時代祭

今日は、京都の三大祭りの一つである時代祭だそうです。
時代祭の詳しいことについては、こちらより
行列の主役たちを見ていると、京都のお祭りなんだな~と改めて思う次第です。

もちろん、京都に住んでいた時に観に行きました。
先月、会津秋まつりに行って、メインの藩公行列を観て、この時代祭のことを思い出し、今年は約20年ぶりに観に行き、藩公行列と時代祭の違いを様々な角度から考察してみようと思っていたのですが、これから仕事です。残念!

関西の天気は曇り時々雨だそうです。今は曇り空ですが、雨はまだ降っておりません。最高気温は18℃とか・・・
そんな天気予報を聞いていると、先月の藩公行列のことを思い出します。前日の天気予報での曇りのち時々雨が大きく外れて、晴天、またとても暑い1日だったこと。
耕史・土方副長のパワーは雨雲まで吹っ飛ばすんだと教えられました(笑)
友人の話しでは、昨年の藩公行列もそうだったらしい。

今日の時代祭も、なんとか天気がもってくれることを祈って、私は職場へいざ出陣!
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# by eri-seiran | 2005-10-22 09:06 | お知らせ | Comments(0)

山南を好きになったきっかけ

山南のプロフィールを考察していると、いつまで続くのという感じになってきたので、ちょっと一休み。
今日は山南を好きになったきっかけについて。

まず日本の歴史に関心を持つようになったきっかけは、大河ドラマの「新平家物語」でした。もちろん今年の大河ドラマも観ていましたが、昨年の大河とは観るエネルギーの使い方が最初から全然違います。
平家の中で一番好きだった重盛が亡くなってモチベーションが少し下がり、清盛が亡くなってさらに下がり、壇ノ浦の戦いを観終わって再度下がりました。
昨年は観終わった後、どーんと疲れたこと、思い出しただけで泣けてくること、眠れないことなどはありましたが、モチベーションが下がることはなかったな~話しがまたもやそれてしまいました(汗)

そして幕末にはまったきっかけは、またもや大河ドラマで「花神」でした。これは司馬遼太郎原作で、長州の人たちを中心に描いた作品です。
主人公は村田蔵六(大村益次郎)、このドラマには幕末の有名な志士たちがオール出演しております。
桂小五郎、久坂玄瑞、高杉晋作、吉田松陰、山県有朋、坂本龍馬、中岡慎太郎、西郷隆盛、大久保利通、近藤勇、土方歳三、沖田総司他、とにかくすごいですよ。今、考えるともう興奮してしきます。
主人公である村田蔵六を演じた中村梅之助さんは、昭和44年の映画『新選組』で山南敬助を演じております。また「花神」の放映と同じ年に、民放ドラマで『新選組始末記』が放映されました。「花神」で薩摩藩の大久保利通を演じた高橋長英さんが「新選組始末記」では山南敬助を演じております。今考えると、混乱しそうです。この年、私にとっては幕末ブームだったのです。ここから私の幕末好きは始まりました。しかし「新選組始末記」では、何故か山南には関心がなく、この時に興味を持ったのは永倉でした。ちなみに永倉を演じたのは夏八木勲さん。正直言って、山南については殆ど覚えていません(汗)再放送してほしい!観たいよ~お願い!
とにかく、三谷さんと同じように大河ドラマの影響を受けて育ち、この年には佐幕・倒幕派の両方のドラマを観て、幕末に関心を持った次第です。

私は九州で生まれ育ったわけですが、高校を卒業したら京都に行きたいという夢がありました。理由は多々ありますが、ひとつは京都の史跡巡りがしたい(笑)
そして京都の大学に行けたら、池田屋事件跡に行こうと、大学受験する前から決めていました。なんとか無事に大学に合格し、京都に4年間住めることになったわけです。授業をサボって、史跡巡りをしたことも度々(冷汗)京都だ!京都だ!と、行く度に感動でした。ただ一番行きたかったはずの池田屋事件跡、これが一番ショックでした(笑)ご存知の通り、店舗になっており、石碑があるのみ。この時のショックは今でもはっきりと覚えています(笑)そんなショックなこともあったわけですが、大学生活と共に、色々な史跡巡りを楽しんでいたわけですよ。
そんな頃、NHKで架空の下級隊士を主人公にした新選組のドラマ「壬生の恋歌」が放映されたのです。もちろん、観ましたとも!その時の山南敬助を演じたのが岸部一徳さんでした。これが山南敬助に関心を持ったきっかけとなったのです。そこから山南敬助について調べました。今より情報は少なかったけれど、この人についてもっと知りたいと思い、童門冬二氏の「新撰組山南敬助」(新物往来社へ復刊をお願いします)を読みました。山南敬助への想いは募るばかりで、明里に焼きもちをやきながら、心の片隅に閉まっておきました。あれから約20年が経った2004年、大河ドラマ「新選組!」によって私の想いは爆発したのです。
自分の周りに新選組に関心がある人が殆どいないこともあったのですが、これまで「山南敬助って、誰?」という反応しかありませんでした。しかし今や、有名人。「山南走り」という言葉さえ、生まれたのですから。
そして大河ドラマ「新選組!」で、初めて、山南に明里がいてくれてよかった~と思えました(史実に明里がいたかは不明ですが・・・)

