べ終わり、また名前を書いて順番待ちをしていても諦めて帰られた方もいたようで、思ったより早く入ることができました。それでも1時間近く待ちましたが。
幸村の故郷である上田仕込みの手打ちそばだそうで、人気メニューの幸村御膳を頂きました。
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蕎麦はもちろん、柿の葉寿司も美味しかったです。待った甲斐がありましたよ。

食べ終わったのは14時過ぎ。そこから駅に向かい、15時過ぎの電車を待ちました。
風情のあるホームでしょう。
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そして電車を待っていると、これが運良く真田赤備え列車でした。
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乗りたかったんです。前日から何度も南海鉄道高野線の電車には乗っているのにお目にかかれなくて、半分諦めかけていたので、嬉しかった。

1日目、高野山に行く時に九度山駅を通ったのですが、降りる人は少ないな~と。しかし2日目、私が降りた時には結構、他にも降りる人がいて、またツアーバスで来ている団体も多く、盛り上がっているという印象を受けました。
土日など人が多い時には九度山町内巡回バスが運行しているようですが、今回は何でもない平日だったので、歩くしかなく、12年前に比べると体力が落ちてきた私にとって全部歩いて回れるだろうかと思ったのですが、なんとか予定していた所は歩いて回ることができました。ただ坂が結構あって、ちょっと疲れましたが。

山があって川があって、穏やかな町。
400年前も人工的に作られた景色以外は同じ景色。
そこに住む人も現代より少なくて、静かな村だっただろう。
真田昌幸に思いを寄せると、さぞかし無念だっただろうと思う。
だからこそ幸村は九度山を抜け出し、大坂城に入って勝負に出た。

でも今の私なら、こんな静かな所で暮らしたいと思った。
生きていたら色々とありますわ。でも400年前に比べたら、そんなことでも大したことはないんだよね。
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by eri-seiran | 2016-11-25 13:57 | 真田丸 | Comments(2)

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