山南敬助の命日に壬生界隈、そして大坂へ

昨日の大阪での私的な所用とは、舞台地獄八景・・浮世百景の観賞でした。
この舞台の大阪公演が2月23日(金)~25日(日)で、最初は3日間とも、都合がつかないよ!と、悲鳴をあげました。しかし観たい!なんとかして観たい!24日と25日はどうすることもできないが、23日ならなんとかなるかもしれないと思い、はい、なんとかしました。そしてせっかくだしもう少しなんとかしようと思い、大阪に行く前に光縁寺に寄る時間も作ってしまいました。
毎年、2月23日はバタバタしており、旧暦での命日に墓参りに行ったことがありませんでした。初めて、2月23日に墓参ができました。

壬生界隈に行く時、京都駅から四条大宮方面行きのバスに乗って四条大宮で降りて、まず光縁寺によってから、時間があれば、壬生界隈を歩くのが私のパターンなのですが、今回、乗ったバスが四条通りを西へ行くバスだったこともあり、四条大宮のバス停でなく、その次の壬生寺通前のバス停で降りました。その壬生寺通りを少し下ると、旧前川邸です。
旧前川邸の前に立った途端、わ~どうしよう、感じるよ。感じるよ。かなりやばかった(苦笑)。約1年前のあの時と同じくらいのドキドキ感でした。そして綾小路通を東に向かって歩きました。つまり光縁寺に向かって歩いたわけです。時間は16時過ぎ。小学校から家に帰宅途中の子どもたちが楽しそうに歩いていました。きっと元治2年(1865)2月23日、なにも知らない壬生界隈の子どもたちも路地などで、こうして楽しそうに遊んでおり、笑い声なども聞こえたりしていたんだろうな~と、そして山南敬助の遺体は、この旧前川邸から私が歩いている綾小路通りを新選組の隊士らによって光縁寺に運ばれたんだよな~とか、考えながら光縁寺へ。

墓にはきれいな花が手向けてあり、敷地内にも水仙や梅などきれいな花が咲いていました。あ~ここに来ると落ち着く。
今週は、自分自身、ちょっとへこんでおりましたが、光縁寺を訪問し、墓参できたお陰で、かなり元気になれました。
元治2年2月23日、山南敬助が最後に見た空はどんな空だったか、わかりませんが、平成19年2月23日、光縁寺前の綾小路通から見た空です。
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そして、阪急電車の四条大宮駅から電車に乗り、大阪に向かった次第です。
この舞台の公演場所が、こちらでした。そう大坂城の近くなんです。それで最初は、梅田から淀屋橋まで行って、淀屋橋港からこちらの船に乗り、大川を上がり、大阪城港で降りるというとても贅沢な行き方をしたいと思ったのですが、時間的に無理でした(苦笑)。

さて、舞台の方は、上方落語の演目の『地獄八景亡者戯』をメインにして、他の落語の演目が所々に入っており、なかなか面白い構成になっておりました。テンポがあり、早替わりがあり、休憩なしの約2時間20分でしたが、今の私には気持ちよく楽しめた舞台でした。『組!』ファンとしては、山崎烝@桂吉弥と橋本左内@山内圭哉さんの共演も嬉しかったわけです。山内圭哉さん、舞台『噂の男』のDVDにて、改めて舞台にての演技を観て、また副音声コメンタリーやインタービューでのトークを聴いてから、気なる役者さんになっていたわけですが、今回、新たな舞台を観て、かなり気になる役者さんになりそうです。
そして今回の舞台で何が一番驚いたかと言うと、舞台において、鴻池大川が出てくるではありませんか。鴻池とは、山南敬助が土方歳三と共に不逞浪士と戦ったという記録が残っている両替商です。また新選組は鴻池から金銭の面において助けてもらってもおります。大川は、山南敬助や新選組のメンバーがこの川を下ったり、上ったりしております。だから山南敬助、新選組ファンとしてはたまりません。山南敬助の命日にて、全く関係ない舞台において、鴻池と大川が出てくるなんって、本当に嬉しいサプライズでした。

この舞台を23日に観賞できて、良かった。良かった。光縁寺に行って墓参りをすることもできましたし、舞台も楽しめましたし、すべて山南敬助が御膳立てしてくれたように思えてしまって。
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by eri-seiran | 2007-02-24 10:41 | 身辺雑記

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