山南敬助も見たであろう高尾山
2007年 02月 15日
そして京王線の電車に乗って、高幡不動駅に向かう時、高尾山口行きの電車があったことを思い出しました。遅すぎてごめんなさい。また勉強不足でごめんなさい。
慶応4年(1868)、鳥羽伏見の戦いに負け、江戸に帰ってきた新選組。そして甲陽鎮撫隊として甲州に向かう時、この高尾山の横を通り過ぎて行ったんですね(涙)。
高尾山の詳しいことについてはこちらより
高尾山付近の旧甲州街道についてはこちらより
そしてこの高尾山の頂上から富士山が見えるですって。高尾山から見える富士山はこちらより
またダイアモンド富士はこちらより
なんってきれいなんでしょう。
こちらもきれいですよ。高尾山から見える関東の夜景。
これらを見ていたら、行きたくなっちゃいましたよ。
さらに色々と調べていくうちにこちらの方に辿り着き、町田市はすごい都会なんだ!と驚いてしまいました。
去年の夏、念願の町田市の小野路に行ったのですが、多摩市の京王多摩センター駅からバスに乗って、小野路に辿り着き、町田というと、昔の風情が残っている小野路のイメージしかなかったものですから。そして小野路から歩いたとんでもない山道と蚊(苦笑)。そんなわけで、ちょっとそのギャップに驚いてしまいました。
山南敬助と沖田総司が泊した小野路村。今の町田市小野路。だから今度、江戸・多摩方面に行った時には町田市に泊したいと考えているんですけれどね。
さて話しを戻し高尾山。山南敬助が近藤や総司らと日野宿から八王子宿に向かったという記録があります。安政8年(後の文久元年、1860年)の1月のこと。山南敬助も八王子から高尾山を見たんだろうな~と思うと、この高尾山への関心がさらに高まる次第でございます。