『行くか、残るか』
2006年 03月 08日
3月3日、浪士組に江戸帰還命令が下ったそうです。
ここで彼らは、『行くか、残るか』を迫られるわけですよ。
結局、山南敬助ら試衛館派の8人、芹沢鴨ら5人は残ることを決めたわけです。他にも9名いたと言われています。
永倉新八の『新撰組顛末記』には、清河八郎は試衛館派の8人と芹沢鴨らの5人、計13人の同志に江戸帰還を反対されて、勝手にしなさいという怒りを持ち、畳をけって席を立ったとのこと。13名は鵜殿へ相談し、鵜殿が会津候へ伝え、松平容保公によって預かってもらえるることになったそうです。
明治に書かれた永倉新八の『浪士文久報国記事』では、松平容保公のお陰で14人が残留することになったと書いています。『新撰組顛末記』より1名多いのです。この1名は斎藤一のことです。斎藤一も本当に謎なんですよね~すみません!この件については、今回はスルーします(汗)
とにかく彼らに光が見えたのです。
嬉しかったでしょう。本当に嬉しかっただろうな。
大河ドラマ『新選組!』では、この辺りの経過が第14回から16回にかけてとても丁寧に描かれていたな~と思いました。山南ラヴとしては、第14回、15回の堺@山南を観ていると辛くもあるのですが、好きな回でもあります。
史実は、どのような経過で二つの派が残るようになったのでしょうか?
試衛館派は試衛館派で話し合ったのだろうか?話し合いならば、どんな意見が出たのだろうか?みんなの意見はすぐに一致したのだろうか?どんな思いだったのだろうか?
またどのようにして斎藤一がすぐに合流したのだろうか?
とてもとても気になるところです。