品川宿 幕末ゆかりの地

今回、上京した初日の8月19日。品川駅で友人のふみさんと待ち合わせして、以前から行きたいと思っていた品川宿、山南敬助と縁のあった山岡鉄舟(鉄太郎)、村上俊五郎が眠る全生庵、東海道や中山道など五街道の出発点である日本橋などに連れて行って頂きました。
まずは品川宿へ。

高杉晋作や伊藤俊輔(博文)ら幕末の志士たちが密議した土蔵相模跡、11代将軍家斎が品川沖に迷い込んだ鯨の骨を葬ったと云われる鯨塚など、なかなか興味深い史蹟がたくさんありました。品川宿の東海道を京に向かって歩く場合、左側は海だったようです。現在は埋められてその面影は殆どありませんが、このような風景に出会うと、そうだったのか~と改めて想像してみた次第です。
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また宿場の所々に東海道五十三次の各宿場から贈られた街道松が植えられていました。浜松宿、土山宿等など。これにはちょっと感動。
保土ヶ谷宿の松が植えられていた旅籠屋釜屋跡。釜屋は元々は立場茶屋でしたが、後々に旅籠屋を営むようになり、幕末には幕府御用宿として利用されるようになりました。
そしてここは新選組も利用しており、新選組ゆかりの地でもあります。

慶応3年(1867年)10月21日 隊士募集のために東下していた土方歳三や井上源三郎らが、新人隊士を連れて京に帰る途中、ここにて休息したと云われています。またここに応募の隊士が集合し、土方と井上が面会して、各隊士へ旅費が手渡されたり、旅中の注意を言い渡すなどして、ここを出立したとも云われています。隊士の数は20人から30人だったらしい。鳥羽・伏見の戦いで戦死した井上源三郎にとっては、これが最期の江戸・多摩への帰郷となったわけです。

そして慶応4年(1868年)1月 鳥羽・伏見の戦いに敗れて江戸に帰ってき時に、しばらくの間、ここに滞在しております。
土方にとっては、約3ヶ月前に休息として利用し、また井上源三郎と共に新入隊士を連れて出立した場所。
まさかこのような状況になって、此処に戻ってくるとは思わなかっただろう。

以前、ここには新選組ゆかりの地として示すものは何もなかったようですが、最近になって、地元有志の手によって碑が建立されたそうです。

後、品川宿の近くには、奥州仙台藩屋敷跡があります。仙台藩と言えば山南敬助の出身地と云われていますが、これも謎。仙台藩出身だったとしても脱藩しており、脱藩の時期にもよりますが、かなり気になる所です。しかし品川宿を歩いている時にはそれところではありませんでした。あまりの暑さで(苦笑)。
この辺りには、山内豊信(容堂)や岩倉具視の墓も近くにありますので、また機会があれば訪れてみたいな~と思っております。
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by eri-seiran | 2006-08-31 11:32 | 歴史

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