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土方の生誕171周年記念~試衛館派のメンバーの生誕年を発表~

今日は5月5日 端午の節句です。
端午の節句は奈良時代から続く行事らしい。以前は、病気や災いなどを避けるためのものとして、宮廷で行われていたとのこと。それが武士社会になっていくにしたがって、尚武の節目として祝うようになり、それが江戸時代になってからは徳川幕府の重要な日となり、また男の子の誕生を祝うようになったらしい。そして武士のみの行事から町人、一般庶民へと広がっていったらしい。

そんな5月5日に生まれたと言われているのが土方歳三です。
昭和の初期になってこの説は出てきたこと、当時の資料として残っていないことなどから断定できない、一方で土方歳三の誕生日の候補日が他にないことから、これを信じても良いのでは?と、色々な見方があるようです。
私的には、5月5日に生まれたと思いたい。端午の節句に生まれたなんって、ロマンチ!

土方歳三は天保6年(1835年)に多摩の石田村で9人兄弟の末っ子として生まれました。3人の兄・姉が夭折しているので、実際には6人兄弟です。今年で、生誕171周年ですよ。ちなみに山南は生誕173周年ですよ。

今日は、土方の誕生日であることを記念して、試衛館派のメンバーの生まれた年、そして上洛した時の年齢について挙げてみたいと思います。
但し、人によっては、生まれた年にも複数の説があったりします。誰って?山南と沖田ですよ!!有力だと思われる方を書きますので、あしからず。

井上源三郎  文政12年(1829年) 35歳
山南敬助    天保 4年(1833年) 31歳  天保7年説あり
近藤  勇    天保 5年(1834年) 30歳
土方歳三    天保 6年(1835年) 29歳
永倉新八    天保10年(1839年) 25歳
原田左之助  天保11年(1840年) 24歳
沖田総司    天保13年(1842年) 22歳  天保15年説あり
斎藤 一    天保15年(1844年) 20歳
藤堂平助    天保15年(1844年) 20歳


山南と最年長の井上さんとの年齢差が4歳。山南と最年少の斎藤や藤堂との年齢差が11歳です。最年長の井上さんと最年少の斎藤や藤堂との年齢差が15歳です。
以前の記事で述べましたが、山南は24歳から27歳の間に試衛館を訪れたと考えられます。そう考えると、沖田が山南に出会ったのは、15歳から18歳にかけてです。一緒に上洛するまで、短くて4年、長くて7年の付き合いがありました。付き合いの年月、9歳年上、一緒に多摩にも出掛けていることなどから、やはり沖田にとって山南は兄のような存在だったのだろうな~
斎藤や藤堂が、江戸において山南とどれだけの付き合いがあったのか、分かりませんが、11歳も離れており、博学で剣術も優れていた山南は彼らにとってもやはり兄のような存在だったのではないかと勝手に思っております。

*斎藤は京で浪士組に加わっていますが、江戸で試衛館に出入りしていたのではないか?と言われており、残っている記録などから私的にもそうだっただろうと思っています。
by eri-seiran | 2006-05-05 22:51 |  同志たち

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