山南敬助の自殺(自害)説について~『新選組始末記』より~

以前の記事 山南敬助の死について~子母澤寛の本より~ で、子母澤寛が『新選組始末記』で
一説には、近藤への書を残して、脱走などはせず、そのまま、前川邸で自殺したとも言うが、要するに、土方歳三との勢力争いが高じて、こんな結果になったものである。
と、書いているのは、八木翁、或いは壬生界隈のご老人方にそう聞かれたのではないのではないだろうかと、私は述べました。

しかし翌日の記事 山南敬助の死について~新撰組始末記より~ で、 
山南は西本願寺への移転に反対して、一書を残して自刃した。
という西村兼文の記録を読んで、子母澤寛が自殺(自害)説を挙げた可能性もあることを述べました。

しかしです。今回、子母澤寛の『新選組始末記』を最初からきちんと読んで、さらに見落としていた点があることに気付きました。
『新選組始末記』で、子母澤寛は最初にこのように述べているのです。

明治二十二年七月九日に脱稿したという西村兼文氏の「新撰組始末記」なるものがある。
時には史料の参考とせられるがわたしはこの書に信じられぬ多数の点を見る。

                  「新選組始末記」(中公文庫)P13~P14

どちらが信憑性があるとか、ないとか、そういうことは問題ではありません。新選組ファンとしてはどちらも貴重な書籍であります。

ここで何を言いたいのかと申しますと、私は、子母澤寛が敢えて山南の自殺(自害)説を挙げた理由として、西村兼文の「新撰組始末記」を参考にしたのではないかと述べました。
しかし子母澤寛が西村兼文の「新撰組始末記」について、この書に信じられぬ多数の点を見ると述べているのに、参考にするとは考えられないだろうと改めて気付いたのです。
それならば、最初に述べたように、敢えて山南の自殺(自害)説について書かれているのは、やはり八木翁、或いは壬生界隈のご老人方にそう聞かれたのではないでしょうか?
土方との勢力争いが高じてという点についても、そのように聞かれたのかもしれませんが、内部のことはなかなか部外者にはわからないところもあるでしょうから・・・すみません。偏った見解をしています。と言うわけで、この土方との勢力争いが高じてという点については、宿題とさせてください(汗)

とにかく、この子母澤寛が書かれたこの部分は、自殺(自害)説を肯定するひとつの理由になると思うわけです。
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by eri-seiran | 2006-03-18 10:29 |  本

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