食べたかもしれない東海道名物

好きだと、その人が京都で黒蜜のところてんを食べたか、大阪で鰻を食べたかなど、どうでもいいようなことが気になったりするわけですよ。
そして旅に欠かせないものは、その地でしか食べられない美味しいもの。それは今も昔も変わらないだろう。ただ、今は、インターネットなどで購入できるから便利にはなったわけですけれど。しかしその地で食べるからこそ、美味しさも増すし、昔からあるものであれば、その地の歴史などあれこれと考えたり。

江戸から京に向かう時の最後の宿場(大津宿)を過ぎたところにある逢坂・追分あたりは、東海道の中でも賑やかであったと云われています。そこに清らかな水が溢れ出る井戸があり、それを走井(はしりい)と呼び、その水で作られた餅が走井餅。江戸時代の中期に生まれ、東海道を歩く旅人たちはこの餅を食べて、縁起をかついだらしい。
1年ほど前、職場の人から頂いて初めて食べたのですが、上品なあっさりした甘さで美味しかったこと。本当に美味しかったのですが、江戸時代からあるものと知って、食べながら、大津であれば、山南敬助も食べたかもしれないと思い、さらに美味しさが増した。浪士組として上洛する時に大津宿に泊したし、私的な考えですが、大津で静養していたかもしれないし。その時に食べたかもしれない。
脱走が史実なら、『新選組!』の山南のように、その時には食べる余裕はなかったと思うのですけれどね。
明里が串団子でなく、走井餅を食べたなら、あんな非常事態の時に、団子の食べ方に悩まなかっただろう(苦笑)。

こちらは、草津宿の名物とされているうばが餅でございます。これも400年くらい前からあるようです。草津宿は、江戸から京に向かった場合、大津宿のひとつ手前の宿場です。ここには、浪士組として上洛する時に泊はしていませんが、通っています。村上俊五郎にいちゃもんをつけられて、山南敬助が烈火のごとく怒ったと云われている所です。その日(文久3年2月22日)、武佐宿を出立して大津宿まで歩いているので、ちょうど真中辺りであることから、草津宿で休憩だったのかな~と思ったり。しかしこの浪士組にうばが餅を食べるほどの余裕はなかっただろう。
そしてこれまでもしつこく書いていますが、草津宿と言えば、本陣に土方・斎藤・平助・伊東の4人が泊した記録が残っています。斎藤や伊東らが酒を飲む中、土方がうばが餅を食べていたことも考えられないわけではない(笑)。
山南・総司・左之助以外は、江戸に帰り、再び上洛しております。泊したという記録は残っていないものの、この3人以外は文久3年(1863年)の2月の上洛以外に、草津宿、大津宿を通ったのは確かなのです。逢坂・追分を歩いたのです。
試衛館派の9人の中で誰か一人くらい、走井餅か、うばが餅を食べたかもしれないよな~と、デパートの銘菓売り場にあったうばが餅を横目で見ながら、そんなどうでもいいことを考えていました(笑)。
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by eri-seiran | 2006-12-27 18:57 |  ゆかりの地

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