草津追分はまるで人生の分かれ道

山本耕史君の『tick,tick...BOOM!』草津公演の翌日は、前夜ご一緒に観賞したふみさんと一緒に草津宿を散策しました。
草津宿のことはよく記事に書いているものの、また江戸や多摩よりずっとずっと近いのに、訪れたことはあっても、車で通り過ぎることはあっても、きちんと歩いたことがなかったのです。 
月曜日で、草津宿街道交流館や草津宿本陣は休館日で中に入ることができませんでしたが、山南敬助や土方歳三らのことを考えながら散策すれば、また新たなことを感じられる。

a0044916_22153457.jpg

これが東海道と中山道の分岐点になる草津追分です。この分岐点には、文化13年(1816年)に建てられ石造道標があります。 
右 東海道いせみち 左 中仙道みのぢ と刻まれています。山南敬助はこの道標を見たのです。土方も総司ら試衛館派のメンバーが浪士組として京に上洛する時に見たのです。そしてこの道標も彼らを見ていたのです。
ちなみに1816年までにあった道標は、ここから京に向かって約500メートルほど離れた同じ東海道沿いにある立木神社に移されています。

a0044916_22175464.jpg

この写真は中仙道から京に向かって歩いてきた時の分岐点の風景です。右の道が京へ続く道。左の道は東海道いせみちです。
文久3年(1863年)2月22日、山南敬助は、風景は全く違うものの、このようにしてここを歩き、この分岐点、道標を同じように見たはず。きゃ~同じようなことを計画的にやってしまった(笑)。

a0044916_22283020.jpg

これは京から東海道を下ってきた時の分岐点の風景。右は東海道。左は中仙道。
ここに立った時、まるで人生の分かれ道のように思えて、ちょっとびっくりしました。
理由は色々と考えられますが、山南と土方の二人は別々の道を歩くことになった。土方が右の道(東海道)を選んだならば、山南は左の道(中仙道)を選んだということなんだろう。でも目指すものは同じだったはず。
東海道、中仙道のどちらを選んで歩いても、終点は同じ江戸の日本橋。
[PR]
by eri-seiran | 2006-11-29 22:30 |  ゆかりの地

山南敬助をメインにしたブログです。ホームページ『山南敬助 赤心記』共々よろしくお願い申し上げます。


by eri-seiran
プロフィールを見る
画像一覧
更新通知を受け取る