人気ブログランキング | 話題のタグを見る

浪士組幹部 池田徳太郎

今日は仕事が休みで、午前中の所用がお昼前には終わり、何かランチになるもの、また夕食の材料を買おうと思い、スーパーに寄ったら、全国の人気駅弁が売られていました。
それをランチにしようということで、名古屋駅弁の抹茶ひつまぶし日本一弁当を買いました。

そして『新選組!』の再観賞が15回で止まっていたため、その弁当を食べながら第16回を観賞。抹茶の粉がついており、それをふりかけて食べるらしい。それがどうも薬に思えて、それでもって『新選組!』を観賞したものですから、なんか可笑しくて。すみません。その理由は、こちらの記事より
そうなんです、コミック『秘密の新選組』を思い出してしまいまして(汗)。
しかしお弁当はとても美味しかったですよ。
可笑しかったのは最初の方だけであり、後は集中して観ることができました。こちらの感想は改めて、他の回とまとめて記事にします。テレビの方は、本日が23回放映予定なので、大分溜まっているんですけれど(汗)。

さて今日は浪士組の幹部であり、また先番宿割の任務を担当し、『新選組!』においては、同志であった清川八郎に裏切られ、子どものように泣き、今日の第16回においては、江戸に帰りたいけれど清河が謝ってくるまでは・・・と、一人で酒を呑んでいたら酔ってしまい、隣でたまたま呑んでいたお梅さんに絡み、それを見ていた芹沢鴨に店から放り出されてしまった池田徳太郎についてです。

『新選組!』においては、こんな上司だったら大変だろうな~とか思ったりしていましたが、史実の池田徳太郎は学があり、温厚な人であり、人望も厚かったらしい。浪士の募集をあちらこちらで説いて回り、池田の人望により参加した人たちも少なくなかったようです。
安芸の忠海村の出身であり、天保2年(1831)の生まれ。
試衛館のメンバーにとってはとんでもない恩人となる清河八郎、幕臣の山岡鉄太郎、山南敬助を草津宿にて激怒させた村上俊五郎らと共に発起人となり、虎尾会を結成した一人です。
そんな方であり、浪士の募集にも尽力したにも関わらず、清河のやり方に疑問を感じたからか、或いは国許の父親が危篤だったためか、清河が朝廷に提出した建白書には、ドラマの通り、浪士組のメンバーとしてただ一人、署名をしておりません。
そして早くに浪士組を脱退しております。

詳しいことはわからないのですが、父親が危篤ということは江戸を出立する時からわかっていたようであり、また清河は有能な同志である池田を国許に帰したくなかったようです。
池田は、清河の考えに同意できれば、署名をして、そのまま安芸に一時帰るということもできただろう。それをせず、早々と脱退したということは、やはり清河のやり方に納得できなかったのだろう。

脱退した後は、安芸に帰り、倒幕軍として戊辰戦争に参加し、明治になってからは青森や島根などの知事となりましたが、明治7年(1874)に、病にて亡くなりました。
享年44。

史実の山南敬助は、清河らと知り合いだったということはあったかもしれませんが、強いつながりはなかっただろう。しかし史実の池田徳太郎は違った。強いつながりがある同志だったのです。
学があり、温厚で、人望があったということから、また同志であった清河に裏切られた失意というものから、『新選組!』の第14回から15回にかけての山南敬助@堺雅人のような感じだったのかな~と、思いました。ただ、この山南敬助には本当の仲間、同志たちがいました。しかし史実の池田徳太郎は、一人で去っていきました。

史実の山南敬助との関係はあまりなかったと思いますが、共に上洛した同志ではあります。そして虎尾会からの同志である村上俊五郎に対して、山南敬助が烈火のごとく怒ったのが史実であれば、池田徳太郎は、山南敬助という人物をよく知ることになっただろう。
by eri-seiran | 2007-02-22 17:08 |  縁者

山南敬助をメインにしたブログです。ホームページ『山南敬助 赤心記』共々よろしくお願い申し上げます。


by eri-seiran