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あの人たちも渡った横田川

慶応元年(1865)4月27日、土方歳三は新選組新人隊士を連れて、江戸を出立しました。そこには斎藤一、藤堂平助、伊東甲子太郎もいました。
5月10日に京に帰着。その前日の9日には草津本陣に宿泊。
そして中山道ではなく、東海道を下ったということから、草津宿に入った同じ9日に水口宿から石部宿の間にある横田川を土方も斎藤も平助も伊東も渡ったはず。
そしてこれが現在の横田川です。
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4月の中旬に撮影したものです。こちら方面に所用があり、通り道だったので寄りました。
横田川は鈴鹿山脈に源を発する野洲川であり、このあたりでは横田川と呼ばれていたそうです。そして横田川の渡しは東海道の十三渡しのひとつと言われています。増水期となる3月から9月までは舟で、10月から2月までは土橋が架けられたそうです。また大水の時には川留となることもあり、また巨石が旅人を悩ませた川でありました。
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この常夜灯は、文政5年(1822)に建立され、東海道にある常夜灯の中でも一番大きかったらしい。
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ちょっと季節はずれですが、横田川の土手にある桜です。訪れた時には桜の花が順番に散っていく時期でした。
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現在、横田川の渡しはこのように公園として整備されておりますが、土方も斎藤も平助も伊東もここを通り、常夜灯を見て、渡し舟に乗って横田川を渡ったのです。

約3ヶ月前に山南敬助が亡くなり、江戸にいて山南の死に目にあえなかった平助にとっては山南のいない京に帰るのは初めてのこと。京に帰ったら、墓参りに行ったのかしら。
by eri-seiran | 2007-05-14 11:24 | 新選組

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