清河八郎を暗殺するための二手の割り振り

江戸に帰ることになった清河ら浪士組は、3月8日に京を出立することになっていましたが、翌日に順延され、そしてまた順延されて・・・結局は3月13日に出立しました。

その間、残留組のメンバーは清河らを殺害しようとしたようです。
これは、近藤が佐藤彦五郎ら宛に出した書簡に書かれており、また永倉の『浪士文久報国記事』、そして『新撰組顛末記』にも書かれております。
ここでの有名なエピソードが、清河らを待ち伏せするために、二手に分かれたと言われ、その二手の割り振りですよ!割り振り!

四条通り堀川グループが、芹沢・新見・平山・野口・平間という芹沢派のメンバーに、山南敬助と平助が加わっています。一方、仏光寺通りの堀川グループが、近藤・土方・沖田・永倉・井上・原田です。
四条通り堀川グループは、メンバーの名前を見たらわかるように、平間以外は新選組のメンバーによって殺害・切腹させられたメンバーと言われております。平間だって、難を逃れたようですが、居たら殺害されていたでしょう。という訳で、このときの二手の割り振りが、その後のそれぞれの人生を偶然にも決定付けるものになったとも言われています。

実際は、どうだったんだろうか?
『浪士文久報国記事』でも、清河らの暗殺のことについて書かれていますが、この二手の振り分けについては全く触れていません。
70歳になってから永倉が語ったものをまとめた『新撰組顛末記』
それよりももっと早い時期に書かれた手記である『浪士文久報国記事』

この両方に共通したことが書かれているのは、殺害失敗の理由です。
山岡鉄太郎が、幕府の御朱印を携帯して清河に同行していたため、殺害することが出来なかったそうです。

大河ドラマ『新選組!』でも芹沢派のグループに付いて行った山南敬助と平助。あのシーンを観た時には、やっぱり芹沢派に付いて行くの?と思い、悲しかったのを覚えています。でもあの後の清河を待ち伏せしている時の佐藤浩市@芹沢と堺雅人@山南のやり取りはお気に入りのシーンの一つです。この逸話は知っていたものの、白井晃@清河に裏切られた堺雅人@山南は白井晃@清河をもしかして本当に殺害しようと思っているのでは?と、私まで佐藤浩市@芹沢と同様に、騙されるところでしたよ。
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by eri-seiran | 2006-03-09 17:49 |  出来事

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