山南を好きになったきっかけの話しの前置きがとても長いですね(汗)すみません!
何故好きかという話しになると、またもや長くなりますので、それについてはおいおいと・・・ただ最近、自分の前世は山南敬助に想いを寄せていた女性ではないかと思うぐらい、暴走しております。
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# by eri-seiran | 2005-10-21 22:44 |  ドラマ/映画/舞台 | Comments(2)

山南敬助のプロフィール 第二章

日本の歴史が好きで、一番興味ある時代はもちろん幕末、その次が織豊(安土桃山)時代でございます。その時代で一番好きな武士は伊達政宗公。そうです!山南敬助は私の好きな伊達政宗が築いた仙台藩に生まれ、後に脱藩したと言われております。
永倉新八、山南と親交があった多摩の小島鹿之助、会津藩士、西本願寺の寺侍の西村兼文など様々な方たちが山南は仙台藩であったことを記しており、違う出身地を書いている記録はひとつもないのです。
と言うことは、これは本人が「自分は仙台藩であった」と周りに言っていたわけですよ。
しかしですよ、これがまた謎なんですよ。
なんでこれが謎になってしまうんでしょう?

山南は武士階級の出身であったと言われています。しかし今でも残っている仙台藩の当時の武士の名簿に山南という名前が残っていないらしいのです。
それに類似した名前も・・・そんなことから仙台藩出身にも疑問が・・・

ここからは私の勝手な考察であることをご了承ください。
もし仙台藩出身でなかったら、どこの出身だったのか?
東北の他藩の出身だったのでは?と言うのは、山南に東北訛りがあったのだろうと思うのです。東北弁についてはよくわからないのですが、同じ関西弁でも大阪、京都、兵庫・・・それぞれでやはり違うらしい。関西に長いこと住んでいますが、九州出身の私にはあまりよくわかりません。東北訛りがあり、仙台藩と言えば、江戸や京都の方は信用したでしょう。
そしたら何故、他藩の出身でありながら仙台藩出身と言ったのでしょう?
本当の出身地を隠さなければならない事情があったからではないか?あるいは、東北の小藩であったので、「そこはどこですか?」と、聞かれるのが嫌で、62万石の仙台藩にしたとか・・・

山南姓は「難読奇姓辞典」に収録されているらしい。やまなみ、さんなんという読み方の他に、やまなんもあるらしい。
実は私の姓もとても珍しいと言われます。初めて会う方に姓を言う時、なかなか1回ではわかってもらえないことが多く、漢字を一字ずつ説明して、やっと分かってもらえる状況です。しかし九州の生まれ育った町に帰れば、まったく珍しい姓ではなく、1回でわかってもらえます。同じ姓の人があちらこちらにいます(笑)
同じように東北のどこかに、山南という姓が多い地域があるのではないかと考えてもみたりするのですが、ないですがね~どなたか、ご存知ないですか?

後、山南が小さい頃に家族で仙台を脱藩したということも考えられるのでは?あるいは山南が生まれた頃、天保の大飢饉が東北を襲っています。その影響はなかったのだろうか?
もう考え出したら、きりがありません。

十分な考察とは全く言えませんが、とにかくここまで山南敬助の出身地の謎について書いてみました。しかし出身地が違う記録が残っているわけでもないし、本人が仙台藩出身と言っていたようですから、本人の言うとおりに仙台藩出身ということにしておきたいと思います(汗)

土方が北上して仙台藩に辿り着いた時、山南の身内を尋ねなかったのか?と言いたいところですが、その時の土方にそんな余裕は全くないよな~ごめんなさい。

次に脱藩説です。山南敬助は次男として生まれたと言われています。ご存知の通り、基本的には長男が家督を継ぐので、この時代の次男、三男は大変だったでしょうね。試衛館派のメンバーで元々長男だったと言われているのは、沖田と左之助。藤堂については、伊勢津藩和泉守の落胤と言われており、それ以外のことについては不明。後の近藤、土方、斎藤、永倉、井上、そして山南の6人については次男、三男だったわけです。

山南は温厚で穏やかな性格であった反面、間違っていることや筋道の通らないことに対しては、物を申す、断固とした態度を取る、一本気で、熱くもなるという性格だったらしい。山南の性格を伝える逸話についてはまた次回に。この山南の性格ですが、長所とみれば真面目、短所とみれば短気というわけです。

