池田屋事変に参加できなかった山南の気持ち
2006年 12月 13日
今年度の4月になってそのイベントに向けてのプロジェクトチームが作られ、そのメンバーの一人となり、自分の担当部分について必死で頑張ってきました。
特にそのイベントに向けて約2ヶ月前からは残業、休日出勤の日々でした。
しかし大事なイベントを前にして、私は私的な事情で西に向かわなければならず、すべてを同志に託すことに。職場に戻ってきたのは数日間のイベントが終わった後。そう祭りが終わった後の静けさの中に帰参。
なんかすごい淋しさ、そして疎外感を感じた。
決して周りが冷たかったわけではなく、反対に暖かく迎えてくれた。
すべて上手くいったよ。
成功に終わったよ。
当日、あなたがいなくても上手くいったのは、それまでのあなたの段取りがしっかりしていたからだよ。
本番には参加できなくて残念だっただろうけれど、いい仕事をしたね。
上司らやプロジェクトチームのリーダーやサブリーダたちからお褒めの言葉を頂いた。新選組に例えると、局長や両副長からと言ったところでしょうか。これは嬉しかった。
しかしそれでも本番に参加できなかったためか、自分の中で仕事を消化しきれていないためか、なんとも言えない淋しさや疎外感が心のどこかにあった。
あ~この淋しさ、疎外感って、山南敬助が池田屋事変に参加できなかった気持ちと似ているのではないだろうか?
きっとこんな気持ちが山南敬助にもあったのではないだろうか?
なんって、思ったわけですよ。
もちろん、山南の方がもっともっと辛かっただろう。
池田屋事変だけでなく、その後の禁門の変にも参加できなかった山南。
池田屋事変に参加できなかった山南敬助について考えることはありましたが、こんな気持ちだったのでは?と、初めて思えました。
池田屋事変に参加できなかった山南敬助の気持ちにちょっと寄り添うことができた感じでしょうか(涙)。
山南はそれ以後も表舞台に立つことはなかった。
しかし私には来年がある、再来年がある。これからいくらでもチャンスはある。
はい、頑張ります。