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練兵館に大久保九郎衛の門弟

お久しぶりです。
それもとてもとても久しぶりに山南敬助についてです。

10月号の『一個人』が新選組特集であると、当ブログを訪れてくださっている方から教えて頂き、新選組に関する書籍などはよほどの内容でなければ買わないと決めていたのですが(これまで買い過ぎたから)、山南敬助について丁寧に書かれていたこと、内容も濃かったので買いましたが、しばらくほったらかし状態でした。
10日ほど前、時間に余裕があり、やっと山南敬助に関してだけでもじっくりと読んだところ、新しい情報に新しい見解にびっくりでした。前からありました?知らなかったのは私だけですか?

こういうことです。
『組!』で、桂小五郎と近藤勇が知り合いだったのは、試衛館が人手の足りない時に練兵館から手を貸してもらっていたという関係で、桂と近藤は知り合い。蕎麦屋で近藤と土方が桂に会い、先日も道場破りに困っていたから若い連中を貸してあげたと土方に説明する桂。そんな桂が苦手そうな土方というシーンがありました。

試衛館が練兵館から助っ人を呼んだという逸話は知っていたのですが、この『一個人』の山南敬助について書かれているところでも書かれていて、この逸話は練兵館師範代だった大村藩の渡辺昇という方が伝えているそうです。
そして重要なのはこれからです。
その練兵館で、大久保九郎兵衛の門弟が稽古をしていたという記録が佐賀藩士の牟田高惇という方の日記に残されているんだそうです。

山南敬助が小野派一刀流の大久保九郎兵衛の門弟であったことは間違いありません。練兵館で稽古をしていたのが山南敬助で、助っ人で試衛館に行ったとしたら。
助っ人で行っていなかったとしても、練兵館に出入りしていたら、試衛館に助っ人に行った人から試衛館や近藤について話を聞くことができる。
山南と試衛館との繋がりが見えてきます。

以前、大久保九郎兵衛の大久保道場跡から練兵館跡まで歩いたことがあります。近いな~山南敬助は桂小五郎と会っているかもしれないな~なんって思っていたんです。
平成19年(2007)3月4日には大久保道場跡から試衛館跡まで歩いたこともあります。この時のレポはこちらより
現代人の私には少し遠い距離でしたが、車や電車がない時代では遠くはない距離のはず。また練兵館の方が大久保道場よりも少し試衛館には近い場所になります。
再び江戸に行って大久保道場から練兵館、そして試衛館と歩きたくなってきました。

しかし練兵館で大久保九郎兵衛も門弟が稽古をしていたというこんな重要なことが何故に表に出てこなかったの?何故だ?
この門弟が山南敬助とはもちろん限りませんが、練兵館と大久保道場の繋がりは少し見えたわけです。
いつ頃に書かれた日記なんだろう。それによってさらにわかることがあるはずです。
その日記の詳しいことが知りたい。その日記が見たい。見たいです。
by eri-seiran | 2010-10-24 21:54 |  山南敬助

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