文久3年(1863年)9月の山南敬助らの経過と状況

毎月に1回、それも月初めに書こうと決めている記事があります。
しかしもう今月も半ばになってしまいました。
新見の旧暦での命日も終わってしまったし・・・
文久3年(1863年)9月の出来事は、新選組にとってはキーポイントなのに・・・
と言うわけで、今回は、月1回のお決まりの記事です。

9月1日 見世物興行が始まる。

どこが山南敬助、また新選組に関する出来事なんだ?という感じですが・・・
『新選組!』の24回「避けては通れぬ道」でも、芹沢鴨、お梅、総司がオウムを観に行ったでしょう?オウムの色は染物だとか言っていたでしょう?
そういう逸話が実際に残っていたり、この見世物興行が9月1日以降にあったという記録が京都の町人によって残っています。小屋ではオウムの他に、虎やインコがいたようです。虎は人間が皮をかぶっているという噂が流れ、芹沢が脇差を虎の鼻先に突き出したところ、虎がにらみつけて吼えたものですから、芹沢も本物だと認めたとか。オウムは佐々木愛次郎に洗うように命じたとか・・・しかしこの9月の時点で、佐々木愛次郎は亡くなっているのでこれは創作?
ところで山南敬助は虎やオウムなどを見たのだろうか?

9月13日 田中伊織が殺害される。

田中伊織とは、新見錦のことです。この方の死も謎です。
永倉談によると、近藤の権威を持って新見の非行のかずかずをあげて、祗園の山緒で詰腹をきらせたとのこと。
史実の山南敬助がどのようにこれに関わったかは不明。

先日、『新選組!』の第23回「政変、八月十八日」のラストのシーンを観たら、第24回「避けては通れぬ道」が無性に観たくなって、観ましたよ。山南敬助@堺雅人にとって、この回がかなりのキーポイントだということに改めて気付き、新たな考察をしておりました。

9月18日 芹沢鴨、平山五郎が殺害される。平間重助は逃走。

有名な出来事であり、新選組にとってキーポイントとなる出来事です。
そのためにこの出来事については後日に改めて。

9月20日 芹沢鴨、平山五郎の葬儀が行われる。

9月25日 禁門の政変出動に対して、朝廷より各一両の報奨金を受ける。

あ~池田屋事変ではもらえなかった山南敬助。この時はもらえたんですよ。良かった!良かった!!

9月26日 御倉伊勢武・荒木田左馬之助、楠小十郎の長州患間者が殺害され、その他3人が逃走。

永倉談によると、この殺害に関わった者として、永倉、斎藤、井上、原田、総司、平助の6人の名前が挙げています。
あら、山南・近藤・土方の大幹部を除いた試衛館派ばかりじゃないですか。
指示を出したり、策を練ったのは、山南・近藤・土方の3人かしら?

9月の山南敬助らの経過と状況を駆け足でまとめました。
記録として残っている山南が表舞台に立った出来事は、芹沢鴨暗殺が最後なんですよ。その後は名前が記録としてあっても、年賀状を小島鹿之助に出したとか、病にて臥せていた(元治元年2月2日の記録)というものであり・・・
だからこの芹沢鴨暗殺以後から元治元年(1864年)1月までに、山南が表舞台に立てなくなる事件が起きたと思われます。
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by eri-seiran | 2006-09-15 00:04 |  出来事

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