『旅硯九重日記』から考えられること

昨日の記事で、山南敬助から小島鹿之助宛の年賀状による疑問、そこから山南敬助の病について書きました。山南敬助が病だったということを当時の記録で残しているのは、昨日の記事でも登場した日野蓮光寺村の名主であった富沢政恕(忠右衛門)の日記のみです。ただ現在に残っている物は、京在中に書いた日記を明治の初期に清書した『旅硯九重日記』となります。
明治の初期に書かれた永倉新八の『浪士文久報国記事』には、元治元年(1864年)の7月19日に起こった禁門の変にて、
山南は病気ニテ引入居リ
つまり病気のために禁門の変には参加できなかったと記されています。

さて富沢政恕は、文久4年(1864年)2月2日に壬生を訪れ、

・・・近藤勇、山南敬助、土方歳三、井上源三郎、沖田総司等の旧友を尋問す。この日近藤氏は会津候の召に応し出仕不在なり。山南ハ病に臥し逢ハす。・・・

と、『旅硯九重日記』に書いています。
ここでわかるのは、富沢にとって山南は、土方たち元々の試衛館、多摩出身のメンバーたちとほぼ同等の関係だった、また逢いたかったということです。知っていただろうと思われる永倉たちの名前は挙げておりません。

その富沢政恕は、4月13日まで京に滞在していました。その間、近藤や土方たちと何度も逢っています。元々の試衛館以外のメンバーでは、藤堂平助、武田観柳斎と会ったことが記されています。しかし山南に逢ったことは一度も記されていないのです。しかしです。京在中の3月26日に、富沢政恕が多摩の佐藤彦五郎宛に書簡を送っています。また佐藤彦五郎は、書簡の内容を小島鹿之助に教えました。そして小島は下記のことを日記に書いています。

勇、歳三、山南、沖田、一同無異之由。喜悦々々。

富沢の書簡から、小島鹿之助は山南も変わりなく元気だと判断したことになります。と言うことは、富沢が書簡にそのようなことを書いたことになります。富沢の日記には記されていないが、富沢は元気な山南に逢えたのだろうか?
これがまた謎なんですよ。謎。
現在、残っている『旅硯九重日記』『小島家日記』から考えられることは、元気な山南に逢ったけれど、日記には書いていない。佐藤彦五郎や小島鹿之助らに心配を掛けまいと思い、富沢が、近藤勇、土方歳三、山南敬助、沖田総司は元気であるという内容のことを書いたのか?山南が近藤や土方を通してそう書いてもらうように頼んだのか?或いは近藤や土方の判断でそう頼んだのか?
もし富沢が山南に逢えたとしても怪我の後遺症は残っていただろう。安泰ではなかっただろう。

昨日の記事で、山南は屯所以外のところで静養していたのではないかと書きました。その理由のひとつは、この富沢政恕が山南は病に臥していて逢えなかったと書いていること、その後も逢った形跡がないこと。
屯所内で静養していれば、短い時間でも逢うことはできたはず。山南が眠っていたとしても見舞うことはできたはず。しかし逢えなかった。
と言うことで、屯所以外の場所で静養していたのではないかと思うのです。
そして京のどこかにて静養していたら、2ヶ月も滞在していたのだから、逢いに行けたはず。しかし逢った形跡はない。そこで京以外の場所で静養していたのではないかと、そこが大津だったのではないかと考えたりしているんですけれどね。
もうひとつは、屯所、或いは京のどこかで静養していて、物理的には逢える環境にあったが、山南が逢うのを拒んだのではないかとも思うのです。不逞浪士と戦い、負傷して、剣術も優れていたと云われる山南が2度と剣にて戦うことができない身体になってしまった。精神的にも参っていた。そんな姿を多摩の人に見せたくなかった。富沢に逢ったら、富沢から山南が懇意にしていた小島鹿之助や佐藤彦五郎たちにも自分の今の姿を知られる。
だから山南から富沢に逢おうとしなかった。
そんな山南の気持ちを知って、富沢も書簡に、近藤も土方も山南も総司も皆安泰と言う内容のことを書いた。そう考えると、富沢がそのように書いた気持ちもわかる。

あくまでも私的な考えです。そしてこれは、当時の日記をそのまま『旅硯九重日記』として清書されたことを前提に考えた場合です。
当時の日記を『旅硯九重日記』として清書した時に、省いた部分があることも考えられないわけではありません。つまり山南に関して省いたということです。
省いたなら、どのような内容か、何故に省いたか、ということが問題になってくるわけですが、色々なことが考えられ、頭が混乱して参りましたので、この辺りにて一応ピリオドを打ちますね。この富沢政恕の壬生訪問や『旅硯九重日記』等についても、以前に記事で書いていますが、昨日の記事と同様に、自分の気持ちや考えが微妙に変化しているので、改めて書きたくなったというわけです。

山南敬助についてガツガツと書きたい今日この頃でございます(笑)。

追伸:『旅硯九重日記』と『小島家日記』に書かれてある内容については、「新選組日誌コンパクト版上」(新人物往来社)より
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by eri-seiran | 2007-01-06 15:15 |  山南敬助

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