ここからは山南が仙台出身であったとして、何故脱藩をしたのか、私の勝手な想像です。
山南は博学、知識人で自分のポリシーを持っていた。剣も強かった。江戸でさらに学び、剣を磨きたいと思い、脱藩したのでは・・・
或いは自分のポリシーを持っていました。藩の中で筋道の通らないことがあって、山南の短所の部分が出てしまい、目上の人とやり合ってしまった。もうこんなところ居られるか、次男だから家督を継がなくてもいいし、もうここから出てしまおう!江戸に行こう!
後は何かの悲劇で家族を失ったとか・・・
これも脱藩の理由が記録として残っていないので、確定できるものは何もありません(汗)

結局、私ごときものが必死で考えても山南の謎は解けません。当然のことです。
確定できる資料が出てこない限り、仙台藩の生まれで後に脱藩、そして武士階級で次男坊だったということです(汗)

以上、山南敬助のプロフィール 第二章でした。
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# by eri-seiran | 2005-10-20 22:45 |  山南敬助 | Comments(0)

山南敬助のプロフィール 第一章

青嵐の足跡の主人公とも言える山南敬助についてのプロフィールを簡単に紹介しますと書きたいところですが、山南敬助については本当に謎だらけで、また色々な説がありますので、簡単に紹介できません(汗)
とりあえず本日は書けるところまでということで、「プロフィール 第一章」としておきたいと思います。またプロフィールについては、謎の多い人ですので確定できないところも多々あることをご了承くださいませ。

山南敬助
天保4年(1833年)?月?日~元治2年(1865年)2月23日 享年33歳
氏名:本姓は藤原で、諱を知信
    姓は三南、三男、名は敬介、敬輔、啓輔、啓介、三郎、三治郎などの
    記録があり。
出身:奥州仙台藩 後に脱藩
家族構成:父親は仙台藩の剣術師範、武士階級であり、その次男坊。
       それ以外は不明。
剣術:小野派一刀流・北辰一刀流・天然理心流
新選組での役職:副長・総長

名前については、やまなみと読むのが一般的でした。三南や三男という当時の記録も残っていることから、さんなんは愛称だったのだろうという見方があります。しかしその一方で島田魁が三男と記しているために、副長助勤より下位クラスの島田が大幹部の名前を愛称で書くだろうかという疑問があり、さんなんが正確な読み方だったのではないかという説も有力になってきているようです。
私的にずっとやまなみできたので、さんなんという読み方は受け入れがたく、私の中にはすんなり入りません。今でもわたしの中ではやまなみにしております。私が山南に出会った時からさんなんという読み方が一般的であったら、すんなり入ったのでしょうが・・・
生き証人の方が新選組について語った時に録音できるものがあったなら・・・やまなみか、さんなんか、正確な名前が伝わったのでしょうが・・・まあ~時代から考えて難しいですよね(汗)
本当にさんなんが正確な読み方であれば、誰がやまなみという読み方を伝えたのでしょうか?不思議に思う次第です。

名の方は同じ読み方でもとても豊富です。記録にある名前を数えてみると、何回も改名した斎藤一よりも数においては負けないかも(笑)

生まれは天保4年(1833年)が一般的ですが、浪士組として上洛する時の「尽忠報国勇士姓名録」には、山南 敬輔 二十八才 と記されています。ということは、天保7年(1836年)生まれということになってしまいます。3才も年齢をごまかしたのか?少しでも若く見せたかったのか?
ちなみにこの時、近藤は三十才、土方は二十九才。この二人に嘘はありません。
山南のこの時の年齢はきっとなにかの間違いでしょう。

このように本当に謎の多い人ですので、書き出すと止まりません。続きは第二章にて。
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# by eri-seiran | 2005-10-19 22:54 |  山南敬助 | Comments(0)

はじめまして

みなさん、はじめまして。エリと申します。

新選組の大幹部であった山南敬助を好きになり、その想いを20年以上もの間、心の片隅にそっとしまっておきました。大幹部であったにも関わらず、新選組においてはどちらかと言うとマイナーな山南敬助。名前を出しても、「誰?その人」と聞かれて、私の想いなんって誰も聞いてくれなかったわけです(笑)
しかし2004年の大河ドラマ「新選組!」で、一気にメジャーになり、そのお陰で心の片隅にしまっていた私の想いも爆発してしまい、ただいま暴走中でございます。
そのような訳で新選組の山南敬助のためのブログを始めることになった次第です。

簡単な私のプロフィールから
ニックネーム:エリ
住所:関西
星座:山羊座
血液型:O
職業:子供に関る仕事

このような私ですが、どうぞよろしくお願いします。
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# by eri-seiran | 2005-10-18 10:21 | お知らせ | Comments(5)

山南敬助をメインにしたブログです。ホームページ『山南敬助 赤心記』共々よろしくお願い申し上げます。


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